この感情は、自分だけの特別な宝物……の、はずやったのに。

 苛立ちを隠そうともしないおかんの後をびくびくしながら着いて行った日のことを、まるで昨日のことのように思い出せる。何が機嫌を損ねるか分からへんから黙ったまんま、足音もできるだけ立てんようにして、カツカツと響き渡るハイヒールの音をただ無心で追いかける。

 真新しい綺麗な校舎。この地域では一番の進学校らしい。すれ違う生徒はキラキラしていて、青春を謳歌していた。青春の欠片も持っていない俺とは違う。だって、俺には勉強しかない。勉強ぐらいちゃんとできんと、おかんにもっと嫌われてまう。やから、ちゃんとせんと。

 へこへこしてばかりの先生の説明を話半分に聞きながら、手続きを進めるおかんの隣で窓の外をぼーっと眺めてみる。なぁんも興味持たんはずやったのに、次の春に入学してくる子がサッカー部の練習に混ざっとるみたい。

 その中に、一際輝く太陽を見つけた。青空の似合う爽やかな出で立ちで、とびっきりの輝きを放って笑っとった。それが、後の蒼人くん。第一印象は、サッカーが上手いキラキラした子。どこにいても視線が吸い寄せられて、いつまでも目が離せなくなる。ボールの扱い方も上手いし、足だって速いけど、それだけやない。何よりも人を惹きつける煌めきがあった。サッカーを自由に楽しんでいる姿がいきいきしとって、全身から幸せなオーラを振り撒いとる。そんな姿を見て、俺にも分けてほしいなぁ……なんて、そう思ってしまうほどに、彼は眩しい太陽だった。


 ◇◇

 転校初日、黒板の前に立たされた俺を見て、みんながひそひそと話し始める。話の内容こそ聞こえてこんかったけど、ドン引きした瞳が突き刺さる。お前なんかとは仲良くなれない。言葉にしなくたって、そう言いたいのが伝わってきた。

 新学期が始まる前の中途半端な時期に転校したのも悪かったんやと思う。もうあと一ヶ月もすれば学年も変わるのに、いかにも訳ありですって雰囲気でやってきたら、そりゃあ遠巻きにするよなぁって納得する。

 案の定、休み時間になっても誰も話しかけにこぉへんし、隣の席の子は逃げるように教室から出て行った。俺が移動教室の場所を聞いたらちゃんと答えてはくれるけれど、答え終わった瞬間にそそくさと逃げていく。これ以上絡んでくるなと言いたげな視線だけを残して。

 あ、無理かも……。
 限界はすぐにやってきた。そう思ったら勝手に足が動かんなって、サボったことがバレたらおかんに怒られるって泣きそうになった。家に引き返す選択肢なんて持っとらんから、同じ学校の生徒に出会さんようにいつもは使わん道を使ってなんとか必死に校門までたどり着いた。

 そこでたまたま出会ったのが、矢野ちゃん。あまりに酷い顔色をしとったんやろう。有無を言わさぬ様子で保健室に連れて行かれて、ベッドに横にさせられた。


 「獅子道くん、で合ってるかな?」
 「……はい」
 「無理して教室まで通わなくていいんだよ」
 「でも、学校行かんかったら、おかんが、」
 「大丈夫、学校に来るなって言ってるんじゃない。ここで勉強すればいいから。ね?」


 恐らく、俺の事情は学校中の先生が知っとったんやと思う。最初は迷惑かけるわけにはいかんし、バレたらおかんに怒られるからって断ろうとしたけど、矢野ちゃんは頑固やった。テキパキしとる矢野ちゃんは俺の意見も聞かずにすぐに担任に相談して、その日の午前の間に俺はおかんにも内緒で保健室登校することが決定しとった。これぐらい強引にせんと、俺が学校に来ずに繁華街とかをふらつく可能性があるって分かっとったんやろなぁ。


 ◇◇

 学年がひとつ上がって、新一年生が入学してきた。俺の興味はもっぱら蒼人くんで、彼のクラスの体育の時間を覚えてしまうほど夢中になって窓から眺めとった。見れば見るほど、かっこいいんやもん。彼のことを少しでも知りたくて、初めて自分から矢野ちゃんに話しかけた。


 「なぁ、矢野ちゃん」
 「うん? どうかした?」
 「あの子の名前って知っとる?」
 「んー、どの子だろう?」
 「あの、今ボール持っとる、一番キラキラしとる子」
 「あー、サッカー部期待の新人エースくんね」
 「入学してすぐやのに、もうエースなんや……」
 「そう、蓮水蒼人くんだって。職員室でもよく話題に上がってるよ」


 俺の憧れは、みんなのスーパースターやった。女の子にキャーキャー言われるのなんて、当たり前。蒼人くんのことを好きにならん人はおらんのちゃうかって思ってまう。どんなに学校に来るのがしんどくても、蒼人くんがおるって思ったらその姿を見るためだけに一歩を踏み出せた。蒼人くんはみんなのスーパースターで、俺の背中を押してくれるスーパーヒーローだった。

 でも、だからこそ、自分なんかが近付いたらあかん。醜い俺は神聖な存在を汚してしまう。やから、一方的に見とるだけで満足やった。俺の存在なんて知らんまま、学校生活を楽しんでほしかった。

 そう思っとったのに、まさか矢野ちゃんがいないタイミングで保健室に来るなんて……。内心大パニックやったこと、蒼人くんは気づかんかったかなぁ。平然を装ってたけれど、ほんまは声も手も震えてたって知ったら、どんな顔するやろう。

 初めて話す蒼人くんは今まで見ていた通りクールで、人を寄せ付けない雰囲気があった。怪我をそのまんまにして帰ろうとするから慌てて強引に引き止めたけど、あんな不格好な手当てならむしろ必要なかったかもしらんって、後から思い出しては時々恥ずかしくなる。

 知ってるくせに名前を聞いて、もう関わらんつもりやのに自己紹介して。全てに淡い期待が漏れ出しとって、自分のやったことがダサいなぁって自己嫌悪に陥る。

 蒼人くんがグラウンドに戻った後もしばらく顔の熱が取れんくて、帰ってきた矢野ちゃんから問い詰められた。


 「どうしたの、そんなに顔赤くして。誰か来た?」
 「……うん」
 「誰? 恋でもしちゃった?」
 「っ、からかわんといてや」
 「ごめんごめん。で、何があったの?」
 「…………蒼人くんが、怪我の手当てしにきた」
 「えっ、獅子道くんがいつも窓から見てる、あの蒼人くん?」
 「……なんか言い方嫌やけど、そう」
 「わー、よかったね。ちゃんと話せた?」
 「あんまし……」
 「じゃあ、次はもっと話せたらいいね」


 正直に白状したら応援してくれたけど、俺と蒼人くんに「次」はない。もうこれっきり、話すことはないから。そんな未来を描いていたのに、蒼人くんはいつだってトリッキーで我が道を行く男やった。

 「悪魔」なんて大層なあだ名で呼ばれとる自分とは金輪際関わらんと思っとったのに、蒼人くんは何でか俺の引いた境界線なんて無視してこっちに飛び込んでこようとする。

 俺がいくら逃げようとしたって、追いかけてきて、ネガティブな自分を肯定して褒めてくれる。かおちゃんの意地悪を知っても、そこまで引きずらんかったんは蒼人くんのおかげ。キラキラの太陽は、見た目だけじゃなくて中身までかっこいい男やった。

 これ以上好きになったら後戻りできなくなるってわかってるのに、知れば知るほどその沼は深くて、どんどん深みにはまっていく。どれだけ俺がドキドキしていたか、からかってばかりいた蒼人くんは知らんやろうね。

 キラキラと輝くその瞳に俺だけ映してくれへんかなぁって、俺なんかには到底許されないことを何度も思った。一緒に過ごす時間が増える度に、自分の中に欲がどんどん蓄積されていく。そんな自分を抑えようと、酷い子やねって言ったのは優しい蒼人くんに依存してしまうのを止めたかったから。

 誰もが焦がれる太陽に恋をした。青春なんかとは程遠い毎日を送っていても、蒼人くんを見ている間だけは彼の青春を分けてもらってる気分だった。蒼人くんが俺の青春の全てやった。

 やけど、あかんよ。友達止まりにするって決めたんやから。この気持ちは、墓場まで持っていくって決めたんやから。それぐらいしか、俺が蒼人くんのためにできることはない。やからさ、これ以上、好きにならせんといてよ。何度、そんなことを考えたやろう。

 オレンジみたいに甘くて苦いこの恋は、独りで寂しく終わらせるはずやった。それやのに、どうしてバレちゃったんかな。確信めいた瞳が俺を射抜く。この瞳を前にしたら、嘘なんかつけへん。

 手を掴まれてるから、逃げ場なんてどこにもない。
 いつかは終わりが来るって分かっとった。
 それがたまたま今日やっただけ。

 もう、覚悟は決めた。

 俺の初恋、蒼人くんの手で終わらせて。
 蒼く染まった宝物は、俺の手ではよう壊せんから。