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 「失礼します」とすっかり通い慣れた保健室に入って早々、視界に飛び込んできたものに驚いて、ぴたりと足が止まる。窓から射し込む陽光に照らされた金糸がキラキラと輝いていて、一瞬で目を奪われた。

 窓枠に頬杖をついて背を向ける彼は、いつもと違って髪をハーフアップにまとめていない。初めて見る姿にドキドキと心臓がうるさくなる。声をかけたいのに、言葉を奪われたみたいになってしまって、何もかける言葉が出てこない。

 ――パシャリ。
 ただ、その姿を残しておきたくて、欲望のままにスマホで写真を撮れば、保健室に似つかわしくない音が鳴り響いた。流石の彼もそれに気づいて、くるりと振り返る。


 「蒼人くん? そんなところに突っ立って何しとるん?」


 そう言って、獅子道くんはあどけない表情で首を傾げた。金縛りがとけたみたいに一気に肩の力が抜けて、俺は何事も無かったようにベッドの横に置かれた椅子に腰掛けた。


 「なぁ、さっき何撮ってたん?」
 「……ひみつ」


 (あ、近い……)
 普段はまとめられているから気にならない髪が、画面を消したスマホを持った手元を覗き込んだ拍子にはらりと頬を擽る。と同時に、シャンプーの香りが届いて、思わず顔を逸らした。

 無邪気に色気を振り撒かないでほしい。随分と人懐っこくなったなと思うけれど、俺以外にもこんな調子だったらと考えただけで頭に血が上る。


 「ケチ、教えてくれてもええやん」
 「また今度、気が向いたら見せてあげますよ」
 「……ほんまに?」
 「ふふ、どうしたんですか、この髪」


 笑って話を誤魔化しながら彼の金髪をさらりと撫でた後、くるくると指に巻き付けた。初めて出会った時からずっと、この髪に触れてみたかった。神々しいと思っていたものに触れることができた感動がじんわりと胸の奥に押し寄せる。


 「別に。朝、時間なかっただけ……」


 消え入りそうな声でそう言う獅子道くんは下を向いたまま、微動だにしない。大人しく、されるがままだ。


 「髪下ろしてるのも、新鮮でいいですね」
 「……変やない?」
 「はい、ハーフアップも好きですけど、今日の髪型も大人っぽく見えて素敵ですよ」
 「っ、べた褒めやん、そんな言われたら照れてまうわぁ」


 不安そうに聞いてきたくせに、本音をそのままぶつければわたわたと慌てている。必死に照れ隠しをしようとして、結果空回りしているところが愛おしい。


 「獅子道くんって、ずっとこの髪色なんですか?」
 「ううん、こっち来てからやで」
 「へー、何でまた急に?」


 前から疑問に思っていたことを尋ねれば、意外な回答が返ってくる。何だ、関西にいた時からじゃないのか。すると、獅子道くんは自分で髪の先を弄りながら、懐かしそうに話し出した。


 「こっちに来る前にな、幼馴染みが言うてきたんよ。『新は舐められやすいから、見た目から威圧していけ』『金髪とか似合ってええんちゃう』って。それを真に受けて金髪にしたり、ピアス開けてから転校してきたんやけど……、逆効果やったね。クラスで友だちなんか一人もできへんし、遠巻きにしながらひそひそ噂話されるし……。居心地悪くて、教室なんかよう行かんわ……」


 黙って獅子道くんの話を聞いていたけれど、深く息を吐き出さなければ汚い言葉でその幼馴染みを罵ってしまいそうだった。強く握り締めた手の平に爪が刺さって痛い。その痛みが俺を冷静にしてくれる。


 「……その幼馴染みとは仲良かったんですか?」
 「うん、物心ついた時からずっと一緒におったからなぁ。俺のことは何でも知っとるから、かおちゃんもちょーっとアドバイス間違えちゃったんやと思うわ」


 普通の進学校に転校してきた生徒が金髪だったら、どんな態度を取られるかぐらい想像できただろう。どこまでもピュアで、まっすぐで、人を疑うことを知らない獅子道くんを騙しておいて、まだ信用されたままの顔も知らない幼馴染みが憎い。

 そんな奴、縁を切った方がいい。
 そう口に出しかけて、それより先に獅子道くんが「あ、」と声を漏らす。


 「そうや、かおちゃんな、今週末こっちに来るんやった」
 「え?」
 「土曜日にオープンキャンパスがあるって言うとったから、ついでに東京観光に付き合うんよ」


 久しぶりに会えるのだと、心底楽しみにしているのが表情から見て取れる。ワクワクを隠しきれていないのはかわいいけれど、その理由が幼馴染みというだけで心の中でモヤモヤが渦巻いていく。


 「……俺も、行っていいですか?」
 「えっ、でも部活あるんちゃうん?」
 「午前練なので、午後からなら空いてます」
 「そっか……、それなら、うん、ええよぉ」


 思いつくがままに申し出てみると、少しの逡巡の後、獅子道くんは柔らかく笑って頷いた。断られなくてよかったという安堵と、もし幼馴染みが獅子道くんを傷付けるようなことをしたら俺が守らないとという責任感に包まれる。

 そんな俺の隣で、獅子道くんは呑気に「こっちでもちゃんと友だちできたんやでって言うたら喜ぶわぁ」と言って、ほわほわ笑っている。


 「蒼人くんも、かおちゃんと仲良しさんになったらええね」
 「……こればっかりはどうでしょうね」


 獅子道くん、残念ながら貴方の思うようにはいかないと思いますよ。だって、既にバチバチの敵意を抱いてしまっているのだから。