✳





 「わあぁぁぁぁぁあ……! 藤青学園っ!」

 青空の下、たくさんの声援がスタンドから聞こえてくる。

 9回裏。
 こちらからの攻撃で2アウト満塁。
 点数は1対1。
 バッターは主将の川原先輩。

 「ふぅ……」

 先輩が大きくネクストサークルで深呼吸をするのが分かった。

 先輩……緊張してる。当たり前か……。
 ここで打てばサヨナラだ。こんなところで私たちは負けていられない。目指すのは甲子園という大舞台。
 
 川原先輩はネクストサークルでゆっくりとバットを握り直し、立ち上がる。

 「先輩!ここで負けたら私、青に笑われます。勝ちましょう」

 私はベンチから精一杯川原先輩にそう叫ぶ。
 どうして青のことが口をついて出たのか、自分でも分からない。けれど、それだけは絶対に負けられない理由だった。

 川原先輩はネクストサークルからこちらを振り返り、
 目を細め、優しく微笑んだ。
 その笑顔に、私の胸の奥にあった不安は、ふっと溶けた。

 『3番、ファースト、川原君』

 「わぁぁぁぁっ!川原っ、かっとばせぇ~!!」

 周りの声援は大きくなる。
 きっと、川原先輩のプレッシャーも大きくなっているだろう。

 でも、きっと大丈夫。なんたって、彼はこの野球部の大黒柱なのだから。
 こんなことでは潰れない。私たちが目指すのは、まだ遥か先なんだから。

 __カキーン……

 白いボールが青空へと弧を描き、ゆっくりと吸い込まれていく。

 サヨナラホームラン。

 「わぁぁぁぁぁあ!!!」

 一瞬の静寂のあと、歓声がスタンドを揺らした。
 声援は今日一番の盛り上がりとなる。
 ああ、まだ始まったばかりなんだ――――。





 ✳





 「青、私たち明後日決勝かけた試合だから。本当に青はバカだよ。……本当に……バカ」

 その後も私たちは勝ち続け、ついにベスト4に駒を進めた。
 明日は決勝戦をかけた試合が行われる。念入りにミーティングをし、私たちは明後日の試合に備えた。

 私はその帰りに病院により、今青のところにいる。
 青に聞こえるはずもない私の声。
 そんなの分かっているけど、話しかけられずにはいられない。きっと、私が報告しなかったら、青は怒るから。

 青の手は相変わらず、私に握られるばかりで私の手を握ろうとはしてくれない。
 そのたびに、悲しくなるけど、青の手は私を幸せにしてくれる。

 私のことを守ってくれた、温かくて大きな手。
 あの時、私をかばって突き飛ばしたのも――
 泣きそうな心を支えてくれたのも、この手だった。

 今日も私は勇気をもらう。
 明後日……勝つから。私は、青の手をそっと私のおでこにつける。

 絶対に……勝つ_______。





 ✳





 「…っ!監督……このままだと……」
 「ああ、でも頑張ってもらうしかない」

 9回裏。
 こちらの守備で、2アウト満塁の大ピンチ。
 点数は2対2。
 投手の舟橋先輩はもう限界。もともと肩に怪我をしている先輩。

 先輩の肩はもう……。これ以上投げるのは危険すぎる。
 きっと監督も分かっている。

 だけど、この場を凌げるとしたら先輩の他にはいない。
 難しい選択が迫られる。

 「……駄目だ……舟橋を下げる。赤坂……お前が行け」

 監督はポツリと言う。

 きっと監督の判断は正しい。先輩の野球生命を守るための決断。

 代わりの赤坂巧(あかさかたくみ)は1年生。
 野球のセンスはあるがまだまだ荒削り。試合で投げるにはまだ早すぎる。

 しかも相手は4番バッター。
 こんな大事な場面で、自分が投げなければいけない。そのプレッシャーは計り知れないものだろう。

 舟橋先輩がベンチに戻ってきた。顔には、涙が一滴頬を伝っているのが見えた。

 先輩……悔しいんだ。当たり前か……。最後まで投げさせてもらえなかったんだから。

 「……っ!すいませんでした。俺が不甲斐ないばかりに、巧に任せなければいけないことになって……」

 舟橋先輩は私たちの前で深々と頭を下げた。

 「先輩……。俺チャンスだと思ってますから。なんで謝るんですか?俺の見せ場作ってもらって感謝してるんすよ」

 巧が優しく先輩の肩に手を置いた。

 巧の声はわずかに震えていた。だが、その瞳は前を見据えている。自らを奮い立たせ、強さを演じようとしていた

 「……俺、青が羨ましかったんすよ。」

 ほんのわずかな沈黙のあと、巧は続けた。

 「同じ一年生なのに、あいつは……俺よりずっとうまかった。試合にも出て、このチームのエースになった。俺は、ベンチに座るだけだった。悔しかった。悔しくて、たまらなかった。だけど……。青があんな目に遭った。俺の目標が、いきなり、目の前から消えたんです。……だから、俺、決めました。青が目を覚ましたら、絶対に焦らせてやる。だから……絶対に抑えます」

 巧の目は、遥か先を見ている。もう、迷いはなかった。

 そうだ、私たちはここで終わるわけにはいかないんだ。

 巧は前へと歩き出す。マウンドへと。憧れの舞台へと。

 だけど背中はまだ強張っていることを私は見逃さなかった。
 私は巧の高い肩に手を置く。

 頑張れ……巧。

 心の中でそう呟く。
 巧は少し驚いた顔で振り返り、また笑顔になる。

 そしてまた歩き出す。青空の下へ。
 あの、ピッチャーの舞台へ。

 「巧ー!絶対に抑えろっ!」

 ベンチから、野球部が必死になって叫ぶ。

 私たちの戦いは……まだ終らない。
 まだ終わらせないっ!