もめ事の種を探し回り、芽吹く前にすべて摘み取れるほど俺は万能ではない。
 世界に比べて、この学校はあまりにも狭い。それでも監視カメラ1台で端から端まで見渡せはしないから、自分の力が及ぶ範囲を思い知っている。

 どの休憩スペースでも、休み時間と放課後の飲食は認められている。
 別の棟には軽食を提供してくれるカフェもあるが支払いが交通系ICカードのみとなってから、定期を持ってない生徒の利用が減ったらしい。

 待ち合わせ場所にやってきた小薗が、とりあえず何か飲みながら話そうと言ってこちらの希望をたずねてくる。
 冬は寒いし、夏は空調で冷えてしまう。
 年中ホットドリンクを自販機に入れておいてほしい俺は、ちらりと壁際に目をやってブラックコーヒーのホットを頼む。
 
「無糖のホットはどれも売り切れみたいだけど?」

 その場から動かず、自販機の表示を確認する小薗の瞳は室内で見ても穏やかな色味をしていた。
 
「小薗って目がいいんだな。背も高いし、偵察とかにも向いてそう」

 つくづくファンタジーとかの世界向きだと思いながら、俺は下唇を指でつまんだ。
 恵まれている者のところに魅力や才能が集まりすぎるのはバグだろう。相対的に自己評価を下げていたら、早いうちから手持ちの数字がマイナスになる。
 貰い受けたものが大きいほど、皆の期待に押しつぶされる弊害もあるのだから、ポジティブシンキングが大切だ。

「目だけじゃなく、耳がいいのもオレの自慢」

 顔も声も、なんなら性格だって良いくせに、子供みたいに得意げに笑う小薗はきっとあたたかい人たちに囲まれて育ってきたのだろう。

 酔っ払った叔母は口が軽くなり、次の日には記憶が飛んでいく。
 父親について聞き出せたのは、母との出会いがこの奏美高等学校の文化祭だったこと。
 運命の出会いがうらやましくて、母の卒業後に奏美へ進学したと話していたから、両親が普通に出会って恋をしていたことはわかった。
 けれど、何も教えてくれない理由はまだ判明していない。

 母の口から直接語られることはない秘密は俺の中に小さなひずみを形成している。
 俺の存在が二人の別れの原因であるとしたら?
 家族に大事にされているという自己肯定だけでは打ち消せない不安。
 他人には聞かれたくない、言いたくないことがいくつもある。
 小薗みたいな積極性や陽気さが俺に獲得できる日は来ないだろう。
 
「オープンスクールの時、ルール違反した女子2人を黄青埼がこっそり助けたところもオレにはよく見えたんだ」

 奏美のオープンスクールは、全日自転車登校禁止となる。
 それは毎年恒例のようで、学年主任からも伝えられたし
担任から渡されたプリントや申し込み確認メールにもしっかり記載されていた。

 公共交通機関の利用を推奨、自家用車で来校する場合は第二グラウンドを駐車場として利用可能。という文面の次にも自転車での来校はご遠慮くださいとあったのに、マイルールが適用される連中はどこにでもいる。

 最寄りの駅に駐輪場はないし、バス停留所付近の商業施設に停めるのは一番たちが悪い。
 放置するよりマシだと判断したのか学校まで自転車に乗ってきた女子二人は、自転車侵入禁止、駐輪禁止の貼り紙を無視して校内に入った。
 正門と西門側には誘導の係が立っていたはずだ。
 彼女たちは車が通れない住宅街の細い道の方を回ってきたのだろう。
 
 誰も自転車を停めていない場所に駐輪した二人に迷いはなかった。
 オープンスクールは下見であって受験するとは決まっていない。ルールを守れなかったからといって、合否に影響するとも限らない。
 俺が彼女たちをかばうような行動に出たのは、学校側がこの件を問題視して面倒なルール改変が行われるかもしれないと思ったからだ。

「自転車の持ち主を特定して、中学校に連絡するほど奏美の教師も暇じゃない。だけど、あの日、校内放送で呼び出される可能性くらいはあったかもな」

 赤いポールは道をふさぐように2つ置かれていた。
 警告表示は黄色に黒文字で書いてあり、どこから見てもわかりやすい。
 風が吹き抜ける場所なのか、印刷された紙はパタパタと風にあおられ、今にも飛んでいきそうだった。
 裏門のところに掲げられていた関係車両以外立ち入り禁止の看板にくらべると急ごしらえで簡素なものだ。

 補強されていない紙1枚は放っておいてもどこかへ飛んでいきそうだった。
 わかりやすく設置された防犯カメラ以外にも監視システムが動いている可能性は高い。
 リアルタイムで観ている誰かがいても切り抜けられるように俺はポールにサブバックを引っかけた。
 テープははがれず、紙に折り目がついた程度だったけれどあとは時間の問題だろう。
 ゴミの収集と物品の納入。車がここを行くたびにポールは持ち運ばれ、注意書きはおそらくはがれ落ちる。
 校内を回った教師が自転車に気づいた時、ここに貼り紙が残ってなければ知らなかったという言い訳が成立する。
 遠慮なく停めていった彼女たちは怒られても気にしないかもしれないが、全体責任とされ講堂で長々と説教されるのはごめんだった。
 
 正門から続く桜並木。
 中庭へ続く絵画みたいな花のプロムナード。
 皆の中の奏美高等学校はそんなイメージであってほしい。
 卒業して大人になった皆の中で生き続ける思い出のままに。

「ルールを守れなかった子たちをなんでかばうようなことしたんだろうって、ずっと気になってさ。教室移動とかで黄青埼を見かけるたび、目で追いかけてた」
「……アレは、たまたまあの場に居合わせたから、ちょっとした厄除程度のおせっかいだ」

 小薗は意地の左右非対称の悪い顔をしてこちらを見つめる。

「スマホ持ち込み禁止だったのに、中庭のとこでパシャパシャ撮影会してた子たちは、なんて言って解散させたの?」
「耳がいいなら、聞こえてたんだろ?」

 先生がこっちへ向かっていると言ってもよかったけれど、あまりにも勝手な行動に俺も内心腹を立てていた。
 花壇に入り込み花を踏みつぶし、ベストショットを撮るために盛り上がっていた彼女たちは、他の学校へ行ったようで何よりだ。

『角度によっては見えるみたいで、上で男子が盛り上がってたけど』

 デタラメであるが、しゃがんだり上着を脱いだりしていた彼女たちは身に覚えがあったのだろう。
 教職員がやってくる前にさっさと退散した女子中学生に俺は追撃をしなかった。

「スマートな解決法見つけるヤツだなって、あの時は感心した。奏美が第一志望だろうなって思ったのが、ここを受けた理由の一つだ」

 人を観察することはあっても、される側になることはないと思い込んでいた俺に、小薗は意外な願いを口にする。

「黄青崎のことがもっと知りたい。で、できればもっと近づきたい」

 傍観者でしかない俺に興味を持つなんて変わってる。
 俺がいなくても小薗は興味の対象を他に見つけただろう。
 入学説明会でこいつは【桜の君】を見初めたのだから、俺と親しくなるよりそっちを優先しろよとは思う。
 俺と上織に接点ができたのは、小薗の強運がもたらした効果かもしれない。

「俺は、普通だよ」

 普通に見せたい。平凡でありたい。
 あの子の親ってさぁ。なんて陰口を叩くやつはいなかったけど、気に留められないように控えめに生きていきたい。
 だから、本当は注目される側に交わる気はなかったんだけど。
 小薗は俺をひっぱって連れていってくれる。