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 「ぐぅ……ぐぅ……」

 春の光が差し込む教室で、私の隣の奴は今日も気持ち良さそうに寝ていた。

 「えーっと。この数式はxを代入して……」

 あー、 私の好きな数学の授業妨害をしないでほしい。 寝るのはいいけど、お願いだから、いびきは勘弁してほしい。
  私はイライラをこらえながら、手元のノートをくるりと丸めた。

 「いい加減にして……」

 パシーンッ。
 坊主頭を叩く音が綺麗に教室に響き渡る。 クラスの皆はまたか……という顔でこちらを見てくる。

 「……った!空っ!叩くなら、もっと手加減しろよっ」

 私の隣で授業妨害をしていた男、相原青(あいはらあお)は眠たそうに頭をゆっくりとあげた。

 「これ以上バカにならないように、起こしてあげただけ」

 私はそれだけ言うと、再び授業に集中しようと、体制を前に戻す。

 「俺に勉強は必要ないんだよ。だって、甲子園で優勝して、プロ入りするつもりだしー」

 青はそう言って、ニカッと笑う。 こいつはどこまで馬鹿なんだろうか。 私は小さくはぁ……とため息をこぼした。

 「あのね、本気でそう思ってるなら、外国人選手とのコミュニケーションも必要になってくるわけで。英語、青、必要になるよ?」

 これだけ言えば、きっと少しは勉強する気に_____。

 「じゃあ空が通訳すればいいじゃん?」

 駄目だ。
  私、水木空(みずきそら)は今日も青に振り回されている。 この、馬鹿な幼馴染に。 だけど、高校一年生の青はこれでもこの学園の野球部エース。藤青学園の青と皆は彼を呼ぶ。

 今日も空は晴れわたり、まさに“青空”。あいつの名前みたいな空。野球日和だ。






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 今日最後の授業の終わりを告げるチャイムが鳴る。 今から向かうところは決まっている。

 「そーらーっ!早くしろよ!おいていくぞ?」

 ったく……こういうことだけ早いんだから。

 青は、鞄を持って今にも教室を出ようとしていた。 私は丁寧に鞄に教科書を入れ、急いで青の背中を追う。
 変わらない青の背中は、いつも私を追い抜いて前を向いている。追いつこうとするたび、どんどん遠ざかっていく。

 ――――だから、今でも信じられない。

 『好きだった。……空、俺と付き合えよ』

 今から約一ヶ月前にそう青が私にって言ってきたことが。 今、青と私が付き合っているということが。

「空!いまから外周行ってくるから、タイム頼むな?」 「あ、はいっ!」

 主将の川原(かわはら)先輩を筆頭に、野球部は外周へと出かけた。 そして、私はこの野球部のマネージャー。 青がいるからとかそんな動機で入ったわけじゃない。
 ただ、野球が好きだから。 
  私の父は地元の少年野球部のコーチ。 そこで昔、青が楽しそうに泥まみれになりながら野球に夢中になっている姿を見ていたら、いつのまにか、私も野球というスポーツに夢中になっていただけのこと。 野球の知識なら、完璧に頭に入っている。 だから、私でもわかる。 青は野球に関してだけは、天才だってことが――――。

 努力はもちろんしている。 それは、近くにいた私が一番知っている。 ここにいる部員の皆も青の努力と能力は認めている。

 もうそろそろ、先頭が返ってくるころだろう。 誰かなんて分かっている。

 「……っ!きっちぃー!はぁ……」

 青だ。

 「11分21秒。青、前より2秒縮んだよ」
 「……はぁ……マジで?……っ!」

 青は、膝に手をついて、肩で息をしていた。

 「あ、あのさ。今日の帰り大事な話あるから。いつもの公園で待ってて」

 青が珍しくまじめな顔で言ってきた。 私は反射的に

 「あ、うん」

 としか答えてしまう。

 なんだろう……大事な話……。

 着替えを終えた私は、ストンと公園のベンチに腰をおろし夜空を仰ぐ。
 毎日見上げる空も、実は毎日違っていて、そんな微細な違いが、今日という日の奇跡みたいに思えてくる。

 私と青が付き合って3日後。
 ”相原青と水木空が付き合っている” そんな噂はあっという間にひろまった。

 別に私は気にならなかった。学校で一匹狼の私。 そんな私の相手をしてくれるのが青だった。
 正直、今まで青を男として見たことはなかった。――たぶん、今も。というか”恋”というものがわからない私にとって”好き”という気持ち自体未知なもの。 小さい時から一緒にいたせいかもしれない。
 
 だから驚かずにはいられなかった。 青から告白されたときは、この関係を壊したくはなかった。私が振ったら青が離れて行ってしまうんじゃないかって……怖かった。 だからうなずくしかなかったんだ。

 ごめん。青。 私、本当は青の彼女である資格なんてない。 残酷だね。このことを知ったら、青は傷つくのだろうか。

 青は、男女ともに人気で、結構モテる。 頭こそ坊主だが、顔のパーツは完璧。 坊主のイケメンは本当のイケメンだとかで、面食いの女子たちは青に猛アタックしているのを見たことがある。

 そんな青が私を好き? 不思議なこともあるもんだと思う。
   きっと私はみんなから、“無愛想”で“可愛げがない”って思われてる。話しかけられることも、ほとんどないし。
 唯一の取柄は成績だけ。たったそれだけなら、青に勝てる。

 ふわりと風が私の髪を揺らした______。





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 「はぁ…ごめん…遅くなった」

 青は、大きく肩で息をして私の前に現れる。 街灯で青の額の汗が少し光る。

 ここまで全力で走ってきたんだ。 トクンとなるこの胸の高なりの理由を_____私はまだ知らない。

 「大丈夫。先輩とかに練習のコツとか聞いていたんでしょ?」
 「まぁな。じゃあ……いくか?」

 青はそういっていつも私の手を何気なく握ってくる。

 恋なんてわからない。 でも、こうして青が私の手を握るたびに、胸がトクンと跳ねる。 それが何なのか、怖くて考えたくない。だけど、胸がくすぐったい。

 「なぁ……」

 青が突然まじめな顔で話口を開く。。

 「ん?」
 「歩きながらだけど、大事な話していい?」

 青の視線が私に向いていることがわかる。 だけど、私はなんとなく青の顔を見ることはできそうにもなかった。

 「うん。いいよ」
 「2週間後に試合あるじゃん?俺その時投げるんだけど、もし完全試合したら、1日俺とデートしてくんね?」
 「え……?」

 私は立ち止まりそうになる足を必死で動かす。

 完全試合?完全試合って、あの、相手チームの打者を一度も出塁させずに勝利する試合のことでしょ?それって、奇跡みたいなことじゃない。 そんな無茶な約束を、真剣な顔で持ちかけるなんて。 しかも、試合の相手って……藤野原学園で、向こうは県内でベスト8には入っているはず。 うちはベスト4だけど、そんな楽に勝たせてくれそうな相手ではない。
  高校野球なんて、それくらいのレベルになってくると、絶対勝てる相手なんていうのはなくなってくる。高校野球は流れが命。どんな強豪校でも、流れを相手に持っていかれれば、結果は分からない。
  要は、強い相手が必ず勝つんじゃない。一度勝った相手でも、もう一度試合すれば、結果は誰にも分かりやしない。

 そんな相手を、完全試合で抑えるなんて――――無謀すぎる。

 「なぁ、いいだろ?1日デートくらい。俺たち一応付き合っているんだし」
 「青、本気なの?冗談じゃなくて?本当にできると思っているの?」

 すると、青はフッと口元を緩めた。
 青の顔は前を見ている。未来を見ているのかもしれない。 青はいつも私の一歩前を歩いてる。こうやって、私の手を引いて正しい道へと連れていってくれる。

 青と私の道は一緒だった。今も未来《あす》も一緒だと思ってた。信じてた。

 「わかんねぇけど……。頑張るっ!それくらいできなきゃ甲子園なんていけねぇだろ?」

 本気なんだ。本気で抑えるつもりなんだ。

 なら、私は信じよう。青は有言実行するやつだって、私が一番よくわかっている。青ならやってくれる。

 「わかったよ。抑えなかったら承知しないから」

 青はいつもの無邪気な笑顔に戻っていた。 口角があがって、子どものように笑う。その笑顔に私もつられて笑う。

 私は青の笑顔が好き。なぜなら、私まで笑顔になってしまうから。あまり、人前では笑うことのない私は、青の前ではなぜか笑顔になれる。――――不思議なくらいに。