そろそろ練習に戻らないと。このまま座っていたって、サッカーが上手くなるわけでも、部員たちとの距離が縮まるわけでもない。どこか名残惜しい気持ちが芽生えかけていることに蓋をして、丸椅子から立ち上がりかけたときだった。
「失礼しまーす。矢野ちゃーん、怪我しちゃった」
デレデレした声でそう言って、入室してきたのはバスケ部の練習着を着た生徒。慣れた様子だから、恐らく上級生。しかし、彼は獅子道くんを目にすると、すぐに表情を変えて「し、失礼しましたっ!」とくるりと振り返って一目散に去っていく。
そんなに全力疾走できるのに、一体どこを怪我していたんだ。そう言いたくなるほど、元気そうだった。意味不明な行動に首を傾げていれば、目の前の獅子道くんの表情が暗くなっていることに気づく。
「どうかしました?」
「うーん、悪いことしてもうたなぁ……」
ぽつりと寂しそうに零された言葉の意味を、獅子道くんが保健室にいた理由を、この時の俺は何も理解できていなかった。
「ほら、蒼人くんもそろそろ部活に戻り」
「あ、はい」
「……もう、ここに来るんやないで」
「え?」
「ほら、保健室来るってことは体調悪いってことやろ。あかんよ、もう怪我なんかしたら」
くるりと指輪を回しながら、言い訳するみたいに並べられた言葉。にいっと笑ってみせるけれど、その目の奥に滲んでいるのは寂寥の色。それが気になって引っかかっているのに、初対面の人相手にずかずかと踏み込めるわけがない。
自分は簡単に距離を縮めてくるのに、こちらから歩み寄ろうとしたらすっと離れていく。まるで気まぐれな猫みたいに遊ばれているようだ。絶妙な距離の取り方に、人よりもコミュニケーション能力が乏しい俺はどうすることもできない。さっきはじめましてをしたばかりの人に踏み込んでいく勇気なんて、今はまだ持ち合わせていなかった。
「……ありがとうございました」
「はーい、もう無茶するんやないで」
小さな声でお礼を言えば、ゆらゆらと手を振った彼にお見送りされる。そのまま振り返ることもせずに保健室を出ればきゅうっと胸の奥が痛んだけれど、その理由に思い当たるものがなくて、唇をぐっと噛んだ俺は前を向いてグラウンドに戻る。その膝を守る、ちょっぴり歪んだ絆創膏はご愛嬌。なんだかほんの少しだけ愛おしかった。
けれど、俺はサッカー部のエース。余計なことは考えない。大きく息を吐き出せば、思考がクリアになる。サッカーコートに着く頃には、頭の中のスイッチは完全に切り替わっていた。



