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たまたま空席を見つけたカフェのテラス席。冷たいカフェオレの入ったグラスの外側を水滴がつーっと音もなく滑り落ちていく。必要ないのにくるくるとストローでかき混ぜれば、カラカラと氷たちのぶつかる音がした。
さて、どうしたものか。目の前に座る金髪の彼は、俯いたまま顔を上げようとしない。贅沢に乗せられた生クリームがココアにどんどん溶けて、白と黒が境界線で混じっている。
獅子道くんが、どうしてこんなに卑屈なのかが分かった気がする。家では母親から存在自体を否定され、唯一頼りにしていた幼馴染みからも悪意に塗れた意地悪をされてばかり。そんな環境じゃ、そりゃあ「自分なんか」って思うようにもなるだろう。
太陽の光を反射して、シルバーのピアスがきらりと光る。以前ピアスを集めるのが好きだと言っていたけれど、もう何もかも嫌になっていないだろうか。お決まりのハーフアップから覗く、ピアスで飾られた耳にそっと触れる。それにぴくりと反応した獅子道くんが僅かに顔を上げた。
「……痛かった、ですよね?」
「ううん、もう今はよう分からへん。……心臓の方がぎゅうってしとる」
胸の辺りを握り締めた獅子道くんが震える声で言う。泣きそうに見えるけれど、でも今は絶対に涙を見せることはないだろうなと思った。
自分の弱さを誰にも見せようとしない人だから。
……どうしたって、俺を、頼ってくれない人だから。
こんな時ぐらい泣いたって許されるのに、そうしようとはしない貴方を慈しみたい。俺には弱音を吐いてほしい。無理して笑おうとせず、本音で話してほしい。あんな奴のことで頭をいっぱいにして、一人で悲しまないでほしい。そんな願いが次から次へと浮かんできて、だけど貴方を困らせたくはなくて、今はそれを言葉にすることはできなかった。
俺はただ、獅子道くんを大事にしたい。初めて会った時のように、ずっとかわいく笑っていてほしいから。こんな風に思う理由なんて、分かりきっている。俺が獅子道くんのことを好きだから。ただ、それだけだ。
「変なとこ見せてもうてごめんなぁ」
「……いえ」
「かおちゃんのこと、悪く思わんたってなぁ」
「……」
あ、その顔、作り笑いだ。
それが分かるほどには俺は獅子道くんに詳しくなったんだな。それが嬉しくもあり、状況が状況なだけに分かったところで何もできない自分が歯痒い。
傷付けられて尚、薫さんのことを庇うのか。損な立ち回りばかりしてどこまで優しいんだ、この人は。だけど、その優しさが獅子道くんの好きなところでもあるから、どうしようもなくてただ胸の奥が痛い。
「かおちゃんってあんなやろ。昔から綺麗な顔しとったから、みんなの人気者でな。せやのに、鈍臭い俺の世話をようしてくれとって、事ある毎に助けてもらっとった。そんな人気者が俺の幼馴染みなんやって誇らしかったんやけど、多分、かおちゃんからしてみれば鈍臭いのが後をついてくるのは鬱陶しかったんやろなぁ」
「…………」
「……かおちゃん、ほんまはずっと俺のこと、嫌いやったんかなぁ」
「そんなこと、」
「ふふ、分かっとるよ。冗談やで」
昔を懐かしむみたいに話す獅子道くんは、きっと当時のことを思い出しているのだろう。
そして、独り言のように零された言葉に思わず立ち上がりかけると、獅子道くんは寂しそうに笑って首を振った。本気で嫌っていたら、獅子道くんの手を繋いだ俺をあんな風に睨みつけたりはしない。
きっと、彼は俺と同類だ。
ただでさえ歴はあっちの方が長いのだから、敵に塩を送るなんて真似はしたくないのに、今は傷付いている獅子道くんの心を少しでも癒したくて、必死だった。
「薫さんには言わないんですか」
「今の俺のこと? 言わん、言えんよ」
「…………」
「転校してきた初日にな、クラスのみんなのドン引いた顔見て『あ、間違えたな』って分かってたんよ。やけど、かおちゃんが間違えとるわけないって意地張ってた俺がアホやってん」
「獅子道くん……」
「行かなあかん、遅刻するって頭では分かってるのに、ある日突然学校に向かってた足が止まってな。俺の居場所って家にも学校にもないんやって思ったら、教室にはもう行けへんかった」
「…………」
「髪色変えるとか、自分から話しかけてみるとか、いくらでも取り戻せたのに、そうしやんかったのは俺のせい。かおちゃんは悪くない、やから絶対に言わへん」
薫さんが言ったタチの悪い冗談のせいで、獅子道くんはこんなに苦しんできたっていうのに。それでも尚、薫さんを責めようとはしない姿に、俺の方が苛立ってしまう。それと同時に、そのあまりにも優しすぎるところを好きになったのだから、複雑だ。不貞腐れた俺の顔を見て、獅子道くんが柔らかな笑みを零す。
「そんな顔せんといてや。……俺、昔からアホやって言われてきたんやけど、何でも素直に受け止めすぎやね。気を付けんと」
「さっきも言ったけど、獅子道くんはそのままでいいんです」
「…………」
「まっすぐで、素直だなんて、長所でしかないじゃないですか」
「そんなん言うん、蒼人くんぐらいやで」
「俺の言葉だけじゃ足りないですか? 俺は獅子道くんのそういうところ、好きですよ」
「っ、」
貴方が自分を肯定しようとしないなら、その分いくらでも俺が褒めてあげる。だから、無理に変わろうとはしないで。そのままの獅子道くんがいい。
俺の言葉を聞いて、とうとう我慢しきれなくなったのだろう。少しずつ潤んでいた瞳からぽろりと零れ落ちた涙が宝石みたいにきらりと光った。
「そんな軽々しく『好き』とか言わんといて……」
「え?」
「……なんでもない」
か細い声で吐き出された言葉が知りたくて聞き返すと、涙を拭いながら誤魔化される。そうやって吐き出された本音すら、俺はまともに拾えないのか。要領の悪い自分に腹が立った。



