✳




 ピ……ピ……ピ……ピ……。

 ――あ、この音……病院の機械の音だ。どこかで聞いたことがある。

 「……空っ!」

 私は重たいまぶたを、ゆっくりと持ち上げた。
 ……やっぱり。お母さんだ。
 泣いてる。また、泣かせちゃった。

 お父さんは椅子に腰かけたまま、無言で私を見つめていた。

 ここは……病院。
 そして私は、ベッドの上。

 学校に通う前も、ずっとこのベッドの上で過ごしていた。
 なんだか、懐かしいような……切ないような気持ちになる。

 「空っ! 体調が悪くなったら、ちゃんとすぐに言いなさいって言ってたでしょ!」

 お母さんは涙をこぼしながら、私を叱った。
 そういえば最近、便が細くなったり、痔みたいな症状も出ていた。

 腫瘍を摘出したあとも、「いつ再発してもおかしくない」って言われてたのに――。

 それでも私は、「大丈夫」って思い込んでた。
 病院に戻るのが、ただ怖かった。

 ここへ戻ってきたら、また“死”を意識してしまう。
 そうしたらきっと、青のことばかり考えてしまう。
 彼と過ごした日々を思い出して、もう戻れないって、わかってしまうから。

 だから私は、自分に言い聞かせていた。
 大丈夫、大丈夫。私、意外と強いから。今回もきっと、大丈夫――って。

 「ねぇ、お母さん……私、まだ……大丈夫だよね?」

 静かに問いかけたその瞬間、お母さんの目から、ぽろぽろと涙がこぼれ落ちた。

 「ああ。大丈夫だよ」

 お父さんが、お母さんに代わって、穏やかにそう言った。

 ……ほら、大丈夫だ。
 その言葉に、私は少しだけ安心して、そっとまぶたを閉じた。

 ――――青。
 私ね、あなたがあの球場に来るまでは、絶対に死なないから。
 絶対に……ここで、あなたを待ってるから。





 *





 「はーいっ、空ちゃん。お薬の時間だよー」

 看護師さんの明るい声が、今日も病室に響いた。

 どうやら、私の体にはまた悪性の腫瘍が見つかったらしい。
 学校に通えたのは、たった一か月ちょっと。
 あっという間に、私はまたこの場所に戻されてしまった。

 何もすることのない時間。
 私はただ、窓の外を見つめて過ごしている。

 青空の日は、きっと青が思いっきり野球してるんだろうなって思う。
 曇りの日は、なんとなく落ち込んでるんじゃないかなって。
 雨の日は、きっとグラウンドに出られなくて、不機嫌になってるよね。

 そんなふうに、私はいつも青のことばかり考えてる。

 入院してから、もうすぐ一か月。
 少しずつ、髪が抜けはじめた。
 毎日、吐き気が止まらない。
 食べてもすぐに吐いてしまって、どんどん痩せていく。

 私が飲んでいるのは、抗がん剤。
 つまり、手術では取りきれない腫瘍が、今も体の中にあるってこと。

 自分の細胞が、自分の細胞を攻撃する。
 こんなに悲しくて、むなしいことがあるなんて――。

 私の体の中では、今も細胞同士が戦ってる。
 それを止めることも、守ることもできない。
 私の体なのに、私はただ、その戦いを見ているしかない。

 ……こんなにも、自分の無力さを感じたことはなかった。

 もう、春が終わろうとしている。
 桜は散り、緑の葉が揺れる葉桜へと、姿を変えていた――。