涙の先にある光












七海に、輝のことをよく見ているよう言われて、既に一週間が経った。

ここ一週間で分かったこと。

”一ノ瀬輝”という人物は、良く笑い、良く食べ、良く喋り、良く寝る。
以上。
いたって健康的で普通。

この日も海があたしを癒してくれた。
茜色の海。
暫く、涙は海に落としていない。

というか、海自体に暫く入っていない。
きっとそれは、海に代わるものが私にはできたから。


「……はぁ……」


ため息が漏れる。
浜辺に三角座りをして多分もう30分は経ったと思う。
もうそろそろ帰らなくちゃいけないのは分ってるんだけど、何故か今日はここを離れることはできなかった。

なんとなく、今日ここに彼が来る気がした。


「なんでお前ここにいんだよ」


ほら。
あたった。
私の勘は良く当たる。


「それはこっちの台詞」


私は振り向いて声の主を見る。
輝の顔を見れば自然と笑みがこぼれた。

だけど、その姿を見て少し戸惑う。
今日の輝はいつもの輝と少し違う。


「何その格好。まさか、この時間からまた海潜る気?」


輝の格好は、下は海パン、上は薄いパーカー、左手にはシュノーケール。

そして……。


「まあな」


そういって笑う輝の右手には、真っ赤な大きな花束。


「え、その花束は?」


私は輝の右手に握られた、綺麗な花束を凝視して問う。


「チューリップ!スゲーだろ?」


そういって、輝は自慢げに私に花束が良く見えるよう近づけてきた。
花束の正体は、輝が言ったように、たくさんの真っ赤なチューリップで出来ていた。
いや、チューリップなのは見ればわかった。
私が聞きたいのはそこじゃない。

今から海入るんでしょ?
それだけでも謎なのに。


「なんで、チューリップ持ってるの?今秋だよ」


ちがう。
私が本当に聞きたいのはこんなことじゃない。


「ああ、これか。金ちゃんの姉貴、向こうの島で花屋やっててな、そこは年中チューリップおいてんだよ」


そういって無邪気に笑う輝。
だけどその顔はなんだか少し悲しそうだった。

初めて会ったあの時みたいな顔を輝、あなたは今してるんだよ。


「じゃ、行って来る。あかり、もう帰れよ。俺が上がってきた時にいたら怒るからな。夜の海はあぶねーんだよ」


輝はそういって、また私に笑顔を向けて海へ音を立てて入ってゆく。


――――そんな危ない夜の海に、あなたは花束なんてもってどこに行くの。


その一言がなぜか言えなかった。
言ってはいけない気がした。
これも私の勘。


「うん」


だから私は、そう頷くことしかできなかったんだ。


輝は私の返事が聞こえたのか、片手で器用にシュノーケールを装着した。

そして、左手を高く上げ、私に後ろ向きで手を振ると、茜色の海の中へと沈んでいった。
真っ赤なチューリップを手にしたまま。

帰れよと言った輝。
帰るはずないじゃん。
待ってるよ。
あなたを私はここで待ってるよ。

少しでも長く、あなたと一緒に居たいと思うこの気持ちは我儘に入るのだろうか――――。


「……おい!起きろよ!あかり!」


うるさい。
私が今寝てるのわかんないか?


「……っさいー!」


そういって私は勢いよく起き上がって目を開けた。
そして、辺りを見渡す。

あれ。ここ浜辺?


「俺、お前に帰れって言ったよな?何無防備に大の字になって寝てんだよ」


ため息交じりに言うその声の主は。


「輝、こんな真っ暗になるまで潜ってたの?」


そうだ。
私、輝の帰り待ってたんだった。


「そうだけど。ほら、帰るぞ」


そういって、輝は、立ち上がり、私の手をグイッと持ち上げ、私を立たせた。
 
だけど……。
ヤバい。
いきなり立ったから。貧血だ。

目の前の景色が一気にかすむ。
平衡感覚がわからなくなり、体がぐらついた。


「っと!……おい、大丈夫かよ」


輝に抱きとめられ、間一髪倒れずにはすんだ。

しかし、私の心臓はもう手遅れだった。
輝に聞こえてしまうんじゃないかってくらいに、激しく鼓動していた。

輝は今海パンだけで、上半身は何も着ていない。
微妙に濡れた肌が私の体を抱きしめていた。


「だ、大丈夫!」



私はそういって、自分の体から輝を突き放した。
これ以上はやばいと思った。
きっと私の顔は、今赤ちょうちんのように真っ赤なんだと思う。

真っ赤……あれ。
そういえば。


「輝、花束は?」

「ああ、おいてきた」


置いてきた?
……海の中に?


「まあ、お前に関係ないことだし、本当にお前もう大丈夫か?」


そういって、輝がグイッと私に詰め寄ってきて私の顔を覗き込もうとした。
だけど、私は反射的に後ろへと素早く下がる。


「大丈夫だって!」


そういって、私は輝を置いて、先に家の方へと歩き出した。
輝はそのあとをついてきて、そのうち私の隣に並んだ。


「なぁ」


右隣から輝の低音ボイスが、私の耳をくすぐった。


「ん?」

「お前最近変じゃね?」

「そんなことない」


輝がグイッと一気に私との距離をつめてくる。
それを私は反射的にとらえ、咄嗟に輝と距離をとる。


「ほら、俺のこと避ける!」

「避けてない!」

「いや、避けてる!」

「避けてないってば!」

「お前さ、俺、夜の海は危ないから先に帰れって言ったのに、お前何故か待ってるし。だけど俺がこうやって近づこうとすれば、お前俺のこと避けるし。意味不明」

「あれは……」


あれは……っ!
この天然ボーイが!
あれは、少しでも輝と一緒に居たかったからで……。


「なんだよ」


そういって、輝はシュノーケールをぶんぶん振り回して、ついている水滴を取りながら、私に追い打ちをかける。

なんていえばいいの。


「それは……」

「あ、おい!空みろよ!」


必死に伝える言葉を模索している中で、輝は私の言葉を阻んだ。
そして、私たちの真上に広がる空を指差した。
 
思わず足を止めた私たち。
そこには……。


「……綺麗……」


思わず声が漏れる。
満天の星空が広がっていた。


「今日新月で、月明かりないから、星が綺麗だな」


そういって、空を見上げる輝の顔には笑顔が戻っていた。

輝は知っているのだろうか。
この星の光を目にすることが出来るということが、どれだけの奇跡なのかということを。
何億光年という計り知れない時を越えてこの星たちは、今あたしたちの目にうつる。
人と人が出会ういうこも、もしかしたら、それと同じくらいの奇跡なのかもしれない。

輝と私が出会えた奇跡。
輝の笑顔に恋をした私。
あの初めて会った瞬間。
あの時すでに私はその笑顔に捕らわれたんだと、今になってやっとわかる。

今なら言える気がする。
ただ、純粋にこの気持ちを伝えたいと思った。
変にごまかす言葉を模索するのはやめにしようと思った。


「輝。私、あなたが好きだよ」


輝の視線が、ゆっくりと夜空から私へと向けられる。
その顔にはもう笑顔はなかった。


「それって、友達としてってことだろ?」

「違うよ」


違う。
その好きじゃない。

輝の視線が少し下がった。
その表情をみて、これから輝が言う言葉はもうわかってしまった。


「お前のその好き、俺は受け取れない」


うん。やっぱり。
人生初の告白だったのにな。
夜空に響く、輝の凛とした声。


「うん」


何て返せばいいのか分からなくて、私はそれだけしか言えなかった。
 
輝の真っ直ぐな瞳が私を見てくる。
その瞳は、この闇の中一段と澄んでいた。


「俺は、もう恋なんてしない。だから俺に期待すんな」


”もう”っていう輝の言葉が私の中で引っ掛かった。
そして、心の中に重い鉛のようなものががドスンと落ちた。

ああ、これが世に言う失恋ってやつ?
この心が痛いって、こういうことか。

もう、家は目の前。
私は、輝に背を向け、家の玄関へと足を進めた。


「あのさ」


玄関に手をかけたとき、私の口が勝手に開いた。


「ん?」


輝の声は、素早く返ってくる。
あれ、私何言おうとしたの?


「な、なんでもない。おやすみ」

「おう、またな」


そういって、私は玄関の扉を開けてしっかりと閉めた。

今さらだけど……本当に今さらって感じだけど……。
告白……しなきゃよかった。

今もあたしの胸には何か矢のようなものが刺さっている感じがして、ズキズキと胸が痛んでいた。

ああ、明日、どんな顔で会えばいいの。

私は暫くその場でしゃがみ込み、胸の痛みに耐え続けることしか出来なかった。