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次の日の夕方、私は昨日七海に教えてもらった、朱里さんのお墓へと向かった。
厚手のコートを羽織り、はーっと息を吐けば白くなる。
いくら南の島だといっても、真冬は寒い。
雪は降らないらしいけど。
手ぶらはまずいと思って、一応この島にある唯一の小さいお花屋さんで、お供え用に花束は買った。
朱里さんが亡くなったのは高校1年生の時。
わずか16,17年間の人生。
きっと、まだまだ生きたかったはず。
なのに、彼女は死を選んでしまった。
私には、彼女の気持ちが嫌ってほどわかった。
なぜなら私も自殺しようとしたから。
未遂で終わったけれど。
あの闇の世界を、あの灰色の世界をあたしも知っているから。
辛かっただろう。
苦しかっただろう。
孤独だったのだろう。
輝や七海、奏たちに心配かけさせたくなくて、嘘をついていたのだろう。
大丈夫、大丈夫って。
私は、足を止めた。
目の前には、朱里さんが眠っているお墓。
私はそっと手にしていた花束を花瓶に入れて、ゆっくりとしゃがみ込んだ。
そして、手を合わせて、ゆっくりと私は目を閉じた。
初めまして、朱里さん。
私、実はあなたに1つ聞きたいことがあるんです。
私が、東京の海で、自殺しようとしたとき、私を救ってくれたのは……朱里さん。
あなたですか?
あなたが、私を輝と出会わせたのですか?
私は、ゆっくりと目を開けて立ち上がる。
答えてくれるはず……ないか。
そう思って、振り返った私は、真っ赤なチューリップに視線を奪われた。
「なんで、お前ここにいんの?」
聞こえた声は驚くほどに冷たかった。
私は何も答えることは出来なくて、ただただうつむくだけだった。
そうだよね。誰だって怒るよ。
自分の過去に土足で勝手に入り込まれたんじゃね。
だけど、輝。
私は、もう逃げたくないから。
あなたと向き合うことから、もう私は逃げたくないから。
私はそう意を決して無理やり顔をあげた。
「私、居なくならないよ。私はもう死のうとしたりはしない」
「もしかしてお前……っ!」
その後に続く言葉は、きっと、朱里さんのことについて知っているかどうかだろう。
しかし、言葉に出さなかったってことは、もう私が朱里さんのことについて知ってることを確信したということだ。
私の表情から悟ったのだろう。
輝の声は冷たいままだった。
私は、ゆっくりと首を縦に振った。
もう知ってるとよいうメッセージも込めて。
私はその輝の鋭い視線にめげずに、視線は決して下げなかった。
だって、朱里さんが見ているかもしれないから。
ここで、弱気になるわけにはいかない。
すると、輝はゆっくりと私に近づいてきて、私の横を通りすぎ、その真っ赤な花束を、私が持ってきた花が入っていない、もう片方の花瓶に入れた。
そして、輝が深く息を吐くながらゆっくりとしゃがみ込んだのが、横目でちらりと見えた。
「俺が殺した。……俺が朱里を殺したんだ」
輝は私に背を向けている。
どんな表情なのか、私には分かりはしなかった。
こんな弱気は輝は初めてだった。
「朱里さんはさ、きっと後悔しているよ」
私は、振り返り、少しいつもより小さく見える輝の背中に言葉を放つ。
「朱里さん、きっと輝を置いて行ってしまったこと、輝を悲しませたこと、すごく後悔してる。ちゃんと、朱里さんはいるよ。輝の胸の中に。会えないかもしれないけど朱里さんはいるよ」
あなたは、世界の残酷さと、どん底を知っていたのと同時に、あなたは、この世界の素晴らしさを、温かさを知っていた。
きっと、それは朱里さんとの温かな思い出。
その思い出があったから、輝はこうして生きてるんでしょ。
「輝の人生は、朱里さんのものじゃないよ。輝の人生は輝の人生なんだよ」
新しい世界に踏み出そうよ。
私じゃ、頼りないかもしれないけれど、強くなるから。
もっともっと、輝のために強くなるから。
私の頬には、涙が伝っていた。
ぶわっと冷たい風がいきなり吹き、私の涙を乾かそうとして、頬がひんやりとする。
目の前のしゃがみ込んだ輝の背中がゆっくりと動き出して、輝は私背を向けるようにして立った。
輝の背中がわずかにも小刻みに震えていることがわかった。
「朱里……ごめんな。お前を、幸せにできなくて……ごめん」
輝のその声は今にも消えそうな声で、泣いているのが分かった。
くしゃっと、輝は自分の髪を右手でつかんで、うつむく。
私はそんな姿を背中越しに見守ることしかできなかった。
「……俺さ、後悔ばっかなんだよ。お前が死んじまってから。……後悔ばっかで、前になんて進めねえ。だけどな……もうそろそろ、お前から俺、卒業しねえとな」
そういって、輝は軽く袖で涙を拭い、言葉を紡いだ。
「あかりを海から助けたの、お前だろ?この島にあかりを連れてきてくれてありがとな」
え……?
私は、輝のその言葉の意味が分からず、放心状態になる。
輝はその瞬間私の手首を握ってきた。
「え……っ!?っちょ!」
戸惑う私をよそに、輝は一気に駆け出した。
私は、訳も分からず、輝に引っ張られるままについていく。
輝があたしを連れてきた場所は海。
輝の右手には、真っ赤なチューリップの花束。
左手には私の手。
目の前に広がるのは夕日が沈みかけた、茜色の海。
輝は、私の手を離し、私と向かいあう形に立った。
そして、輝の真っ直ぐな瞳が、私をとらえて離さなかった。
私の心臓がうるさく鼓動し続ける。
「なぁ、お前からの告白ってまだ有効?」
「へ?」
輝の突然の、その言葉に、変な声が出てしまう私。
きっと、今の私の顔は、今輝の右手に握られている赤いチューリップのように真っ赤なんだと思う。
「……うははっ……。なんだよ、そこ笑い取るとこじゃねぇだろ」
輝は笑いがこらえきれなくなったのかお腹を抱えて、笑い出した。
「ちょ、そんなに笑わなくてもいいじゃんっ!」
私は真っ赤になった顔を両手で覆って、火照った頬を冷まそうとした。
「……好きだよ、あかり。俺と付き合ってくんない?」
それはとても突然で、信じられない言葉だった。
しばらく、放心状態になる私。
輝は、そんな私の身体をを優しく私よりも一回り大きい身体で包み込んだ。
「何?泣いて」
「ない!」
耳元で聞こえた輝の言葉を遮るように私は否定した。
それを聞いて、また笑い出す輝。
「お前、ほんと変わってねえよな」
そういって、輝はクスクスと笑う。
好きな人と想いが通じるということがこんなにも幸せなことだっなんて思いもしなかった。
目の前に広がる茜色の海に反射した光と、真っ赤な夕日ががキラキラとあたしたちを照らしていた。
私は輝の胸に顔を埋めて、腕を輝の背中にそっと回した。
「本当は、ずっと前から言いたかった。本当はお前の告白も嬉しかった。だけど、あの時まだ心の整理ができてなかった。ごめんな。遅くなっちまって」
そういって、輝はさらに私を強く抱き締めた。
「いいよ。わかってる」
わかってる。
ちゃんとわかってる。
もう、私はその気持ちだけで十分だから。
輝はさ、私の光だよ。
あなたはいつもの私にとって眩しかった。
私にはない、光を持っていたあなたが私は羨ましかった。
私と輝は対極だと思っていた。
だけど、それは間違いだった。
だれもが皆一度は迷い、苦しみ、悲しみ、涙を流す。
輝もそう。
私もそう。
そして、また強くなって前を向くんだ。
私が、こうして今この地面の上で立っていることが出来るのも、涙があったから。
輝がこうして、今前を向くことが出来たのも涙があったから。
「輝。朱里さんの分まで私を幸せにしてよ?」
そういって私は輝からそっと体をはなした。
「じゃ、誓いのキスでもしとくか?」
「え?」
私が、そういった瞬間、輝は私の左手首を掴み思いっきりぐいっと自分の方へと引いた。
バランスを崩した私は、輝の方へと倒れ込み、抱き止められ輝がそっと私の唇に優しいキスを落とす。
砂浜に広がるのは、私と輝が重なる長い長い影。
さあ、これからは二人で歩いていこうか。
この、長い長い人生という道のりを。
あなたとなら、きっと何があってももう、大丈夫だと思うから――――。



