涙の先にある光







「あかりちゃん、もう夏休み残り5日やねぇ。また寂しくなるね」


夕食の時間、おばあちゃんがしみじみとそんなことを言ってきた。

そう。
もう東京に帰るまで残り5日。
楽しい時間というものは、例え時間が1か月あろうとも、あっという間に過ぎ去る。


「あかり……。日に日に表情が曇っていくけれど、大丈夫か?」


おじいちゃんが心配そうに、私の顔色を窺ってくる。


「だ、大丈夫っ!」


私は無理やり笑顔を作った。
輝と出会った日から、笑顔は作れるようになった。

あの日から、海に行けば、何故か輝がいた。
そして、自然とどちらからともなく、大したことのないことをずっと話した。
それだけで、心が軽くなった。
輝が私に笑顔を向けてくれるだけで、私の心が温かくなった。
安心した。

だから。
だから。

――――あの灰色の世界に戻りたくなかった。

夏休み、永遠に終わらなければいいのに。
ここにずっといたい。
そう、思わずにはいられなかった。

そんな事を考えている間に家の受話器が鳴った。
受話器に一番近かった、私がその受話器を取った。


「はい、海瀬で……」

『あかり?』


な、なんで……お母さん。

体に鳥肌が立つ。
冷や汗まで出てきそうになった。
実の親の声を聞いてしまうだけで、こんなにも怯えてしまう私はきっと異常なんだと思う。


『あんた、課題は終わったでしょうね』


受話器から聞こえた声は、女の人とは思えないような低い声。
この声の時のお母さんは、機嫌が悪い証拠。
なんで機嫌が悪いのか、私には分からない。


「おわった」


私は、できるだけ平静を装って、感情が声に乗らないように返す。


『そう。夏休み明けのテスト、順位落としたりしたら承知しないんだから』


お母さんの言葉に今さらイライラする私。
だからだろうか。


「分かってるってば!」


今までなら、流せた言葉に私は突っかかってしまった。


『親にそんな言い方するんじゃないよっ!百合を少しは見習いなさいっ!』

「……っ!」


百合百合百合うるさい。
なんで、お姉ちゃんばっかり。
お姉ちゃんと比べないでよ。
お姉ちゃんと私は違うんだよ。
 
私はそのまま受話器を放り出して、立ち上がった。


「あかり……ちゃん?」


おばあちゃんが、心配そうに私を見上げてくる。


「ちょっと散歩っ!」


そういって、私は、おばあちゃんの家を勢いよく出た。

そこに留まっていると、涙が溢れてしまいそうだったから。

夜道を走った。
走って走って……。
向かうところは決まっている。

真っ黒な真っ黒な海。


「っく……バッカヤローーー!!」


砂浜に座り込んで、海に泣き叫ぶ。
まるで子供みたいに、今まで貯めていた気持ちを吐き出した。


「……ったく……お前うるせぇよ」


え……?
ジャブジャブと、海の中から現れた1人の青年。

誰?もしかして……。


「……輝…?」


私はその黒い影に、恐る恐る問いかける。
すると、ピカッとこちらを懐中電灯で照らしてくる黒い影。


「おお、やっぱりあかりじゃねぇか。って……俺前言わなかったっけ。夜の海はあぶねぇからもう来るなって」


ああ、やっぱりこの声は輝だ。

輝が私を照らしながら近づいてくる。


「……私の勝手じゃん」


輝は懐中電灯の光を消して、私の隣に座った。

海パンしかはいてない輝 。
あの茶色い髪は濡れていてポタポタと滴が滴り落ちる。
きっと、この黒い海に潜っていたのだろう。

なんでかは分からないけれど。


「なんだよ。今日は一段と俺に冷たいな」


そういって、はははと笑う輝。
私には笑えなかった。


「私、あと5日でここ出てく」

「ああ。もう夏休みも終わるもんな」

「この海も、見れなくなるのかな……」

私はぽつりと呟いた。
波の音だけが返事のように響く。


「そうだな」


輝の声はどこか他人事のようで、それが私の胸をざわつかせる


「もう、全部終わるのに……」


言葉が震えた。どうしてこの人は、そんなに平然としていられるの?


「……っ!輝になんか、私のこの気持ちなんて、分かるはずないよっ!!」


私は、いてもたってもいられなくなって、立ち上がり、海へと突っ走った。

八つ当たりだ。
そんな態度しか取れない自分に腹がたった。
こんな状況をどうにもできない自分に腹が立った。
もう、何もかもが嫌だ。
あんなところへは戻りたくない。

この島にくるまでは、高校卒業までの辛抱だと自分に言い聞かせてきた。
だけど、こんなキラキラした世界を知ってしまったら、もうあの暗い世界へは戻れない。

あんなところへ行くくらいなら、ここで死んでやる。
私は、バシャバシャと音をたてて、海の中へ入っていく。


「バカなこと考えてんじゃねぇよっ!」

「……っ!」


後ろから聞こえた、鋭くも怒りのこもった声。
海にすでに腰までつかってた私は、その声にビクっとして動きが止まる。

振り向くと、輝が海に入ってこちらに近づいてくる。
暗くて、表情はよく見えない。
輝は強く私の手首をつかんだ。


「死んだら楽になるとか、そんな考え方やめろよ」

「離してよっ!もう、あんな場所に戻りたくないのっ!」


そういって、手をブンブン振って輝の手を離そうとするけど、一向に離してくれそうにはない。

輝は鋭く私を睨んでいた。


「じゃ、いれば?俺別に困んねぇし」


そういって、輝は浜辺へと向かって私を引っ張っていく。


「……っちょっ!離してよっ!何バカなこと言っているの。いられるわけないじゃんっ!」


私は抵抗するも、男の力にかなうはずもなく、どんどん引っ張られていく。
どんなに叫んで抵抗しても、もう輝は私に応答してくれなくて、浜辺から離れ、舗装された道路を私たちは歩いていた。
輝が足を止めた場所は、私のおばあちゃんの家の前。


「ちょ、なんで」

「ほら、いくぞ」


そういって、あの重い玄関の扉を片手で軽々と開ける輝。


「あかりがどんな思いで過ごしていたと思うんだっ!お前は母親失格だっ!」


扉を開いた瞬間、家中に響いたおじいちゃんの声。
その声があまりにも鋭かったから、ビクッと体が反応してしまった。

何が起こっているの。

だけど、輝はそんなのお構いなしに、軽く足に着いた土を払って、家の中へと足を踏み入れた。

まだ、輝はあたしの手首をつかんだまま。

ほんとこいつ……。何考えているの。

輝はおじいちゃんとおばあちゃんがいるであろう、襖をさーっと勢いよく片手で開けた。


「あ、あかりちゃん……?輝くんも?」


座布団の上に座っていたばあちゃんが、あたしたちを見上げた。
そして、受話器を睨みつけていたおじいちゃんも私たちを見る。
おじいちゃんの顔は今まで見たことのないくらいに、怖い顔をしていた。


「ほら、言えよ。ちゃんと自分の気持ち」


そう、私に耳打ちしてくる輝。
やっと輝は私の手首を離し、背中を押した。

勢いで一歩前に出た私。
でも、なんて言えばいいかわからなくてただただ下を向くことしかできない。

何ていえばいいの。
何から言えばいいの。


「あ、あの……私……」

「あかりちゃんっ!……ごめんね」


え?

顔をあげるとそこには、涙目になっているおばあちゃんの姿があった。
 
なんで。
おばあちゃんが泣きそうな顔をしているの?
なんで。
謝るの?
おばあちゃん、何も悪いことなんてしてないのに。


「……つらかったな、あかり。つらかったろ?……千智《ちさと》には今全部吐かせたよ。あかり、ここに住まないか?」

「え……?」


おじいちゃんが私の方に近づいてきて、私の肩に手を置いた。
おじいちゃんの目はさっきの鋭い目から、優しい目に変わっていた。

ここに……住む?いいの?
ここに私がいてもいいの?
あの灰色の世界に戻らなくてもいいの?


「私……。ここにいてもいいの?」

「ああ、あかり、今日からここがお前の家だ」


そういって、おじいちゃんが私に笑ってくれた。

後ろを向けば、輝が笑っていた。
口パクで「よかったな」と言っているのが分かった。


「さささ、2人ともなんでか分からないけどずぶ濡れじゃないか。あかりちゃん、お風呂入っておいで。輝くん、タオルかすから待っててね」


そういって、おばあちゃんが優しく笑ってゆっくり立ち上がった。


「あ、俺帰るよ。家そこだし。海瀬ばあちゃん。海瀬じいちゃんもありがとな」


そういって、輝は笑って、部屋を出て行こうとした。


「おお、そうかい。じゃあ、一ノ瀬さんによろしくゆうといてなぁ」
 

おじいちゃんがにこやかに輝に微笑んだ。


「輝くんありがとねえ」


おばあちゃんも可愛らしく微笑む。


「……輝っ!」


思わず、私は輝を呼び止めた。


「……ん?」


輝は足を止めて、私ほうを振り返る。


「……ありがと……」


恥ずかしいけど、どうしても今輝にこの言葉を伝えたかった。


「おう、じゃあ、風邪ひくなよっ!」


輝はそう笑って颯爽と出て行く。
ガラガラっと玄関の開く音が聞こえ、扉が閉じられる音が聞こえる。


「あかりちゃん。お風呂行っといでね」


おばあちゃんがあたしにバスタオルを渡す。


「ありがと」


私の言葉におばあちゃんは、うんうんと頷いてくれた。
後ろではもうおじいちゃんが腰を下ろしてくつろいでいる。


「青春だな」


そう言って少し子供っぽく笑うおじいちゃん。
私まで、つられて笑ってしまった。

そのまま、私はお風呂に入り、その後は自分の部屋に戻った。
そして、ベッドへと倒れこむ。

ずっと、ここにいていいんだ。
あの世界に戻らなくてもいいんだ。

だけど、心に底にモヤモヤっとした気持ちが渦巻く。
そしてふと湧き上がってくる。
それを掻き消すように、私は布団に潜り込んだ。

――――私は、お母さんに捨てられたのではないのか。

そんな事を、今考えたって仕方ない。
本当だったとて、今の今まで、お母さんは私のことなんて必要としていなかったじゃないか。

そう思い直して。
私は無理やり、目を瞑り睡魔が来るのをゆっくりと待ち続けた。