「……そういうことを言うのは、俺だけにしてくださいね」
 「えぇ? 何が?」
 「俺以外にそんな風にへにゃへにゃして、笑いかけないでください」
 「っ、そんな変な顔してへんし」


 俺の言葉に焦りまくって、ぺたぺたと自分の顔を触って確かめる姿にまた胸を撃ち抜かれる。いちいち、やることがかわいいんだよなぁ、この人。だめだ、今は保健室という狭い空間だからいいけれど、この広い世界に解き放たれたら、悪い大人に騙されてピュアな獅子道くんが汚されてしまう。獅子道くんには一生このままでいてほしいのに。嗚呼、俺が守ってあげないと。

 そんなことを考えていたら、いつの間にか落ち着いていた獅子道くんはきゅっと目を細めて、真一文字になるように口の両端を人差し指で抑えていた。俺が少し目を離している間に何をやっているのだろう、獅子道くんは。くるくる変わる表情から、一瞬たりとも目が離せないじゃないか。首を傾げてじいっと見つめれば、人差し指はそのままに、その視線から逃れるみたいに顔を逸らされる。


 「何してるんですか?」
 「蒼人くんが笑うなって言うたから、抑えてんの」
 「笑うなとは言ってない……、って、あれ、今笑ってるんですか?」
 「…………嬉しいから、勝手に口角上がっちゃうの!」


 問い詰めると、五歳児が癇癪を起こしたみたいに、まっすぐに言葉をぶつけられる。珍しい大声に戸惑ってしまって、最初は何を言われたのかすぐに理解できず、鳩が豆鉄砲を食らったみたいにきょとんと一拍置いてから、その言葉の意味を正確に受け止めた。理解できた途端、ぼんっと弾けるみたいに一気に顔が熱くなる。

 ……っ、だめだ。
 すぐには顔のにやけが取れそうにない。こんなことを言われて、嬉しくない人なんていないだろう。

 へー、そっか、そうなんだ。そう、何度も心の中でその言葉を反芻する。俺のことをあんなに拒否していたのに、もう逃げなくていい、仲良くなれるって実感したら、そんなに喜んでくれるんだ。抑えておかないといけないぐらい、気づいたら口角が上がっちゃうんだ。そんな風に都合良く解釈したから、逆ギレするみたいにつんつんした態度を取られたって、ちっとも気にならない。

 あーあ、獅子道くんを真似っ子して、俺も口の端を指で抑えておくべきかな。なんて、獅子道くんが嫌がりそうな意地悪なことを思いついたけれど、許しを得て早々に嫌われたくないので我慢する。

 獅子道くん、自分が何を言ったのか、さてはちゃんと分かっていないな。まぁ、つい口から出てしまったってかんじだったからこそ、余計に俺を喜ばせているんだけど。獅子道くんの漏れた本音を噛み締めていれば、相変わらず顔を隠そうと必死になっている金色の小悪魔。ぐいっと身を乗り出して顔を覗き込めば、潤んだ瞳と視線が重なる。


 「駄目ですよ、俺には見せてください」
 「ちょ、近いって……。もっと離れてや」
 「獅子道くんが隠し事しないって約束してくれるなら離れますよ」
 「分かった、約束するから!」


 今まで見た中で一番と言っていいほどの焦り具合をもう少し見ていたかったけれど、さすがにここは引き下がるしかない。残念に思いながら元の位置に戻ると、安堵したように獅子道くんが息を吐きながら呟いた。


 「何でそんな俺に構うん……」
 「獅子道くんのいろんな顔が見たいからかなぁ」
 「顔……?」
 「最初は笑った顔がかわいいなあって思ったのがずっと記憶に残ってて。でもそれだけじゃなくて、いっぱいいっぱいになって照れてるところもかわいいし、今みたいにツンツンしてるところもかわいいし。なんか、ふとした時に獅子道くんのことを考えてる自分がいるんですよね」


 窓の外を眺めながら、あの日のことを思い出す。感情のままにくるくる変わる獅子道くんの表情は、見ていて飽きない。独り言のように獅子道くんに構いたくなる理由を述べれば、獅子道くんは再び顔を真っ赤にしながら嘆いた。


 「蒼人くんがこんな構いたがりやと思わんかった……」
 「元々そういう気質があったんでしょうね」
 「……知ってたら、近寄らんかったのに」
 「ひどいなぁ」
 「サッカーやっとるときはもっと真面目に、ひたむきに頑張ってるやんか」
 「別に今だって、真面目に獅子道くんと仲良くなろうと思ってますよ」
 「うう……、やけど、なんかイメージとちがう……」


 失礼だなあとは思うけど、こんなことで怒りはしない。実際、自分でも他人に対してこんな風に執着したことがないのだから、獅子道くんが戸惑うのも当然だ。


 「こんな俺は嫌ですか?」
 「……ずるい聞き方せんといて」
 「獅子道くんに嫌われたくないだけです」
 「ほんま、そういうとこや……」
 「え?」
 「なんでもない! ……そんな簡単に嫌いになれへんから、蒼人くんは好きなようにしてたらええよ」
 「…………はい」


 ――じゃあ、俺を好きってことですか?
 そんな軽口を思いついたものの、ついぞ口からは出てこなかった。それだけは茶化すように言ったら駄目だと、本能が告げていた。