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雪が舞う季節。
白く閉ざされた空を見上げるたびに、あの青空が恋しくなる――そんな冬は、いつもより少しだけ心がさみしくなる。
「あ、空空!見て見て!藤青がセンバツ出場決めたって!」
読書していると、美和が新聞を片手に、勢いよく病室に入ってきた。
「うん、知ってるよ」
私がそういうと、美和は力が抜けたのか、ベッド横の丸椅子に腰を掛ける。
「今日は学校休みだもんね」
私がそういうと、美和は、あはははっと笑いだす。
夏の大会の時、美和は学校があるにも関わらず、今日のように新聞を握りしめて、私の元へ走ってきてくれた。
青のことを知らせるために。
「あ、そういえば、うちの高校も決めたんだよ?センバツ。我ら会長率いる、将星もね」
美和が自慢げに言ってくる。
「そういえば、会長、生徒会長に昇格したんでしょ?」
「そうそう、今や下級生の間じゃアイドル扱いなんだから」
美和の顔が、少し暗くなる。
「不安なの?」
「……悪い?」
すねている美和を、私は可愛いと思ってしまう。
あの夏の甲子園が終わってすぐ、美和は会長に告白されたらしい。
美和は当時は眼中になかったらしいが、その後、会長に惹かれ、付き合ったとか。
正直2人が羨ましい。だって、会いたいと思ったら、美和は会えるから。
私は___ふと、病室のコルクボードに目をやる。
青空だけの写真が数枚貼ってあるコルクボード。
全て、青から送られてきたもの。
この空を通じて私と青はつながっているから大丈夫。
私は自分にそう言い聞かせて、美和のほうを見る。
「会長と仲良くね?」
「たまに、喧嘩するけど……。まぁ、仲良くやってるよ!」
そういって、美和はにかっと笑う。
私もつられて笑ってしまう美和の笑顔。
病室の扉を開ける音。
「おお、美和。やっぱここにいたっ!」
会長だ。
しかも、部活終わりなのか、ウインドブレーカーを着ていた。
「え、なんか用?」
そう言いながらも、美和の頬が、ほんのり赤く染まっている。
「ん、ちょっと飯食いに行かね?俺のお祝いっ!」
「え、今私来たところだし……」
「空も一緒に行こうぜ?」
え、私も? それは嬉しい。でも、なんだか二人の時間を邪魔するみたいで……胸の奥が少しだけチクリとした。
「あ、それいいね!行こうよ空!外出許可なら出てるんでしょ?」
「あ、うん。まぁ……」
前科があるため、この手の嘘はつけず、正直にそう答える。すると、美和の顔がぱぁっと明るくなった。
「じゃぁ、おしゃれしてこ。ってことで誠ちょっとでてってー」
美和は、有無を言わさず会長を部屋の外へ追い出し、私のクローゼットを開け始めた。
「んー、これと、これ、それから……よし、これね」
美和は迷いなく服を選び、次々と私に放ってくる。まるでコーディネーターのように。
私は美和に渡された服に素直に着替える。
美和が選んだ服は、大人っぽい白黒のワンピースに下はタイツ。そして、白のコートを着て完成。
靴はヒール低めのロングブーツを私に渡した。
そして、最後にウィッグを付け、顔色をよくするため、化粧をする。
化粧はさすがに、いいって言ったけれど、美和がしたいって言うため、仕方なく鏡に向かう。
すると、美和は慣れた手つきで、私の顔に色々塗ってくる。
そして、あっという間に化粧は終了した。
「……化粧でこんなに変わるもんなの?」
私が、自分の顔に驚きながらそういうと、美和は私の隣でニコッと笑った。
「私のお母さんが、化粧品会社の人だから、いろいろ教えてもらうの」
「なんか……。私じゃないみたい」
「空は、元がいいから、化粧かなりの薄めだよ」
「え、これでも?」
「うんうん。じゃあ、誠待たせてるしいこっ!」
美和は私の手をゆっくりと引いて、病室を出た。
そこには、会長が壁に寄りかかって、私たちを待っていた。
「お、空。びっくりした、綺麗になったな」
会長が、笑顔で微笑んでる。
「空は元から綺麗だけどね」
「おまえは相変わらずだな」
「どういう意味かなー?」
「ご想像に任せる」
会長と美和の軽妙なやり取りを見ていると、ふと、胸の奥がじんわりと温かくなる。
その反面、ほんの少しだけ、寂しさも――。
「空、いこっ!」
そういって、私の手を引っ張る美和。
そのあとで、微笑みながら会長がついてくる。
「どこいくの?」
「ん?秘密っ!」
美和はいつも以上に楽しそうにそう笑った。
美和に惹かれるがまま、私たちは病院を出た。
「よーしっ!ついたよ!」
美和が立ち止ったのは、以前二人で行ったカフェ。
「おいおい。お前、好きだよなここ……」
会長があきれ顔で、店を見上げる。
「だって、ここのパフェ美味しいんだもんっ!」
「ったく……。まぁいいけど」
そういって、会長を筆頭に私たちは店に入った。
「いらっしゃいませー」
店の人が、笑顔で出迎えてくれる。
店に響く声。あの時と全く変わらない、レトロな雰囲気が漂う店内。
「あら、誠。あんたまた来たの?」
どこからか聞こえてくる声。
「……やっぱりいたし」
会長がぼそっとつぶやくのが聞こえる。
店の奥から出てきたのは、すらっとした身長で、スタイル抜群の綺麗な女の人だった。
「あ、こんにちはっ」
美和は笑顔でその人に向かって挨拶をする。
「あら、美和ちゃんじゃないっ!また来てくれたの?ありがとう。本当、誠のこといつもありがとうね」
女の人は、美和に微笑んだ。
笑顔がとても柔らかい人だった。だけど、目元の形や声のトーンが、どこか会長と似ている。
「あ、空は初めましてだね?誠のお姉さんの七恵《ななえ》さん。このカフェの店長さん」
合点がいく。
どおりで会長に似てるわけだ。
「あ、こんにちは」
私はぎこちなく挨拶をする。
「あら、こんなかわいい子、誠の学年にいた?」
七恵さんは、会長のほうを見て、首をかしげる。
一つ一つにしぐさがとても女性らしい。
「ああ、1年前くらいにこっちに転校してきたんだよ。前にも姉貴の店来たらしいぜ?」
「あ、そうなの。じゃあ、空ちゃんだっけ?誠をよろしくね?」
七恵さんは、にこっと笑って、店の奥へと戻っていった。
「さて、私の好きな席はっと……。あ、空いてた!ラッキー!よし、食べよ食べよっ」
そういって、美和は窓際の奥の席に座る。
以前と全く同じ席。
私は一番窓際に、美和は、その向かいに、会長は美和の隣に座った。
「空、決まった?私いつものだし、誠も?」
「おう、俺いつもので」
「あ、私も、前と同じやつでいいよ」
「おっけっ」
そういって美和はスムーズに注文をしていく。
「なんか、久々だな?こうやって3人が顔を合わせるのは」
会長が、水を一口飲んで、話を切り出す。
確かに、甲子園が終わって私は、一時期登校許可は出たものの、2週間でとんぼ返りだった。
それからというもの、美和はちょくちょく病室に来てくれたが、会長は部活のためなかなか来れなかった。
ここ数か月、ずっと部活三昧だったらしく、美和ともデートする時間もなかったらしいから。
美和は、なんで告白しやがったんだって怒ってたけど。
そのおかげで、今回のセンバツ出場権をつかんだのかなって思う。藤青に負けたのが、相当悔しかったんだろう。
「いつか、青くんも誘って、ダブルデート……なんてね」
美和が私に無邪気に笑う。
「うん……その日が来たら、いいな」
美和も最近、野球にはまったらしく、よく私に質問に来る。
たぶん少しでも会長と話したいからなんだろうなって思う。
そういうところ、素直じゃないなって思いつつも、微笑ましくて――
「おまたせしましたー!」
店員さんが、パフェを運んできた。
色とりどりのフルーツがトッピングされたパフェ。前に来たときと、まったく同じ。
「わぁっ、やっぱり美味しそう……!」
目を輝かせる美和の顔に、思わず笑みがこぼれる。
私も、スプーンを手に取って一口すくった。
「……うん、美味しい」
口の中に広がる甘さ。どこか懐かしい味。
あの夏、青と一緒に過ごした日々をふと思い出す。
「空、また来ようね。今度は青くんと一緒に」
美和の何気ない一言に、胸の奥がきゅっと締めつけられた。
でも、私は笑顔でうなずく。
「うん、来たいな。絶対に」
そう言った自分の声が、少しだけ震えていたことに、自分で気づいてしまった。
だけど、二人は気づいていないふりをしてくれていた。
会長が、ふっと笑って言った。
「じゃあ、次は野球のシーズンが始まったらな。今度は俺たちの試合、観に来てくれよ」
「うん。楽しみにしてる」
私は、パフェをもう一口食べながら、空を見上げる。
冬の空は白くにごっていたけど、どこか優しくて――
いつかまた、青空が見える日が来ると信じていた。
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「もう、美和早く!」
「待ってってば……。ここのアイラインなんかうまく書けないんだよ」
「誰も見てないよ」
「見てる見てるっ!この後青くんに会うんでしょ?ほら、もうちょっとの辛抱だからっ!」
私は今、病室にある鏡の前に座らされて、美和に化粧をされている。
今日は甲子園初日。青と会長との試合だ。
やっぱり、会長と青は戦う運命なのかなって、ふと思った。
会長は、『前は負けたけど、次はまけねぇ!』ってやる気になってた。
「よし、完璧っ!青くんびっくりしちゃうよ」
そういって、美和は鏡の向こうで満足そうに笑っている。
「よし、いこいこ!」
そういって美和は私の分の荷物までもって駆け出す。
私も、そのあとを追う。
病院を出た瞬間。
春の風が、私が外に出た瞬間吹き出す。
今日は青空。やっと、青と2人で同じ場所からこの青空を見上げることができる。
「青くん応援団しゅっぱーつ!」
美和が片手をあげて、私に向かってにやっと笑う。
「会長の応援は?」
「あ、そうだった!」
そういって無邪気に笑う美和に私もつられる。
久々に、青の野球する姿を見られる。
心臓がドキドキと高鳴って、興奮しているのが自分でもわかった。
「「「ふーじせいがーくえんっ!」」」
甲子園球場から聞こえてくる、藤青の応援団。
この声を聞くと、ああ、甲子園に来たんだなって実感する。私の心臓が今までと比べ物にならないくらいに高鳴りだす。
「よし、もう席はとってあるし……。あ、でも将星のアルプスだけど……」
美和が申し訳なさそうに私に向かっていってその時。
「あ、空空!!」
後ろから私を呼ぶ声がする。
振り返ると、私の知っている人物がそこには立っていた。
「愛梨……」
「うっわ!めっちゃ可愛いよ空!」
そういって私を見てはしゃぐ彼女。
「あ……もしかして同じ学校だった子?」
美和が、静かに私に耳打ちしてくる。
「あ、うん。青がいなくなったときに、私を支えてくれた子」
私の言葉に安心したように、美和も笑って愛梨の前に立った。
「私、将星高校の西村美和。よろしくね」
「私は藤青学園高校の川辺愛梨。こちらこそよろしく」
その姿は、どこかほほえましかった。
愛梨と美和が互いに挨拶を終えると、私の方を愛梨はまっすぐ見てきた。
「空、よかったらこっちで一緒に見ない?念の為、藤青側にも席取ったの。なんだか今日会える気がして」
愛梨の問いに、隣にいた美和も私の目を見る。
「どうする空?」
迷う私に、愛梨は少し言いにくそうにしながらも、口を開いた。
「藤青のみんなは空の今の状態知っていて、皆ではないけれど空のこと心配してた。だから……できれば私たちと一緒に相原くんを……藤青野球部を応援してほしい」
愛梨が、言葉を選びながら必死に私にそう話してくれた。
美和は私の隣で頷いてくれている。
「私、藤青のアルプスで応援する」
私がそういうと、2人とも満足そうに笑ってくれた。
そして、愛梨は「行こう」と笑って手を引いてくれた。
美和は、私の肩を軽くトントンと叩いてから、私とは反対の方向へと向かっていった。
「ついたよ」
愛梨が足を止めたアルプス席には、昔私に嫌味や悪口を言っていた人たちがいて、一瞬足が震えた。
……心が一気に沈んだ気がした。
あのときはまだ平気だった。
あの頃の私は、生きているだけで精一杯だった。
青が目を覚まさなくて、灰色の世界だったから。
「水木さん……」
スタンドに座っていたある一人の女の子が口を開く。
「あ、出るところ間違えた。こっちだよ、空」
そういって愛梨は状況を察して私の手を引っ張り、私はその子に背を向ける形になった。
「待ってっ!謝りたいのっ!」
その子の声が愛梨の足が止める。
私の足も止まり、その子に背を向ける形で私たちは立っていた。
「本当は、怖かったの。あなたのこと。何考えてるかわからなくって、どう接すればいいかわからなくて、怖かったの」
そういって、その子嗚咽を漏らしながら話し続ける。
私は、何も言えなかった。だって、事実だから。昔から私はそうだったから。
「だから何言っても傷つかないだろうなって、勘違いしていろんなひどいこと言った。謝って済む問題じゃないけど____本当にごめんなさい」
私は愛梨の手を離し、振り返ってから、泣いているその子の前でしゃがみこんだ。そして、顔を覗き込む。
「私もごめん。____昔からそうなの。怖い思いをさせたことは本当に私もごめんなさい」
そういって私はハンカチをそのこに差し出した。
すると、その子は勢いよく立ち上がる。
「水木さんは、謝らなくていいんだよ!謝るのは私の方だよっ!……ごめんね。あんなこと言って……。感情ないんだよとか言って……。一番苦しかったのは、水木さんなのにっ」
そういって、その子はまた、ポタポタと涙を流す。
この子もきっと苦しかった。私に、悪口を言ったことで、後から自分も傷ついてしまった。_____この傷をふさぐことができるのは、私しかいない。
人の心を傷つけるのが、人の心だとしたら、人の傷ついた心をいやすのも人の心。
「ありがとう。謝ってくれてありがとう。私はもう大丈夫。ちゃんと今を必死に生きているから。私今、幸せだから」
そういって私はその子に笑ってみる。
するとその子は、少し驚いた後に、優しく笑ってくれた。
「じゃあ、また」
私はそういって、愛梨の方へゆっくりと歩く。
「空、なんか成長した?強くなった?」
愛梨が、私を見て優しく笑う。
「まあね」
私はそういって愛梨に笑い返す。
こうやって、笑うことも普通にできるようになった。
感情が表に出るようになった。
藤青の生徒の中には私のことを冷たい目で見る人もいるけれど、さっきの女の子のように私のことを理解してくれた人もいる。
そして、今はこうして再び私の手を引いてくれる愛梨がいる。
何も怖いものなんてない。
なにも恐れることはない。
堂々と生きていればいい。
「はい、空、座って」
そういって、愛梨は私を先に座らせてくれる。
藤青の制服に囲まれた中で、私の私服は良く目立つ。
ちょっと、恥ずかしかったけれど、愛梨が隣にいてくれるなら大丈夫。
目の前に広がるグラウンドには、選手が最後の最終確認にはいっている。
青の姿は見えないけど、きっと、私の死角できっと練習しているんだろう。
もう少しで始まる、熱い、熱い戦いが。今度こそ、私は最後まで見届ける。



