涙の先にある光







着いてみて気づく。
この時間の海は。
あの透明な海じゃない。

―――真っ黒だ。

何もかも、吸い込んでしまいそうな黒。
なんだろうこの懐かしい感じ。

ああそうか。
あの灰色の海に、似ているからか。

私は下駄を脱いで、裸足でゆっくりと海に近づく。

透明じゃない。
真っ黒な波が、ゆっくりとやってきて私の足を濡らした。


「……っ!冷た……」


同じだ。
この砂に、私の足が少し埋もれ、見えなくなるこの感じ。
冷たい波が、幾度も幾度も私に押し寄せて飲み込もうとするこの感じ。
冷たい潮風が、私の頬を伝うこの感じ。
いつの間にか、私の目からは涙がこぼれて頬に伝うこの感じ。
頬を伝った涙は、ポタッと落ちて、波がさらって行ってくれる。

やっぱりさ、私の味方は、海だけだよ。
何も言わずに私のそばにいてくれる。
私の涙を、海だけが知っている。
海だけが、いつも私に優しかった。
いつも。
いつも。


「……やっぱりここにいた」


後ろから聞こえた聞いたことのある声。
心臓が跳ねるのがわかった。

なんでここにいるの。
その言葉をぶつけたかったが、言葉が出ない。

私が今、この島で一番会いたくない奴がすぐそこにいる。


「……」


私は後ろは振り向かず、聞こえなかったふりをする。

これ以上かかわってこないでほしい。
これ以上私に話しかけてこないでほしい。


「……ったく、無視すんなよ」


そういって声の主は強引にも、私の肩をつかんで、グイッと自分のほうに私の顔を向けさせた。
女の私が男の力にかなうはずはなく、その動きに従ってしまう。


「……何お前、もしかして泣いて……」

「ないっ!」


見られた……?
私は手遅れながらも、急いで頬に伝う涙を拭き取った。


「いや、お前絶対に泣いて……」

「ないってばっ!」


私は全力で否定する。


「……頑固だなぁー」


だけど彼はクスクスと笑って、やっとあたしの肩から彼の手が離れた。
そして、彼はその場で胡坐をかいて座り込む。

あんたに言われたくないよ。
そう思いながら、私はその場を去ろうとした。

だけど、彼がぐいっと私の手首をつかんで、下に引っ張るから、私はバランスを崩して、彼の隣に座り込んでしまう。


「……ったぁ……。何すんのっ!」


私は隣の彼をにらむ。
だけど、輝は相変わらず笑顔のままで私を見てくる。
逃げようにも、彼はあたしの手首をつかんでいるから逃げられない。


「だってお前、朝逃げたから」


そういって屈託のない笑顔で笑う彼。

それは、あなたがあたしのこと笑ったからでしょ?
なんで、わざわざ関わってくるの。
いじめられっこの私なんかと、普通は関わりたくないんでしょ?


「私のことなんてほっといてよ」

「……嫌だね」

「……はい?」


なんでよ。
今日会ったばかりの初対面の私に、なんでそんなに関わってくるの?
本当に、意味がわからない。


「あかりってさ、海瀬ばあちゃんとじいちゃんの孫なんだって?」

「……そうだけど」

「ばあちゃんの料理うめぇよな」


そういって、隣で笑う彼。
何の話をしたいのだろうか。
たわいのない世間話を、私としたいの?


「……まぁ……そうだね」


私は少し遠慮気味に答える。
なんだか、私よりも、彼のほうがおばあちゃんとおじいちゃんのこと知っている気がする。


「だよなー。お前、夕食食べたのかよ。どうせ、俺いるから今日俺んち来なかったんだろ?」

「……っ!」


彼は、何もかもお見通しらしい。


「変な責任感じてここにいるんだったら帰ってよ。心配される筋合いないから」

「悪かったよ。俺無神経なこと言っただろ?」


彼は少しだけ真面目な口調になって、まっすぐ海を見つめながらそんなことを言う。
 
なんだか、そうやって謝られたことないから、なんて答えらばいいのか分からない私。調子が狂う。


「……別に」


そう、不愛想にしか返事が出来ない私。


「でもなんでまた、危ない夜の海に来ようとすっかなぁー」

「……この黒い海は、東京の海と同じだから」

「東京の海ねぇ……。こんな黒いのかよ」


隣で、彼が少し笑ってるのがわかった。
そんなことに少し私は安心していて、そんな自分に戸惑う。

今の彼なら、もう少し自分のこと話してもいいかな。
そう不思議と思えた。


「空も、建物も、地面も……海も皆灰色なの。こことは大違い」

「ふーん……。でも、お前はそんな灰色の海が好きなんだろ?」

「……私には……海しかいないから」

「海だけ……か。……なってやろうか?」


そういって、彼は私のほうを向いて笑う。
月明かりに照らされて、その笑顔は一段と輝いて見える。


「……何に?」

「お前の友達に」


そうやって笑う彼のその笑顔には、なんの嘘も偽りもなくて、ただただ私をまっすぐ見つめていた。

この黒い海のような真っ黒な彼の瞳が私を見つめていた。
彼の瞳はこの海のようにコロコロと色を変える。



「友達……?」

「そう。じゃあ手始めに……。ちゃんと名前呼んでよ」

「名前?」

「俺、輝っていうんだけど」


彼は、初めての会ったときから何の迷いもなく私の名前を呼んだ。
だけど、私は彼が初めての友達。
人の名前なんて苗字でしか呼んだことはなくて。
彼にとっては軽々と飛び越えられるハードルが私にとっては、山のように高くそびえ立つ。

自分の心臓がうるさい。
緊張しているのだろうか。
たかが名前。
たかが50音のうちの3文字を発するだけ。


「ひ、かる」


そう自分に言い聞かせて出た言葉は、あの漁師さんに初めて自分の名前を言った時のように弱々しかった。

だけど、どうやら輝は大満足したようで。
満面の笑みになる。

そして、そのまま輝は勢いよく立ち上がり、海に駆け出す。波につかるか浸からないかのあたりで立ち止まったと思ったら


「バッカヤローーーーっ!!」


そうやって目の前の海に向かって叫ぶ。

何?
どうしたの。

戸惑う私を他所に、輝は私の方を振り返る。
その横顔は、月明かりにきらめいていた。


「叫べよ。すっきりするぞ?ここらへんに住んでいる住人っつったら、俺らくらいしかいねぇし、近所からの小言が飛んでくる心配もない」


そういって、輝は私の方に歩み寄り、目の前でしゃがんで、私の両手首をつかむ。
そして、力強く輝は私を立ち上がらせる。

目の前に広がるのは、どこまでもどこまでも広がる真っ黒な海。
何もかもを吸い込んでくれそうな、そんな海。


「ほら、結構たまってんだろ。ここに吐き出しちまえ」


そういって、輝は優しく私の背中を押した。
それだけでなんだか体が不思議と軽くなって、喉まで何かがこみ上げてきた。


「学校も、家も、こんな自分も全部全部大っ嫌いっ!」
 

こみ上げてきたものが自然と声になって、気づけば大声で私は海に向かって叫んでいた。


「なんだお前、大声出せるんだな」


そういって、隣で笑う輝。
輝はよく笑う。
笑顔でいない時のほうが少ない。

―――じゃあ、なんであの時泣いていたの?

今なら聞くことが出来るだろうか。


「ねぇ……」

「笑っとけ」


何かを察したのか。
はたまた偶然か。
私の言葉は遮られた。

輝は精一杯の笑顔を私に向けてくる。


「笑えば、楽しいこと起きるからな」


そういって、息を吐きながら座り込む輝。

笑っとけ……か。
あれ、あたし最近笑ってたっけ。
最後に笑ったの……いつだっけ?

私もその場に座り込む。
すると、くしゃくしゃっと輝が私の頭を撫でてきた。
びっくりして、輝を見ると、子供みたいにして輝は笑った。


「少なくとも、お前はもう1人じゃねえよ」


無邪気にそんなことを言ってくれる輝の隣は、やっぱり安心した。
どこよりも……安心する気がした。


「……私、子供じゃないよ」

「お前、誕生日いつ?」

「1月23日」

「俺、8月5日。ほら、俺のほうが年上だ」


……あれ、あたし


「輝と同じ年って言ったっけ?」

「んー、じいちゃんから聞いた。年上なめんなよ」


そういって、ケラケラと隣で笑う彼。


「いや、学年は一緒だから」


思わず突っ込んでしまう私。
その突込みになぜか、輝はまた笑った。
きっとこうして彼は笑って何事も乗り越えてきた人なんだろう。
それか、何かあっても気に留めない人なのかどちらかだ。


「輝は強いんだね」


ぼそっと私の口から出た言葉。


「強くねえよ。……強いフリは得意だけど」


そういって、二の腕を出して、上腕二頭筋を頑張って出そうとしている彼。
 
彼になら話してもいいと思った。
また笑われたとしても、彼ならきっといつか、私の気持ちを理解してくれるんじゃないかって、不思議と今思ってしまった。


「輝は……どん底しってる?」

「……お前の言う、どん底って何?」


さっきまで、お茶らけていた輝が、私のその質問には、珍しく真顔でそう質問で返してくる。

怒ったのか?
だけど、もう開きかけた箱を閉じることは今の私にはできなかった。


「私さ、高1のとき、自殺しようとしたの」


私は、ゆっくりと語りはじめる。

輝は、表情1つ変えない。
耳だけを私に傾けて、目線は海に向けられていた。

私は続けて言葉を紡いだ。