俺、黄青埼侑にはちょっとした特技がある。
他人に話したら、特殊能力の域だと言ってくれるかもしれないが、今のところ誰にも打ち明ける予定はないし、秘密を共有する人間を作れていない。
幼稚園が一緒だった縁で小中学校でもなんとなくつながっていた幼馴染なら2人いるが、学校外でのからみがなさすぎて友人枠には入れられない。
必要に応じて交流するのは平気だが、こいつを知りたい近づきたいという強い感情とは無縁なまま、十六歳になろうとしている。
周りから浮かない程度のコミュ力はあるので、教師や家族から心配されることもないが、他人に対する期待が希薄なのはオレの欠点なのだろう。
高校に入学してそろそろ1ヶ月半。
全力でも片道40分以上かかる自転車通学で持久力は上がったかもしれない。
駅から遠く、坂の上に立つ奏美高等学校は進学先の選択肢から外されやすかった。
偏差値が毎年横並びのライバル校に人気が集中するのも仕方ない。
校則がゆるく頭髪規定が理想的というのが、ここを受けた理由のひとつ。
天候次第で好き勝手にはねまくる俺の癖毛には、ある程度の長さが必要になる。扱いやすい長さにしておいても目立たないのは、個性重視の奏美だからだ。
俺と同じ中学出身の生徒は、うちのクラスにも隣のクラスにもいない。
休み時間に群れていないと不安ということもないので、
俺の特技を打ち明ける友人枠は今のところ空欄である。
制服の深いポケットから文庫本を取り出し、ページを開く。しおりは邪魔なので挟まない。きりのいい章まで読んでしまえば、どこまで読んだか忘れることもない。
縦に並ぶ文字列に意識を集中させ、作品世界に一度入り込むと周囲の雑音は遠ざかり、自分の輪郭がゆっくりとぼやけていく。
そうなってしまえば、俺の存在感は空気か壁みたいに希薄になる。
忍者やスパイのように訓練をしなくても、お高い光学迷彩装置を手に入れなくてもいい。
物音さえ立てなければ、俺は違法性のない記憶媒体になれるのだから。
「……ここに呼び出された理由、もうわかってるよね?」
期待と緊張感が入り混じった女子生徒の声。
奏美高等学校の全生徒数は約六百人。その半分以上が女子生徒。
よく知った相手でなければ、瞬時に特定できるわけがなかった。
図書館を通り過ぎた場所にある謎のオブジェは、卒業記念作品らしい。円柱と植物を組み合わせたような造形が地面に落とす影がハートに見えるとかで、告白スポットとしては定番となっている。
俺がここにいたのは木陰に設置されたベンチのひとつを読書や昼寝によく利用しているからであり、居合わせたのは偶然だった。
背の高い木々や薔薇のアーチはあちらからの目隠しになるだろう。
音は立てず、植物の間から覗き見る。
告白した側の女子は、最上級生だと示す緑のリボンを胸元に結んでいた。
ゆるく巻いた髪を左側で結ぶ彼女の名前と交友関係を俺は把握していた。
ミステリ好きなら頷くだろうが、人間観察というのは面白い。潜伏スキルで得た情報と組み合わせれば、教職員以上に生徒のことを理解できる。
告白された側の男子は1年生。
俺とはクラスは違うが、入学当初から目立ちまくっていた。
小薗京陽。
光源の具合で灰緑に見える瞳、色素の薄い髪と合わせてゲームかアニメのキャラクターみたいだというのが第一印象。
大型の猟犬みたいな体格と顔立ち。
たぶん、どんなトンチキな格好でもそれなりに着こなせそうなので、奏美のクソダサジャージでも似合うのか見てみたいとは一瞬思った。
皆の興味が自分に向いても気にせず、知っている顔を見つけてはにぎやかに絡んでいく小薗は、目立たず平穏に暮らしたい俺とは正反対である。
首席合格の美鷹とは幼馴染らしく、教室移動や休み時間には彼と一緒にいるのをよく見かける。
クラスが違うため、会話が成立したことは一度もないが、美鷹と共に同好会を立ち上げるようで配っていた勧誘チラシを3回ほど押しつけられた。
特徴がない同級生の俺をを向こうが覚えていないのは仕方ない。
けれど、3回のうち2回は俺しかいない状況だったし、説明的な声かけはされた気がする。
放課後の余力は登り坂ばかりの帰路に費やしたいので、部活なんて入るつもりはない。
考えてみると期待を持たせる言葉を返したわけではないので、向こうの記憶に残ってないのは当然だが、入学式での動向を見ていると人の顔が覚えられないタイプではなさそうだった。
美鷹ほどではなくても成績上位者の一人なら、通り過ぎるたび何度も声をかけてくるショッピングモールの迷惑営業みたいなことはやめてほしい。
華やかさに欠けるモブの一人であることを嘆くつもりはない。
空気となり、壁となり、その場に同化することによるメリットは大きかった。学園生活を円滑に送るための情報はいくらあっても無駄じゃない。
交友関係、恋愛事情、それぞれの秘密。
生徒の安全のために設置された映像のみの監視カメラより、ずっと価値ある情報が集まってくる。
「告白に即答するって聞いてるよ。期待しない方がいいって友達にも言われたなぁ。でも、やっばり伝えたかったんだ」
パタパタと手のひらで自分をあおぎながら、雪王華音は真っ直ぐに気持ちを告げる。
「君のこと、いいなって思ってる。私と付き合ったら楽しいよ?」
自信がないとできない告白は清々しい。
陽キャ代表同士のような2人の相性はいいのではないだろうか。手持ちの情報を展開し、脳内マッチングを始めた俺の耳に迷いのない答えが響く。
「スミマセン。オレ、入学事前説明の時から気になってるヒトがいるんで」
具体的な断り文句に、ふられた側が苦笑する。
「付き合ってないなら、私のことキープしときなよ」
「こっちが本気でないなら、勿体ないですよ。雪王先輩は」
プライドを傷つけない返答にうなりそうになる。人生2度目のヤツにしか言えないセリフだ。
「そのヒトのどこが気に入ってんの?」
「ぽやぽやしてて、カワイイ」
「意外だなぁ。キミの好みがマリモっぽい感じなんて」
ぽやぽやとカワイイから導き出されるイメージがマリモというのは一般的ではないと思う。
「マリモじゃなくて、綿毛とか桜の花びらみたいな感じですね」
「よくわかんないけど、ちっちゃくてカワイイってことなら、私もまあまあイケてない?」
気まずい場面のはずなのに、連想ゲームから会話はふくらんでいく。
「オレ、昔から誰に対しても遠慮せず話せるタイプだったんで、そのヒトともうまくやれると信じてました。でも、全然ダメですね。取っかかりも作らせてくれない」
「振った相手に恋愛相談しちゃうくらい図々しいキミが、奥手になるなんてよっぽどだね」
「告った相手に図々しいとか言えるの、先輩くらいですよ。嫌いじゃないですけど」
「私は好きだよ。キミのこと」
コミュ力が半端ない2人からまた身を隠して、俺はページをめくる。
読書ログアプリで高評価だった学園ミステリーは思ったより恋愛要素が強火だった。
人の思いは無数にあって、複雑に影響しあっている。うまくやれば、周りの雰囲気を良くしたり、感情を動かすことだって可能である。
カフェやショップで流れる音楽が人の気持ちを少なからず左右するのと同じだ。
この二人が今後もめることはないだろう。ならば、俺がこっそり画策する必要はない。
在籍する3年間、この学校で大きなトラブルが起きないように情報を集約し、正しくそれを利用する。
何もかもを制御することは難しいけれど、生徒の立場でしか動かせない盤面もあったりする。
「ねぇ、好きな人って誰?」
直球の質問に、小薗は視線を地面に落とした。
「ご想像におまかせします」
「他言しないわよ。教えてもらわないとあきらめてあげない!」
「好きにしてもらっていいですよ。オレ、不安要素はできるだけ排除したいんで、言いたくありません」
「だったら私、キミたちが会員募集してた難読地名同好会に入る! そしたら、キミが気になっている子もわかりそうだし」
一方的な宣言に小薗がどんな顔をしていたか、俺からは見えなかった。
「歓迎しますよ。先輩がいてくれた方がオレの勝率上がると思うんで」
「そのヒト、同好会に入ってくれたの?」
「いえ、まだ。でもオレと美鷹の2人だけだどアウェイ感しかなさそうだし」
「キミ、ホントにいい性格してるよね。本気で邪魔しちゃおうかなぁ」
裏表など無さそうな陽キャにも秘密はある。【桜の君】が誰なのか知っておいた方が今後使えるかもしれない。
「アシストの間違いでしょ。ありがとうございます」
意味深なことを告げて、小薗はその場を後にする。先輩もいなくなってから、俺は読みかけの文庫本をポケットに戻した。
諜報活動の一環で、制服や髪に葉っぱやホコリがつくことは珍しくない。
擬態のためにやってるわけではなく、フワフワやクルクルで表現できない俺の癖毛には、余計なものが入り込みやすいからだ。
ブレザーは一度脱いで背中側も確認するようにしているが、植物が髪に絡まっていることは気づきにくい。
髪に花々を編み込んだキャラのように芸術的にはならないが、俺の暗めの髪色と花の相性はそこそこ良いと思う。
小薗が惹かれた相手を綿毛や桜にたとえたのは、風に運ばれてきた花をその人がくっつけていたからかもしれない
入学事前説明会はまだ桜の時期でなかった。
綿毛や桜が小薗の恋愛フィルターだというなら、ロマンチックな感性の持ち主ということだ。
伸びていたコデマリの枝は道の端を歩いていた俺の髪に絡みついた。
枝ごと折らず、ゆっくりからまりをはずした俺の髪には白い花がいくつも散らばった。
説明会に同行してくれた叔母が気づき撮影会が始まるまで、自分がそんな状態だったとは知らなかった。
カワイイことになってるじゃない!と写真を撮りまくった叔母は、家族のグループにたくさんの画像をシェアしてきた。一度だけ薄目で確認したけれど、鈍臭い自分の姿がいたたまれず保存などしていない。
『侑ちゃんの可憐さにみんなが気づいちゃったわね』
エヘ☆と明るく笑う彼女が保護者として俺を受け入れてくれなかったら、母と引っ越すことなっていた。
残りたいという強い執着となる友人はいないし、どこへ行ってもその場に合わせるくらいはやれる。
けれど、転校を拒んだのは奏美高校にちょっとした思い入れができていたから。
髪や制服が乱れた理由を詮索されたことはないし、気軽に質問をしてくるコミュ力強者とは初めから距離を取っている。
他人の目を過剰に気にする必要もないのだが、トイレの鏡で自分をチェックするのは習慣となった。
我ながら慎重すぎるなと息を吐くと小薗の幼馴染が左隣に並び、手を洗い始める。
横から見ても前から見ても美鷹朔也の容姿には欠点がない。スッキリとして品の良い容姿は、他者から高評価を得られるだろう。
校内トレカゲームがあったなら、間違いなく大当たりの1枚。攻撃値も体力も高そうで、はずれカードのモブでしかない俺の横だと輝きが増す。
控えめ地味顔にも利点がないわけではない。他者からの関心や妬みが集約しないのは気楽でいいし、成長や環境での変化を恐れずにすむ。
ドラマチックな出会いを求めてない俺には似合いの容姿だと自分でも思う。
鏡でなく隣に並ぶ俺に視線ちらりと向けてきた美鷹は、同級生とは思えないほど大人びている。
こんな綺麗で上品でもトイレは利用するのだから、人類はある意味平等だ。
ペーパータオルで手を拭き、廊下へ戻ろうとした俺は急ぎ足でやってきた誰かと勢いよくぶつかった。
「すみ、……じゃない、ごめん」
ここのトイレは使うのは1年生だけと決められいる。
相手側の前方不注意が原因なのだから、無意味に低姿勢になる必要はない。
体幹がしっかりしているのか向こうはよろめきもしなかった。
何のラグだよ、と悪態をつきたくなるほど間を開けて謝罪を口にした相手は小薗だった。
「……いや、今のはこっちが全面的に悪かった」
非を素直に認めた小薗は、俺の前を塞ぐように立ち止まり、あーとかうーとか発生準備をした後に話しかけてくる。
「黄青埼って、めずらしい名前だよな。バトル漫画とかに出てきそうじゃん?」
難読地名研究会。
雪王先輩はそう言っていたが、押しつけられたチラシに明記された正式名称は人名地名研究同好会だった。
すでに活動している文化部と活動内容はかぶらないが、テーマが限定的で魅力に乏しい。
小薗と美鷹が観賞出来ること以外にアピールポイントもなさそうなのに、それを有効利用してる風でもなかった。
マイナーな同好会のメンバー探しはよほど難航しているのだろう。勧誘はこれで4回目となるが、俺の気持ちはミリも動いていない。
上級生の告白をあしらった小薗とは別人のように、勧誘への誘導が雑で笑ってしまいそうになる。
よくある名字ではないが、読めないほど特殊な漢字でもない。
自分の苗字のルーツが知りたいなんて、純粋な興味は持っていないし、本は好きでも文芸部や読書部に魅力を感じなかった。
同好会に迎えたいなら、もう少しマシな誘い方をしてくれと思ったけれど、小薗や美鷹に関わることに利点はある。
カフェでも備品のように存在感を消し文庫本を読んでいた俺は、この二人が奏美の生徒に注目されていることを知っている。
興味、嫉妬、恋情。
彼らには強い感情のベクトルが集約していくだろう。ならば、観測しやすい定点を確保するのも悪くなかった。
人に好かれる無邪気さなんて持ち合わせていない。
175センチの新入生は小柄じゃないし、ハーフアップにした肩までの髪があっても俺の印象はやわらかくない。
それでも、背の高い小薗から見れば自信なさげでおとなしい同級生に見えるはずだ。
「そんなこと言われたの、初めてだ……」
演技ではなく、なんだか面白くなってきて口元がゆるむ。
良い返事がもらえてなかった小薗にこの反応は正解だったらしい。告白された時より、喜色に満ちた声が俺を引き止めようとする。
「あの、部活とかまだ決めてないなら、ウチの同好会とかどう?」
全然スマートじゃない勧誘に心が動くほど、純粋には出来ていない。これほど単純なら、扱いやすいなと算段しながら考えるふりをする。
俺の目的はこれからの3年の平和を盤石にしていくこと。そのためにパワーバランスの微調整は鍵となる。
退屈で構わない。生徒のメンタルに不調をもたらすトラブルなんて芽のうちに摘んでしまえばいい。
「活動内容は?」
「学外での研究調査と文化祭での発表」
「休みの日が潰れるってことか」
「いや、月1…長期休みに数回とかの予定だから」
本命である【桜の君】に声をかける前に、安全そうな1年生をゲットしておこうという作戦は美鷹の入れ知恵だろうか。
ちょっとした予行練習のつもりかもしれない。
「いいよ。入っても。新規の同好会の方が融通利きそうだし。校外活動は現地集合だと、めちゃくちゃ助かる」
目的を悟られないように早口でそう言うと小薗はなぜか目を潤ませていた。身長差のせいで、下から覗き込むことしか出来ないから、過剰な反応は何らかのアレルギーだろうと結論づける。
「人の進路をふさぐな。退け」
雑に友人を廊下の端に押しやった美鷹は、大げさにため息をつく。
「お前が阿呆なのは知っていたが、ここまでとはな。ダダ漏れすぎて、胸やけがする」
ちらりと向けられた視線は冷ややかで、こちらは一筋縄ではいかないようだった。
まあ、それならそれでやりようはある。
「あの……美鷹さん、幼稚園の交流けん玉大会の決勝で俺と対戦したの覚えてます?」
同い年ならタメ口で良さそうなのだが、いきなり馴れ馴れしく接するのは俺の流儀に反する。
「忘れるわけがないだろう? お互いノーミスで時間切れだったからな」
「この学校で会えるなんて運命を感じますね!」
心にもないことをペラペラと告げる俺の視界を小薗が独占してくる。
「あんまり覚えてないけど、オレもこいつと幼稚園一緒だったから、黄青埼と会ってたのかも!」
その場にいた人間をカウントしていいなら、運命の糸がいくつあっても足りはしない。
優秀な幼馴染との絆を大切にしていればいいのに、新たな友だちを作りたがる小薗みたいな人間が俺は苦手だ。けれど、感情を抑制することなんて容易い。
「小薗の子どもの頃って、ハスキーの子犬みたいな感じだろ? そんなヤツいたら、俺は忘れない」
ハスキーより獰猛な猟犬のイメージだなんて、伝えなければわからない。
無害そうな自分を演じて俺は微笑む。
特別視されることなんて多いだろうに、小薗はわかりやすく照れていた。火照った頬を冷ますように、美鷹は彼の額を指でパシンと弾く。
「気持ちの悪い顔をするな」
「ひっでぇ!」
幼稚園のけん玉大会でさえ勝ちを譲らなかった美鷹の完璧主義はあの頃から健在なようだ。
祖父母から受け継いだ器用さと根気強さが幸いし、園では負け知らずだった俺にとって、あの決戦は今も忘れられないものとなっている。
勝敗や成績に関係なく褒めてくれる叔母、真里花のあけっぴろげな包容力は俺の自己肯定感を形成してくれた。
放任しているようで、必要な時は寄り添ってくれる母の優しさにいつも支えられていた。
母方のルーツしか知らなくても、与えられる愛情や関心に欠けはないと誰に対しても証明できる。
クラスの目立たない男子生徒。
記憶の中に薄れていくような存在でありたい。
応えられないのに求められてばかりいる人気者に対して抱くのはあこがれでも妬みでもなく、お疲れ様の気持ちだけだ。
勝手に推されて、誰かの拠り所にされるのはただ面倒なだけだと俺は知っている。
その明るさと人懐っこさで皆の輪の中心にいる小薗。
市内トップレベルの高校を選ばず奏美を受験し、おそらく満点に近い成績で首席合格した美鷹。
誰もが特別視するこいつらとはウマが合うはずもない。
イメージ通りの嫌味っぽい笑みを浮かべた美鷹は、小薗の耳を力強く引っ張った。
「頭に花でも咲いてるのなら引き抜いてやろうか? ふぬけた惚け顔を人前にさらすな」
痛いってと訴えはしても小薗は、美鷹に反撃などしなかった。
一人メンバーを捕まえたくらいで楽観視するのはまだ早い。美鷹の意見は間違ってないが、対応があまりにも雑である。
「……サクちゃん、何でオレに冷たいワケ? もしかしてヤキモチ?」
言葉によるツッコミではなく、いきなり額を指で弾いた美鷹の塩対応にも小薗は動じない。
信頼関係がなければ成り立たないであろうコミュニケーションに口は挟まず、俺はモブ男子として状況に合わせた。
「前に小薗からもらったチラシには活動内容くらいしか書いてなかったんで、どこに集まったらいいのか教えてもらっていいですか?」
個人間のやり取りならスマホの連絡アプリが早いのだろうが、校内での使用は原則禁止である。
入学時に貸与されたタブレットにも回覧板方式のメッセージツールは入っていたので、今後はそれを利用していくのかもしれない。
「……あのチラシは、作成中で情報を入れていなかったポスターを小薗が勝手にプリントアウトしたものだ。活動内容の詳細は学校へ申請した時のものがあるから、あれの構成を変えて黄青埼にも一部渡しておく」
「美鷹さんと小薗がいるなら、ポスター貼っておくだけで入りたい生徒が集まると思いますよ。手渡しのチラシの方が効果的ですけど、配ってた割にはみんな話題にしてなかったので」
いきなり助言されたら、気を悪くするタイプかもしれない。意見を述べた後、美鷹の反応をうかがうと何故か俺をじっと見つめていた。
「小薗と俺は同級生なんだが?」
「え、……あ、それは知っています」
「俺に対して言葉遣いを変えるのはどうしてなんだ?」
えー、だって美鷹は近寄りがたい感じあるしー。
とは言えず、俺はかわいい新入生を演じた。
「美鷹さん、しっかりしてそうだし大人っぽいからなんとなく……。タメ口で問題ないなら、あらためましょうか?」
「君の見た目に、その口調は似合っているな」
美鷹の目にはモブというより雑魚に見えてるということだろうか。
どの角度から鑑賞しても美形なヤツに言われても腹は立たない。俺は身の程をわきまえている。
「じゃあ、このままで。俺、5月生まれなんで美鷹さんより年上になるの早いかもしれないですけど」
「残念だな。俺は4月生まれでもう16だ」
「先輩っぽく見えるっていう俺の直感、ちょっとすごくないですか?」
賢い相手との会話というのはラリーのようで面白い。舞台劇のようにかけ合いが続いていく。
ハブられていると感じたのか、小薗が自分の存在をアピールしてくる。
「オレは11月25日!」
あ、そう。だから何? と言ってやるのは悪手である。
円満で潤滑な人間関係を尊ぶ俺は、小薗の気質を理解して快く輪に招き入れる。
「意外かも。小薗って獅子座って感じだから、夏生まれって感じなのに」
関心を持ったフリなんて容易い。小薗は俺の狡さや計算を知らなくていい。
テヘッという効果音がつきそうな笑顔をアイドル的存在がやったなら面倒事が起きるが、俺の外見偏差値は高くないので実践しても問題はない。
好意(仮)の星を飛ばしてやると単純な小薗はうれしそうにする。
「獅子はああ見えても猫科だ。黄青埼はさっき、こいつを犬に例えてなかったか?」
「そうですね。でも星座の中じゃ、獅子座っぽくないですか?」
「考えたことはないが、直感で選ぶなら蟹座という感じがしないか?」
「あ、それもなんか合ってる気がしますね。さすがです、美鷹さん!」
「何でオレをハブってそこが盛り上がんの!? サクぅ、お前アシストはどうなってんだよ!」
いじけてしまった小薗を美鷹は哀れむような目をして見る。普段の澄ました顔も絵になるけれど、こういう表情の方が魅力を増す。
まあ、とにかく何をしていてもこの人は綺麗だ。
恋愛はあらゆる創作物の構成に組み込まれがちである。
どうして人は恋に落ちるのか。
それは昔から変わらない普遍的なテーマであり、身近なドラマとして受け入れやすい。
感情の揺らぎがもたらす変化や関係性の交錯は、ミステリーのよう。手を変え品を変え物語は生みだされる。
恋が主軸の作品を手に取ることは少ないけれど、恋愛要素を避けていたら作品を楽しめなくなる。
実体験はなくても、読んだ本から抽出した知識はそれなりに蓄積されていく。
様々なパターンを知っているのと知らないのでは今後の対応にも差は出るはずだ。
端から見ればお似合いの幼馴染二人。
紆余曲折を経て結ばれる流れが王道だが、小薗は美鷹ではなく【桜の君】に魅了された。
才色兼備の擬人化みたいな友人ではなく、その相手を小薗が選んだのなら、きらめく何かを見つけたのだろう。
恋のきっかけなんて人それぞれで一貫性なんてない。惹かれた理由を並べていってもバラバラで法則性は特にないのだから。
綿毛のようにふわっとやわらかい印象。
桜に例えたくなるほど優美な容姿。
その条件に合致する新入生はいるだろうか。
男女どちらにも限定せず、脳内で情報を照合した俺は正解にたどり着く。
俺のクラスメイトで、出席番号はひとつ前。
席替えはまだなので、席順も当然前後で並んでいる。
友人のいない者同士、会話をしたり、誰かと組む状況では互いを頼る関係になった上織一琉なら、条件とかなり一致する。
ケーキなら抹茶風味、ドーナツならあんこかきなこを渡したくなる和の雰囲気。
上織の第一印象は『剣道やってそう』だった。
重めの前髪と輪郭を隠すヘアスタイル、憂いを帯びた眼差し。
低い声と愛想のなさが災いして、近寄りがたさがあるものの、容姿の良さはクラス一同が認めている。
俺と目線は変わらないから小動物的な可愛さはないけれど、舞い散る桜を背景にカメラを睨む上織は映画のポスターのようだろう。
クラスメイトに歌仙がいたら、思わず一句詠んでいたはずだ。
武道をやってそうなのに、上織の趣味はサイクリングでいずれはバイクの免許も取るそうだ。
自転車通学をまったく苦にすることがない体力は日々のトレーニングで培ったものらしい。
友達と呼ぶには互いのことを知らなすぎるし、共通点も特になかった。それでも他の誰かといるよりは楽な付き合い。
人はそれを運命と言うのかもしれない。
小薗が俺に何度も声をかけてきた謎が解けた。
数撃ちゃ当たる精神で、片っ端から声をかけてるのかと思っていたが、戦略の立て方としては悪くない。
上織と親しげにしているように見えたのなら、俺に加入してもらうのが近道だったのだろう。
他者にそっけなく、一方的に近づいてくる輩に威嚇するような視線を向ける上織の好感度をアップするのは難しい。
たまたま席が近かったという接点がなければ、俺もおそらくクラスメイトの1人で終わっていた。
休み時間は机に伏せて寝ていることが多く、昼食はいつもおにぎりかパン二つ。
交流や行事を積極的に楽しむ気がなく、ぼうっとしてやり過ごしている上織は、部活動紹介も興味なさそうに見ていた。
策もなく勧誘して好感度を下げるより、俺を先に取り込み回り道からハピエンルートを切り開くのが小薗の作戦なのだろう。
利用されていると気付いても苛立ちは生まれず、しつこい勧誘の謎が解けてスッキリした気持ちだった。
「美鷹さん、チラシにもうちょっと情報入れて俺にもらえませんか? うちのクラスで声かけてみます」
狙い通りの展開にしてやったのに、小薗は首をブンブンと左右に振り、美鷹に助けを求める顔をした。
「……ッふ、いや、気持ちはありがたいが最初は少人数でスタートした方が意見がまとまりやすいだろう。小薗や俺と接点を持ちたいだけの参加者が増えても面倒だからな」
自分も好意を寄せられる対象なのだと明言してしまえるところがこの人らしい。
上織ウォッチングを日課にしている奴らもいるくらいだから、この人に集まる視線はうるさいほどだろう。
上織と一緒にいるだけで、俺にもまとわりつく視線が不快だなんて、自意識過剰にもほどがある。
小薗や美鷹のようにいつかは慣れていくのだろうか。
「……でも、今のところ俺を入れても3人なんですよね?」
「同好会に人数の規定はないそうだ。正式な部活並みに人数が増えるなら顧問は降りると堰守先生に言われているのもあって、今は積極的に人を集めるつもりはない」
3年2組副担任、堰守冬馬は生徒からのビジュ人気が高い教師である。
オールバックにした長い髪を無造作にまとめ、色の入った眼鏡をかけたチャラい姿は一見教師とは思えない。
副業として配信もやっているため、他の教師と違って若者文化に理解があり、喋りが異常に上手いらしい。
チャラい不審者というのが、俺の第一印象だったのだが声も顔もいいので生徒からはとにかく支持されている。
新設の同好会の活動内容には興味がなくても、彼に近づきたい生徒が殺到しそうだ。
「堰守先生が顧問ってだけで、人が寄ってきそうですよね」
「名を貸すだけだと本人は言っている。周りにもそう伝えとけと指示もされた」
普通なら付き合いの浅い新入生からの頼みを多忙な教師が受け入れるわけがない。
物事にはルールやからくりというものが秘められている。
「美鷹さんと堰守先生って、前からの知り合いですよね。入学説明会の時、二人で親しげに話してるのを見かけました」
「君は見た目通り、油断ならない相手のようだな」
「俺はお二人みたいに注目されてない普通の生徒ですよ」
値踏みするような視線には動じず、穏やかに微笑む。
副業は認められているけれど、学校側に理解と協力体制がなければ難しい。
堰守先生の知名度や宣伝効果を期待して、何かと便宜を図るくらいはしているはずだ。
広報枠だと自覚している教師が、生徒の一人を特別に扱うとは考えにくい。ならば、二人の関係は公にしても構わない類のものであると推測できる。
「親戚みたいな関係だよ。あの人とは」
みたい、ということは血縁関係はないのだろう。個人の事情に踏み込めるほど俺はこの人からの信頼を得ていない。
「……黄青埼が言いふらさないと信じて打ち明けるけど、俺の初恋の人なんだ。これまでに何回も振られてるけど」
「え!」
驚いてかたまってしまった俺に、美鷹は片目をつぶってみせる。
「なぁんてね。若く見えても冬馬さんは俺より十二歳離れてるし、教師と生徒なんて成立したら1番まずいだろう」
揶揄われたのかと思ったけれど、年齢差や立場のことを持ち出してくるあたり、まるっきり嘘でもなさそうだった。
美鷹は俺を好奇心旺盛で、他人の恋愛が気になるタイプだと見誤ったのだろう。
情報を小出しに提供し、深くまでは探らせない。
人のことは言えないが、油断ならない相手である。
綺麗なだけでなく棘もあるこの人は、ふわっと舞い散る桜なんかじゃない。
うっかり首席にならないように得点を加減した俺の小細工は無用なものだった。
この人は自分の力を抑えないし、御しやすい同級生ではいてくれない。
手懐けるのが容易そうな小薗とは対照的だ。
環境に溶け込む静音モード搭載の生徒A。それが俺、黄青侑の紹介文。
異世界にも並行世界にも招かれる予定はないけれど、情報収集スキルだけは日々レベルアップしている。
勉学その他学生活動をおろそかにするほどバカじゃない。
複雑に絡み合った思いや事情を集積し活用することで、学校生活に安寧をもたらす。
これは使命感でも責任感でもなく、俺のための環境保全。良く言えば環境美化の一環である。
事件を解き明かすのが探偵なら、何も起こらないようにささやかな干渉を試みる俺は何と呼ばれるんだろう。
入学説明会の時、美鷹と堰守先生は誰かに見られるリスクを考慮したうえで会話をしていた。
読心術まではマスターしてないが、距離感がバグっている感じはなかったし、お互いの立場をわかっている風だった。
志望する学校に知り合いや親戚がたまたまいることはあるだろう。
けれど美鷹は堰守先生が奏美にいることを知っていた。
学力的に適正な進学先を選ばず、ここへ来たのは接触の機会を増やすために思える。
入試関連に堰守先生が深く関わっているかは定かでないけれど、首位合格者の美鷹への情報提供を疑う者も出てくるだろう。
あることないこと騒ぎ立てるのが好きな連中はどこにでもいる。有名人がからんでいるネタは盛り上がるし、真偽なんて、みんなどうでもいいのだ。
俺の杞憂に終わればいいけれど、美鷹の軽率な行動は奏美の平穏を脅かす種となる。
嘘は多少の真実と混ぜると現実味を帯びるもの。
俺がこれ以上探らないように、美鷹たちへの興味が継続するように、バランスよく配置された言葉選びは完璧だった。
この人は賢い。警告の必要もないくらい。
でも、自覚せず抑えきれてない感情までは制御できていない。
おそらくこの同好会は顧問として堰守先生を引っ張ってくるための釣り餌だ。
小薗がその経緯を知らないはずがない。わかっていて彼の恋に協力しているのだろう。
「なるほど、けん玉ではなく、雑学調査系の同好会を立ち上げた意味が分かりました。堰守先生の得意分野ですもんね」
牽制のつもりはなかったのに、美鷹は険しい表情になる。敵視される前にこちらの手の内をさらけ出した方が得策だろう。
「美鷹さん、俺はこれからの学校生活を平穏なものにしたいんです」
ネットで叩かれ、マスコミが押し寄せ、日常が慌ただしくなる不穏ルートはぶっ潰したい。
けれど、人の恋路の邪魔をするのも悪いから、忠告くらいは許してほしい。
「秘密は増やさないほうが楽ですよ。子どもに揺らぐ大人なんて、碌な人間じゃない」
「……わきまえているさ」
的はずれだと突っぱられなかったのは、心当たりがあるからだ。
燃え盛る炎は消せない。今のうちに釘を差し、外堀を埋められてしまう前に、俺が平面にならしておく。
卒業後の進展は彼ら次第だけど。
俺たちのやりとりを静観していた小薗は、休み時間の終わりを告げる予鈴と同時に口を開いた。
「あのさ! 今後の活動について、黄青埼からも意見もらってまとめていきたい。使える教室も候補が3つあるから、放課後一緒に見てくれたら助かる!」
美鷹の落ち着いた口調とまるで違う散歩待ちのワンコみたいなテンション。会話に入れたことがうれしいのか、目がキラキラと輝いている。
間近で見ると小薗の瞳は透き通っていて宝石のようだ。
猫カフェに行ったことはないが、会ったばかりの客になついて甘える猫は少ない気がする。
こいつが猫なら、誰にでも好かれて可愛がられるアイドルポジション確定だ。
「とりあえず教室に戻るから、話は後で。B棟の休憩所で待っててもいいか?」
こくこくと子どものようにうなずいた小薗の横で、幼馴染がため息をつく。
俺の望みはただひとつ。
とにもかくにも、平穏に暮らしたい。
彼らに近づき、観察するのはそのための第一歩となるはずだった。
もめ事の種を探し回り、芽吹く前にすべて摘み取れるほど俺は万能ではない。
世界に比べて、この学校はあまりにも狭い。それでも監視カメラ1台で端から端まで見渡せはしないから、自分の力が及ぶ範囲を思い知っている。
どの休憩スペースでも、休み時間と放課後の飲食は認められている。
別の棟には軽食を提供してくれるカフェもあるが支払いが交通系ICカードのみとなってから、定期を持ってない生徒の利用が減ったらしい。
待ち合わせ場所にやってきた小薗が、とりあえず何か飲みながら話そうと言ってこちらの希望をたずねてくる。
冬は寒いし、夏は空調で冷えてしまう。
年中ホットドリンクを自販機に入れておいてほしい俺は、ちらりと壁際に目をやってブラックコーヒーのホットを頼む。
「無糖のホットはどれも売り切れみたいだけど?」
その場から動かず、自販機の表示を確認する小薗の瞳は室内で見ても穏やかな色味をしていた。
「小薗って目がいいんだな。背も高いし、偵察とかにも向いてそう」
つくづくファンタジーとかの世界向きだと思いながら、俺は下唇を指でつまんだ。
恵まれている者のところに魅力や才能が集まりすぎるのはバグだろう。相対的に自己評価を下げていたら、早いうちから手持ちの数字がマイナスになる。
貰い受けたものが大きいほど、皆の期待に押しつぶされる弊害もあるのだから、ポジティブシンキングが大切だ。
「目だけじゃなく、耳がいいのもオレの自慢」
顔も声も、なんなら性格だって良いくせに、子供みたいに得意げに笑う小薗はきっとあたたかい人たちに囲まれて育ってきたのだろう。
酔っ払った叔母は口が軽くなり、次の日には記憶が飛んでいく。
父親について聞き出せたのは、母との出会いがこの奏美高等学校の文化祭だったこと。
運命の出会いがうらやましくて、母の卒業後に奏美へ進学したと話していたから、両親が普通に出会って恋をしていたことはわかった。
けれど、何も教えてくれない理由はまだ判明していない。
母の口から直接語られることはない秘密は俺の中に小さなひずみを形成している。
俺の存在が二人の別れの原因であるとしたら?
家族に大事にされているという自己肯定だけでは打ち消せない不安。
他人には聞かれたくない、言いたくないことがいくつもある。
小薗みたいな積極性や陽気さが俺に獲得できる日は来ないだろう。
「オープンスクールの時、ルール違反した女子2人を黄青埼がこっそり助けたところもオレにはよく見えたんだ」
奏美のオープンスクールは、全日自転車登校禁止となる。
それは毎年恒例のようで、学年主任からも伝えられたし
担任から渡されたプリントや申し込み確認メールにもしっかり記載されていた。
公共交通機関の利用を推奨、自家用車で来校する場合は第二グラウンドを駐車場として利用可能。という文面の次にも自転車での来校はご遠慮くださいとあったのに、マイルールが適用される連中はどこにでもいる。
最寄りの駅に駐輪場はないし、バス停留所付近の商業施設に停めるのは一番たちが悪い。
放置するよりマシだと判断したのか学校まで自転車に乗ってきた女子二人は、自転車侵入禁止、駐輪禁止の貼り紙を無視して校内に入った。
正門と西門側には誘導の係が立っていたはずだ。
彼女たちは車が通れない住宅街の細い道の方を回ってきたのだろう。
誰も自転車を停めていない場所に駐輪した二人に迷いはなかった。
オープンスクールは下見であって受験するとは決まっていない。ルールを守れなかったからといって、合否に影響するとも限らない。
俺が彼女たちをかばうような行動に出たのは、学校側がこの件を問題視して面倒なルール改変が行われるかもしれないと思ったからだ。
「自転車の持ち主を特定して、中学校に連絡するほど奏美の教師も暇じゃない。だけど、あの日、校内放送で呼び出される可能性くらいはあったかもな」
赤いポールは道をふさぐように2つ置かれていた。
警告表示は黄色に黒文字で書いてあり、どこから見てもわかりやすい。
風が吹き抜ける場所なのか、印刷された紙はパタパタと風にあおられ、今にも飛んでいきそうだった。
裏門のところに掲げられていた関係車両以外立ち入り禁止の看板にくらべると急ごしらえで簡素なものだ。
補強されていない紙1枚は放っておいてもどこかへ飛んでいきそうだった。
わかりやすく設置された防犯カメラ以外にも監視システムが動いている可能性は高い。
リアルタイムで観ている誰かがいても切り抜けられるように俺はポールにサブバックを引っかけた。
テープははがれず、紙に折り目がついた程度だったけれどあとは時間の問題だろう。
ゴミの収集と物品の納入。車がここを行くたびにポールは持ち運ばれ、注意書きはおそらくはがれ落ちる。
校内を回った教師が自転車に気づいた時、ここに貼り紙が残ってなければ知らなかったという言い訳が成立する。
遠慮なく停めていった彼女たちは怒られても気にしないかもしれないが、全体責任とされ講堂で長々と説教されるのはごめんだった。
正門から続く桜並木。
中庭へ続く絵画みたいな花のプロムナード。
皆の中の奏美高等学校はそんなイメージであってほしい。
卒業して大人になった皆の中で生き続ける思い出のままに。
「ルールを守れなかった子たちをなんでかばうようなことしたんだろうって、ずっと気になってさ。教室移動とかで黄青埼を見かけるたび、目で追いかけてた」
「……アレは、たまたまあの場に居合わせたから、ちょっとした厄除程度のおせっかいだ」
小薗は意地の左右非対称の悪い顔をしてこちらを見つめる。
「スマホ持ち込み禁止だったのに、中庭のとこでパシャパシャ撮影会してた子たちは、なんて言って解散させたの?」
「耳がいいなら、聞こえてたんだろ?」
先生がこっちへ向かっていると言ってもよかったけれど、あまりにも勝手な行動に俺も内心腹を立てていた。
花壇に入り込み花を踏みつぶし、ベストショットを撮るために盛り上がっていた彼女たちは、他の学校へ行ったようで何よりだ。
『角度によっては見えるみたいで、上で男子が盛り上がってたけど』
デタラメであるが、しゃがんだり上着を脱いだりしていた彼女たちは身に覚えがあったのだろう。
教職員がやってくる前にさっさと退散した女子中学生に俺は追撃をしなかった。
「スマートな解決法見つけるヤツだなって、あの時は感心した。奏美が第一志望だろうなって思ったのが、ここを受けた理由の一つだ」
人を観察することはあっても、される側になることはないと思い込んでいた俺に、小薗は意外な願いを口にする。
「黄青崎のことがもっと知りたい。で、できればもっと近づきたい」
傍観者でしかない俺に興味を持つなんて変わってる。
俺がいなくても小薗は興味の対象を他に見つけただろう。
入学説明会でこいつは【桜の君】を見初めたのだから、俺と親しくなるよりそっちを優先しろよとは思う。
俺と上織に接点ができたのは、小薗の強運がもたらした効果かもしれない。
「俺は、普通だよ」
普通に見せたい。平凡でありたい。
あの子の親ってさぁ。なんて陰口を叩くやつはいなかったけど、気に留められないように控えめに生きていきたい。
だから、本当は注目される側に交わる気はなかったんだけど。
小薗は俺をひっぱって連れていってくれる。