涙の先にある光












「あら、あかりちゃんっ!セーラー服似合っているねぇ。いやぁ若いっていいねぇ」


今日は、夏休みが明けて、初めての登校日。

家を出て行こうとしたとき、おばあちゃんが目をキラキラさせてまるで、子供のようにはしゃいでいた。
制服は、始業式に間に合うかギリギリラインだったがなんとか購入した。
セーラー服は中学生以来だった。


「おい、清子《きよこ》。あかりが困っているだろう?」


おじいちゃんがおばあちゃんの隣でそういって笑う。


「ああ、そうだねえ。遅刻したらだめだものね。ささ、いってらっしゃい」

「あかり、いってらっしゃい」


2人とも優しく微笑んで私を送ってくれる。


「いってきます」


私も笑顔で玄関の扉を開けた。
ガラガラっという音が、家に響く。
1か月もここに住んでいたら、この扉を開けるコツもわかってきた。

玄関を出た瞬間、ぎらぎらとした太陽があたしを容赦なく照りつけた。
9月になってもやはり、暑いことには変わりはない。


「あっ!おっはよーあかりちゃんっ!」


家を出た瞬間、いきなり何かに抱きつかれた。

え、何々っ!

私は、咄嗟にお手上げ状態で体を硬直させてしまう。
目線をそのまま下げれば、黒いふわふわとした女の子のものと思われる髪が私の胸に埋まっている。
私よりは身長はだいぶ低いらしい。
多分、140㎝ちょっとくらいだと思う。

この島に、輝以外の知り合いは居ない。
人違いなのではないか。


「あ、あの……」

「おい、ナナミ。明らか、困ってんだろ」


私が何か言おうとした瞬間、誰かの声によって阻まれる。
顔をあげると、さらさらとした真っ黒の髪が印象的の美少年が目に入った。肌がとてつもなく白い。


「えー、だって……。あかりちゃん、すっごく可愛かったんだもんっ!でも、いきなり抱きついちゃってごめんね。びっくりしたよね」


そういって、その女の子は私からゆっくりと体を離した。
私と同じ制服を着ていて、少し天然パーマの入った柔らかそうな髪。そして、この愛らしい容姿。

……なんで、こんな美男美女の2人が私の目の前にいるのか。私にわかるはずがなかった。

東京でもなかなかいないよ。
こんな可愛いこ。
そして、こんな綺麗な顔をした美青年も。


「ほんと、この子はっ!……なんでこう登校日初日から寝坊するかねぇ。ほら早く行きなさいーっ!」


目の前の一ノ瀬家から騒がしい声が聞こえる。
そして、勢いよく開く一ノ瀬家の玄関。
私たち3人は一斉にその玄関を見た。


「ああっ、やっべっ!真面目に寝坊したわっ!……ってお前らなんでいんだよ」


玄関から食パンを片手に持った輝が飛び出てくる。
寝癖でところどころ髪がはねている。
漫画かよと、一言つっこみたくなる格好。


「だって、昨日輝から、あんなメール届いたら行くしかないでしょ。ねぇソウちゃん」


そういって、私の目の前の女の子がニコッと向こうの美青年に微笑む。


「俺は、ナナミに無理やり連れてこさせられただけだから」


そう、淡々と言葉を発する美青年。


「まあ、いいやっ!ってか、船の時間大丈夫かよ。俺家出たとき結構ギリギリだったぞ?」


この島には学校はない。
だから、少し離れたここよりももう少し大きな島へ渡舟で移動する。

私は腕にしていた腕時計に目をやった。
確か、渡舟の出航時間は8時。
そして今の時間は……7時50分。
ここから、乗り場までは走っても15分はかかる。


「……間に合わない」


私がそう零すようにというと、皆の顔から血の気が引いたような気がした。
 
え。
登校初日から遅刻とか、あたし真面目にシャレにならない。

目の前で、女の子がどうしようどうしようって言いながら騒ぎ出す。
輝も、片手のパンをかじりながら、空を仰いでんーっと何かを考えている……ように見える。
本当は考えていないのかもしれないけれど。
そして、美少年は、相変わらずのポーカーフェイス。


「ったく……仕方ねぇな。ほら、乗れよお前ら」


一ノ瀬家から1人、キーチェーンをくるくると回して、誰かが出てきた。


「あ、じいちゃんっ!」


輝が目をキラキラさせて、その人を見る。
あ、あの時の漁師さん。


「今日は特別だからなっ!あかりちゃんの、初登校日に、この島のやつら全員揃いも揃って遅刻は恥ずかしいだろ?」


そういって、漁師さんは、笑顔で、あの軽トラの運転席に乗り込んだ。
 
ちょっと待って。この軽トラ、2人のりじゃ……と思った矢先、輝がひょいっと後ろの荷台に乗り込んだ。
続いて、残りの2人も乗り込む。
 
ええ、ちょっとまって。
これって違反なんじゃ……。

私はその場で固まっていると、輝がそれに気付いたのか、荷台から降りてきて私の手を引いた。


「ほら、早くしねえと、マジで間に合わねえよ」

「え、ちょっと待って、これって見つかったらまずいんじゃ……」

「あのな、自転車の2人乗りだと思え。ほら、よ」


あの。自転車の二人乗りも違反だから、言い訳になってないですよ、輝さん。


「いいか、この島は警察少ないから、俺らがルールだ。ほら、乗れっ!」

「え、ちょっ!わっ、キャっ!」


しかし、輝は、首を傾げる私にかまわず、軽々と私を持ち上げて、その軽トラに私を乗せた。
続いて輝も乗り込み、漁師さんにOKのサインを出すと、車は動き出した。

風が髪をかき乱す。頬を勢いよく伝う風。
こんな経験初めてだった。


「うははっ!あかりちゃんって、やっぱり輝の言った通りおもしろいーっ!」


そういって、さっき目の前にいた、可愛らしい女の子がニコッと笑った。
頬にえくぼができる笑顔。
少し、幼い顔つきのような気がするけれど、やはり愛らしいことに変わりはなかった。


「あ、そういえば、自己紹介すんだのか?」


隣から輝が口を突っ込んでくる。


「いやまだ!あかりちゃん可愛くって、自己紹介するよりも先に抱き着いちゃった」

「ホント、お前女の子に生まれてよかったな。性別間違えたらセクハラだからな」

「なによ、ソウちゃん。嫉妬?」

「おいおい。夫婦漫才はほかでやれよ」


輝にそう突っ込みされた後、女の子は私の方に改めて身体を向けた。


「私は村井七海(むらいななみ)。んで、あの無愛想なのは、佐野奏(さのそう)。よろしくね」


そう、優しく笑って話しかけてくれる女の子。
いつ振りだっけ。
同い年の女の子にこんなにも親しげに話しかけられたのは。


「あ、あたし、光明あかり」


私は、荷台の上で三角座りの状態で、目の前に座っている女の子にそういう。
いつの間にか私は、自分の名前をすんなりといえるようになっていた。
自分の名前を恥ずかしいと思わなくなっていた。


「うふふ。ねえ聞いて。昨日輝から珍しく私にメール来たと思ったら、”明日東京から海瀬さん家の孫、光明あかりっていう面白いの転校生来るぞ”って書いてあったの。輝の言った通り、あかり、おもしろいね?あ、そうそう、私のことは七海って呼んでよ!あかりっ!」


そういって、屈託のない笑顔を浮かべる彼女の瞳は、輝と似ていると思った。
キラキラしていて、何もかもを許せるような……そんな瞳。


「……七海。ありがと」


そういってはみたけど、どこかまだ恥ずかしさがあって、顔は無意識に七海からそらしてしまった。
七海はそんな私を見て嬉しそうに笑っていたことは、横目で分かった。自然に私の強張った顔も緩んでいた。


「おーい!おめえら、着いたぞー急げっ!!」


ちょうどその時、軽トラが急に止まり、漁師さんが運転席から出てきて、私たちを急かす。
私たちは、軽トラの荷台から、飛び降りて、そのまま港にとまっていた船に飛び乗った。
私たちが乗った瞬間動き出す船。

そしてあの、青の上を船が駆け抜ける。

空の青と海の青。
青と青の境界線に、今私たちはいる。

私は、船の手すりにつかまって、少し身を乗り出してみた。

下を見れば、真っ青な海。
海の中は、見ることができない。


「ったくお前ら……。いっつもギリギリにきやがって……」


運転席から1人の若い男の人が出てきて、私たちに笑いかける。
少し口元にひげが生えていて、耳にはジャラジャラとビアスを開けている。

この人私、嫌いかも。
私はその人から目をそらした。


「あ、金ちゃん、久々―!俺ら、学校なくて、この船も乗ることなかったからさびしかったんだろー?」


傍にいた輝が、無邪気に笑って、その厳つい人へと駆け寄った。


「おう、輝。お前相変わらず生意気言いやがって。って、あの美人な子、誰なんだよ。この島の子じゃねぇだろ?」


そういって、その厳つい人が私のことを不思議そうにじろっと見てくる。


「ああ、あの島の新しい住人。海瀬さん家の孫のあかり」

「へぇー。あの海瀬さん家の孫ねぇ。ってことは千智の娘か……」


千智……?私のお母さんのことだろうか。

私は聞いたことのある名前に反応して、下げていた顔を上げてその人を見た。
すると、その人は優しげに笑って私に近づいてくる。
下がろうにも、私の背は海で、逃げられない。
目の前にくる、キラキラと朝日に照らされて光る金色のピアス。


「ふーん。目が千智だな。……俺、金藤寅之助(きんふじとらのすけ)。この船の副船長。金ちゃんとでも呼んでくれよ。船長は今運転席にいる親父。よろしくな。あかりちゃん……だっけか?」


そういって、金ちゃんは私の目の前に手を差し出してきた。
あたしは恐る恐る、その手をそっと握った。
この人の笑顔は目じりが垂れる笑顔だから、笑うと一気に可愛くなる。そんな笑顔につられて私は少し笑みがこぼれる。
隣では、輝が満足そうに微笑んでいた。

大きな汽笛の音がしたとき、船が港に到着した。

そして、大地をしっかりと私の足が踏む。
私の隣には、背伸びをして眠たそうな輝。
その隣には、笑顔を絶やさない七海。
そのまた隣には、相変わらずポーカーフェイスを崩さない佐野奏。


「さあ、おめぇら。ちゃんと青春やってこいよっ!」


そう力強く後ろから私たちの背中を押してくれるのは、謎の厳つい男。金ちゃん。

そして私たちの目の前にあるのは……。


「ここが、あかりが今日から通う高校。明海学園(めいかいがくえん)高校」


隣から輝がぼそっと私に言った。


「君が、光明あかりさんだね。まず、編入試験合格おめでとう。クラスは、2年1組だ。うちの高校は2クラスしかないからね。さ、もうそろそろ教室に行こうか」


目の前のジャージ姿の若い教師が、私の前で立ち上がる。

ここは校長室。
輝たちは多分もう既に各自の教室に入っているだろう。

今、校長は出張中で、職員室はみんなせわしなく、動き回っているため、ここで話すのが好都合だったのだと思う。
私もその場で立ち上がってその教師についていった。

冷房の効いていた、校長室を出ると、むっとした、湿気と暑さが体にまとわりついた。
どうやら、2年教室は校長室と同じ階にあるらしくあっという間についた。
そして、何の躊躇もなくその教師は私を置いて教室に入って行った。私は教室の前で立ち止まり中の様子を入り口から伺う。
席を立っていた人たちは私たちを見るや、自分の席に戻り、多少は静まる。


「え……。新学期になりました。夏休みボケしている暇はありません。2週間後にテストがありますからね。さて、もう知っている人もいるかと思いますが、転校生を紹介します。入ってきて」


そういって、その教師は私の方を見て、首を縦に動かした。
私は、ひとまず息を吐いて、自分を落ち着かせて、教室へ一歩足を踏み入れた。
そして、教卓の少し横に立つ。


「光明、軽く自己紹介頼むな」


横からそんな声が聞こえて、私はすっと下を向いていた顔を上げた。


「……っ!」


クラスのみんなの視線が私に集まる。
あの時の恐怖が……再び私の体を支配した。


『……マジ空気。いなくてもかわんねぇ』


フラッシュバックする。


「……あ…っ!」


言葉がうまく出ない。


『うわっ!可哀想マミ。あの地味子に彼氏誘惑されて振られたんだって。まじ、最低』


なんでこんな時に……。


「……っと…っ!」


思い出したくもない。
消したい記憶が……なんで今になって。

教室が徐々にざわついてくるのがわかった。
隣の教師が心配そうに私はのことを見ている。

なんとかしなきゃ。
ちゃんと言わなきゃ。
だけど、だけど……。


――――私にとって、今この空間は恐怖の空間以外の何物でもなかった。


「ったく……。おい、あかりっ!何ビビってんだよ。夜に一人で海に行ける度胸あるくせによーっ!」


へ……?
今、なんで輝の声が……。

私は声の聞こえた方向を見る。

輝……。
いた。
一番端っこの席。
頬杖をついて、あの笑顔で私を見てくる。

偉そうに言ってくれる。
なぜか輝の顔を見たら、全身に張りつめていた緊張が解けた。


「光明あかりです。東京から来ました。よろしくお願いします」


そう軽く言って私は頭を下げた。
その瞬間、パラパラと拍手が聞こえた。


「ああ、光明の席は、一ノ瀬の隣な。知り合いみたいだし、そっちの方がいいだろ。わからないことがあったら、一ノ瀬に聞け」


輝の隣。
私は一歩ずつ輝の方へと歩み寄った。


「お前、また泣くかと思ったぜ」


私が席に着いた途端、からかうように笑い出す輝。
寝癖のついた輝の髪は未だなおっていない。


「だから、あたしは泣いてないよ」

「うはは、わりわり。もう言わねぇよ」


そう私にいって、周りの男子たちと絡みだす輝。

私は、カバンと机の中を整理しだした。


「ねぇねぇ、光明さんって一ノ瀬君と仲いいの?」


ふと、後ろから聞こえた声。
振り向くとそこには、女子のグループが立っていた。
見かけだけ着飾って、華やかに見せようとしている。
こんな田舎でも、やっぱりいるんだ。
こういう人たち。
言わんとしていることはわかる。

『自分たちより目立つなよ』

そう言いたいんでしょ。
輝は正直目立つ存在。
今までいた人からすれば、横からかっさらわれるなんてそんなことあっちゃいけない。
だから、私に輝との関係性に探りを入れてきているのだろう。
なんて応えよう。
そう思っていた時だった。


「あーかーりーちゃんっ!」


私の肩を声の主が叩いた。
聞き覚えのある声。

私は、女子のグループから目をそらして、その声の主の方へと向いた。


「あ、七海。と……佐野奏」
 

にっこりと七海があたしに向かって微笑んでいた。


「ちょっと、この子借りちゃっていいかな?」


七海が、女の子達に向かってにっこりと笑顔を作る。


「あ、いいよ」


そういって、女の子たちは即座にどこかへ行ってしまう。


「輝、ああ見えてモテるからね。輝の周りにいる私たちって目付けられやすいんだよね。まぁ、目つけられたら私たちが守るから別にいいんだけどね?」


そういって、七海が、あははと無邪気に笑った。 


「おい、俺まで入れんなよ」

「えー?奏ちゃん、そういいながらいつも私のこと助けてくれるじゃん?」


なんで、この子はこんなにも強いのだろうか。
何でこんなにも、自分を持っていられるのだろうか。
少し、羨ましいと思ってしまう。


「あかり、私の席、あかりの前なんだけど知ってた?あと、ついでに、奏ちゃんは、あかりの隣なんだけどね?」

「え?」


そうだっけ?
輝しか私には見えてなかった。


「やっぱりー。気づいてなかったんだー。ちょっとショック」


そういって、頬を膨らませる七海。可愛いことには変わりはなかった。


「ブサイク面してんじゃねぇよ」

「もう、奏ちゃん!彼女には優しくしてよっ!」


え、彼女?もしや……。


「付き合ってるの?」

「あれ、まだあかりに言ってなかったっけ?」


七海が、少し驚いたようにそういう。


「付き合ってるけど、幼馴染に延長ってかんじかな?だから、そんなにラブラブって訳じゃないよ」


そういっていたが、七海は少し照れているようだった。


「っと……。おいおい、俺抜きでなに話してんだよ」


いつの間にか私の隣に立っていた輝。


「うんとね。輝ってすっごいバカだよねって話」


そういって、七海が無邪気に笑った。自然と私も笑う。。


「おい、七海。冗談はほどほどにしろよ?奏、こいつの毒舌っぷりどうにかしろよ」

「俺には関係ねぇよ。俺、七海じゃねぇし」

「まぁまぁ、2人とも落ち着いて。私のことでケンカしないで」


何気ない会話。
だけどそれが私にとっては温かかった。


「あ、そうだ。今日俺ん家でパーっとしねぇ?あかりも無事転入できたわけだし。あかりの転入祝ということで」


私の左サイドにいた輝がそう思い出したようにそう言う。


「いいじゃんっ!私も久々に輝ん家の料理食べたいしっ!」


そういって、七海が嬉しそうに喜ぶ。


「おう、ばあちゃん前、七海と奏に会いたいって言ってたし」

「本当に?やったっ!じゃあ、私の好きなきゅうりの漬物よろしくねって言っといてよ。奏ちゃんはなんだっけ?なすびの漬物だっけ?」

「おい、お前がきゅうりだからって、俺をなすびにするなよ。俺、ヒジキだし」

「あ、そうだったね。じゃ、輝、ちゃんと言っときなよっ!あ、そうだ。輝の家の用意ができるまであかりん家行ってもいい?久々に海瀬のばあちゃん、じいちゃんに会いたいしさ!」


七海が、にっこり笑顔のまま私の顔を見てくる。


「あ、うん。いいよ」


あたしはこくんと首を縦に動かしながらそういった。


「やった!あ、奏ちゃんはどうする?一緒にあかりの家行く?」

「俺、一回着替えたいから、帰る。先行ってて」

「りょうかーいっ!あー、めっちゃ楽しみっ!」


七海がもう既にテンションマックスのようではしゃいでいる。
輝と佐野奏はもう呆れ顔で、一人騒ぐ七海を見ていた。











「あら、七海ちゃん!しばらく見ないうちに大きくなったねぇ。もうあかりちゃんと友達になったのかい?」


家の重い扉を開けて、玄関に入ったとき、おばあちゃんがまるで私の帰る時間を知っていたかのように、玄関で待っていた。


「海瀬ばあちゃん!久々ー!そんなに大きくなってないよー!身長全く伸びてないもん」


隣にいた七海が、無邪気にそう返す。


「そうかいそうかい。ゆっくりしていってねぇ。あかりちゃん。部屋にスイカ置いといたから仲良く食べてねぇ。冷房も入れといたからね」


おばあちゃんはそう言って踵を返し、居間へと入って行った。


「んー!やっぱり、海瀬ばあちゃんの家の匂い好きだなー!あ、おじゃましまーす!」


七海はそう言って丁寧にに靴をそろえて、玄関を上がった。
私も、七海に続いて家の中へ入って行く。
もはやどっちが本当のばあちゃんの孫だかわからない。


「あ、あかり。私が先頭は可笑しいね。あかりの部屋分からないのに」


七海はあははと笑って私の隣に並んだ。
私がそのまま私の部屋に七海を案内する。
部屋の襖を開けた瞬間ヒヤッと冷気が私の体を覆った。
貴重な冷気を逃がさぬよう、私と七海は素早く部屋の中にはいり、私は襖をしめた。
私は一先ずカバンを定位置において、七海をちらっと見る。


「あ、美味しそう!あかりあかり!早く食べようよ!」


七海はもう机の上に置いてあったスイカに釘付けだった。


「ちょうど2個あるし、七海好きなのとってもいいよ」


私はそういって、机の傍で胡坐をかいた。
七海もその向かいに胡坐をかくようにして座る。


「じゃ、お言葉に甘えて……こっち頂きまーす!」


七海はまるで子どものようにして1つのスイカを持ってほおばりはじめた。
私も、もう1つのスイカにかぶりつく。


「冷たっ!めっちゃクチャ美味しいよこのスイカ!」
 


七海はしゃべりながらもスイカをほおばる。
そして、あっという間に、七海のスイカは赤い部分を失っていく。


「あーおいしかった!……ってさっきから私しかしゃべってないじゃん」


そういって笑う七海。
私は聞く方が得意で、話すことは苦手で。
だから、七海がどれだけ喋ろうが私にとっては全く不愉快ではなかった。


「いいよ。私は、聞いてるのが好きだから」


そういって、私はスイカにかぶりつく。
七海は私その言葉に嬉しそうに笑った。
そして、何かを思い出したように、七海は目を見開く。


「あ、そうそう!輝、あかりに変なこと言わなかった?ほら、輝ちょっとおかしいでしょ?」

「別に。大丈夫……だけど」


”人知れず輝は海で泣いていた”


私はスイカを持っていた手を止めた。


「でも?」


七海は不思議そうに、私の顔を伺ってくる。

……私、なんでこんなこと七海に言おうとしてるの。
泣くなんて、珍しいことじゃないのに。
なんでこんなにも、あの輝の涙にこだわるの。
なんで……?


「輝はさ……いつもあんなにへらへら笑ってるの?」


遠まわしに聞いてみる。


「まあね。いっつも笑ってるよ。輝は基本、泣かないし、怒らないししね」


え?
泣かないし……怒らない?

私は知ってる。
輝の涙。
私は知ってる。
輝が怒ること。


「……あかり?」


七海が、浮かない顔で私の顔を見てくる。


「あ……ごめん」


咄嗟に謝る私。
自然に視線は下を向いてしまう。
もうスイカなんて食べる気は起きなかった。


「あのさ、あかり、私に何か隠してるでしょ?」

「……え?」


私の視線が七海の顔をとらえた。


「やっぱり。図星だっ!」


そういって、いつものように笑う七海。


「しかも、輝が何か関わっているでしょ?」


続けてキラキラした目で質問してくる七海。
自分の顔が引きつるのがわかる。

なんでこう、ずばずばと当ててしまうかな。
ただ、隠そうと思って隠してたわけじゃないし……。


「泣いてたの。輝が。海で一人、泣いてた」


七海なら言ってもいいかなと思った。
七海なら、何か知ってるかなって、そう思った。

私は、か細い声でそういうと、七海は目を見開いて、私に驚いている表情を見せた。
そこまで、予想は出来なかったんだ。


「本当に、泣いてたの?」

「うん」


だって、輝の涙が、海に落ちるの見たから。
その後の目が潤んでいたから。


「……やっぱ輝も……」


七海はぼそっと呟いた。
きっと、独り言。
私にはよく聞き取れやしなかった。


「輝は、普通だよ。少し眩しすぎるだけでしょ?」


私は、自分に言い聞かせるかのようにそう言った。
輝は普通だ。
あたしとは違う。
普通の人間。
だからあたしには、七海が何故、ここまで輝を特別視するのかわかりやしやかった。


「……あかりが輝の何をもって普通と言っているのかはわからないけれど、少なくとも輝は、みんなとは少しだけ違うの」


そういって、七海は輝に一線をひく。

七海と輝は幼馴染み。
きっと、私よりも七海のほうがずっと、輝のことを知っている。


「私ね、輝が感情を剥き出しにしたところ、最近見たことないの」


七海の語る輝は、私の知っている輝ではないような気がした。


「へらへら笑ってるのは全部作り笑顔。学校の皆は気づいてないけど、私にはわかる」


そして、私を安心させてくれていたあのキラキラとした笑顔は作り物だったという事実が、私の心を強く締め付ける。


「だけどさ、今日気づいた。あかりといるときの輝は、心の底から笑ってるの。ちゃんと笑ってるの」


「……え」


驚きすぎて、思わず声が漏れた。
七海の見間違いじゃなくて?
だって、私最近この島に来たばっかりなのに。


「あかりさ、輝と何かあったでしょ?」


七海が私をじーっと見てきた。
何か、あったか……。


「分かんない」


何があったかなんて、そんなのどれが輝にとって特別なのか私には、分からない。
だってあたしは、輝のことを何も知らないのだから。


「そっか……そうだよね」


そういって、七海は優しい顔で笑った。


「奏ちゃんね、私に言うの。あかりはいい子だって。奏ちゃんが他人に対してそんなこと言うのは初めてだったから、びっくりしちゃった。今日会ったばかりで、そんな喋ったことないのによくわかるよね」


佐野奏が私をいい子だ?
揃いも揃って、この島の人間は皆……どうかしている。

そのとき、七海の鞄の中から携帯の着信音が聞こえた。
2人そろって、七海の鞄に視線を向ける。
さっきまで落ち着いていた七海の顔は、嬉しそうな顔へと変わり、七海は鞄の中を開けた。


「お、噂をすれば、やっぱり輝からだ!」


そういって、七海はスマートフォンの画面をタッチして耳にあてた。


「もうそろそろだと思ったよ!……うん……うん……あーそういうことね。了解っ!じゃ、私からあかりに言っといたほうがいいよね。……うん、わかったって。……じゃー切るよ」


携帯を切ると、七海は満面の笑みで私を見てきた。


「今、奏ちゃん輝の家着いたって!んで、輝の家でのパーティーは7時からだから絶対に遅れないようにって!目の前だから遅れるはずなんてないのにさ」


そういって、クスクス笑う七海。
7時となると、今6時前だし、まだまだ時間はありそうだった。


「ねね、あかりはさ、東京から来たんでしょ?」


急に七海がキラキラした目をして私を見てくる。
きっと、こんな田舎に住んでいた七海にとって、東京という大都会は未知の世界。
興味があって当たり前。
そういえばあの時の輝も東京に、興味津々だった。


「うん。まぁ」

「へーっ!芸能人とかに会ったりするの?」

「……いや、私は会ったことない」

「やっぱり、変装とかしているよね……。東京にもさ、海あるの?」


海……か。
ここの島の人たちにとって、やはり、海は特別なものなのだろう。
みんな、海について私に聞いてくる。


「あるよ」


私の味方をしてくれていた海が。


「でもここよりは綺麗じゃないでしょ?」


そうだね。
ここの海よりずっと濁ってる。
まるで……あの時の私の心のように。


「灰色だね」

「そっか……。あのね、輝から聞いたの。あかりも俺みたいに海バカなんだって」


海バカ??何それ?



「……輝の造語?私、輝みたいにあんな猪突猛進しないし」


私がそういうと、七海はあははと声を出して笑い始めた。
私、そんなおかしいこと言ってないんだけど。


「あかり、やっぱあかりは面白いよ!うははっ!お似合いだと思うけどなー」


次は、少し意地悪そうな顔で私を見てくる七海。
お似合い?何が?


「輝とあかり。私は応援するよ!私と奏ちゃん付き合ってるし、それで、輝と私が付き合ったら、ダブルデートとかできちゃうじゃん!……って今も登下校一緒にしているから、毎日ダブルデートか」


そして、またあははと声に出して笑う七海。
本当に七海はよく笑う。
そんなところは、輝によく似てる。

ただ、ちょっと待って。
なんで、あたしと輝が付き合う?

恋愛なんて分からない。
多分私には当分恋なんてできないだろう。
そう、勝手に思っていた。


「少なくとも輝はね、あかりのこと嫌いじゃないよ。とはいっても、あかりのことを恋愛感情の好きかどうかは流石に分からないけどさ」


七海は私に何をしてほしいの?


「ごめんね、さっきから。私、意味分からないことばっかり言ってるでしょ?」

「うん」


長い間、コミュニケーションを絶っていた私にとって、少し難しい話だった。


「輝を……助けてあげてほしいの」


輝を助ける?
一体……何から……?


「今の私には、これしか言えないんだけどね。でもさ、あかりだったら、輝を救ってくれそうな、そんな気がするの。ほかの子じゃダメなの。あかりじゃなきゃダメなの!」


七海は何をいってるの?
輝を何から救い出せばいいの?
こんな無力な私に……なんで七海はこんなにも必死に頼んでいるの?


「……なんで……あたしなの」


なんで七海はこんな私を信じるの。私汚い人間だよ。
そこら辺の子と、私は違う。
昔の学校でいじめられていて、親にも見捨てられたような人間。
正直輝は私には眩しすぎる。


「あかりはさ、純粋だから」

「え」

「大抵の女の子は、輝のあの容姿見て飛びついちゃうよ。特にあかりのいたような大都会に輝を放り出したりなんてしたら、ひとたまりもないよ。きっと」


七海は笑いながらも話を続けた。
容易に想像できるから私も思わず笑いが漏れる。


「でもさ、あかりは違う。中身を大事にしてるでしょ?輝の中身を真っ直ぐにあかりは見てくれいるじゃん。だから、あかりを頼るの。こんな優しくて、真っ直ぐな子、なかなかいないよ」


最後に、七海はにっこりと私に優しく笑った。
優しくて……真っ直ぐな子?私が?
ちがうよ。
七海は私の汚い部分を知らないんだ。日に日に汚くなっていったあの日々のことを、七海は知らない。

再び、七海のスマートフォンの着信音が私の部屋に鳴り響いた。
七海は慌てて、画面を確認してからスマートフォンを耳にあてた。


「何、輝。まだ時間じゃ……うん……あーわかったよ。今から行くから、私たちよりも先に食べるんじゃないよ!」


七海はそういうと、スマートフォンをバックに適当に入れ、立ち上がった。


「なんか、予定よりも早く料理出来ちゃったんだって!いこうか」


そういって、七海はにこりと笑う。
私もゆっくりと立ち上がった。
そこから私たちは、おばあちゃんの家を出て、目の前の輝の家の玄関を七海が叩く。


「おじゃましまーすっ」


七海を先頭に私は、輝の家へと入った。
家の構造は、おばあちゃんの家と似ている。

広い玄関があって、長い廊下がある。
そして、ちょっとひんやりとした空気がある。


「おお、きたきた!入れよ」


輝が、襖の扉を少し開けて顔を出した。
靴を丁寧にそろえて、お邪魔する私たち。
輝の顔を出した襖を開けると、長いちゃぶ台には豪華な料理がずらりと並べられていた。


「うわっ!七海おねえちゃんだ!」

「七海おねえちゃんの隣にいるの誰ー?」

「輝、輝!あの人誰ー!?」


そこには、たくさんの料理と共に、子ども、子ども、子ども。
その子ども達に埋もれる輝と、佐野奏。
ざっとみただけで、子どもたちは10人いる。


「おい、お前ら!輝にいちゃんだろうが!呼び捨てにすんなっ!」


そう輝がいうけれど、それは逆効果のようで、子どもたちからの輝コールは鳴りやまない。
私はただただ、その場で呆然と立ち尽くすしかなかった。


「なによ、輝!海の家の子たち来てるのなら言いなさいよ!」


そういって、七海が近くにいた小さい女の子を抱き上げた。

”海の家の子”??


「あ、あかりは初めてだったよね。あのね、輝のお姉さんが、隣の島で施設長やってて、たまにこうやってこの島に連れてくるの」


施設?
もしかして……。


「……親がいない子」


私はぼそっとつぶやいた。
何も考えずに。
無神経に。

場が一気に沈黙となった。


「輝……。俺、あの人嫌だ」


ある子供がぽつりとそういった。

遅かった。
自分が何を言ったのか……。
子どもたちをどういう気持ちにさせてしまったのか、気づいた時にはもう遅かった。
子どもたちは一斉に私を、冷たい目で見てくる。
当然だ。
ここに私がいてはいけない。
そこは瞬時に判断出来た。

足は勝手もう動いていた。
後ろから七海が私を呼び止めようと何か言っていたけれど、そんなの私には通じなかった。


『……親がいない子』


私は……最低だ。











気づけば、海に来ていた。

もう夕暮れ。
夕日が、海に沈む。
半分、夕日が海に浸かっていて、半分顔を出している。
その半分顔を出した夕日が海に反射していて……。

まるで、海と空の境界線を繋いだ橋のようになる。
ふわっと、気まぐれな風が私の髪を揺らした。
烏が何羽か鳴いて、夕暮れを知らせる。

私は浜辺に座り込んだ。


「……最低だ」


ひとり呟く。

誰よりもわかっているはずなのに。
あの子たちの気持ち、私は分かってあげられるはずなのに……。
あの笑顔を、私は一瞬にして奪った。
傷つく言葉を、私はあの子たちに突き付けてしまった。


「……ったく……。お前の行動パターンはお見通しなんだよ」


背中から聞こえた声。
誰かなんてもうとっくにわかっている。


「ほっといてよ」

「ほら、いじけてないで行くぞ。飯食えねえだろうが」


勝手に食べていればいいじゃんか。
きっと、あの子どもたちは私の顔なんか見たくないだろうから。


「ほんと、お前めんどくせえな」

「……悪かったね」


こういう性格なんだからしょうがないでしょ。


「……ほら。いくぞ!」


輝はいきなり私の手首をつかんで私を持ち上げた。
輝の力なんかに敵うはずもなく、あっという間に私は立ち上がってしまう。
あたしはダメ元で腕を思いっきり振ってみるけれど、輝は私の手を離してはくれない。


「もう!離してってばっ!」


そう叫んでみても、輝は離してくれない。
それどころか、さっきよりも輝の手に力が入ったのがわかった。


「お前さ、そうやって今まで逃げてきたんじゃねえの?」



何。急に。
真面目な顔になっちゃって。


「……」

「周りが悪いって、決めつけて、お前今まで逃げてきたんじゃねえの?」


違う。違う。
私ちゃんとわかってるよ。
私が一番悪いんだってわかってるよ。
だからこれ以上……。


「関わらないでよ……」


一人にしてよ。お願いだから。


「嫌だ」

「なんでよっ!」


私は輝を鋭く睨む。
だけど、輝の瞳は私の鋭い瞳よりも強くて
……少し怖かった。
そして、悲しそうだった。


「独り……寂しいだろ?」


何よ。
分かったみたいな言い方して。


「じゃあ、わかった。少し座って話そうぜ。ガキたちは、七海らちに任してな」


そういって、一気に表情が柔らかくなる輝。
輝は私の手首をつかんだまま座るもんだから、私も座らざる負えない。
目の前に広がるのは茜色の海。
輝は、なにか言うのでもなくただただ、その目の前にある夕日を眺めていた。

どれくらいたっただろうか。


「あの子どもらはさ、お前の言った通りだよ」


輝がゆっくりと話し出す。


「無責任な大人が、産むだけ産んで育てられねえから、施設に預けられた子。他にもな、虐待受けて、保護された子や、金銭的に子供育てられる余裕がねえから預けられた子。両親が何らかの事故でいなくなっちまって、預けられた子もいる」


淡々と私の隣で話す輝。
その事実はとても重たいものだった。


「だけどな、可哀そうなんて思ったらダメなんだ」


そういった輝の横顔はとても凛々しく見えた。
同じ高校生とは思えないくらいに……大人びて見えた。


「ただの同情ならいらねえ。普通の子どもなんだよ、あいつらは。そこらへんで走り回ってる普通のガキなんだ。なんも違わねえ。だから、俺は可哀想だなんて全く思わない」

「強いね」


輝。私わかったよ。
なんで、あなたが私にとってこんなにも眩しいのか。
きっと輝。
あなたはさ、いろんなもの背負ってるからだよ。
だから自然と強くなる。
強くならなくちゃいけなかった。
そして、自然と誰よりも輝は光り輝く。


「ちげーよ。言っただろ?振りは得意だけど、俺は……強くなんかねえ」


そういった、輝の声は、なぜが弱弱しかった。

海の音だけが聞こえる。
静かな夕暮れ。
今日もまた海は私たちを見ていた。


「輝っ!」


後ろから聞こえた少し幼い声。
この声は……。


『輝……。俺この人嫌だ』


あの子だ。

輝は名前を呼ばれたその瞬間、私の手首を握っていた手を離し、座ったまま振り向いた。


「おお、カイト!お前一人で来たのか?」


”カイト”
きっとこの子の名前なんだろう。

私は振り向くことなんかできなくて、背中で2人の会話を聞く。


「そうだよ。七海ねえちゃんと、奏にいちゃん、小っちゃいやつらの面倒見てて忙しそうだったから」


そういって、カイト君がおぼつかない足取りでこちらに歩いてくるのが分かる。


「そうかそうか!カイト、ここ座れ」


そういって、輝は私との間に空間を作り、手のひらでトントンと叩いた。

だけど、カイト君はその場所を見て、ほんの一瞬、立ちすくんだ。

彼の目が揺れていた。
口を開きかけて、すぐに閉じる。
その小さな手が、ぎゅっと握られているのが分かった。

そして次の瞬間――


「嫌だ!」


鋭い声が、あたりの空気を裂いた。
胸の奥に押し込めた何かが、破裂するような叫びだった。

だよね。
私の隣なんかに来たくないだろう。
なら……もう帰ろうかな。

明日も学校、あるし。


「じゃ……あた」「なあ、カイト」



私が帰る事を言おうとしたとき、ちょうど輝が口をはさんできた。


「このねえちゃん、嫌いか?」


そう、カイト君に質問する輝の声は驚くほど優しかった。


「……嫌い」

「ははっ!そうか。なんで?」


気楽に笑っている輝の気が私には知れなかった。


「だって、俺らに親はいないって言った」

「そうか。そうだよな。お前には母ちゃんと父ちゃんいるもんな。だけどな、カイト。お前の親はもうこの世界にはいねえよ」


……え。
どうゆうこと。もしかして――――。

私は輝のほうを見た。

輝の瞳は真っ直ぐとその先にいる小さな男の子、カイト君をとらえている。


「違う!母ちゃんはいるんだ!父ちゃんも生きてるんだ!輝は間違ってる。きっといつか父ちゃんと母ちゃんは俺を迎えにくる!」


涙目になりながら必死に訴えるカイト君。
私にはわかった。


『両親が何らかの事故でいなくなっちまって、預けられた子もいる』


きっと、カイト君の両親は……。


「”いつか”なんて日はねえよ。カイト、お前の名前の意味、知ってるか?」


「名前……俺の……」

「海の人と書いて、海人。お前はさ、この海みてえに強くなんなきゃいけない。母ちゃんと父ちゃんの分もお前は必死に生きなきゃいけない。お前はもう小学4年生だ。もう、十分俺の言うことが分かる年だろ?」


輝はそういうと、ゆっくりと立ち上がって、海人君のそばまで行き、しゃがみ込んだ。


「海人。人を簡単に嫌いだなんか言っちゃいけない。確かにあのおねえちゃんは、海人にとって傷つく言葉を言ってしまったのかもしれない。だけどな、お前が嫌いだって言うことで、あのおねえちゃんも傷ついてしまう。自分が傷つけられたからって、相手も傷つけていいはずはないだろ。それはわかるよな?」

「……うん」


海人君は涙を流しながらもこくんとうなずいた。

輝。
あなたはすごいよ。
本当に、すごい。

私はいつの間にか立ち上がって、輝と同じように、海人君のそばまで行き、しゃがみ込んでいた。


「ごめんね。おねえちゃん、ひどいこと言っちゃったね」


自然とそんな言葉が出てきていた。
自然と頬に涙が伝った。

久しぶりに、涙が地面に落ちて、砂にしみ込んだ。
海にはおちなかった。


「俺も……ごめんなさい」


そういってくれた、海人君の顔は涙を流しながらも笑顔で、少し安心した。


「さって!戻って飯、食うぞ!よし、海人、あかり!家まで競争な?よーっし、よーい……ドンっ!」


そういって、我先にと走っていく輝。

さっきの凛々しさはどこへ……。
だけど、だんだん見えなくなっていく輝の背中はやっぱり凛々しかった。

その後姿を見て、いつもより心臓が早くなっているのが分かる。少し頬が熱くなるのが分かる。
なんだろう、この感じ。
モヤモヤする。
胸がなんで、こんなにも締め付けられるのだろうか。

そんなこと、今の私には分かるはずなくて……。
ただただ、輝の後姿を見ていることしかできなかった。

私の隣では、一人だけ走っていった輝を見て、海人君が笑っている。
私の涙はもう乾いていた。

私の手を握ってきた小さな手。
その手のほうを見れば、私のことを見上げてくる海人君。

自然と私は笑顔になっていた。

さあ、この短い道のり。
何を話して歩こうか。

小さい小さい未来の希望と共に――――。