こそこそとなるべく人の目に触れないように部屋に戻ってきた。
 数時間後にはアオイさんとロタエさんが来るとのことなので、少し部屋の片付けをする。
 といっても、借り物の部屋と言うことであまり汚さないようにはしている。
 ベージュと白を基調とした明るい部屋。
 大きな窓から差し込む日の光を、細やかな刺繍のカーテンが和らげる。
 風が心地よく部屋の中に入ってきて、カーテンをドレスのように揺らしている。
 奥の部屋は寝室になっている。
 着ていたローブは扉近くに吊した。
 机の上の本を読んだ物と読んでない物に仕分けする。
 読んだ物は後で返しに行こう。
 テーブルの上はあまり置かないようにしているから拭くだけで良いかな。
 二人がいつ頃来るかはわからないから早々に片付けたけど、すでに終わってしまったな。

 ということで、机に座ってまた別の本を読む。
 これは魔法に関する本だ。
 魔法は身体の中を流れる魔力を意図的に操作し、それぞれの扱える属性に合わせて放出する。
 放出した魔法は威力を減らしながら魔力となって霧散し、空中に漂う。
 漂ってただの魔力となったものは、呼吸するのと同じように身体に取り込まれ、蓄積する。
 体内に保有される魔力の量が多いほど、一度に出せる魔法の威力はもちろん大きくなる。
 身体の持ち主、スグサさんはその保有量が多く、さらには回復も早かったようだ。
 だから強い魔法をばんばん使っていたそうな。
 今の私にはそのすごさはわからないけど、いくつかの本を読む度に語られていた。
 スグサさん自身、そんなに慎ましい性格でもなかったようで。
 どちらかというと自信家で、強気で、溌剌とした人なんだそう。
 だから使ったり創った魔法の一覧は何ページにも渡っていた。
 隠す性格でもなかったんだろうな。


「使えるのかな……」


 一人、呟く。
 呟いて、ここで意識を取り戻したときよりも、興味や意欲のようなものは沸いてきていることを自覚する。
 だけど魔法は……私は、魔法を使って戦うためにこの世界に呼ばれた。
 私の意志がなかったとしても、人を殺してしまっていることも事実なのだろう。
 なのにこんなにも、魔法に対して『楽しそう』と思ってしまっていいのだろうか。
 手首の手錠を触っていて、見つめる。
 この無骨な手錠をしている限り、私は自由には魔法を使えない。
 所属とか立場とかがどうなっているかわからないけど、変わっていなければ私は『兵士』であり『戦闘兵器』だ。
 魔法を使うこと自体は咎められないだろうけど、場所や種類は選ばなければいけないし、『スグサ・ロッドの身体』ということで威力なんかもどうなってしまうことやら。


 ―― 放し飼い状態


 そんな。
 面倒を見てくれている人には口が裂けても言えない言葉が頭に過る。


「……っと」


 いけないいけない。
 失礼なことを考えていてはいけない。
 研究者に引き渡されないとか、部屋に軟禁されないとかじゃないだけいいよね。


 コンコン、コン

 部屋の扉がノックされて、驚いて声を上げそうになった。
 夕飯の時間には少し早いが、この鳴らし方はアオイさんたちだ。
 ドアを開ける前に誰が来たかわかって、安心するだろうというありがたい配慮だ。
 研究者が来たり、間違えて訪れる人がいたら隠れるように言われていたから。


「はい」


 机から離れて、扉を開ける。


「失礼する」


 あれ。


「殿下?」
「おう」


 紛うなき殿下だった。


「聞いてないか?」
「聞いてないですね。アオイさんとロタエさんのことは聞きましたが」
「カミルから?」
「はい」
「……忘れてたな」


 カミルさんが伝え忘れたのかな。


「あの体格で、というのも変だが、抜けてるところがあるんだよな。それでも騎士団長が務まってるんだから不思議だが。突然押しかけてすまない」
「いえ、大丈夫です。どうぞ座ってください」


 早めに部屋を片付けておいてよかった。
 殿下にソファーに座ってもらって、対面に座る。


「カミルさん、意外と可愛いところがあるんですね」
「かわ……、いいか? おっさんだぞ」
「おじさんでもですよ」


 紅茶を選んでくれたり、ちょっと抜けてるところがあったり。
 眉間にしわを寄せて唸っているところを見ると、あまり同意は得られなさそうだ。
 紅茶と言えば。
 殿下に気軽に飲み物を出すわけにもいかない、けど。


「紅茶か何か頼みましょうか」
「いや、いい。もうすぐ食事時だし」


 殿下がそう言うならいいか。
 殿下も殿下で、表現するならゆるーく接してくれる。
 敬語はいらないとか、名前で呼んでいいとかも言われたけど、さすがに城だしそこまではできないので丁重に遠慮させていただいた。


「それで少し話がしたいんだが」
「なんでしょう」
「数日後、俺は城を離れることになる」


 おや。
 公務だろうか。
 見た目は少年というほどではないからある程度は仕事もあるんだろうが。
 わざわざ対面で言ってくるということは、それなりに長いこといないのかな。
 となると、私の管理もとい世話を焼いてくれる人が変わるのかな。


「学校が始まるんでな」


 学生だった。


「…………殿下」
「ん?」
「何歳ですか?」
「十六。もうすぐ十七」


 青年なりたてだった。
 少年ではないことはあってたけど。


「どれくらいに見えてたんだ?」


 にやり、という表現が似合いそうな意地悪な顔をしている。


「いやー、少年ではないだろうなーぐらいです」
「具体的には」
「いやいやそこまでは」
「言え。許す」
「ここで権力」


 ずるい。
 敬語は外せって言ってたのに。


「ほんとに具体的には考えてませんって」
「じゃあ何歳ぐらいに見える?」
「えー……二十五?」
「……老け顔か?」
「大人っぽいんです」


 学生だとは思わなかったし、落ち着いているから。
 本人は少し気にしてしまったのか、腕を組んでブツブツ呟いている。
 冗談を言ったわけではないが、気兼ねのないやり取りができいる。
 絶えず呟く殿下を見て、楽しさを感じて、つい顔が緩んでいたところ。
 目線を上げた殿下と目が合う。


「少しは落ち着いているようで、よかった」
「え……」
「状況が状況だし、あまり様子を見にも来れていないから、気になっていたんだ」
「それは……ありがとうございます?」
「疑問形」


 優しい顔で、殿下が笑って、私もつられて気持ちが緩む。
 先日の謁見から殿下と会うことは数えるほど、ほんのわずかな時間だった。
 その分アオイさんやロタエさんが気にかけてくれていたのかもしれない。
 少ない時間でも今のようなやり取りができるようにはなったのだけど、こうして二人だけで、気兼ねのない会話ができるのは今までなかった。
 一国の王子様と兵器が談笑なんて、たぶん、いや絶対ありえないことなんだろうけど。