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 ――空。
 俺、ここまで来たよ。

 一昨日、俺たちは――甲子園を懸けた決勝戦への切符を手にした。
 去年は、届かなかった場所。
 そして今日、その決勝戦が、いよいよ始まろうとしている。

 真夏の太陽が照りつける球場。
 スタンドには応援団の姿。
 俺たちの戦いを、たくさんの人が見に来てくれている。

 ――絶対に勝つ。
 絶対に、甲子園に行く。
 この青空の下で、力を出し切るんだ。

 「おい、整列だ」

 キャプテンのひと声で、気持ちが引き締まる。
 俺はベンチから立ち上がり、青空の下へ歩き出した。

 「青、思いっきりやれよ。楽しめ!」

 隣にいた町先輩が、勢いよく俺の背中を叩いた。

 「うっす!」

 自然と笑顔になる。
 頑張るから、見ててくれ。
 どこにいてもいい。俺の姿を見ててくれ、空。

 「ただいまより、藤青学園高校と日成学園高校の試合を開始します。礼!」

 「「お願いしますっ!」」

 両校の声が、球場に響き渡る。
 始まるんだ。熱くて、眩しい夏が――。





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 五回裏、俺たちの攻撃。
 2アウト三塁、スコアは1対1の同点。

 「3番、ショート、山口くん」

 アナウンスが響き、応援席がどっと沸く。
 山口は俺と同じ二年。小柄だが俊敏で、三番ショートという藤青の要。
 そのバッドは、頼りになる。

 俺はベンチの前に立ち、深く息を吸った。

 「先輩、背中、叩いてください」

 背後にいた舟橋先輩に声をかけると、無言で立ち上がった先輩が俺の肩に手を置く。

 「青、かっ飛ばしてこい!」

 ズンと響く一撃が背中に届いた。

 「うっしっ……!」

 気合がみなぎる。
 俺はネクストサークルに向かい、腰を落ち着けた。

 山口がバッドを構え、相手投手を鋭く睨む。
 そして――

 __カコーン!

 快音が響く。
 打球はショートの左を破り、外野へと転がった!

 「っしゃぁああ!!」

 俺の声と、ベンチの歓声が重なる。
 三塁ランナーが生還し、山口は二塁で力強くガッツポーズ。

 やるじゃん、山口。

 自然と笑みがこぼれる。

 「かっ飛ばせー、あーおっ!」

 スタンドからも応援の声が飛ぶ。
 俺はもう一度、深呼吸した。

 ――そのとき、空の声が脳裏に浮かぶ。

 『青っ! かっ飛ばさなかったらぶっ飛ばすっ!』

 ふっと笑みが漏れる。

 ピッチャーが振りかぶった。
 そして――

 __カキーン!

 乾いた音とともに、白球は高く舞い上がる。
 青空へ、吸い込まれるように。

 「わぁぁぁあ!!!」

 ボールはレフトスタンドへ突き刺さった。

 「回れ回れっ!」

 ベンチの声が飛ぶ。

 すべてが気持ちよかった。
 青空が、まるで俺の味方をしてくれているみたいだった。

 ホームを踏み、ベンチに戻ると――背中にまた一撃。

 「いってぇ……なんすかっ!」

 振り返ると、笑顔の町先輩がいた。

 「おう、青! ナイスだ。これで3対1。けど、油断すんなよ」

 そう言って、もう一度バシッと叩かれる。

 「油断しませんよ! この試合、絶対勝ちますから!」

 前を行く町先輩に声をかけると、先輩は振り返り、真剣な表情でうなずいた。

 『5番、キャッチャー、町くん』

 町先輩がバッターボックスへ向かう。
 その背中は、誰よりも頼もしい。
 俺の相棒――俺を一番理解してくれている人。

 「かっ飛ばせぇー! 町先輩っ!」

 ベンチから声を張る。
 このメンバーで、甲子園へ行きたい。

 __カキーン!

 再び快音が響く。

 「わぁぁぁあ!!」

 藤青、本日2本目のホームラン。
 町先輩が高く片手を上げ、ダイヤモンドを駆け抜ける。
 その背中が、まぶしかった。

 スコアは5対1。

 ――勝てる。そう思った。
 けれど、その油断が命取りになった。

 次の回、俺たちは三者凡退。
 守備に入ると、相手の猛攻が始まった。

 __カキーン……

 打球がセンターとレフトの間に落ちる。

 「……っ!」

 気がつけば、5対4。ノーアウト。
 焦りだけが募っていく。

 「タイム!」

 町先輩がマウンドに向かう。
 険しい表情。でも、声は――

 「青。ここで負けていいのか?」

 怒鳴られると思った。
 でもその声は、優しかった。

 「……絶対に負けたくないっす!」

 俺は、目を見て答えた。

 町先輩は、しっかりうなずく。

 「しっかりやれ!」

 そう言って、持ち場へ戻っていった。

 俺は深く息を吸い、町先輩のサインにうなずいた。
 そして――

 「ストライク! バッターアウト!」

 続く2人も連続三振で斬る。
 ピンチを脱し、5対4で抑えた。

 ベンチに戻ろうとすると、また背中に手が。

 「青、よく抑えたなっ」

 町先輩だった。穏やかな声と笑顔。

 「……すいません。俺、油断してました……」

 うつむいた俺に、町先輩は笑って言った。

 「何言ってんだ。切り替えただろ? それで十分だ」

 顔を上げると、先輩の背中がやっぱりまぶしかった。

 ――もう、気を抜かない。
 俺は心に誓って、その背中を追った。

 「青、お前、よく抑えたじゃねぇか!」

 ベンチに腰を下ろした瞬間、また背中に一発。

 「いってぇ……って、夏樹かよ!」

 笑いながら、その手をはたく。

 「青、お前、いいとこ持ってくなぁ!」
 「まあな」
 「羨ましいぜ。あの舞台でプレーできるなんてさ」

 夏樹は俺の隣に腰を下ろし、前を見据える。
 彼は、町先輩の後継として期待されているキャッチャー。
 けど今は、ベンチにいる。

 「夏樹なら、絶対立てるさ。お前、いい奴だし」

 そう言って、俺は夏樹の背中をバシッと叩いた。

 「……ったぁ。いい奴って、試合に関係あるか?」

 少し笑いながら、夏樹が言う。

 「知らねっ」

 俺も笑いながら、そう答えた。

 「俺の分も楽しんでこいよ」

 夏樹が小さくつぶやいた。

 ――その横顔は、少し悔しそうだった。

 俺には、試合に出ていない仲間の分までプレーする責任がある。
 野球を、心から楽しむ義務がある。
 夏樹の言葉が、それを思い出させてくれた。

 「もちろん」

 そう言って、俺は笑った。
 そして、青空を見上げる。

 『青、頑張れっ』

 どこからか、空の声が聞こえた気がした。
 空のいる空から――。

 「何1人で笑ってんだよ、青。気持ち悪ぃ」

 夏樹が不思議そうに言う。

 「なんでもねぇよ。ただ……勝たなきゃなって思ってさ」

 俺は静かに答えた。

 ――空。そうだよな。
 ここで負けたら、お前に笑われちまう。

 絶対に勝つ。
 何があっても、甲子園に行くんだ。






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 九回裏、2アウト満塁。
 俺たちの最後の攻撃。スコアは6対7。

 逆転の可能性は、まだある。

 『4番、ピッチャー、相原君』

 アナウンスが俺の名を呼ぶ。
 次も、かっ飛ばす。
 勝つために――かっ飛ばしてやる。

 「青、お前ならできる!」

 背後から夏樹の声が聞こえた。
 こんな最高の仲間が、俺にはいる。

 俺は打席に立ち、バットを構える。
 相手ピッチャーは、大分球数が増えていた。
 握るバットが、手のひらにしっくりくる。
 俺は構えを取り、相手を睨みつけた。

 「プレイ!」

 球審の声とともに、勝負が始まる。
 相手の投手が振りかぶり、ボールが――

 __ストライク!

 「くっ……!」

 速い。でも、見えてる。
 俺は構え直し、次を待つ。

 二球目。
 低めいっぱいのストレート。

 「ストライク!」

 ツーストライク。
 追い込まれた。でも――

 まだ、終わらせねぇ。

 俺はもう一度、空を見上げる。
 青空は、どこまでも続いていた。

 「――かっ飛ばせ、青っ!」

 夏樹の声が背中を押してくれる。
 町先輩も、ベンチで拳を握ってる。
 スタンドからも、空からも、声が聞こえる気がする。

 『青、信じてるよ』

 俺は、バットを強く握った。

 ピッチャーが振りかぶる。
 来い――この一球で、全部ひっくり返してやる!

 __カキーン!

 乾いた快音が球場に響く。
 打球は、高く、高く――ライトの頭上を超えた!

 「行けぇぇぇぇえ!!!」

 全員が叫ぶ。
 走れ。走れ俺! 一塁、二塁、三塁――!

 「青っ! ホームだ!!」

 コーチャーの腕が回る。

 俺は、息を切らしながらホームベースを踏み込んだ。

 「……っしゃぁぁぁああああ!!!」

 球場が沸き立つ。
 スコアボードに「8-7」の数字が刻まれた。

 逆転。
 サヨナラ勝ち。
 藤青、初の――甲子園出場決定。

 町先輩が、俺に駆け寄ってきた。

 「青……! お前、やりやがったなっ!」

 そのまま、力強く抱きしめられる。

 「っす……俺、やりましたっ!」

 笑いながら、涙がこぼれた。
 俺たちは、やっと――この場所に、来られたんだ。

 スタンドの歓声、仲間の叫び。
 そして、空からの光。

 ふと、空を見上げた。
 そこには、まぶしいほどの青が広がっていた。

 『――青、かっこよかったよ』

 聞こえた気がした。
 お前の声が、確かに。

 ――空。
 俺たち、夢、叶えたよ。

 俺は、前に進むよ。
 このメンバーとともに、この最高の仲間とともに……甲子園へ。あの夢の大舞台へ――――。