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その夜、海瀬家には、一本の電話が鳴り響いた。
「はい、海瀬です」
夕食の途中で、私はその受話器を手に取った。
『ああ、あかり?百合だけど。私今おばあちゃん家の前にいるのよ。ちょっと出てきてくれない?』
「……っ!」
なんで。なんで今更電話なんて。
しかも。
家の前まで来てる?
意味が分からなかった。
何を考えてるんだろう。
今更。
その答えはいくら考えたって私にはわかるはずはない。
「わかった」
私は、それだけいって、電話を切った。
そして、おばあちゃんとおじいちゃんには、ちょっと七海に呼ばれたからと嘘をつき、玄関へ向かう。
そして、重い扉を開けた先には。
「久しぶりじゃない。あかり」
私の姉の光明百合が堂々と立っていた。
口角を少しあげて笑みを作るお姉ちゃん。
月明かりのない、今晩。
いつもの夜より暗いはずのに、お姉ちゃんの周りだけはなんだか光って浮いて見えた。
お姉ちゃんの長く、カールされたブラウンの髪が、この島の夜風に揺れる。
「何。わざわざ、こんなとこまで」
私から、吐き出された声は、自分のものとは思えないほど冷たかった。
「何って酷いじゃない。少しはお姉ちゃんに優しくするってことを覚えたらどうなの?」
「要件ないなら、もう家に入っていい?御飯冷めちゃうから」
「ほんと、変わってないわね、あかり」
「だから?早く要件言ってよ」
だんだん、マイペースなお姉ちゃんに私は苛立ってくる。
だから、どんどん自分の声が冷たく、鋭くなってきているのが自分でもわかった。
「お母さんとお父さんね、離婚することになったのよ」
「え?」
離婚……!?
お姉ちゃんのその言葉が私の胸に深く深く突き刺さった。
私の複雑な気持ちとは反対に、お姉ちゃんの声は淡泊だった。
でも、なんで急にまた。
前々から、確かに仲がよし夫婦とは言いがたかった。
今思えば、二人が会話するのは、必要最低限のことだけだった。
だけど、よくよく考えれば二人が離婚しようが私にはもう関係ないことだった。
私、あの二人に捨てられたも同然だし。
「お母さん、こっちに戻ってくるって。おばあちゃん達にはまだ言ってないけど、多分すぐバレると思う」
お姉ちゃんが、なんだか急に重々しい口調で話し出す。
お母さんが……来る。
この島に。
また、あんな冷たい目を向けられなきゃいけないの?
「……なんで……」
なんで来るの。
せっかくここの生活に慣れはじめて楽しいって思えてきたのに。
「なんでって、そんなのここがお母さんの実家だからに決まってるじゃない。って、私は、あんたにこんなこと言いに来たんじゃないのよ。お母さんか、お父さん。どっちに着いていくか聞きに来たのよ」
あたしはまだ未成年。
保護者というものが必要不可欠。
お母さんか、お父さん。
選ばなければいけない。
恐らく、お父さんの方へつくならば、ここを出ていかなければいかない。
そして、あの灰色の世界へと帰らなければいけない。
それは、絶対に嫌だった。
あんな、世界になんて戻るもんか。
なら……。
残された選択肢なんて、私にはひとつしか残っていないじゃん。
「私、ここにいる」
私のその声は、何故かこの夜の空間に嫌ってくらいに響いて聞こえた。
「そう言うと思った。あたしはお父さんの方に着いていくから。あと、一応これ、私の連絡先。もう会うことはないと思うけど、念の為ね。じゃあね、あかり」
そういって、お姉ちゃんは、一枚のメモ用紙を私に押しつける。
そして、踵を返し、ブラウンの髪を靡かせて、闇のなかへ消えていった。
片手を少しあげて、ヒラヒラとさせながら。
私は、一歩踏み出し、最後に一言何か言おうと思ったけど、なんて言えばいいのか分からなくて。結局、開きかけた唇をぎゅっと結んだ。
一歩踏み出したこの場所はさっきまでお姉ちゃんが立っていた場所。
微かなローズの香水の匂いがツーンと鼻についた。
自然と強く握っていた自分の拳。
今泣きたい気持ちになっているのは、きっと寂しいからじゃない。
きっと、きっと、また意味のない涙だ。
ならば、なぜだろう。
『じゃあね、あかり』
なぜ、こんなにも、"じゃあね"っていったお姉ちゃんの言葉が切なく聞こえたのだろうか。
もう、永遠にお姉ちゃんと会うことがなくなるかもしれないのに。
大嫌いだった、お姉ちゃんともう話すことがなくなって精々したはずなのに。
なんで、なんで……この香水の匂いを愛しいと思ってしまうのだろう。
なんで、この場から私は動けないのだろう。
なんで、私の頬には涙が伝っているのだろう。
早く戻らないとおばあちゃんが心配するのに。
折角の美味しい夕食が冷めてしまうっていうのにー―――。
✳
「……りっ!あかりってば!」
「あ、ごめん。なんだっけ?」
「もう、何だっけじゃないよ!最近ぼーっとしすぎじゃない?」
私の前の席に座ってる七海は、席をくるっと回転させてあたしの方へと体を向けていた。
「別に……何もないよ」
そういって、無理やり笑ってみるけれど、やっぱり、自然に笑うことなんてできっこない。
「ほら、そうやって、無理やり笑う。何?……輝と何かあった?」
七海が急に小声で隣で騒いでいる輝に聞こえないように話し出す。
確かに、あの夜輝に私は告白した。
だけど、次の日、輝はまるで、何もなかったかのように私に話しかけてくる。
正直、輝のそんな能天気な性格にはかなり救われた。
だからこそ、あのお姉ちゃんがわざわざ私に伝えに来たことのほうがあたしにとっては重大な問題だった。
あの夜から三日後の昼、お母さんから、おばあちゃんの家に電話があったらしい。
内容は、あのお姉ちゃんが伝えに来た内容。
おばあちゃんの話によると、お母さんがこの島に来るのはその電話の1週間後の今日。
そわそわせずにはいられなかった。
こんなこと、言えるわけがない。
これは私の問題。
他人に頼るわけにはいかない。
「輝は関係ないよ。大丈夫。ちょっと寝不足なだけだから」
そういって、私は再び下手くそな笑顔を作って見せた。
七海は、まだ聞き足りなさそうな顔をしながらも、そう?といって頷いてくれた。
さて……今日はどうしようか。
とりあえず、七海達にこれ以上心配されないように気を付けようか。
大丈夫。
そう、自分の胸に私は必死に言い聞かせた。
学校が終わって、自分の部屋で勉強していた時、玄関の扉を開ける大きな音が海瀬家に響き渡った。
その音が、私には初めて嫌な音に聞こえた。
おばあちゃんがパタパタと廊下を何か言いながら駆ける音が聞こえる。
そして、その音は、明らかにこの私の部屋に近づいてきた。
数秒後、私の部屋の襖が開けられた。
そこには、真顔のばあちゃんが立っていた。
今まで、にこにこ顔しかイメージのなかったおばあちゃんの顔が明らかに曇っている。
何か緊急事態が起こっているのは予想できた。
私は、握っていたシャープペンシルをそっと置き、椅子をくるっと回転させておばあちゃんに体を向けた。
「どう…」「あかりちゃんっ!お母さんが変なのよ」」
私が何があったのかを聞こうとしたとき、先におばあちゃんに答えられてしまった。
お母さんが変なのは前々なのではないか。
「ちょっと、あかりちゃん来てくれない?」
そういって、ばあちゃんは神妙な顔をして再び玄関へと向かう。
私は、重たい腰を持ち上げて、おばあちゃんの背中についていった。
その玄関にいたのは……。
「あかり……」
あの、夏休み前のお母さんじゃなかった。
声は細く、頬はこけ、まるで生きることに疲れ切った女の人がそこにいた。
まるで別人だった。
こんなお母さん、私は今まで見たことはない。
「百合から前電話があって、心療内科にかかってたって言っていた。確か診断はうつ病だとか言っていたな」
おじいちゃんが、私とおばあちゃんだけに聞こえるような声でそういってきた。
その言葉に私とおばあちゃんは、はっとする。
”うつ病”
言葉だけは聞いたことがある。
確か、強いストレスがかかった時、精神的に深く沈んでしまうとか。
それくらいしか知らない。
でも、目の前にいる女性は、あの強い母親ではなく。
深い深い闇に落ちた一人の女性だった。
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その日からあたしの生活は一変した――――。
AM5:00。
目覚ましの音であたしの朝は始まる。
朝からおばあちゃんと一緒に朝食の準備と弁当作り。
6時になれば、おじいちゃんが起きてきて、私はお母さんを起こしに行く。
だけど、お母さんはいつも私が起こしに行った時には既に起きていて、ぼーっと窓の外を眺めている。私が声をかけるとゆっくりとこっちを向いて、私の話を一応聞いてくれる。
あの、厳しい怒鳴り声が飛んでくることはなかった。
そして、皆で揃って朝ごはんを食べる。
お母さんは、いつも一口食べて箸を置いてしまう。ろくに食べることはない。私からすれば、よくその食事の量で生きていられるなと感心する。
そして、私はお母さんを部屋まで誘導してから、学校へと向かう。
帰ってくれば、お母さんの見守り。
お母さんが変な行動を起こさないよう見守ってほしいと、おじいちゃんに言われた。
正直、お母さんと2人っきりと空間は戸惑うばかりだった。
私の記憶からすれば、お母さんとまともに面と向かって話したこともなければ、こんなにも長い間同じ部屋という空間にいたことさえないと思う。
だけど、今のお母さんは私に話しかけてくる様子はないし、じーっと三角座りをしてどこか一点を見つめるばかりだった。
そして、夕食をみんなで食べて、お母さんをお風呂へと誘導。
そのあと私がお風呂入ってあがったら、お母さんを私がまた部屋へと連れて行く。
お母さんがベッドに入ったら、その日のあたしの役目は終わり。
そんな毎日をもう2週間ほど送っていた。
お母さんの容体は相変わらずだった。
そんなある日の夜だった。
お母さんがいつも通りベッドに入ったと思ってあたしが部屋を出ようとしたら、いきなり、お母さんが私の腕を強くつかんできた。
「……っ!」
お母さんの握る手の強さに私は思わず顔をしかめる。
この細い体のどこにそんな力が残っていたのか。
「本当は心の中で嘲笑ってるんでしょ?」
久しぶりに聞いたお母さんの声は、少しかすれていて、闇のように低い声だった。
全身に鳥肌が立つ。
「どうせ、お母さんもお父さんも私を捨てるのよ。あの人と、百合が私を捨てたように、あなたも私を捨てるんでしょ?」
お母さんの握る手にますます力が入る。
捨てた?
いつ私があなたを捨てたの?
私を捨てたのは……。
「私を捨てたのはあなたでしょ?」
私はお母さんの鋭い瞳を真っ直ぐ見てそう答える。
冗談じゃない。
どんな思いで、こうやって毎日毎日、あなたの面倒見てあげていると思っているの?
そりゃ、おじいちゃんとおばあちゃんに頼まれたことだから断るわけにはいかないけどさ。
「あんたなんて、生まれてこなければよかった。なんで……なんで百合じゃなくて、あんたなのよ……」
一気にお母さんの瞳から鋭さが消えてゆく。
『あんたなんて、生まなきゃよかった』
私の脳内で何度もその言葉がリピートされた。
私は、お母さんの手を無理やり払って、家を飛び出した。
真っ暗な夜道をただがむしゃらに走った。
酸素が足りない。
今の私には、酸素が足りない。
ここがとても息苦しい。
気づけば私は海にきていた。
私は自分の身に緊急事態が起きると、自動的に海にいくようにできているらしい。
真っ黒な海だった。
今までで見てきたなかで、一番闇に近い色をした海が私の目の前に漠然と広がっていた。
今日は新月だからか。
そのまま浜辺に膝をつく私。
自然と手は砂をぎゅっと強く握っていた。
悔しくてたまらなかった。
私、なんかした?
私、なんか酷いことお母さんにした?
してないよ。
ちゃんと言うこと聞くいい子でいたはずなのに。
なんでよ。
「あああああぁーー!!」
海に向かって私は叫んでいた。
心の叫びが声となって吐き出される。
私の声と海の音だけが、この闇のなかに響いていた。
助けて。
だれか、だれか……。
誰でもいいから私を助けて……。
「お前。何してるの?」
後ろから聞こえた透き通るような声。
この声知ってる。
だけどなんで、あんたがここにいるの?
「佐野……奏」
私は、そう言いながらゆっくりと振り向いた。
そこにはジャージ姿の佐野奏がズボンのポケットにてを突っ込んで立っていた。
「……お前さ、いつもこうやって泣いてるの?」
「いつもじゃない」
「そう。それで、輝に励まされてたんだ?」
「……」
私の視線が落ちる。
何かあるたびに私はここに来て輝と会った。
輝が私に手をさしのべてくれて、何度も何度も立ち上がらせてくれた。
でも、今はいない。
この空間には佐野奏とあたししかいない。
自分の力で立ち上がらなければいけないのに何でだろう。
足に力が入らないや。
私の頭の上におかれた大きな手。
見上げれば、佐野奏がポーカーフェイスの顔のまま、私の頭を撫でていた。
そして、ゆっくりと私の隣に腰を下ろす。
「俺、今無性にに誰かの話聞きたいんだよ。お前さ、なんか話せよ」
「……え?」
そういって、私は佐野奏の表情を伺おうとしたけど、やっぱりダメだった。
佐野奏は、真っ直ぐ海をみたまま、私の顔なんて見向きもしない。
「話すって何を?」
「なんでもいい。出来れば長い話」
そういってただ、海を真っ直ぐ見つめる佐野奏。
なんだか、この場所は安心した。
だからだろうか。
私の口は勝手に動き出した。
お姉ちゃんが、家に来たこと。
お母さんが離婚してこっちに来たこと。
お母さんがうつ病なこと。
おじいちゃんとおばあちゃんと協力しながら、母さんの面倒を見ていたと言うこと。
そして、今日お母さんから言われたこと。
胸にあったどろどろしたものを、すべて私は吐き出した。
佐野奏は黙って、途中口を挟むこともなく私の話を聞いていた。
海を見つめたまま。
その、真っ黒な、すんだ瞳で。
「お前の母ちゃんも、人間なんだよ」
佐野奏は噛み締めるように、その言葉をこの闇の中へ放った。
私は、佐野奏の言っている意味が分からなかった。
「皆自分が可愛いんだよ。自分を必死に守ってんだ。お前の母ちゃん、母親にまだなれてねぇんだよ」
「……」
私に佐野奏の話は、少し難しすぎた。
だけど、佐野奏はそんな私に構うことなく、言葉を紡いだ。
「自分より大事なもんが出来たとき、人は成長すんだよ。お前の母ちゃんはそれがまだないから、自分を何よりも大事にしちまう。お前にはいるだろ?自分より大事にしたいやつ」
ここで、佐野奏が急に私の方を見てくる。
その真っ直ぐな瞳で。
私が、自分より大事にしたい人。
パッと脳裏に浮かんだのはやっぱり彼だった。
笑ってる彼の顔。
「お前の母ちゃんが、お前を捨てようが、お前には俺らがいんだよ。もう、これ以上悩む必要はないんじゃねぇの?」
そういって佐野奏はゆっくりと立ち上がった。
そして、軽く服についた砂を払う。
胸の奥にさっきまであった、どろどろとした気持ち悪いものがもう今はなかった。
「ほら、帰るぞ」
それだけいって、佐野奏はゆっくりと私の前を歩いて行く。
私は、自分の足で立ち上がった。
そして、佐野奏の大きな背中に言葉を投げ掛ける。
「佐野奏っ!ありがと!」
そう言うと、佐野奏は立ち止まってゆっくりと振り返った。
「奏でいい」
それだけいって、再び歩き出す奏。
私は、そんな奏の背中を追いかけた。
「おう、奏とあかりじゃねぇか!お前ら二人って珍しいな」
私の家の前まで来たとき、輝がちょうど家から出て来て、私たちを見て少し驚く。
「別に……。じゃ、俺帰るから」
奏は相変わらずの様子で、自分の帰り道を歩き出した。
夜空の下、輝と二人きりになるのは、あの日以来だった。
「お前、また海いってたろ?」
そう言ってきた輝の顔は少し怒っているようだった。
「今日は奏と一緒だったし……」
私は、そう言い訳してみたけど、輝の顔はますます険しくなるばかりだった。
「これから夜の海行きたきゃ、俺つれてけ」
「……なんで?」
「なんでも!」
「……わかった」
私が、そう素直に頷くと輝の顔はふっと柔らかくなった。
「で?お前、なんかあったろ?」
「……っ!」
本当に輝はずるいと思う。
なにもわかっていないような振りをして、実は私のことなんかお見通しなんだ。
輝は真っ直ぐと、私の目を見てくる。
その時だった――――。
私の家の玄関が、重たい音を立てて開いた。
私と輝はそろって、その扉に目を向ける。
「お母さん……」
そこにいたのは、私がベットへと連れていったはずのお母さん。
私の声に気がついたのか、地面を見ていたお母さんの顔がゆっくりとあげられる。そして私のほうを見てくる。
その目は、今まで見たどんなお母さんの顔よりも怖かった。
「あら、私をほったらかしにして、どこにいったかと思ったら。男と会ってたのね」
お母さんは、不穏な笑みを浮かべて私をみてくる。
そして、ぎこちない足取りでゆっくりと私に近づいてくる。
動けなかった。
金縛りにあったかのように、私の体は動かなかった。
そして、私の前まで来ると、お母さんは右手を高く上げた。
ぶたれる。
そう思った。
ぎゅっと、私は、目をつむり覚悟をした。
だけど、聞こえてきたのは……。
「あんたさ、何してんの?」
私の頬をぶつ音ではなくて……。
「あんた、こいつの母親じゃねぇのかよっ!!」
輝の怒鳴り声だった。
目を開けば、私とお母さんの間には輝がいて、さっきまで振り上げられていたお母さんの右腕を、輝が握っていた。
「……私が、この子の母親?冗談じゃない。こんな出来損ない。私の子供じゃないわ。私の子どもは百合だけよ」
お母さんのその言葉は、再び私の胸に深く突き刺さった。
やめてよ。
お願いだから……お願いだから……。
もう、これ以上私のことを否定しないで。
輝の前で、そんなこと言わないで。
目の前の光景が一瞬異世界に思えた。
この場から一瞬にして消えたい衝動におかされた。
『お前の母ちゃんが、お前を捨てようが、お前には俺らがいんだよ』
奏のさっきの言葉が私の脳裏に浮かび、私を正気に戻す。
――――その瞬間だった。
パシーンと、大きな平手打ちの音がこの夜の闇に響いた。
前を見れば、倒れ混むお母さんと、右手をさする輝。
「てめぇ、ふざけてんじゃねぇよ!腹痛めてまで生んだ子じゃねぇのかよ。お前はこいつの母親じゃねぇっ!」
輝は倒れ込んだお母さんに向かって、再び怒鳴り付ける。
その瞬間、海瀬家からおじいちゃんとおばあちゃん。
一ノ瀬家から、漁師さんと輝のおばあちゃんが出てきた。
「母親じゃない?あははっ!そんなの知ってるわよ。だからなに?あなたなんかに関係ないでしょ?」
そういって、ゆっくり、立ち上がるお母さん。
「たかが、17、18の子どもがあたしに口出しすんじゃないよ」
「……っ!ふざけてんじゃねえぞっ!」
輝が勢いよく、次は拳を振り上げた。
お母さんは反射的に防御体制にはいる。
だけど、その拳は降り下ろされることはなくて……。
「バカなことするんじゃないっ!輝っ!」
漁師さんが、間一髪で輝のその振り上げられた拳をつかんだ。
「じぃちゃん、離せよっ!」
そういって、輝はもがくけれど、漁師さんのほうが力が強く、輝が抵抗をやめるのも、時間の問題だった。
そして、漁師さんと私のおじいちゃんがアイコンタクトをとって、おじいちゃんのほうが頷いた。
「千智」
おじいちゃんがゆっくりと諭すように口を開いた。
お母さんは、おじいちゃんの方にゆっくりと振り向いた。
「お前はもう大人なんだ。いつまでも真人《まさと》さんを引きずっているんじゃない。お前は、あかりの母親なんだ」
すると、お母さんの目から涙があふれて頬を伝った。
そして、おじいちゃんが、言葉を紡ぐように話を続けた。
「あかりの母親はこの世の中で千智。お前ただ一人しかいないんだ。お前と真人さんの血を分けた子供なんだ。大事にしなくてどうする」
おじいちゃんのその言葉を聞いた瞬間、泣き崩れるお母さん。
気づけば私の頬にも、涙が伝っていた。
そして、輝も落ち着いてきたようで、大きく一呼吸したのが目に入った。
夜風が、私の涙を乾かす。
家から漏れる光だけが、私たちを照らしていた。



