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「森本先輩!かっ飛ばしてください。チームのために、キャプテンとして──」
森本先輩がベンチを出て行こうとしたとき、俺はそう言った。
本音を言えば、俺がバッターボックスに立ちたかった。
負けるなら、俺が空振りか、フライをとられて負けたい。
そしたら、俺が練習して上手くなればいいこと。
でも、それじゃ野球じゃない。
皆で戦うから、野球なんだ。
だからこそ、先輩には打ってもらわなきゃ困る。
生意気かもしれないが、それが俺の本音だった。
先輩の目の色が、その瞬間、変わった気がした。
バッターボックスに先輩が立った時、夏樹と巧に押さえられながら、それでも俺は必死に叫んだ。
「かっ飛ばせっ!」
まだ負けたくない。
まだここで野球がしたい。
空に、勝つ瞬間を見せてやりたい。
――――そういう意味も込めて。
だから、先輩が打ったときは、自分がホームランを打った時よりも嬉しかった。
だけど、試合をする時間が少し長くなっただけで、まだ俺らがピンチなのには変わりはない。
次のバッターは……後輩の田辺玲《たなべれい》。
かなりの実力者で、1年ながらレギュラーを勝ち取った。
「相原先輩っ!かっ飛ばしてくるんで任しといてくださいよ」
そういって、玲はグラウンドに出る。青空の下へ出る。
玲は、スタートの調子は悪いものの、後半は集中してきて、打率が高くなる。
カキーン
玲のバットが、狙いすましたようにボールをとらえた。
ホームランまではいかないが、守備のいない方へとボールを飛ばした。
「セーフっ」
審判の声が再び球場に響く。
点数は動かず5対9のまま1、2塁。
これで、きっと流れは藤青。
このまま、流れを止めずに、点数を追い抜きたい。
その後も何とか藤青は得点をつないだ。
そして気がつけば、既に点差を一点差まで縮め、8対9。
『4番、ピッチャー、相原君』
ついに、俺の番が来た。
やっと打てる、そんな嬉しさと。
打てなかったら、そんな不安とが絶妙に混ざり合う。
だけど、やっぱり……わくわくする。
「ふーじせーいのあおとはー、おーまえーだー」
藤青のアルプスからそんな応援歌が聞こえてくる。
いつの間にそんな応援歌作ったんだよ。
俺の口元がふっとゆるむ。
それでは、皆さんの期待に応えて、藤青の青になりますか。
俺はバッターボックスで軽くバッドを振る。
そして、構えて、岩崎を睨む。
きっとこいつは攻めてくる。
ということは、あの球がくるはず。
岩崎のウイニングショット。
川崎が、あれは覚えておけと口酸っぱく言っていた、岩崎の勝負球。ギリギリのアウトコースに沈む急カーブ。
ここで、ウイニングショットを投げなかったらいつ投げる。
岩崎が大きく振りかぶる。
よくボールを見る。こいつの球は、速くはない。
『青はピンチの時ほど強いよね』
空の言葉が、頭の中で蘇る。
カキーン
ボールは綺麗にバッドにあたった。
そして、青空へ舞い上がる。
ホームランまでの高さはないが、無人のところへと、ボールは綺麗に落ちた。
「回れっ!走れっ!青っ!!」
ベンチからの声。
言われなくても走るって!俺は勢いよく地面を蹴りだす。
地面を蹴る足に、風がまとわりつく。
太陽の光が、俺の背中を押してくれる気がした。
「セーフっ!」
俺はギリギリのところで、2塁のベースを触った。
本塁に3塁にいたランナーが余裕で駆け込み、得点をあげた。
スコアは、ついに9対9の同点。
延長戦なんて持ち込ませない。
ここで勝つ。なんたって、次のバッターは町先輩。
きっとやってくれる。
カキーン
その合図とともに、俺は再び走り出す。
「セーフっ!」
再び聞こえる審判の声。
町先輩もギリギリ1塁に駆け込んだ。
俺の前にランナーはいなかったため、点数は上がらず。
だけど、もうあと少しで、あと少しでもう一点。
頼む。
「ストライクっ!」
球場に響く審判の声。
その声はやけに大きく感じる。
「ストライクっ!」
もしや……。次にこいつはきっと。
__カコーン
セーフティーバント!
ボールが転がる。
「……っ!」
俺は勢いよく駆け出した。
あと少し、あと少しで届く。
白球が、こちらに向かってくるのがわかる。
頼む、届いてくれー―――。
「セーフ!」
「うおおおおおっ!」
球場に響き渡る歓声。
ベンチから俺に向かって物凄い勢いで走ってくるチームメイト。
勝ったのか……?
俺はゆっくりと立ち上がり、軽くユニフォームについた土を落とした。
「青っ!よくやった、本当によくやった、よくやってくれたっ!」
キャプテンは俺の肩をつかんで強く揺さぶる。
誰かが、俺の背中をバシバシと叩く。
勝ったんだな……。
球場響き渡るサイレン。
「よっしゃああっ!勝ったぞおおっ!」
俺は力いっぱい、そう叫んだ。
両手をあげて、青空に向かって。
「整列!」
キャプテンが俺らに整列をかける。
「「うっす」」
南聖と向かい合う藤青。
南聖は岩崎以外全員泣いていた。
「試合終了──10対9、藤青学園高校の勝利。礼!」
「「ありがとうございましたっ」」
球場に響く両校の声。
俺が、ベンチに戻ろうとしたとき、肩を誰かに叩かれた。
「おい、お前、2年の相原だよな?」
振り向けば、そこには岩崎の顔があった。
「ああ、お前岩崎だろ?しかも、俺と同じ2年の」
「お前の球、いつか抜いてやる。来年だ、来年こそ勝つ」
「抜けるもんなら、抜いてみろ。来年また、試合しようぜ。楽しかったし」
「ああ、そうだな。楽しかった」
そういって俺らはお互い握手を交わした。
そして、俺は再びベンチに駆ける。
「青、エースとしてよく自分の務めを果たしてくれた。よくやった。そして、他のやつらもよくやった!」
監督は俺に、皆にそう言って笑顔になる。
その後、藤青応援団にも一通り、あいさつを済ませた。
だけど、俺はまだ済ませていない用がある。
「巧、トイレでちょっと大きいのってキャプテンに伝えといてくれ!」
目の前にいた巧に荷物を無理やり押し付けて俺は駆け出した。巧は、なんとなく察しがついていたようで、嫌々うなずいてくれた。
向かうところは_____レフトスタンド。
「……っ!はぁ…はぁ…はぁ…っ!……川崎…そ、空は?」
レフトスタンドには、空のクラスメイトとも思われる奴らが川崎と西村を含め数名いた。
だけど、空の姿がいない。
なんでだよ……。あいつ逃げたのか?
「……あ、青くん、ごめん。青くん来ると思うからって空のこと引き止めたんだけど、今は会いたくないって……」
西村が言いにくそうに答える。
「……なんでだよ、空……俺、勝ったんだ。やっと、あの約束を果たせたのに……」
俺は、壁に疲れた体をもたれかける。
「相原。お前、諦めるのかよ。空、追わなくていいのかよ」
川崎が俺に鋭い目で睨んでくる。
「今動かないで、いつ動くんだよ!」
「お前しか、空を本気で支えてやれないんだよ!」
クラスメイトたちの声が次々に響く。
そうだ。避けられることなんて、今に始まったことじゃない。
――諦めるなんて、俺らしくないだろ。
「男なら、当たって砕けろの気持ちでいけ。青」
川崎の顔がいつの間にか柔らかくなっていた。
「おう、サンキュ。空のこと今までありがとな」
そう皆にお礼を言い、俺は再び駆け出す。
絶対に見つけてやる。
俺から逃げようなんて、そんなの100万年早いぞ、空っ!



