積もった雪が溶け始め、日に当たるところならば春の陽気を感じるようになった今日この頃。
寒がりな私は未だに冬の装いに身を包み、ついでに頭部もフードで覆って訓練室⑧に訪れていた。
「それじゃあ、約束通り五セット作っておいたので、傷んできたら連絡ください」
「本当にありがとう。仕事が決まったら、また顔を出します」
「嬉しいです。お元気で」
力の入らない右腕を吊り下げたその人は、以前よりも明るさを取り戻した笑顔で手を振り、訓練室から去っていった。
年が明ける前の雪の時期にも、特に熱心に訓練に励んでいたその人とは、今日で終了。
結局右腕は若干の機能を回復したものの、実用的とも補助的とも呼べる域には達成せず、廃用的な状態だった。
「やれることはやった。諦めがついた」。
そう言ってくれたその人の後ろ姿は、初めてここに来た時よりも背筋を伸ばしているように思う。
これで、この訓練の終了者は二人目だ。
一人目は義肢を提供して早々に卒業していった。
最近では自分で作ったという農作物を差し入れしてくれる。
―― 終わったか?
「はい。丁度」
―― よし。じゃあお前の訓練だ。
内から話しかけてきたスグサさんとの訓練も、今日で三十日目。
学校でうまく溶け込めるよう、一般レベルに調整するコントロール力をひたすらに鍛えていた。
教官が体の中から指示を出してくるというのは不思議な状況で、誤魔化しのきかない状況に緊張感を覚えた。
それと同時に、的確にアドバイスをくれることに安心感と信頼も覚える。
文字通り、身の内を全てさらけ出しているような。
無属性を除く五種類の中級魔法を順番に、何種類か発動する。
―― 火が一番下手。
「やっぱり恐怖心がありますね」
―― 怖いと思うからダメなんだって何度も言ってるだろ。反対の水だって殺す可能性は大いにあるし。
「水は少しなら濡れるだけだし、火は燃えたり二次災害もあるじゃないですか」
―― 溺死とか窒息って言葉、知ってるか?
「う……」
風と闇は得意。
苦手は火と水。
光と土と無は普通。
緻密なコントロールを使うほど、得意と苦手が明確になっていた。
―― それでも学習は早い方だがな。
「そうなんですか」
―― ああ。スポンジみたいな。……違うな、写し書きか。
「写し書き?」
―― 私様のおかげだな。
体はスグサさん自身である。
スグサさんは最高位魔術師であり、全部の属性を使い、スグサさんにしか使えない威力と難度の魔法を使っていた。
その体で魔法を学んでいるのだから、すぐに使えていくのは『体が思い出していく』ようなものなのではないか、とスグサさんは言う。
今会話しているスグサさんも、本人の意識というか『記憶』なのだから。
『記憶』が言うことを『体』が使う。
習得は早いはずだろう、と。
火の扱いに慣れるため、火の初級魔法をリボンのように長細くゆらゆらと操る。
―― そうだ。お前、なんか武術経験ある?
「……たぶんですけど、ないと思います」
―― ふーん……。
なぜそんなことを聞くのかというと、学校が始まってからのことに関係する。
編入後、四年生となれば魔法の基礎はもう学び終わった状態。
なので発展的な内容を学ぶのだが、それは魔法だけに留まらない。
遠距離から戦うことができるのが魔法戦の長所だが、必ずしもその状況ができるわけではない。
近距離で戦わなければならないこともあるのが現実だ。
なので、魔法が使えない・使いにくい場合に備えた授業もあるのだそうだ。
学校なのにそこまでやるのかと疑問に思って聞いてみた。
そしたら、魔法科に入るということは、城に仕えたり護衛やギルドなどの戦闘が必要なことを職業を目指す場合が多いのだそう。
「私は、おそらくは学校を卒業まで入れたらまたお城でしょうね」
―― ……王子サマが何とかしてくれるかもしれないぞ?
「あー、殿下ならそうかもしれないですね」
優しくて、気遣いができて、頼りになる。
そんな人が私の担当になってくれたから、今でも比較的自由にさせてくれる。
あの人とその周りの人たちは、ずっと私を『人間』扱いしてくれている。
重荷になっているのではないか。
お城の人たちから嫌なことを言われていないか。
何かされていないか。そう不安になることも多いけど、嫌がらせをされていたとしても察しさせてはくれないから、優しさに付け込んで甘えに甘えまくってしまっている。
いつか役に立てる時が来たら、笑顔で引き受けようと決めている。
恩返しとして、そうしたいから。
―― もう一つ、候補があるぞ。
「え、なんですか?」
―― 元の世界に帰る。
はっとした。
確かに候補の一つだ。
だけど。
「ないですね」
―― 理由は?
「私がこの世界に召喚されてから、一年の半分で三百日近く経っています。向こうの世界の時間がどうなっているかわからない以上、今すぐに向こうに帰ったとしても体は生きているのかわかりません。むしろ低いと思いますし」
―― 今の体のまま帰ればいいだろ。
「この体はスグサさんの体です。本来ならば私が使っていいものではありません。それに、この姿で帰っても苦労するのは目に見えてますし」
顔はだいぶ違うし、元の私の生死がどうであろうと戸籍も使えない。
記憶でさえ曖昧な状態で向こうで一からやり直すのはなかなかに骨が折れることは想像に容易い。
この世界で生活するのも嫌いではないし、候補であっても選択肢ではないかな。
―― 本人がいいって言ってんのになー。
「そういうわけにはいきませんよ」
端から見れば、火の初級魔法を使いながら、ずっと一人で喋っている痛い人。
アオイさんがこっそり訓練室に入ってくるまでの何十分。
指摘されるまでずっとそうしていた。
寒がりな私は未だに冬の装いに身を包み、ついでに頭部もフードで覆って訓練室⑧に訪れていた。
「それじゃあ、約束通り五セット作っておいたので、傷んできたら連絡ください」
「本当にありがとう。仕事が決まったら、また顔を出します」
「嬉しいです。お元気で」
力の入らない右腕を吊り下げたその人は、以前よりも明るさを取り戻した笑顔で手を振り、訓練室から去っていった。
年が明ける前の雪の時期にも、特に熱心に訓練に励んでいたその人とは、今日で終了。
結局右腕は若干の機能を回復したものの、実用的とも補助的とも呼べる域には達成せず、廃用的な状態だった。
「やれることはやった。諦めがついた」。
そう言ってくれたその人の後ろ姿は、初めてここに来た時よりも背筋を伸ばしているように思う。
これで、この訓練の終了者は二人目だ。
一人目は義肢を提供して早々に卒業していった。
最近では自分で作ったという農作物を差し入れしてくれる。
―― 終わったか?
「はい。丁度」
―― よし。じゃあお前の訓練だ。
内から話しかけてきたスグサさんとの訓練も、今日で三十日目。
学校でうまく溶け込めるよう、一般レベルに調整するコントロール力をひたすらに鍛えていた。
教官が体の中から指示を出してくるというのは不思議な状況で、誤魔化しのきかない状況に緊張感を覚えた。
それと同時に、的確にアドバイスをくれることに安心感と信頼も覚える。
文字通り、身の内を全てさらけ出しているような。
無属性を除く五種類の中級魔法を順番に、何種類か発動する。
―― 火が一番下手。
「やっぱり恐怖心がありますね」
―― 怖いと思うからダメなんだって何度も言ってるだろ。反対の水だって殺す可能性は大いにあるし。
「水は少しなら濡れるだけだし、火は燃えたり二次災害もあるじゃないですか」
―― 溺死とか窒息って言葉、知ってるか?
「う……」
風と闇は得意。
苦手は火と水。
光と土と無は普通。
緻密なコントロールを使うほど、得意と苦手が明確になっていた。
―― それでも学習は早い方だがな。
「そうなんですか」
―― ああ。スポンジみたいな。……違うな、写し書きか。
「写し書き?」
―― 私様のおかげだな。
体はスグサさん自身である。
スグサさんは最高位魔術師であり、全部の属性を使い、スグサさんにしか使えない威力と難度の魔法を使っていた。
その体で魔法を学んでいるのだから、すぐに使えていくのは『体が思い出していく』ようなものなのではないか、とスグサさんは言う。
今会話しているスグサさんも、本人の意識というか『記憶』なのだから。
『記憶』が言うことを『体』が使う。
習得は早いはずだろう、と。
火の扱いに慣れるため、火の初級魔法をリボンのように長細くゆらゆらと操る。
―― そうだ。お前、なんか武術経験ある?
「……たぶんですけど、ないと思います」
―― ふーん……。
なぜそんなことを聞くのかというと、学校が始まってからのことに関係する。
編入後、四年生となれば魔法の基礎はもう学び終わった状態。
なので発展的な内容を学ぶのだが、それは魔法だけに留まらない。
遠距離から戦うことができるのが魔法戦の長所だが、必ずしもその状況ができるわけではない。
近距離で戦わなければならないこともあるのが現実だ。
なので、魔法が使えない・使いにくい場合に備えた授業もあるのだそうだ。
学校なのにそこまでやるのかと疑問に思って聞いてみた。
そしたら、魔法科に入るということは、城に仕えたり護衛やギルドなどの戦闘が必要なことを職業を目指す場合が多いのだそう。
「私は、おそらくは学校を卒業まで入れたらまたお城でしょうね」
―― ……王子サマが何とかしてくれるかもしれないぞ?
「あー、殿下ならそうかもしれないですね」
優しくて、気遣いができて、頼りになる。
そんな人が私の担当になってくれたから、今でも比較的自由にさせてくれる。
あの人とその周りの人たちは、ずっと私を『人間』扱いしてくれている。
重荷になっているのではないか。
お城の人たちから嫌なことを言われていないか。
何かされていないか。そう不安になることも多いけど、嫌がらせをされていたとしても察しさせてはくれないから、優しさに付け込んで甘えに甘えまくってしまっている。
いつか役に立てる時が来たら、笑顔で引き受けようと決めている。
恩返しとして、そうしたいから。
―― もう一つ、候補があるぞ。
「え、なんですか?」
―― 元の世界に帰る。
はっとした。
確かに候補の一つだ。
だけど。
「ないですね」
―― 理由は?
「私がこの世界に召喚されてから、一年の半分で三百日近く経っています。向こうの世界の時間がどうなっているかわからない以上、今すぐに向こうに帰ったとしても体は生きているのかわかりません。むしろ低いと思いますし」
―― 今の体のまま帰ればいいだろ。
「この体はスグサさんの体です。本来ならば私が使っていいものではありません。それに、この姿で帰っても苦労するのは目に見えてますし」
顔はだいぶ違うし、元の私の生死がどうであろうと戸籍も使えない。
記憶でさえ曖昧な状態で向こうで一からやり直すのはなかなかに骨が折れることは想像に容易い。
この世界で生活するのも嫌いではないし、候補であっても選択肢ではないかな。
―― 本人がいいって言ってんのになー。
「そういうわけにはいきませんよ」
端から見れば、火の初級魔法を使いながら、ずっと一人で喋っている痛い人。
アオイさんがこっそり訓練室に入ってくるまでの何十分。
指摘されるまでずっとそうしていた。



