✳
「あ、お父さん。来てたの?」
検査を終えて病室に戻ると、お父さんがベッドの上に座り、テレビに釘付けになっていた。
もちろん、見ているのは甲子園。
青のいる藤青と浪将の試合だ。
浪将は、私の分析では攻撃型のチームだけど、青の豪速球を打てるとは思えない。
青がいつも通りなら、藤青が勝つ――そう信じていた。
「……青たち、負けたよ」
父が悲しそうに、私の顔を見ずに言った。
私は車イスを止めたまま、病室の入口で凍りついた。
……え、今なんて?
負けた?浪将じゃなくて?
「青が……投げてない。たぶん、肩を途中で痛めた」
またお父さんの声が聞こえる。
テレビから流れるのは藤青の校歌じゃなかった。
理解するのに時間がかかった。
青が……青が投げてない?
そして、負けた?
「……っ!」
私は、気づいたら立ち上がっていた。
そして、病院の廊下を駆け出す。
後ろからお父さんが叫んでいるのが聞こえた。
けど、そんなの関係なかった。
「負けるなんて、聞いてない!」そんな思いが全身を突き動かした。
私はパジャマ姿のまま、病院を飛び出した。
「……はぁ…はぁ…はぁ…っ!」
久々にこんなに走った。
心臓がバクバクして、胸が熱くなる。
早く……早く行かないと。
負けたらぶっ飛ばすって言ったのに!
なに負けてんの、バカ!
私が足を止めたのは甲子園球場。
通りすがる人は私のことを変な目で見てくる。
当たり前か。 入院患者の服装で来てるんだし。
だが、そんなのは今の私にとってはどうでもよかった。
……私は、息を整えて、甲子園球場に入る。
飛んできたはものの、藤青の選手一人見つけるのも大変な規模。
この中から、私は青を見つけないといけない。
私は、ただただ、球場をぐるぐる回っていた。
「空?」
探すことに疲れが出てきた時、私を呼ぶこえがふと聞こえた。
私はゆっくりと振り返る。
「巧……!」
そこには、疲れきった顔をした巧の姿があった。
「もしかして、青に会いに?」
「……うん。青、どこ?」
「青なら、肩を痛めて今病院向かったよ」
「病院って……私のいる?」
「多分。近いしね」
「そう……ありがと」
私がそういうと、巧はぎこちなく笑った。
「そう言えば、なんで巧だけここにいるの?他の皆は?」
「ああ、他の皆は今記者に対応してるよ。空、来るかもって思ったんだ。きっと青をぶっ飛ばしに来ると思ってさ」
巧はそういって、今度はいつもの巧の笑顔に戻る。
私もつられて笑顔になる。
「よくわかったね?」
「負けたらぶっ飛ばすは、空の口癖だからな」
「……ふふ、なんだか懐かしいね、この感じ。ありがとう、巧」
私は、そういって巧に背を向けた。
そして、甲子園球場の出口へと急ぐ。
風が気持ちいい。
まるで私の背中を押してくれているようで。
まるで、私に味方してくれているようで。
まるで、私と青を早く会わせようとしてくれているようで。
「はぁ…はぁ…はぁ…っ…」
病院に入るなり、外科のセンターへと走る。
一通り病院の構造は理解している。
「あ、走らないでーっ!」
そんな声が聞こえるけど、今は聞いている余裕はない。
「はぁ…はぁ…はぁ…っ!着いた……」
青は?
青は……どこっ!
皆、私のことを不思議そうな顔で見てくる。
汗だくで、病院内を駆け回っている患者なんて、早々いないだろうから。
私は、辺りを見渡すも、青の姿はない。
なんで?
今、診察中とか?
「あ、あの……」
私は、勇気を振り絞って、近くにいた看護師さんに声をかけた。 もちろん、看護師さんは持ち前の営業スマイルで対応してくれる。
「どうかなさいましたか?」
「ここに、相原青って人来ませんでしたか?多分、野球の格好してると思うんですけど……」
「その方なら、少し前に診察を終えられて……もう病院を出られたかと思います」
うっそっ!
あと、一歩遅かった…… 。
「ありがとうございましたっ!」
私は、軽くお辞儀をして、再び走り出した。
「あ、病院内では、走らないでっ!」
後ろから再びそんな声が聞こえるけど、今の私は、そんな注意1つでは止められない。
私は、病院内にいる人と人の間をスルスルと通り抜け、やっとの思いで外に出た。
えっと、青のホテルは……あっちかな。
私は、再び走り出す。
止まるなんて言葉は、今の私にはなかった。
しばらく走ると、目の前に野球の格好をした青年の後ろ姿が目にはいる。
誰かは一瞬にして分かった。
ずっと私が追い続けた後ろ姿。
私が分からないわけがない。
「青っ!」
頭で考えるよりも先に叫んでいた。
すると、振り返る青年。
ほら、やっぱり。
私は、急いで駆け寄った。
そこにいたのは、いつもの青じゃなかった。まるで夢から覚めたばかりの、笑い方を忘れた小さな少年のように見えた。
「はぁ…はぁ…はぁ…っ!青っ……青っ!」
私は、必死になって青の肩を掴んで体を揺すってみるけど、青は、人形のように固まったまま。
なんでよ……なんで、黙ってるの?
言い訳一つぐらい言ってみなよ。
なんで、なにもいってくれないの。
気持ちが溢れて、嗚咽が漏れる。
私の目からは自然と涙が溢れてくる。
自分でもなんで泣いてるのかわからない。
泣きたいのは、きっと青のはずなんだけど。
「なんで______空が泣くわけ?」
青の声は優しかった。
辺りは驚くほど静かに感じた。
車も通っているはずなのに、周りに人はたくさんいるのに_____静かに感じた。
「汗だよ……っく…」
私は、青のユニフォームを掴んだまま、下を向く。
涙が……止まらない。
なんで……止まってよ。
「俺をぶっ飛ばすんじゃなかったのかよ」
そうだよ。ぶっ飛ばしに来たんだよ。
私は、ぐっと顔を上げた。
「そのつもりで来たよっ!だけど……青がそんな顔してるから、ぶっ飛ばそうにもぶっ飛ばせないんだよっ!」
「殴れよ……。俺のせいなんだよ。あの試合、俺のせいで……っ!」
青が下を向く。
「そうだよ!青のせいだよっ!青が……一人で抱え込んじゃったから」
声が震える。
「……っ!」
青は、顔をあげ、真剣な目を私に向けてくる。
私は、青を掴んでいた手を離し、青の目を見た。
私の涙はいつの間にか止まっていた。
「青、自分の肩が限界って気づいたとき、チームを信じようと思った?」
「いや……」
「野球って、グラウンドに出てる人だけでやってるわけじゃないんだよ?ベンチ控えているチームメイト、ベンチにさえ入れないチームメイト、応援団の皆がいるから野球が出来るんだよっ!忘れたの?青っ」
「……いや、忘れてねーよ」
「なら、なんで青の変わりにピッチャーをした舟橋先輩を信じられなかったのっ?青、自分のことで頭が一杯で、下でも向いてたんじゃないの?」
別に、試合を見なくたって、青の行動くらい予想がつく。
「ああ……」
「それで、何が甲子園優勝だよ!チームを信じなくてよくそんなことが言えたよっ」
頭で考えるよりも先に言葉が出る。
感情を抑えることが出来ない。
「……くっ…」
青の顔は見えなかったけど、ポツリと、涙がアスファルトに落ちた。その音が、胸に刺さった。
一生懸命頑張って来たからこそ流すこの涙。
きっと、青の力となってくれるはず。
きっと、青は這い上がってくるでしょ?
こんなところで、青は負けない。
「青、春にまた来よう。センバツで、この場所で。今度こそ、勝とう」
約束をしよう。
未来の約束。
私はあなたを信じるよ、青。
「ああ、絶対に……。成長して戻ってくる」
青は、無理矢理涙を拭い、私の目をまっすぐ見た。
「うははっ、青、ウサギみたいーっ!」
青の目は泣いたせいで真っ赤になっていた。
「お前、人のこと言えるのかよっ!」
「え、私、普通だし。青の目がおかしいだけ」
「んなわけあるかよ!」
私たちは、いつの間にか笑っていた。
こうやって、二人でこの先も歩んでいきたい。
時間の許す限り、私らこうやってあなたを何度でも立ち直らせるから。こうやって、支えていくから。
私たちは、そのまま帰り道を歩いた。
青は、私の手を優しく握ってくれた。
「なんか……久々じゃね?こういうの」
青は前を見ながら、繋いだ手をさらにぎゅっと握った。
「確かに」
私も青の手を握りかえす。
「また、お前と暫く会えなくなるな」
また始まる君のいない時間。
だけど……不思議と不安は感じなかった。
「うん。青、授業中寝ないでよ?」
「え?それは、不可能」
「そう言うと思った」
「お前、浮気すんなよ?特に川崎とか!」
「え、会長?ないない。あのときは、たまたま男子で会長しか思いつかなかっただけだし」
「……ふーん」
そういって、青が口元を強く結んだのが分かった。
そして、青はそのまま思い出したように「あ!」と口に出す。何かと思って青の方を見ると、青はキラキラとした瞳で私の方を見てきた。
「……なぁ、俺らさ、手紙交換しねぇか?」
何を言い出すかと思えば、青らしくない提案に、思わず笑みが溢れ、私は足を止めた。青も私に合わせて足を止める。
「空、笑ってるのバレバレだから」
青の顔が赤くなったのが分かった。
「いいよ。手紙」
私がそういうと、青は笑顔になる。
青はきっと、私が病室でスマートフォン自由に使えないからって、手紙にしようと言ってきたのだろう。
「じゃあ、空からな?俺、前書いたし」
「わかったよ。青、ちゃんと読める字で書きなよ?」
「おう、任しとけ」
青、あなたと二人ならこの先も大丈夫な気がする。
遠距離になろうが、私たちは、大丈夫な気がする。
私たちは、この空を通じて繋がっているから。
空を見上げれば、青のことを思い出すから。
空はいつも、私たちのそばに居てくれるから______。



