俺は、彼を求めずにいられなかった。

 彼は、俺の求めを拒めなかった。

 それは——理性や理屈で綺麗に片付けたりなど、きっとできないものだ。

 淡い月光の中。
 広いベッドの縁。
 彼の唇が、俺の耳元から首筋を柔らかく辿る。

 そのまま——彼の腕が、俺を静かに横たえた。
「——こうしてて」
 俺を見下ろし、静かに彼は囁く。
 月の光が淡く照らす、透き通るように美しい微笑。

 そうして——柔らかな髪が、ふわりと俺の上に降りた。

 シャツのボタンを静かに外されながら、露わになる首筋の肌を彼の唇がなぞる。
 耳元に、彼の吐息がかかる。

 ありえないと思っていた——あってはいけないと否定し続けた、目の前の甘い感覚。
 俺は固く瞼を閉じ、抗いようもなく全てを溶かしていく感覚を、夢中で受け止める。

 肌を辿る柔らかな刺激は、首筋から鎖骨を伝い——やがて辿り着いた胸の先端を繊細に擽る。

「……ん……っ………」
 唇を開けば漏れ出そうになる声を、必死で咬み殺す。

 今までは、甘い声を上げるのは、女の子の方だった。
 今は——逆だ。
 想像すらしなかった刺激を身体に施される側になった感覚が、脳を戸惑わせる。

「声、我慢しないで」
 掠れる声で、神岡が耳元に囁く。
 それと同時に、ベルトを静かに外され、その美しい指が俺の下腹部を辿る。
 抗い難く半ば反応を始めている花芯に、そっと触れられた。

「あ、あ……あ」
 胸と花芯へ与えられる繊細で甘い刺激に、身悶えするばかりだ。
 未経験のその感覚に、脳は混乱していくのに——それと裏腹に、身体の奥はますます刺激を欲しがって逸《はや》り、抑えることができない。

 彼の指と舌の動きに、おかしいほど鼓動が乱れ、身体が一気に火照り出す。
 もはや羞恥心も理性も保つことなどできない。
 気づけば、堪え難い快感に完全に呑み込まれようとしている自分がいる。

「……っ……あ……
 ……っあ————!!」

 やがて俺の身体は、今まで知らなかった甘い絶頂と、目の眩むような解放感へ導かれ——自分のものとは信じ難い声を止めどなく零した。

 ぶわりと全身に訪れる、溶けるような脱力感。

 最初の絶頂を越えて火のように熱くなった俺の身体は、もう自分のものではないかのように彼の腕に預けられた。 
 
 ——俺は……今、何を……

 ……考えなくていい。
 何も。

 めちゃくちゃに混乱した意識を立て直すことすら、俺は放棄した。

 ただ——彼に、全てを預ける。
 彼から与えられる全てのものを、味わい尽くす。
 快感も——苦痛さえも。
 今の俺が欲するのは、それだけだ。

 やがて、混乱の中を漂う意識は、彼の施す刺激も痛みも全て呑み込み——硬直していた全身の筋肉は、いつしかゆるゆると解された。

「——辛かったら、言って」
 掠れるように乱れるその声が、耳元に囁く。

 そして——
 彼の息遣いが、ぐっと緊張した。

 同時に、自分の深い部分へこの人を受け入れる強烈な刺激が、ビリビリと背筋を駆け上がった。

「あ————待っ……い……………っ!!」

 未体験の尋常でない痛みに、身体が仰け反る。
「——やめようか?」
 彼が、荒い息の中からそう問う。
 俺は必死に首を横に振る。
 もう、俺の身体は——彼とのその先を、知らずにはいられない。

「——力を抜いて……ゆっくり、息をして」

「————っ……」

 その強烈な刺激と圧迫感に、思わず呼吸を奪われそうになる。

 これは痛みなのか。快感なのか。
 これは——幸せなのか。誤りなのか。

 ——そんなこと、わからない。

「——大丈夫——?」

 俺の中に自分を埋め——呼吸を乱し、苦しげに眉根を寄せながら、彼は俺を見下ろして微かに微笑む。
 その困惑したように艶めく表情を、俺はたまらなく欲しくなる。

「———」

 言葉を選べないまま——彼の首に腕を回した。
 俺の心を読んだかのように、彼は俺の上にキスを降らす。
 たまらず、その唇を求めた。
 息が詰まるほどの、深いキス。

 漸く唇が離れ、はあっと漏れる彼の息に、微かな囁きが混じった。

「———柊」

 その瞬間——俺の瞳は吸い寄せられるように、彼の瞳とまっすぐ見つめ合った。

「——神岡……さん……」

「—————」

 無言のまま、彼の顔は再び伏せられ——
 その唇は、俺の首筋を小刻みに啄んだ。

 そして——彼の起こす揺れが、少しずつ強くなる。
 自分の身体が、その揺れを受け止め始める。

 ——呼吸がままならない。首を強く反らし、無我夢中で喘ぐ。言いようもなく強烈な感覚に、勝手に涙が滲む。

 必死にシーツを掴んでいた俺の両手の指を、彼の指が捕らえ、絡んだ。

 やがて、お互いの指に力が籠もり——固く結び合う。

「——柊………」

 意識の混濁する耳元を、激しい呼吸とともに彼の囁きが再び掠めた気がした。

 波は次第に大きくうねりを増していく。
 俺にできるのは、もう彼の指を離さずにいることだけだ。

「……う……っ……
 ——っあ…………あ…………!!」

 受容可能な量を遥かに超えて突き上げる、訳のわからない強烈な衝撃に——俺はただ、悲鳴のような喘ぎを上げ続けた。




✳︎




 目覚めると、早朝の日差しがカーテンを通して淡く差し込んでいた。

「———」

 ぼーっとした頭で……しばらく、昨夜のことを反芻する。
 思考を漂わせたまま、横を見る。

 神岡は、まだ眠っていた。

 いつもは整っている柔らかな髪が、濡れたように乱れている。

 そこから伸びる鼻筋の真っ直ぐな線と、凛々しい眉。
 閉じた瞼に生え揃う、細やかな睫毛。
 白く滑らかな頰と、形良く艶やかな唇。

 美しい曲線を描く首筋。
 無駄のない引き締まった肩、胸。
 綺麗な鎖骨——。

 毛布を一枚纏っただけの——何も隠していない、彼。

 朝の淡い光の中で——
 まじまじと、その美しさに見惚れる。

 昨夜。
 俺は……この人に、抱かれていた。

 ——あんなにも激しく。

 ——マジか……?

 だんだんと、思考が現実に戻ってくる。

「ん……」

 俺が見つめ過ぎたせいか。彼も目覚めるようだ。

「……!!」
 バタバタと逃げて隠れたい恥ずかしさに襲われるが、身体に力を込めた途端、全身の激しい痛みに思わず顔が歪む。
「うぐっ……」
「……おはよう、柊くん」
 目覚めたばかりの、神岡の柔らかな瞳に捕まった。

「……お……お、はようございます……」
 とても彼の顔を直視できず、毛布に顔を埋めるようにしながら何とか返事を返した。

「………」
 彼も、挨拶を交わしたきり視線を宙に彷徨わせると、黙り込んで何かを考えている。

「……どうしたんですか?」

 急に不安になった。
 まさか……俺は昨夜、実は我を忘れてとんでもない醜態を晒した……とか……??

 俺の問いかけに、彼は居心地悪そうな顔で呟く。
「柊くん……ごめん。……辛かった?」
「は?」

「いや、昨夜は……途中から、ブレーキが全く効かなかったような気がして……。
 ……あんまり、君が……その……」
「……あんまり、何ですか」
 変に顔が熱くなりそうなのを堪え、尋ねる。はっきり言ってくれなきゃ、俺の不安が払拭できない。

「いや……昨夜の君が……かわいくて。
 例えば……なかなか懐かない白猫が、実は情熱的で……主人が思い切りメロメロ化した……みたいな」

「———」
 思わず、火の出そうなほどに頰が熱くなる。穴があったら入りたい。しかし、そんな穴はないし、たとえあっても身体が動かない。無理に動けばあちこちがギシギシと悲鳴をあげそうだ。

「……ヘンな例え方やめてください」
 苦し紛れに、ぶっきらぼうに返す。
「そうやってすぐ元に戻っちゃうところが、ますますかわいい」
 悔しい……はずなのに。
「……ほんとヘンジンですね」
「そんなこと最初から知ってるはずだ」
 少しおかしそうにそう囁いて、彼は俺の耳元に小さくキスを落とす。

 それに応えるように、俺は思わず彼の顎に額をすり寄せる。

 ……やばい。
 俺が俺でなくなっている。

 ——ああ、もういいや、なんでも。
 さっぱり訳などわからないけれど……こんなに満たされた気持ちになったのは、生まれて初めてなのだから。

「……このままじゃ、またしたくなる」
 俺と視線を合わせ、彼は困ったように小さく微笑む。
「——いいですよ」
「いや、君が無理だ」
「……うぐ……」
「だろ?
 朝食準備するから、君はもう少し寝てたらいい」
 彼はクスクスと笑いながらそう言うと、するりとベッドを降りていった。

 彼の体温と仄かな香りが、後に残った。


 そうして——ひとりになったベッドで、俺は考える。

 間もなくここを離れなければならない、自分のこと。
 置き去りにしなければならない、彼のこと。

 自分の辛さなど、どうでもいい。

 けれど……

 この人は——
 自分がいなくなったら……また、以前のような孤独に戻るのだろうか?
 本当に心を許せる相手を持たないまま——「やらねばならないこと」をこなすだけの時を、延々と重ねるのだろうか?

 今目の前にある時間が、ずっと続かないものだとわかっていても——
 終わるその瞬間のことを考えると、ギリギリと胸が痛む。

 俺がするべきことは……何だろう?
 自分のために——そして、彼のために。

 簡単には答えの見つからない質問が、バラバラと自分に降ってくる。

 こんな思いに——きっと、追われ続けることになるのだろう。
 ここを去る時まで——もしかしたら、去った後も。

 棘《とげ》のついた複雑な思いが、心のあちこちを刺しながら胸の中を転がる。

 その痛みを見つめながら、俺は固く目を閉じた。