コンコンと壁を叩く控えめな音に振り返る。
開けっ放しの入り口からいつの間にか入ってきていた堰守先生は、窓際に並んでいた俺たちの距離感に言及した。
「若い子は目を離すとすぐにハメをはずから〜って瞳実先生がボヤいてたけど、アレって至言かもな。いちゃつくんなら、校外で勝手にやってくれ」
奏美高等学校の恋愛相談役だと噂されている瞳美京香はベテランの養護教諭である。
てきぱきとした状況判断、経験値から来る余裕で生徒だけでなく教師からも頼りされている。
校長も教頭も彼女に弱腰なのはキャリアが2人よりも長いからだと聞いたこともあるが、見た目は若く実年齢は公表されていない。
「ああ、でもゴムは着けろよ? 感染症とか色々あるしな」
交際してもいない相手との性交渉についてのアドバイスは不要である。付き合っていたとしてもセンシティブな問題なので大人に口を挟まれたくはないだろう。
その決めつけは、コンプラ的にどうなんですと言いかけた俺を制するように遅れてきた美鷹が自分の存在をアピールしてきた。
「冬馬さんって、生徒の前だと強キャラ風味ですよね」
年上の威厳を叩き潰すような発言をされたのに、堰守先生はため息をつくだけで否定しない。
髪を結ってまとめているせいか、いつもよりチャラさが薄れて本来の性質が浮かび上がる。
長い付き合いの相手だと思うようにかわせないのか、先生はこめかみに指を添えて黙り込んだ。
下の名前で呼ぶこと自体は即アウトということもない。苗字かぶりの教師が数名いるせいで、下の名前が通称になっている場合もあるからだ。
だけど、美鷹の呼びかけは執着とマウントのごちゃ混ぜみたいな愛が重くて甘ったるい。
とうまさん、とやわらかく呼ぶ響きは胸焼けしそうだった。
ここには俺と小薗しかいないから問題はないが、これが他の教師や生徒の前ならざわつくだけではすまないだろう。
マズイと感じたのか、堰守先生が美鷹との関係に注釈を添えてくる。
「お前たち、コイツの知ってます感は強火オタのアレであって勘繰られるようなのじゃないからな」
よく口が回る配信者がそう簡単にボロを出すはずがない。こうやって周りを言いくるめてきたのだろう。
大人というのは、子どもよりも場数を踏んでいるだけあって嘘のバリエーションも豊富なのだ。
確信に触れることなく、愛情だけを注いでくれた家族たちは俺のことをまだまだ幼いと思い込んでいる。
「へぇ、じゃあ美鷹のこと狙ってるヤツがいてもそっちを全力で応援してもいいってことですか?」
「好きなようにすればいい」
あっさりと答えた堰守先生の表情は揺らがないのに、美鷹は目を伏せ言葉を飲み込んだ。
「俺は大人だし、ここの教師でもある。自分に課せられたものが守れないと感じたら、奏美を離れるだけじゃなく、お前の元から消えるつもりだ。まあ、心配されるようなことにはならないさ。俺はずるくてダメな大人だってことがそのうちわかる」
本気で突き放すつもりはあるのだろうが、後半の早口は本心をごまかすためだろう。美鷹の顔を見もせず、俺に向かって宣言するのは、傷つけた相手を大事に思っているからだ。
今はまだ、この二人を祝福してやれる時期じゃない。歳を重ねて学生でなくなった美鷹が、他の人より堰守先生を望むなら、彼らを責める理由はなくなる。
俺が関わることで何かが変わるという保証はない。だけど、2人が正しく形で恋を温存出来るように、事情通の同好会メンバーでいてやることは可能だ。
彼らの空気清浄機として、俺は役に立つだろう。
配信者のオープンなコメント欄にはゴミのような意見も集まってくる。
投書箱でもないのに相談が寄せられるから、真面目に考えて眠れなくなる夜もあると何かの記事で話していた。
有名人には隠し事も多くなる。火のないところに煙は立たないと言うけれど、堰守先生にとって美鷹との親交はかなり危うい。
俺と小薗が同席することで、いらぬ誤解を招かず済むならそれがベストである。
「堰守先生が未成年者を囲い込むクズじゃないことはよくわかりました。うちの教師が問題起こして炎上するなんて嫌なので、俺は出来ることをさせてもらいます」
立ち位置を明らかにしたところで、俺はもう一つ確認する。
「人名地名研究同好会って、ちょっと長すぎますよね。略すなら人地研か人名研の2択だと思うんですけど、お二人はどう思います?」
開けっ放しの入り口からいつの間にか入ってきていた堰守先生は、窓際に並んでいた俺たちの距離感に言及した。
「若い子は目を離すとすぐにハメをはずから〜って瞳実先生がボヤいてたけど、アレって至言かもな。いちゃつくんなら、校外で勝手にやってくれ」
奏美高等学校の恋愛相談役だと噂されている瞳美京香はベテランの養護教諭である。
てきぱきとした状況判断、経験値から来る余裕で生徒だけでなく教師からも頼りされている。
校長も教頭も彼女に弱腰なのはキャリアが2人よりも長いからだと聞いたこともあるが、見た目は若く実年齢は公表されていない。
「ああ、でもゴムは着けろよ? 感染症とか色々あるしな」
交際してもいない相手との性交渉についてのアドバイスは不要である。付き合っていたとしてもセンシティブな問題なので大人に口を挟まれたくはないだろう。
その決めつけは、コンプラ的にどうなんですと言いかけた俺を制するように遅れてきた美鷹が自分の存在をアピールしてきた。
「冬馬さんって、生徒の前だと強キャラ風味ですよね」
年上の威厳を叩き潰すような発言をされたのに、堰守先生はため息をつくだけで否定しない。
髪を結ってまとめているせいか、いつもよりチャラさが薄れて本来の性質が浮かび上がる。
長い付き合いの相手だと思うようにかわせないのか、先生はこめかみに指を添えて黙り込んだ。
下の名前で呼ぶこと自体は即アウトということもない。苗字かぶりの教師が数名いるせいで、下の名前が通称になっている場合もあるからだ。
だけど、美鷹の呼びかけは執着とマウントのごちゃ混ぜみたいな愛が重くて甘ったるい。
とうまさん、とやわらかく呼ぶ響きは胸焼けしそうだった。
ここには俺と小薗しかいないから問題はないが、これが他の教師や生徒の前ならざわつくだけではすまないだろう。
マズイと感じたのか、堰守先生が美鷹との関係に注釈を添えてくる。
「お前たち、コイツの知ってます感は強火オタのアレであって勘繰られるようなのじゃないからな」
よく口が回る配信者がそう簡単にボロを出すはずがない。こうやって周りを言いくるめてきたのだろう。
大人というのは、子どもよりも場数を踏んでいるだけあって嘘のバリエーションも豊富なのだ。
確信に触れることなく、愛情だけを注いでくれた家族たちは俺のことをまだまだ幼いと思い込んでいる。
「へぇ、じゃあ美鷹のこと狙ってるヤツがいてもそっちを全力で応援してもいいってことですか?」
「好きなようにすればいい」
あっさりと答えた堰守先生の表情は揺らがないのに、美鷹は目を伏せ言葉を飲み込んだ。
「俺は大人だし、ここの教師でもある。自分に課せられたものが守れないと感じたら、奏美を離れるだけじゃなく、お前の元から消えるつもりだ。まあ、心配されるようなことにはならないさ。俺はずるくてダメな大人だってことがそのうちわかる」
本気で突き放すつもりはあるのだろうが、後半の早口は本心をごまかすためだろう。美鷹の顔を見もせず、俺に向かって宣言するのは、傷つけた相手を大事に思っているからだ。
今はまだ、この二人を祝福してやれる時期じゃない。歳を重ねて学生でなくなった美鷹が、他の人より堰守先生を望むなら、彼らを責める理由はなくなる。
俺が関わることで何かが変わるという保証はない。だけど、2人が正しく形で恋を温存出来るように、事情通の同好会メンバーでいてやることは可能だ。
彼らの空気清浄機として、俺は役に立つだろう。
配信者のオープンなコメント欄にはゴミのような意見も集まってくる。
投書箱でもないのに相談が寄せられるから、真面目に考えて眠れなくなる夜もあると何かの記事で話していた。
有名人には隠し事も多くなる。火のないところに煙は立たないと言うけれど、堰守先生にとって美鷹との親交はかなり危うい。
俺と小薗が同席することで、いらぬ誤解を招かず済むならそれがベストである。
「堰守先生が未成年者を囲い込むクズじゃないことはよくわかりました。うちの教師が問題起こして炎上するなんて嫌なので、俺は出来ることをさせてもらいます」
立ち位置を明らかにしたところで、俺はもう一つ確認する。
「人名地名研究同好会って、ちょっと長すぎますよね。略すなら人地研か人名研の2択だと思うんですけど、お二人はどう思います?」


