「……蒼人くん、」
名前を呼ばれて視線を戻す。何かを言おうと口を開いた獅子道くんに被せるように、俺の背後から知らない声が彼の下の名前を呼んだ。
「新、久しぶり」
「あっ、かおちゃん!」
嬉しそうに破顔した獅子道くんがパッと俺から離れていく。そんな声、滅多に俺は聞いたことがないのに、幼馴染みの前だと普通に出すんだ。ぐるぐると醜い嫉妬が渦巻いて、なかなか後ろを振り向けない。
こうなるだろうって、初めから分かっていたのに。獅子道くんと幼馴染みが仲良しだって、知っていたのに。それでも二人きりにしたくなくて、出しゃばった結果がこれだ。やっぱり来ない方がよかったかもしれない。目の前で好きな人が他の男と仲良くしているところなんて、苦しいだけだ。
「お前、ほんまに金髪に染めてたんやなぁ」
「何でよ、染めた時に写真送ったやんか」
「いやぁ、まさかずっと染めたまんまにするとは思わんくて」
俺、そっちのけ。久しぶりの再会で話に花を咲かせる二人に、自分が蚊帳の外に追いやられていることを実感する。
「で、そちらは?」
下唇をぎりりと噛み締めていれば、そう声をかけられてようやく振り返る。ダークシルバーの髪色がぱっと目を引く、マッシュウルフの男。細身の体はすらりとしていて、モデルのよう。左目の泣きぼくろが色気を醸し出していて、謎の敗北感を植え付けられる。その口元には挑発的な笑みが浮かんでいた。
(あ、俺、舐められてんな)
一瞬目を合わせただけで伝わる敵意。勝ち誇ったような表情をされたって、今は食ってかかるな。相手の態度に腹が立つけれど、こっちも余裕ぶって微笑みを浮かべてみせる。
「蒼人くん、俺と仲良くしてくれてる後輩やで」
「どうも」
「御園薫。新の面倒を見てくれてありがとう」
今、絶対獅子道くんの名前の前に「俺の」って付いてただろ。思わず舌打ちが出そうになるけれど、俺たちの間に走る一触即発の空気に気づかない獅子道くんがほわほわと笑っているから、彼のためにとにかく我慢をする。
「てか、ピアスもこんなようさん開けたんやなぁ」
何の躊躇いもなく、たくさんのピアスで飾られた獅子道くんの耳に触れる。すりすりと指先で撫でられたって抵抗もせず、自由に触らせる獅子道くんにイライラのゲージがぐんと上がった。
誰にでもそうやって触らせんのかよ。
……なんて、獅子道くんにとって何者でもない俺が言えるわけなくて、その手を振り払ってしまえるはずがなくて、ただ二人の会話を黙って見ていることしかできない。
「やって、かおちゃんが言うたんやん。見た目から気ぃつけるんやでって」
「あはは、お前アホやなぁ。あんな適当に言うたこと、本気にしてたん」
「……え、」
「あー、ごめんごめん。いや、まさか本気にするとは思わんかったわ。産んでもらった自分の体に穴開けてるんやで。普通は躊躇うやろ。……まぁ、お前はおばちゃんに嫌われとるから、そんな気にせんでもええんやろうけどな」
「っ、」
「てか、進学校にいきなり金髪のピアス着けた奴が来たら、みんな怖がってんちゃうん? 蒼人クン以外に友だちできたん?」
「…………」
薫さんのあんまりな物言いに、ショックを受けた様子の獅子道くんが息を飲んで、ぎゅっとリングを握り締めている。傷付けたくて、わざとこんな風に言っているのか。反応するのが遅れて俺が何も声を出せない間に獅子道くんが「そっか、そうやんなぁ……」と口を開く。深く傷付いた表情に見えるのに、その瞳には涙ひとつ浮かんでいなかった。
「俺、何でも素直に受け取りすぎやんな」
「そうやで。昔っからお前はとろいとこあるけど、こっちには俺おらんのやからしっかりせんと」
「……うん、そうやね」
「てか、そのリング、まだ持ってんの?」
「うん、かおちゃんが『お守りやで』ってくれたから……」
「ふっ、新はほんまにアホやなぁ。それ、元カノからのプレゼントやで?」
「え……」
「捨てんのめんどかったからお前にあげただけ。はは、俺の元カノの怨念が守ってくれるかもしれんけどな」
「…………」
遂に唇をぎゅっと噛み締めて、黙り込んでしまった獅子道くん。ただ獅子道くんは会えることを楽しみにしていただけなのに、どうして久しぶりに会った幼馴染みを傷付けるのか、理解に苦しむ。
真実を告げず、騙した側の人間が偉そうに何を言っているのだろう。ピアスを開けるのだって、勇気がいる。変わりたい、強くなりたいと願って、生まれ育った場所を離れた獅子道くんの思いを踏みにじるような真似は許せなかった。そのピアスは、孤独な獅子道くんの決意表明なのだから。
「やっぱり、お前は俺がおらなあかんねんなぁ」
「っ、」
「大丈夫ですよ、獅子道くんはそのままで」
「……!」
薫さんが獅子道くんの頭に手を伸ばそうとするのを見て、二人の間に割って入る。庇うように獅子道くんの前に立てば、獅子道くんが俺のシャツの裾をきゅっと摘んだ。普段の獅子道くんなら絶対にしていない、無意識に取った行動。その姿がまるで迷子のように思えて、胸が痛んだ。
「貴方が心配しなくても、俺がちゃんと傍で見守ってるので。素敵なところがたくさんある獅子道くんは、今のままで大丈夫です」
「…………蒼人くん」
「へぇ……」
「そろそろ時間ですよね。どうぞオープンキャンパスにでも行ってきてください。その間、俺たちは二人で楽しく過ごしておくので」
そう吐き捨てて、獅子道くんの手を引いて歩き出す。こんな人目につくところで啖呵を切るなんてガキっぽかったかなと思うけれど、後悔はしていない。一刻も早く、この男と獅子道くんを切り離したかった。早歩きをしながらチラリと振り返って見た彼の顔は、口元が歪んでいた。



