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「おーい青っ! もう上がるぞっ」
向こうで町先輩の声がする。
練習を一通り終え、帰る部員たち。
甲子園まで、あと3日。
不安で不安で仕方がない。
空に、俺の気持ち、ちゃんと届いたのかな。
……なんでかわからないけど、今、無性に会いたい。
「おい、夏樹っ」
部室に戻ろうとしていた夏樹を呼び止める。
「ん? なんだよ?」
不思議そうに振り向く夏樹に、俺はボールを見せながら笑った。
「ちょっとだけ、付き合ってくれよ」
夏樹は肩をすくめ、にやっと笑う。
「しゃーなし、だな」
グローブを構えてくれる夏樹に向かって、俺は思い切りボールを投げた。
野球をしてる時だけ、ボールを投げてる時だけ、俺は“俺”になれる。
この感覚が、ただただ気持ちいい。
空は茜色に染まり始めていた。
「青、調子上がってきたんじゃねぇか?」
夏樹が笑いながら言う。
「当たり前だっ」
俺はそう言って、もう一球、渾身の力でボールを投げた。
「……っ! はぁ、はぁ……」
全力で投げ続けた疲労が、一気に押し寄せる。
俺はその場に倒れ込んだ。
「おいおい、大丈夫かよ。試合、三日前だぞ?」
夏樹が心配そうに駆け寄ってくる。
グラウンドの真ん中で、俺は空を仰ぐように寝転んだ。
吹き抜ける風が気持ちいい。
夏樹も、黙って隣に寝転がる。
「なぁ、青」
夏樹が空を見上げたまま、静かに言った。
「ん?」
「絶対、勝つぞ」
それだけ言って、夏樹は空に向かって笑う。
俺も、同じように空に笑いかけた。
「おう。ここまで来たんだ。目指すは――優勝しかねぇだろ」
空。
お前のためにも、絶対に。
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「おい、忘れもんとかないな?」
キャプテンがバスの中で最終チェックをする。
「「ういっす」」
バスの中に響く男たちの声。
今日の天気は青空。俺たちは、明日にある試合に備え、前日に会場に向かう。バスの周りには全校生徒が見送りに出てきていた。
「じゃあ、出発するぞ」
そういって、キャプテンは席に着く。
「お願いしますっ」
「「お願いしますっ」」
キャプテンの掛け声とともに再び響く男たちの声。
その声とともに動き出すバス。全校生徒は俺たちに手を振っている。
俺たちの夢と未来を乗せたバスがゆっくりと俺らを夢の舞台へと連れてゆく。
「なあ、青。お前、今もし空に会ったらなんていう?」
隣に座っていた巧が、俺にしか聞こえないような小さな声で話しかけてくる。
「は?」
空?なんで、今そんな話を……。
「例えばだよ」
そう言って巧は笑っている。
「んー……会ってみないと正直わかんねぇけど、まずは……“甲子園、見に来いよ”って言うと思う」
そういうと、巧は「そっか」と言って、笑い、窓の外に視線を移した。
甲子園の試合前はお前のこと考えないように考えないようにしようって思ってここまでは来た。たけど、やっぱり、無理だった。
お前がいたから、今の俺がいる。
お前がいたから、ここまで来られた。
だから――俺の中から、お前を消すなんて不可能だった。
_____会いたい。
何度思っただろう。
もう一度抱きしめたい。
何度願っただろう。
もう一度お前の笑顔が見たい。
何度我慢しただろう________。
「おい、着いたぞ。青」
隣の巧に起こされる俺。
「っ……」
俺は小さく背伸びをする。
「おいおい、先輩待たせるんじゃねぇよ」
巧に頭を叩かれて、目が覚める俺。
「……った!……あ、甲子園!」
そうだ、俺、バスで甲子園球場に向かってたんだった。
「そうだ、ほら、青降りるぞ」
そういって、巧は俺をせかす。
俺は荷物をつかみ、バスを飛び降りた。
バスを降りた先にあったのは、圧倒されるような大きなホテル。
「でっか」
その大きさに唖然とする俺。
「試合中ここのホテルに泊まることになる。部屋割りは前決めた通り。鍵は事前に配ってあっただろう。明日に備えて今日は各自、練習はほどほどにすること。ホテルを出る際は、俺か、監督に許可をもらうこと。いいな!」
キャプテンは説明を終えると、「解散!」と言って、ホテルの中へ入っていく。
俺たちも、ホテルに入り、自分の部屋へ向かった。
俺と同じ部屋は巧だった。
「……っしょっと」
俺は自分の荷物を、部屋に置くと、トレーニングウェアに着替えた。
「ちょ、お前どこ行くんだよ」
巧は俺を見て、荷解きしていた手を止める。
「ちょっと走ってくる!あ、巧。キャプテンと監督には内緒だぞ?」
そういって、俺は、巧の返事も待たずに部屋を飛び出した。
じっとはしていられない。
じっとして居ろって言う方が無理な話。
明日、甲子園で試合できるっていうのに……。
体を動かしたくて動かしたくて仕方がない。
俺は、野球部の部員にばれないように、遠回りをして、外に出た。
空には青空が広がっている。
「うっし……」
俺は気合を入れて走り出す。
前へ前へ。
俺の向かう先は____甲子園球場。
明日のお楽しみなんてできなくて、あっという間についてしまった。意外と近かった。
「ここか……」
立ち止まって、見上げる。
どうやら、試合までは入ることが許されていないらしい。
でも、会場の規模感は確認できたから、まぁ、よしとするか。
俺は球場に踵を返し帰り道を走った。
その帰り道、グラウンドで野球をする球児たちの姿が目に入る。
俺は、その様子を立ち止まって、フェンス越しに眺めていた。
確か、あのユニホームは_____将星高校。
俺らが1回戦目であたる高校。
同じ2年で、“頭の切れるキャッチャー”がいるって、どこかで聞いた覚えがある。。
名前は確か______川崎誠っていったっけ。
すると、キャッチボールをしていたうちの一人がゆっくりとこちらにやってきて、丁寧にキャップを脱いで軽く頭を下げてくる。
「練習の邪魔したならすいません」
俺も、軽く頭を下げる。
「いやいや。君、相原青くん?」
そいつは満面の笑みで話しかけてくる。
「俺の名前……なんで?」
俺が不思議な顔で、問いかけると、そいつは、あはははっと笑い出した。
「君さ、高校野球の中だったら有名人だよ?」
「はぁ……。そうなんすか……」
「おう!俺の名前は川崎誠。よろしくな」
こいつが……明日の初戦、最初の敵になる男。
胸の奥が、ざわつくのがわかった。
「あの、キャッチャーの……」
俺が小さな声で言うと、そうそう!といって、嬉しそうにうなずいてみせる。人懐っこい人だと思った。人との距離感をとるのがうまい。
「明日はお手柔らかにな?」
そういって、川崎は再び笑う。
「ああ、こちらこそ」
俺がそういうと、川崎が急に空を仰いだ。
俺もつられて空を仰ぐ。
「明日、青空になるといいな。……空も喜ぶ」
そういって、川崎は、意味ありげに少しニヤリと笑ったかと思うと、急に俺に背を向けて練習に戻っていく。
な、なんだよ。今の。
空って……まさか……あの空のことなのか。
……いや、偶然だろ。
でも……なんで、そんなタイミングで……。
呆然と立ち尽くす、俺の肩を誰かがたたき、振り向く。
そこには、短髪な女の子が立っていた。
「こんにちは。相原青くん」
そういって、その子はにこっと笑う。
何でこいつも俺の名前……。
「なんで……」
俺は訳も分からずそう聞き返す。
「ちょっと、ついてきてほしいところがあるの。時間は大丈夫よね?」
そういって、彼女は俺の返事も待たずに俺の前を歩き出す。
俺は不思議に思いながらも、彼女についていくことにした。こんな怪しいやつについていく俺は、どうかしていると思う。だけど、なんとなく、ついていかなきゃいけない気がした。
まるで_____青空が、俺についていけって言っているような気がした。
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彼女が立ち止まったのは、大きな総合病院の前だった。
そのまま、迷うことなく中へ入っていく。
「ちょっと待てよ」
俺は足を止めた。
彼女は振り返り、まっすぐこちらを見る。
「なんで、こんなとこに俺を連れてくんだよ」
「ついてくればわかる」
それだけを言って、再び歩き出す。
彼女は何も答えてはくれなかった。
疑問を抱えながらも、俺は彼女の背中を追う。
やがて、ある病室の前で彼女が立ち止まった。
病室前のプレートに書かれていたのは――
俺が探し続けた人の名前。
……ま、まさかな。
きっと同姓同名だ。珍しい名前じゃないし、そう、きっと――。
彼女はひとつ息をついてから、そっと扉を開けた。
「あ……美和」
か細く、今にも消えそうな声が中から聞こえてきた。
間違いない。この声を、俺が忘れるはずがない。
「今日、空に会わせたい人を連れてきた」
彼女はそう言って、病室に入っていく。
俺も意を決して、後を追った。
そこには――変わり果てた空の姿があった。
けれど、間違いなく、空だった。
元々細かった体は、さらに痩せていた。
疲れきった顔をしていた。
そして――俺が大好きだった、あの黒髪はもうなかった。
「……っ!」
空は俺の姿を見るなり、ベッドにもぐりこんだ。
「空、ごめん。何も言わなくて、勝手なことして……。でも、どうしてもあなたに青くんを会わせたかったの」
彼女――美和はそう言って、静かに涙を流したまま、病室を後にした。
俺と空、ふたりきりの時間が流れ出す。
この瞬間を、どれだけ待ち望んだか。
話したいことも、伝えたい想いも山ほどあるはずなのに。
時間だけが止まったように感じた。
俺はその場に立ち尽くす。
空は、ベッドの中から出てくる気配を見せない。
どうすればいい……?
お前は、また笑ってくれる?
俺はベッドの傍にある丸椅子に腰を下ろした。
止まった時間を、自分から動かしてみる。
「……なぁ、空。俺、甲子園出場決まったんだけど」
返事はない。空はまだ布団の中だ。
「お前さ、俺と別れるって言ったけど、俺、納得してねぇから。俺、お前じゃないと無理なんだよ」
涙が一滴、頬を伝う。
視界がぼやけていく。
「青が泣くなんて……」
空の声だ。
気づけば、空はベッドから顔を出し、そして――笑っていた。
どんなに痩せても、あの笑顔だけは変わらなかった。
俺が、大好きな空の笑顔。
「泣いてねぇよ。これは、汗だって」
俺はそう言いながら、涙をぬぐう。
こんなにも胸が温かくなるのは、いつ以来だろう。
「ごめんな、空」
「なんで青が謝るの?」
空は、まっすぐな瞳で俺を見つめてくる。
「お前が苦しんでるとき、そばにいてやれなかったから」
こみ上げてくる涙を、必死でこらえる。
すると――
空の手が、俺の大きくて豆だらけの手を、そっと包み込んだ。
「青は悪くないのに」
空はそう言って、優しく笑う。
……強くなったな。
俺は、空の肩にそっと腕をまわし、細くて壊れそうな身体を、静かに抱きしめた。
「青?」
「ん?」
「明日の試合、勝たなかったら――ぶっ飛ばすからね」
いつも通りの口調に、思わず笑みがこぼれる。
「ぶっ飛ばされないように頑張るよ」
空。
今日、ようやくお前と再会できた。
お前の声が聞けた。
お前を抱きしめられた。
そして――お前の笑顔を見ることができた。
病室の窓の外に、青空が広がっていた。
お前の夢を叶えよう。
空、お前との約束を守ろう。
「空、明日――俺に惚れるなよ?」
俺は腕を解き、ニヤッと笑う。
「バカじゃないの?」
空は照れくさそうに笑った。
そのとき、病室のドアが開く音がした。
入ってきたのは、美和と――川崎誠。
「よっ。上手くいったみたいだな」
川崎は人懐っこく笑いながらそう言った。
「私のおかげだよ?」
川崎の隣でクスクスと笑う美和。
「会長と美和が仕組んだんでしょ?」
空がちょっと怒ったように言う。
「私たちだけじゃないよ?共犯者まだまだいるし~。ね?」
「いやぁ……マジで焦ったわ……。巧から連絡きたとき、本当にっ!」
ふたりは笑い合っていた。
――まてまて。今、気になる名前が出てきた。
「なぁ、その巧って……」
俺が口を挟むと、川崎はあっさりと答えた。
「俺の従兄弟」
……え?ちょっと待て。
俺の脳みそは情報過多でパンクしそうだった。
「会長、青にわかるように説明お願い。私も詳しく知らないし」
空がそう言うと、川崎は笑いながら話し始めた。
「明日の試合に備えて、バッテリー組んでる先輩と、甲子園近くのグラウンドでキャッチボールしてたんだ。その時に、巧から、青が今1人で出かけたから、空と会わせるなら今がチャンスだぞって連絡が来た。俺は、球児が出かけるのはきっと甲子園球場だろうと推測し、お前が通るであろう甲子園近くのグラウンドで待ち伏せをしていた。からの、準備の良い俺は、相原青を特定次第、美和に声をかけさせ、ここまでお前を案内させた。で、今に至るって感じ」
川崎はそう言い切って、口角をぐっと上げた。
「じゃあ、私と青のことは巧から聞いてたってこと?」
空がそういうと、川崎は首をうんうんと縦に振ってから、「あ、そうそう、空。外出許可どうだった?」と、思いついたようにそういう。
「ん……ごめん……。だめだった」
だけど、空は声のトーンを落としてそう残念そうに俯いた。川崎は「そっか……」とこちらもうつむく。
目の前でどんどん進んでいく会話。
どんどんおいていかれているような気がしていた。
そして未だに状況がいまいち読めない。
まず、こいつらは空のなんなのか。
そして、巧は、ずっと前から空がこうなってるってのを知っていたのか。
空はなんで、俺に何も言わずに、こんな所へ来たのか。
なんで……俺に言ってくれなかったのか。
疑問だけが、どんどん募っていく。
何で……何で……。
「青」
空の優しい声が聞こえ、俺ははっと顔を上げる。
すると、川崎と美和と呼ばれる彼女が、俺の前に手を差し出して来ていた。
「改めて、空の同級生でクラスの会長の川崎誠。よろしくな、相原」
そういって、川崎はにこっと笑う。
「えっと、空の親友の西村美和。無理やり連れてきてごめんね」
そういって、西村は優しく笑った。
一つの疑問が解消され、自分でも少し表情が和らぐのが分かった。俺は2人の手を握った。
事実、こいつらのおかげで、俺と空は出会えた。そして、こいつらのお陰で今俺は空と同じ空間にいる。
「ありがとう」
ひとまず俺はお礼を言う。
空、お前はいい仲間を見つけたんだな。
空は俺の後ろで満足そうに笑っていた。
空、お前に聞きたいことはまだ山ほどあるけど、それは試合が終わったらゆっくり聞こう。
もう、日が落ちそうだった。
俺は、明日のこともあるため、空の病室をでて、川崎と西村とも別れた。
そして、近くの河原で俺は座り込みスマートフォンを取り出し、ある人物に電話を掛ける。
『おう、青。会えたか?』
電話の様子からすると、やはり巧はすべてわかっていたらしい。
なんで言ってくれなかったのか。
俺が今までどんな気持ちで______。
言いたいことは山々あったが何から話せばいいかわからず、口籠る。
『ごめん、青……。本当は言いたかった。でも、誠に止められてたんだ。言ったら、お前が野球を捨てて空に走っちゃうって』
俺の状況を察してか、巧はそう説明をしだす。
巧の声は少し悲しそうだった。
「……空のあんな姿見たら……俺……!」
ツーンと鼻筋に痛みが走る。
再び溢れそうになる俺の涙。
情けない……今とても自分が情けない……。
『でもお前は空の夢をひとつ叶えた。空……どんな顔してた?』
空の顔。あいつ……最後は……。
「笑ってた」
『誠曰く、空はお前の邪魔はしたくなかったんだろうって。自分が病気になって、無駄な心配をさせてお前をつぶしたくはなかったんだろうって。空は、お前を守ったんだよ。青』
「空が俺を守った?」
『ああ。そうだ。だからお前明日勝たないと、マジで空を泣かすことになるぞ?』
絶対にそんなことはさせない。あいつはもうきっと十分泣いた。苦しんだ。
「絶対に勝つ。……空のためにも」
俺は力強くそういった。
『ああ、その意気だ。ってか、早く戻ってこい青。もうちょっとで夕食だ』
「了解っ」
俺はそういって電話を切り、スマートフォンをポケットにしまい、勢いよく駆け出した_______。



