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 こういうとき、自分の足が速くてよかったなぁとしみじみ思う。駅からカフェに向かう道すがら、さっきまでは何も考えずに通り過ぎたアクセサリーショップ。男一人で入店するには少し緊張して尻込みするけれど、獅子道くんを一人で待たせている間に良くないことに巻き込まれていそうで勢いのままに煌びやかな店内に飛び込んだ。

 指輪のコーナーまで足を進めると、店員さんが近付いてきて声をかけてくる。


 「何かお探しですか?」
 「……大切な人に、プレゼントしたくて」
 「あら、それは素敵ですね。この辺りは若い方に人気ですよ」


 居心地の悪さを感じながら、導かれるがままにその後を着いていく。ブランド物を買えたらかっこいいのだろうけれど、残念ながらただの男子高校生にそんな余裕はない。ゼロの数が比較的優しめのコーナーにほっとしながら、商品を見定めていくと、これだと一目で気に入るものがあった。


 「こちら、出してみましょうか?」
 「お願いしてもいいですか?」
 「もちろんです」


 そんな俺の様子をいち早く察して、俺から声をかける前に動き出す店員さん。仕事が出来るのだろうなぁと、テキパキとショーウィンドウから丁寧に指輪を取り出す姿を見て思う。

 どうぞ、と勧められて、実物をしっかりと見定める。うん、やっぱりこれだ。優しくて繊細な獅子道くんの指には、ごつめのリングよりもシンプルなデザインのシルバーリングの方が似合うだろう。

 プレゼント用にラッピングしてもらっている間、ほんの少しだけこれでよかったのかなって、自分の決断に自信が揺らぐ。センスに自信はないし、買ってからこれって恋人にプレゼントするものなんじゃないかって思ったけれど、ふとした瞬間に獅子道くんがあのリングのことを思い出して暗い気持ちになるのが嫌だと思ったから。


 「ありがとうございました」


 にこやかな店員さんの声を受けながら店を出て、再び街を走る。急げ、思ったよりも時間がかかってしまった。あの獅子道くんのことだ、一人にしたら無意識にトラブルを呼び込んでしまうだろう。

 そんな俺の嫌な予感は、当たってほしくないときこそ当たるもので。カフェに着いた瞬間、飛び込んできたのはスーツ姿のサラリーマンに何やら話しかけられている獅子道くんの姿。困ったように眉を下げて首を振っているから、恐らくナンパだろう。

 はぁ……とため息を吐き出す。イライラが態度に出ていると自覚しながら、何も言わずにその横を通り過ぎて獅子道くんの向かいの席に座り、サラリーマンを「何か用?」と言わんばかりに睨み付ければ、焦ったような笑顔を浮かべた男は「ごめんごめん、他を当たるね」と足早に去っていった。


 「おかえり」


 あからさまにホッとしたような表情をする獅子道くん。俺だって、アイツと同じような欲を貴方に抱いているっていうのに。何の疑いもなく、無邪気に俺を信用している姿にイライラが少しだけ緩和されるけれど、それで大丈夫なのかと心配は募るばかり。


 「やっぱり絡まれてましたね」
 「ちゃうんよ、道聞かれてただけ」
 「そういう口実で連れ出そうとしてたんですよ」
 「そうかもしらんけど、ちゃんと待っとる人がおるって断ったもん……」
 「…………」
 「……そもそも、蒼人くんが俺をひとりにするんが悪いんやし」


 燻った感情を誤魔化すために意地悪を言えば、獅子道くんはムスッとして下唇を噛んだ。確かに、今のは俺が悪かったのだけれど、反省よりも先にぽつりと落とされた爆弾に顔が赤くなる。どうして、貴方はこう、突然ドキマギさせることを言うのだろう。


 「……すみません」
 「ん」
 「俺が獅子道くんの傍にいなかったのが、悪いですもんね」
 「……、ち、ちが、そういうことを言いたかったわけちゃう」
 「はいはい、分かってますよ。でもまぁ、物理的に常に傍にいることは難しいので、これ……」
 「え?」


 真面目くさった顔で渡すのは、まだまだ気恥ずかしくてできそうにないから。本当はもっとスマートに渡したかったけれど、それはまた今度。背伸びをした俺の精一杯、ぶっきらぼうにショッピングバッグごと差し出せば、不思議そうにしながらも受け取ってもらえた。


 「これ、俺に……?」
 「いらないって言うなら、大丈夫です。誰か他の人に、」
 「嫌や、俺のために買ってきてくれたんやろ?」
 「はい」
 「じゃあ、受け取らせて?」


 言い訳みたいに本心にないことを並べようとすれば、獅子道くんの落ち着いた声に遮られる。形勢逆転。心臓がドクンドクンとうるさく主張する。恥ずかしさと、ほんの少しの後悔と共にこくんと頷くと、獅子道くんは破顔した。


 「今、開けてもええ?」
 「……はい」


 許可をもらった獅子道くんがクリスマスプレゼントをもらった子どものように目をキラキラさせながら、丁寧にリボンを解いていく。パカッと箱を開けて、獅子道くんがはっと息を飲んだ。


 「……っ」
 「獅子道くんは強い人だからもうお守りはいらないかもしれないけど、獅子道くんの味方はいるんだよって覚えておいてもらえたらと思って……」
 「…………」


 獅子道くんは固まったまま、何も言葉を発さない。その姿にじんわりと後悔が増殖していって、獅子道くんの手の中にあるそれに手を伸ばす。


 「すみません、いきなりすぎて重いですよね。やっぱり、これは無しで」
 「あっ、あかんよ」


 引き取ろうとした瞬間、獅子道くんがそれを拒否するように強く指輪を抱きしめた。伸ばした手が空中で固まって、気まずい上に不格好で、何にも様になってない。


 「もうこれは俺のやもん」
 「獅子道くん?」
 「……ほんまに貰ってええの?」
 「はい、獅子道くんが嫌じゃなければ」
 「嫌になんかなるわけない。ありがとぉ、ほんまにめっちゃうれしい」


 浮いたままになった手を取って、きゅっと控えめに握られる。珍しい、獅子道くんからのスキンシップ。とびっきりの笑顔が俺を射抜く。

 真正面からかわいい笑顔を受け止めてしまって、顔が熱い。まさか、こんなに喜んでもらえるとは思わなかった。嬉しそうに表情筋を緩ませる獅子道くんを見ているだけで、あたたかいものが胸の奥に広がっていく。

 俺の方が幸せをもらっちゃってどうするんだ。
 そんなことを思いながら、俺もふと表情を柔らかくしていると、慎重に箱から指輪を取り出した獅子道くんが、そわそわとウキウキが入り混じった様子で指輪を着け始める。前まで少しぶかぶかのものだったけれど、今は人差し指にぴったりと嵌っている。俺の目論見通り、獅子道くんにすごく似合っていた。


 「えへへ」
 「……そんなに嬉しいんですか」
 「うん、蒼人くんからのプレゼントやもん。俺のためなんやなぁって分かるから、何でも嬉しいよ。その蒼人くんの気持ちが一番嬉しい」


 やっと、ちゃんと気持ちを受け止めてもらえた気がする。うまく言葉を返せない俺は、残りのカフェオレは一気に飲み干した。その様子を獅子道くんは柔らかな瞳で見守っていた。

 店を出てから、何度も天に手をかざして指輪を見つめている。その瞳がキラキラと輝いていて、何よりも美しかった。


 「ほら、前向いてないと危ないですよ」
 「へへ、嬉しくってつい」


 子どもみたいにはしゃいじゃって、これじゃあどっちが歳上か分からない。それでも、自分がプレゼントしたものでこんなに喜んでもらえるなら、プレゼントした甲斐があったというものだ。


 「ふふ、大事にするね」
 「ありがとうございます」
 「お礼を言うのはこっちの方やで。ほんまにありがとう」


 ニカッと太陽にも負けないほど、眩しい笑顔。この笑顔を見れるなら、俺は何だってできるかもしれない。


 「それに、今日、蒼人くんがおらんかったら、たぶん一人で落ち込んどったから……」
 「辛いときは、この指輪で俺のことを思い出してください。俺はいつだって獅子道くんの味方だし、貴方だけのヒーローになりたいです」
 「っうん、蒼人くんが一緒やって思ったら何でも頑張れるわ」


 うるっと瞳を潤ませた獅子道くんの手を取る。すりと指先で撫でれば、涙の溜まった瞳が困ったように俺を見上げてくる。真面目な場面だっていうのにふつふつと浮かんでくる、この場に似つかわしくない感情。そうやって俺にだけ縋って、俺しか見えなくできたらいいのに……なんて、かわいくない独占欲。

 彼の指に、自分のあげたものが四六時中着いているという事実。征服欲が満たされるけれど、それを獅子道くんにはバレちゃいけない。もしかしたら、薫さんよりも重たいものを手にしてしまったかもしれないというのに、無垢に喜んでいる獅子道くんはまさに太陽。妬みや嫉み、そんな仄暗い気持ちが入り混じった指輪も、きっとそのうち浄化されてしまうだろう。

 俺に手を取られたまま大人しくしている獅子道くんは、みるみるうちに顔を赤くさせる。俺がそうしているのだという優越感。

 まだ言うときじゃないって分かっているけれど……。あーあ、早く俺のものになってよ、獅子道くん。