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『青……』
視界は真っ暗で、何も見えない。
けれど、空の声だけが耳に届く。
「どこだよ空っ!」
俺は手探りで周りを調べるけど、何も分かりやしない。
『ごめん、青。私もう青の傍にはいられない』
「はぁ?お前何言ってんだよ」
『私もう行かないと』
「意味わかんねえよ。何でだよ……。おい!」
『バイバイ……青』
空の声は、風にかき消されるように少しずつ遠ざかっていく。
「おい、待てよ。空!空ーっ!」
__ピピピッ……ピピピッ
「っ……はっ!」
俺は咄嗟にあたりを見渡す。
そこは、見慣れた自分の部屋。
俺は枕元の目覚まし時計をカチっと止める。
「夢、か……」
深くため息を溢しながら、くっと俺は体を伸ばす。
それから、俺はいつも通りスウェットからトレーニングウェアに着替え、白い息を吐きながら、凍えるアスファルトを踏みしめて走る。
季節はもう冬。
空が俺の目の前から姿を消して、約3か月。隣の家にあった空の家はもう売家になった。
「っ……!」
俺は走るスピードを速める。
空。お前は今何してるんだよ。
なぁ、戻ってこいよ、空。
今日も空は曇っている。
思えば、青空なんて、もうずっと見ていない_____。
「おぅ、青!今日も頑張ろうなっ!」
朝練前、巧がバシッと俺の背中を叩いてくる。
「った……!おう、巧もなっ」
そして俺もバシッと巧の背中を叩く。
俺たちは俺が倒れて以来、より仲が深まった。
巧はどんどん実力を伸ばしてきている。
俺も追いつかれまいと、必死になって練習に打ち込む。
冬は雪が降って、グラウンドで練習する機会は大幅に減ってしまう。その分、基礎体力を上げるため、筋トレメニューが多くなる。
俺は暇さえあれば投げていた。
もっと上手くならないと。
どこにいても、俺の投げる音が、届くように_____。
「……おっ!おい!青っ」
「……っ!」
朝練終わり。
着替えが終わって、ひと休みしようと部室のベンチに座っていたところを巧に後ろから声をかけられびっくりする。
「おい、俺の話聞いてたかよ」
「あ、わり。なんだっけ?」
巧は俺の肩に心配そうに手をおいた。
「大丈夫か?」
「あ、ああ。大丈夫」
巧はそれでも心配そうな顔をしている。
「まぁ、いいけど。ほら授業に遅れるぞっ」
そういって巧は部室の扉を開けた。
俺も巧の後を追う。
――――そうだ空はもういないんだ。
教室に行くために、靴を履き替えようと下駄箱を開けると、どさっと手紙がこぼれ落ちた。
これらの大半がおそらくラブレターというやつ。
今はSMSが発達してそっちだろって思う人もいるだろう。だけど、俺はSNSとか本当に信用している奴じゃないと追加したくない。となると、告白手段が、アナログな手紙に限られてくる。
俺は、手紙を一つ一つ丁寧に拾う。きっと、頑張って勇気ふり絞って書いてくれた俺への気持ち。それを踏みにじるわけにはいかない。
空がこの学校からいなくなって、急に増えたこのラブレターの数。
俺は空以外考えられないんだけど、なんて思いながらも、教室に着くと一応一つ一つ手紙の中身を見る俺。
中身は皆”付き合ってください”とか”ずっと前から見てました”とか”連絡ください”とか、似たようなフレーズが並んでいた。
「はぁ……」
ふと漏れるため息。
「モテる男はつらいねぇ」
後ろから声が聞こえてくる。
この声は_____
「なんだよ夏樹」
唯一同じクラスの野球部の辻 夏樹。
夏樹のポジションはキャッチャー。よく、自主練に付き合ってくれるいい奴でもあり、町先輩と並んで部で1位2位を争う賑やかなやつ。うちのキャッチャーは何でこうもうるさいやつしかいないのか不思議。
俺は机の中へラブレターを隠した。夏樹はニタニタと笑って俺の前の席に座った。
女の子大好きで、いつも女をとっかえひっかえしている彼。なんで、そんなことができるか俺には分からない。
「青、もう諦めろ。空はもう……」
「おい。それ以上言うと、いくらおまえでも怒るぞ」
「ああ、わかったわかった言わない言わない。だからそんな怖い顔すんなよ」
そういって夏樹は少し笑ってごまかした。
「はぁ……」
俺は再びため息をつく。
「でもな青。いつまでも後ろ向いてたら前進めねぇぞ?」
夏樹が珍しく真顔で言ってきた。
「わかってるって。んなことぐらい……」
「じゃあさ」
夏樹が突然、机の中のラブレターをバッと掴んだ。
「あ、ちょっ!おい!」
そして、夏樹はそこから一枚適当に選び俺に差し出す。
「なぁ……一枚だけ、読んで行ってみろよ」
夏樹はふざけたような顔のまま、でも声は少し真剣だった。
俺には意味が分からなかった。
「お前何言ってんだよ」
「だから、他の子と一度付き合ってみればいいじゃねぇか。人生一期一会っていうだろ?」
「だから、俺は空以外考えられねえんだって……!」
すると、夏樹は小さくため息をついた。
「あのな。人生何があるかわかんねえんだ。空と今連絡取ることもできてねえんだろ?」
「あぁ。まぁ……」
登録してあった空のケータイ番号に何度電話しても、メッセージを何度送っても応答は全くなかった。
俺は仕方なく、夏樹から差し出された一枚の手紙を引いた。
差出人は_____”武東玲奈”
空がいなくなった今、学年ナンバーワンだと称されるほどの美人だった。
「おお!青っ!お前が羨ましいぜっ!玲奈ちゃんからラブレターなんてよ」
「いやぁ……。でも俺……」
俺が否定している間に、夏樹は俺からラブレターを奪う。
「おい。ちょっ……!夏樹っ!」
俺が止めようとするが、夏樹はそんなのお構いなしに、ラブレターを開いて俺の目の前に持ってきた。
相原青くんへ
突然の手紙ごめんなさい。
どうしても、私の想いを相原くんに伝えたくて、この手紙を書きました。
今日の昼休み、屋上で待っています。
武東玲奈より
女の子らしい字で書いてあった。
どうすんだよこれ。
いつもなら俺はこんな手紙は無視する。
屋上なんて行くつもりはさらさらない。
「青、行けよ」
夏樹は真剣な顔をしている。
「だから俺にはそ……」
「だから!」
夏樹が語気強めに俺の言葉を遮る。
教室の皆はびっくりしてこちらを見る。
俺もびっくりして、ガタンとイスごと思わず体を引いてしまった。
「空は、忘れろ……。青」
そして夏樹はそういいきり、ラブレターを俺の机に置いて教室を静かに出ていく。
空を忘れる。そんなのできっこない。
あいつを忘れたらきっと今の俺はいない。
空がいたから、今の俺がいるのだから――――。
「はぁ。どうすっかなぁ……」
俺はため息を着き、一人机の上で頭を抱えた______。
そしてあっという間に昼休みになった。
行くだけ――そう、自分に言い聞かせるようにして、俺は屋上へ向かった。
向かう途中、窓から見えた。今日も空は曇っている。
いつ……青空が見えるんだろうな。
「寒っ……」
屋上に続く扉を開けると、冷たい風が頬をなでて、思わず声が漏れた。
当たり前か。
もう12月、なんだもんな。
「っしょっと……」
俺はそのまま屋上で寝転ぶ。
そしてそのまま空を仰ぐ。
灰色の雲が空一面を覆っていた。
青空なんて、どこにもない。
まるで、今の俺の心の中と同じだ――。
空。何でお前俺に何も言わずに居なくなったんだよ。
考えれば考えるほどわからなくなる。
そのとき、屋上のドアが開く音がした。
「あ、相原くん」
声の主は、やはり武東玲奈だった。
俺はゆっくりと上体を起こし、屋上の出入口の方へ目をやる。
「来てくれて……ありがとう」
彼女はそう言って、風で髪がなびくのも気にせず、まっすぐこちらへ歩いてくる。 武東は少し照れたように笑いながら、俺の隣に立った。
「……あのね、手紙読んでくれたと思うけど、伝えたいことがあって……」
武東は少し視線を落として、ぎゅっと手を握りしめた。
「ずっと、相原くんのこと、好きでした」
唐突に、まっすぐな言葉が投げかけられた。
でも、それはどこか痛いくらいに純粋で、俺はうまく言葉を返せなかった。
「ごめん」
そう、俺はただそれしか言えなかった。
「……だよね。わかってた。水木さんのこと、まだ好きなんだって」
玲奈は自分で言って、苦笑する。
「それでも、言いたかったの。ずっと見てたから。相原くんが苦しんでるのも、無理して笑ってるのも」
玲奈の瞳は、どこか温かくて、でも少し涙を浮かべていた。
「ありがとう、武東。気持ちは……嬉しいよ」
俺ははっきりと伝えた。好きだと言ってくれたその勇気に、真摯に向き合いたかったから。
玲奈は「うん」とだけ返して、俺の横に座った。
「水木さんって、どんな人だったの?」
不意にそう尋ねられた。
「……優しくて、強くて、バカで、泣き虫で……。でも、俺にとっては一番大事な人だったよ」
「そっか」
そのまま、二人でしばらく空を仰いだ。
どこまでも曇っていて、青空はやっぱり見えなかった。
「じゃあ、行くね。私、振られちゃったから」
そう言って、武東は立ち上がり、優しく笑った。
「じゃあね、ありがとう」
「……ああ」
武東が去ったあと、俺は一人で屋上に残った。
空、お前は今どこで何してるんだよ。 俺はお前がいない世界で、ちゃんとやれてるか?
空がいなくなって、季節は冬になって、気づけば年も変わろうとしている。 それでも、まだ青空は見えない。
けど――。
俺は、待ってる。 お前が戻ってくる、そのときを。 いつかまた、あの日みたいに、俺たちで“青空”を見上げられるその日まで。
俺は――諦めない。
✳
___3か月前。
朝、空が俺を迎えに来なかった。時間に正確な空。
おかしい。もしや、あいつの身に何か。
俺は心配になって、あいつの家に行き、玄関の呼び鈴を押した。
「はーい」
空の声。聞きなれた声だからすぐにわかった。
俺は空が出てくる前に、待ちきれなくて自分から玄関のドアを開けた。
「青っ!」
空は俺を見て、目を見開く。
……驚きたいのは俺なんだけど。
なんでお前、まだパジャマ姿なんだよ。
「お前、いつもの時間にこねぇから。学校……行くだろ?」
俺がそういうと、空は少し困った顔をする。
なんで、空がこのとき、こんな顔をしたのか、このときの俺には理解不能だった。
「……ごめん。青。今日体調悪くて。先学校行って」
空はうつむきながらそういう。俺の顔を見ようともしない。
こいつ……。なんか俺に隠してるな。
長年一緒にいればわかる。空は俺に、隠し事や嘘つくときは絶対に俺と顔を合わせようとはしない。
だけど、もう時間がない。朝練に間に合わなくなってしまう。
「わかった……」
詳細は学校で聞けばいい、そう自分を納得させ、そう返す。そして、空の家を出ようとしたそのとき。
「青!」
空が俺を呼び止める。俺が振り返ると、空は_____笑っていた。
「私が、もし、青の目の前からいなくなったとしても、青は私のことを探さないで。約束だからね」
空は一方的にそういうと、バタンと玄関のドアを閉めた。
何言ってんだあいつ。
俺の前からいなくなる?
んなわけあるか。そしたら、俺がお前を甲子園へ連れて行くって約束はどうなんだよ。
唐突すぎる空の言葉に、そう思いながらも、俺は踵を返し学校に向かった。そしていつも通り、朝練に励み、朝礼にでる。
朝練からもどった教室には空の姿はなくて。次の瞬間、担任の口から俺は衝撃的な一言を聞くことになった。
「突然ですが、水木空さんは、今日転校することになりました」
担任の言葉に俺は勢いよく立ち上がる。
空と仲が良かった川島の方を見るも唖然としている。
あいつ、このこと誰にも言ってねえのかよ。
転校だ?ふざけてんじゃねえぞ空。
俺は、ホームルーム中にもかかわらず、先生に断りもせず、勢いよく教室を飛び出し、空の家へ向かった。外はいつの間にか雨が降っていた。
だけど、俺は構わず走った。
お願い。間に合って。
どうか、空に……会わせて。
俺は心の中で何度も何度もそう願った。
______だけど、現実は思い通りにはいかなくて。
俺が空の家に着いた頃には、家の中の家具はすべてなくなっていた。空の部屋にあった、野球グッズも。思い出の写真も。あいつのお気に入りの本も。
なにもかも______なくなっていた。
なんで……なんでだよ……。
空の部屋があったその場に俺は崩れ落ちる。
「……ん?」
視線を落としたところで、床に一枚の紙が落ちていることに気付く。
俺はそれをゆっくりと拾った。
青へ
別れよう。
青は青の道を。
空より
それだけだった。それだけ書かれてあった。
「……ははっ……空……。これ、なんだよ……」
俺の口元が少し緩む。
俺と別れるって?
俺はその紙を、強く強くくしゃっと手で握りしめる。
……お前の考えていること、わかんねぇよ。
俺がこんなんで納得すると思ったかよ。
なんでだよ……。
なんで俺に何も言わねぇんだよ。
なんで……っ!
考えれば考えるほどわからなくなる。
俺は、その1日学校へは行かなかった。
スマートフォンには、野球部とクラスの皆からの俺を心配するメッセージがたくさん届いていた。
俺は返信する気になんてなるはずもなく、空のいた部屋で、1日泣きとおした。
涙はなぜこんなにもあふれてくるのだろうか。
枯れることはない涙。
お前が、俺のこんな姿見たら、笑うのだろうか_______。
次の日、俺はいつも通り朝練に出た。
予想通り、キャプテンと監督に昨日の無断欠席をこってり怒られた。
みんな、空がいなくなってから、どこか落ち着かない様子だった。
俺は無理やり笑顔を作って、平気なふりをした。
「おい、青。今日の球、全然安定してねぇぞ」
町先輩が眉をひそめて声をかけてくる。
どうしても集中できない。
いつもみたいに野球にのめり込めない。
今は……野球なんかしたくない。
「青……お前、ちょっと来い」
町先輩に呼び出され、グラウンドの端へと連れていかれる。
「先輩……なんすか?」
言い終わる前に、町先輩の拳が俺の胸を強く突いた。
鈍い衝撃が走って、俺は思わず顔をしかめた。
「いってぇ……何すんすか!」
「青。空がいなくなって動揺してるのは、お前だけじゃねぇ。みんなそうだ。だけど、空はお前が事故にあったとき、お前のために前を向いてた。……お前が落ち込んでどうすんだよ。誰が投げるんだ。……エースのお前が投げなきゃ、誰がチームを引っ張るんだ」
町先輩は真っ直ぐ俺を見て言う。
その目に、俺は胸の奥を強く掴まれた気がした。
そうだ。俺は、このチームのエースなんだ。
『青は青の道を』
空の手紙の一節がふと脳裏をよぎる。
あいつは、俺がこうなることを分かっていたのかもしれない。
「……すみませんでした。俺、空に俺の活躍が届くまで、頑張ります。もう、絶対に折れません」
そう言い切ると、町先輩はいつもの笑顔を浮かべて、肩を叩いてくれた。
俺には、もう野球しかない。
俺には、野球しか残されていない。
だからこそ、全力で――この空の下、やり切ってみせる。
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「えええっ!?お前、あの玲奈ちゃん振っちまったのかよっ!」
練習前の部室に夏樹の大声が響き渡る。
その声に、先輩たちがぎろっと俺の方を睨んできた。
「あーおー……。なんでお前はそうやって、女の子を独り占めするんだよっ!」
町先輩が詰め寄ってくる。
「違うんすよ!……俺だって、好きで告られたわけじゃ……そもそも、夏樹が行けって……」
必死に弁解する俺。けど、その言葉は逆効果だった。
「なにが違うんだ!俺は見たぞ、お前の下駄箱からラブレターがどっさり出てくるところを!」
うわ……見られてたのかよ。
「いや、それは……なんていうか……」
すると町先輩は俺の肩に腕を回して、ニヤリと笑った。
「なぁ、青。俺の下駄箱、見たことあるか?……空っぽだぞ?からっぽ!」
……もはや怒ってるのか泣きそうなのか、よく分からない。
周囲の先輩たちは、そんな町先輩を見て笑ってる。
俺もつられて笑ってしまった。
そして町先輩は、俺の頭を軽くこつんと叩いて「この野郎」って笑った。
……空がいなくなっても、俺がこうして笑えているのは、この野球部のおかげだ。
きっと空も、俺が倒れそうになった時、こうやって誰かに助けられるって分かってたんだろう。
お前が俺の前から消えた理由は分からない。けど――
俺は、いつかきっとお前を見つける。
そう誓った、高一の冬。
そしてその日、空は珍しく、青く澄んでいた。
「っしゃあ!! 練習始めるぞーっ!」
キャプテンの気合の声が響く。
「うっす!」
グラウンドに元気な声が重なる。
今日も、青空の下で――俺たちは汗を流す。



