お昼ご飯を食べ終えて、ぼーっと外の景色を眺めている獅子道くん。最初のうちは何か喋らないとと、無理して会話を続けようと頑張っているのが見て取れたけど、今はリラックスしている。こんな無言の時間さえも心地いい。

 気を許してもらえるんだなぁと思ったら嬉しくって顔がにやけそうになるけれど、せっかく一緒にいるっていうのに、獅子道くんの意識が自分以外に向いているのは気に入らない。

 (獅子道くん、髪伸びたなぁ……)
 珍しくハーフアップがゆるいお団子になっている。ちらりと覗く項が思いの外白くて、ごくりと唾を飲み込んだ。無意識に手が伸びて、襟足にちょんと触れると……。


 「ひぁっ、」


 気を抜いていたのだろう、獅子道くんのこんな声は初めて聞いた。猫が驚いたときのようにびくりと反応した獅子道くんは口元を手で覆って、こちらを睨みつけてくるけれど、その顔が真っ赤に染まっているせいでちっとも怖くない。

 (むしろ、もっと……)
 もっと意地悪をしたら、次はどんな表情をするのだろう。湧き上がる衝動は抑えられそうにない。悪戯心に火がついて、一瞬止めた指先を再び動かして首をなぞる。つーっと背に向けて指を下ろしていくと、獅子道くんのかわいらしい猫目に小さな水溜まりができていく。


 「やめてぇ……」


 手を振り払えばいいのに、どうすればいいのか分からず、パニック状態の獅子道くんはされるがまま。ようやく絞り出したかのようなか細い訴えに、ぴとと動きを止める。これ以上はだめだ。泣きそうになっている獅子道くんはかわいいけれど、俺だって本気で泣かせて嫌われたいわけじゃない。つい最近恋心だって自覚したばかりなのだ。こんなに複雑で矛盾した気持ちなんて、まだまだ子どもな俺にはどうすることもできなくて、やり場のない感情を持て余すことしかできない。


 「すみません……」
 「蒼人くんのあほ……」


 そう言い捨てて、きゅっと唇を噛み締めた獅子道くんが保健室を出て行った。すぐに追いかけようとしたけれど、意外と逃げ足の速い獅子道くんはあっという間に姿を消してしまった。


 「あら、どうしたの? ひとり?」
 「いや、ちょっとやりすぎました」


 俺たちに気を使って、昼休みの間は職員室にいることが多くなった矢野先生が戻ってくるまで待ってみたけれど、終ぞ獅子道くんが帰ってくることはなかった。

 部活を終えたって、気分は沈んだまま。自業自得だっていうのに、獅子道くんがいなかったらどうしようって不安に駆られる。度の過ぎた意地悪は止めようと反省しながら足取り重く裏門に向かうと、見慣れた金髪がぽつんと座っている。

 たったそれだけで雲の隙間から陽の光が射し込んだみたいにぱあっと気分が晴れるのだから、俺ってかなり単純だ。駆け足で近寄れば、足音に気づいた獅子道くんが振り返る。その頬は不機嫌に膨らんでいて、まだ怒っているのだと一目で分かった。獅子道くんが口を開くより先に頭を下げて「すみませんでした」と謝罪すれば、今度は獅子道くんが慌てる番だった。


 「ちょ、こんなとこでやめて。もう怒っとらんから顔上げて」
 「…………」
 「もう、あんな風に触れたらあかんねんで」
 「……あんな風にって、こんなかんじ?」


 散々反省したくせに、舌の根も乾かぬうちにするりと耳朶を撫でると、顔を朱に染めた獅子道くんがぷんぷんと怒り出す。


 「っ、こら! やから、したらあかん言うてるやろ」
 「獅子道くんにしかしませんよ」
 「そういう問題ちゃう。もぉ、ほんまに、蒼人くんが何考えてんのか分からへんわ」


 健全に不健全なことを考えてますよ。
 俺だって、思春期真っ盛りの男子高校生なので。

 ……とは、さすがに口に出さなかったけれど、俺が何を考えているか察したのか、獅子道くんにはじとりと睨まれた。にっこりと笑って誤魔化せば、それ以上の追及はされなかった。きっと獅子道くんも学習したのだ。下手に口を出すと、薮から蛇が出てくるんだって。


 「そういえば、獅子道くんって休みの日は何してるんですか?」
 「んー、別に何もしとらんよ。近所の図書館に行くぐらいかなぁ」
 「へー、じゃあ今度部活が休みの日、俺に一日ください」
 「えっ!?」
 「どこかお出かけしましょう。行きたいところ、考えておいてくださいね」
 「……うん」


 しみじみと噛み締めるみたいに頷かれると、こっちの調子が狂う。嬉しそうに頬を紅潮させているのが、たまらなくかわいい。本当は試合を観にきてほしいって誘いたかったけれど、それはまた今度。

 あーあ、早く練習休みの日が来ないかな。高校に入学して以来、こんなことを考えたのは初めてで、自分が思っている以上に俺は初恋に浮かれているらしい。