強引に話を進めようとはしてみたものの、掴んだ手が汗ばむほどには緊張している。獅子道くんはぽろぽろと零れ落ちる大粒の涙を拭おうともせず、ショックを受けたまま固まっていた。その涙を代わりにそっと拭えば、震える唇が開く。


 「……終わらせてや」
 「え?」


 まるで吐息のような、か細い声を思わず聞き返す。その言葉の意味がよく分からなかったから、聞き間違えたのかと思ったのだ。しかし、獅子道くんの表情は変わらない。


 「もう、分かっとるんやろ」
 「…………」
 「……自分では捨てられへんから、蒼人くんが終わらせて」


 そう言って、悲痛に泣きじゃくる彼を抱き寄せる。端から俺の気持ちが自分に向いていないと思い込んで、深く悲しんでいるこの人をそのままにはしておけない。

 抱きしめた腕の中で本格的に泣き始めた獅子道くんは、嗚咽混じりに本音を零す。


 「蒼人くんの、邪魔したくないねん」
 「邪魔だなんて思ったことないですよ」
 「蒼人くんは、優しいから……」
 「…………」
 「……好きになって、ごめん」
 「っ、」
 「ちゃんと終わりにできるから、蒼人くんの口から振ってくれへん?」
 「……ばか」


 やっと聞けた二文字に、余計な三文字がついてきたと思ったら、俺の気持ちも知らないまま獅子道くんが勝手に終わらせようとしている。さすがの俺も、これには罵倒の言葉が漏れた。


 「はぁ……、獅子道くんは俺の気持ちを知りたくないんですか?」
 「知ったところで、結果は変わらんやん……」


 ため息混じりの問いかけには投げやりな答えがもごもごと返ってきて、頭を抱えたくなる。俺が貴方を好きだなんて、微塵も考えていないのが分かる。

 俺、結構あからさまだったと思うんだけどなぁ。好きじゃなかったらあんなに絡んだりしない。あのアピールは、一体何だと思われていたのだろう。ただのスキンシップとでも思われていたのだろうか。再び溢れたため息を聞いて、腕の中の獅子道くんが我に返ったかのようにじたばたと暴れ出すけれど、それを上回る力で抱きしめる。


 「離してや……」
 「どうして?」
 「っ、蒼人くんは今から振る人を抱きしめながら慰めるん? そんな優しさ、俺はいらん」
 「じゃあ、振らないなら抱きしめていてもいいんですよね」
 「……え?」


 その言葉が引っ掛かったのか、途端に大人しくなった獅子道くんを腕の中から解放する。涙で濡れた瞳が見上げてくる。両肩に手を置いて「獅子道くん」と呼べば、どことなく甘い空気が醸し出されて獅子道くんが狼狽えた。


 「俺も……、貴方が好きです」
 「っ、」
 「終わらせるんじゃなくて、二人で始めませんか? 恋人っていう新しい関係を」


 まっすぐにその瞳を見つめて告白すれば、獅子道くんの目がまん丸に見開かれる。


 「うそ……、え、夢……?」
 「嘘でも夢でもないですよ」
 「でも、そんなわけ……」
 「俺の気持ちを疑うなら、今ここでキスしたっていいんですよ?」
 「っあかん! 誰が見とるかも分からんのに、そんなんしたらあかんで」


 本気と冗談をハーフアンドハーフで言えば、ばっと両手で口元を抑える獅子道くん。本気でやってやろうかという気持ちがぐんと上がるけれど、今はまだ正式に付き合ってないからおあずけ。


 「じゃあ、俺の気持ち、ちゃんと受け取ってくれますよね?」
 「う、うん……」
 「まだ疑ってます?」
 「……ううん、蒼人くんはこういうことで嘘つかんって知っとるから」


 さっきまでの焦りようとは打って変わって、凪いだ表情で静かに言う獅子道くんがようやく受け止めてくれたことにほっとする。これまで築き上げてきた信頼関係が実を結んだ。


 「俺は、獅子道くんとの関係に特別な名前が欲しいです」
 「……俺でええん?」
 「はい」
 「蒼人くんなら、いくらでも選び放題なんやで? 隣の学校の女の子も蒼人くんのファンしとるって聞いたし」
 「他の誰でもない、獅子道くんがいいんです」
 「……なんか違うなぁって思ったら、すぐ、振ってええからね?」
 「もし違うなぁって思うところがあっても、それも全部含めて獅子道くんなので。俺はどんなところも愛しますよ」


 たとえ九十九人が獅子道くんの嫌なところを見つけたとしても、俺だけはその部分も含めて獅子道くんを愛そう。……まぁ、獅子道くんの短所なんて人が良すぎるところぐらいだろうけれど。

 俺の宣言を聞いた獅子道くんがきゅっと唇を噛む。あ、かわいいな。不意打ちできゅんときて、ゆらゆらと彷徨う視線の行方を探りたくなる。多分、もうあと一押し。


 「獅子道くん、」
 「ん」
 「俺と、付き合ってくれませんか?」
 「………………はい、こんなどうしようもない俺でよければ、喜んで」
 「っ、よっしゃ」


 小さくガッツポーズをしてから、再び獅子道くんを抱きしめる。さっきとは違って、背中にぎこちなく回された手が愛おしくてたまらない。

 獅子道くんがどうしようもなく、好きだ。この人が苛まれるすべてのものから、俺が守ってあげたい。獅子道くんのためなら何でもしたい。ずっと、傍にいたい。どんどん気持ちが溢れてきて、回した腕に力が入った。


 「もし獅子道くんが関西に戻るなら、俺も関西の大学目指さないとなぁ」
 「え……?」


 ぽつりと零した言葉を聞いた獅子道くんが、少し体を離して無垢な瞳で俺の顔をじいっと見つめる。


 「言ったじゃないですか、ずっと傍にいるって」
 「っ、でも、俺はただ嫌なことから逃げるだけで、そんなことに蒼人くんを巻き込みたくない」
 「俺はそんなつもりないですよ。獅子道くんの育ったところなら一回ぐらい住んでみるのもありだなぁと思うし」
 「…………」
 「むしろこれは、片時も離れたくないっていう俺のエゴですよ。……あ、関西行ったら俺と同棲してくれますか?」
 「……蒼人くんのあほ」
 「ふふ、今のは頷いたってことで受け取っておきますからね」


 顔を少し赤くした獅子道くんが、泣きそうな顔を隠すために俺に抱き着いてくる。すりと猫が甘えるみたいに擦り寄られたら、あまりのかわいさに理性の糸が切れかけた。


 「……ほな、蒼人くんも勉強頑張らんとね」
 「獅子道くんのためなら、何だってできますよ。不可能という意味の『impossible』っていう英単語だって、スペースを入れるだけで『I'm possible』になるらしいので」
 「あ、ほんまや。蒼人くんは英語得意なんやね」
 「いや、これはたまたまつけたテレビで、なんかアイドル? が言ってました」
 「へぇ、どんなアイドルなんやろ。ちょっと気になるなぁ」


 他の男に興味を持たれると、途端にジェラシー。獅子道くんには俺のことでいっぱいになってほしいのに。だけど、それはまだ口には出せない。こんなどろどろとした重たいものを抱え込んでいるなんて、ビビらせるだけだろうから。これからゆっくり、じわじわと、俺に染めていけばいい。


 「獅子道くん、」
 「ん?」
 「俺以外に目移りしたら、嫌ですよ?」
 「分かっとるよ。ずーっと最初っから、俺には蒼人くんしか見えとらん」


 宥めるように俺の頭を撫でる獅子道くん。その表情が大人びていて、子どもじみた俺よりもやっぱり歳上なんだなぁって実感する。


 「……好きです」
 「っ、不意打ちやめて」
 「何回言っても足りないから、言いたくなった時に言おうと思って」


 他人の好意を受け取るのが苦手な貴方が、勝手に暴走して俺の愛を疑うことがないように、何度だって伝えてやる。すると、獅子道くんがくいっと袖を引っ張って、甘い熱を帯びた瞳で見つめてくる。


 「蒼人くん、」
 「はい」
 「……俺も、好き」


 えへへ、と照れ笑いする獅子道くん。ズキュンと、シンプルな言葉が胸の奥深くまで突き刺さって、抜けそうにない。その言葉の威力を自覚していない獅子道くんは呑気にぽやぽやと笑っているけれど、俺にそんな余裕はない。今ので完全に理性の糸が切れた。

 赤らんだ頬に手を当てて、その小さな唇に口付ける。柔らかい感触が心地よい。今まで抱えていた醜い感情すべてが綺麗に消え去って、ただ獅子道くんへの愛で満たされる。名残惜しく思いながらもすぐに唇を離せば、林檎みたいに真っ赤になった獅子道くんが俺を睨み上げた。


 「っ、ここではしぃひんって言うたのに」
 「あれは付き合う前だったので」
 「もう、公の場ではキス禁止!」
 「それって、保健室は含まれますか?」
 「あほ、学校で何しようとしとるんよ」
 「健全なこと、ですかね?」
 「蒼人くん」


 獅子道くんがぷんぷん怒っているけれど、本気で怒っているわけじゃない照れ隠しだって分かるから、ちっとも怖くない。


 「ちゃんとバレへんようにしてや?」
 「……はい」
 「何、その嫌そうな顔」
 「だって、世界中に『どうだ、俺の恋人は世界一かわいいだろ』って言って回りたいぐらいなのに」
 「そんなんせんでいいから」
 「分かってますよ。その代わり、獅子道くんは俺の愛をすべて受け止めてくださいね?」
 「……がんばる」


 ぎこちなく頷く獅子道くんについ笑ってしまう。いいですよ、ありののままの獅子道くんで。俺は飾らない貴方を好きになったので。


 ・
 ・

 不良と噂の獅子道くんは、純粋で、根っからの善人。「保健室の悪魔」と呼ばれているけれど、そんなのは全くの嘘。陽だまりのようなあたたかさを持っていて、自分のことよりも他人のことを優先させる、優しいひと。

 そして、俺を虜にして離さない、とびっきりかわいくて愛おしいひとだ。


 【完】