「もしかして、美月さんから、僕と三崎くんのことを何か聞きましたか?
 ……そうですよね。むしろ遅いくらいだ。
 申し訳ないですが、とりあえず、仕事はきっちりさせてください。話はその後に」
「——いいだろう」

 いつもと変わらず手際よく仕事を進める宮田に、樹もいつも通り黙って任せる。
「……いかがでしょう」
「ありがとう。
 ——外へ出て話そう」
「……いい場所があります。一緒に来ていただけますか?」

 店を出ると、やがて宮田は静かな住宅街の中へと入っていく。
 樹は、その後を黙って歩いた。


 着いたのは、住宅街の奥にある、人気のない公園だった。

「僕、ここで三崎くんと一度ランチしたことがあるんですよ。もう随分前に……去年の冬の初めだったかな」
 宮田は、どこか楽しげに話し出す。

「君は……一体彼と、どういう……」
「僕、ずっと彼に嫌がらせしてたんです。——彼のことだから、そんなことは一言もあなたに言わなかったんでしょうけど」

 そう言いながら振り返ると、宮田は喧嘩でも仕掛けるような目で樹を見据えた。
「そのランチの日にもね。
 僕はここのトイレで、彼を力尽くで個室に引き込んで……」

 その瞬間——
 樹の手が、宮田の胸ぐらに激しく掴みかかった。
 ギリギリと首を締め上げながら、引き寄せる。
 怒りに燃え滾る瞳が、間近で宮田を捉えた。

「……嬉しいな。
 こんな風に熱くあなたに見つめられるなんて、思っていなかった」
「ふざけるな」
「ふざけてなんかいませんよ。
 僕は、あなたに惚れてたんですから。——それはもう、気が狂いそうなほどに」
 その言葉に、樹の表情が一瞬怯む。
「安心してください。あなたの大切な彼に手は出してませんから。……まあ、未遂で済んだ、っていうだけですけどね。
 つまり——あなたが僕の方を見ようともしないとばっちりを、彼が全部被っちゃったわけです。嫉妬に狂った男ってのも、なかなか怖いもんですよ?」
 自嘲するように、宮田は言い捨てる。
「——いいですよ。気の済むようにしてください」

 その言葉に、樹は我慢しきれなかったように、宮田の頰へ渾身の力を込めて拳をうならせた。
 強烈な衝撃に、宮田はどっと後ろへ倒れこむ。

「———っ……
 お坊ちゃんで人なんか殴れないと思ったら……腕っ節まで男前とはね。
 こんなにマジであなたに殴られるなんて、夢みたいだ」
「気分の悪くなる話はよせ。
 ——君が、あの部屋を出て行くように彼を脅したのか」
 乱れる息を抑えながら、樹は唸るように宮田に問う。
「そうですよ。……最初はね。
 でも、最終的には、あの部屋を出て行ったのは彼自身の意思だった」

 切れた口元の血を拭いながら立ち上がり、ジーンズの汚れをはたいて宮田は呟く。
「彼を見てるうちに——あんまり必死にあなたの幸せばかりを祈る彼の姿に、僕はだんだん自分がアホらしくなった。
 なんなんでしょうね、実りもしない思いをあんなに大切にして……おかげで、僕のあなたへの熱も、馬鹿みたいに白けちゃいましてね。——なんだか、もうどうでもよくなった。
 だから……3月には出て行く、と約束させたその期限を無効にしてやる、って三崎くんに言ったんです。——彼が最後にウチに来店した時にね」

 樹は、複雑な表情で宮田の言葉を受け止める。
「無効にする——その話を、柊くんは……」
「嬉しいが、辞退する……きっぱりそう言いましたよ。以前からもう決意は固まっていたみたいに。
 ——このままじゃ、自分もあなたも幸せにはなれないだろうって」

「————」

「三崎くんって、なんかいじめてやりたくなるんですよね。かわいくて、なのに小生意気で、気が強くて……しかも、あなたの愛まで獲得して」
 宮田は、俯き気味に黙り込む樹に続ける。
「あなたは、何でも持ってる。
 地位も、力も、金も、容姿も……全部だ。
 それが、どれだけ特別なことか。どれだけ大きな影響力を持つか……考えたことがありますか?
 あなたは、普通の人とは違うんだ。だから、あなたの愛を得た人間は、どうしたって注目され、妬まれる。
 僕みたいに嫉妬心を剥き出しにして、執拗な中傷や嫌がらせを仕掛けるような連中が山ほどいるってことですよ。

 彼が去っても、仕方ないじゃないですか。どんなに想いが深くても、結局あなたは彼を幸せにはできないんだから。
 ——それに、その方が彼のためだ。
 仮に、あなたとの仲が公になったりしたら……こんなに話題性のあるネタはそうそうない。彼がまた辛い思いをするのは、目に見えてるでしょう?」

「彼を、そんな目には遭わせない。——絶対に」
 樹は顔を上げ、まっすぐに宮田を見た。

「僕は、今まで僕自身のことしか見えていなかった。……ただ自分を守ることで、精一杯だった。
 けれど——今は、自分以上に大切なものがある。それが、はっきりとわかる。
 これからは、僕が彼を守る。——自分の人生をかけて」

 宮田は、微かに挑戦的な微笑を浮かべて樹に返す。
「あんな会社を背負って、おまけに手強い婚約者もいるあなたに、何ができるんです? そんな険しい壁を、突き崩せるとでも?」
「彼女は……美月さんは、彼のことを深く理解していた——むしろ僕よりも。
 彼女から、婚約を解消すると言ってくれた。
 そして、彼を探せと……僕の背を押してくれた」

「……は?……まさか、あの彼女が?
 ……一体どういう……」
「君だって、彼の行動を見て目が覚めたんだろう?
 彼女も、それと同じだ。……多分な」

 樹の言葉に、宮田はやれやれというように軽くため息をついた。

「へえ、それはまた随分と……
 ま、仕方ないなあ。ほんと変わってますから、三崎くんて」

「ああ。……不思議な子だ」
「神岡さん、随分いい子見つけましたね……おかげで、こうやって僕の馬鹿さ加減が丸見えになりました」

「——君の言葉は、肝に銘じる。
 どんなことがあっても、柊くんのことは、絶対に守る。誰にも傷つけさせたりしない」

「はは、ごちそうさまです。
 ……彼に会えたら、よろしく言ってください。
 できれば、また会いたいと」
「——彼は渡さないからな」
「それは知ってますって」

 宮田は、ふっと浅い笑いを漏らす。

 樹も、微かに微笑んだ。




 宮田と別れ、樹は夜空を見上げる。
 街の灯に紛れながら、星が微かに瞬いた。

 ——このままでは、二人とも幸せにはなれない——。

 彼は、きっと以前から、そのことにしっかりと向き合っていた。
 大切なことから目を逸らしてはいけない。——彼は、そう知っていた。

『あなたが幸せならば——俺は幸せです』

 最後の夜の、彼の言葉。

 一言も苦しさを打ち明けないまま——今になって。
 彼はこうして、痛いほどその想いを自分に見せつける。

 会いたい。
 彼に。

 それを叶えるために——

 彼を迎えに行くために……必要なことは、全てやる。
 自分の力を、全て使って。

 そう自分自身に呟き、樹は拳を握った。