実は一部の神経というのは再生する可能性がある。
腕の筋肉を動かすための神経はその一部に該当し、もしかしたら再生するかもしれない。
これも、本当ならば怪我をしてすぐにでも再生に向けて介入すべきだった話。
だからといって諦めるならば、この場が在る意味はない。
「筋肉が全く反応を示さなかった時と比べれば、進歩している部分はあります」
「……そう、だな」
表情は暗いままだが、進歩を感じ、認めることはできている。
この人はまだ諦めないだろう。
僅かだが回復の兆しが見えているし、諦めさせる言葉はまだ必要ない。
「じゃあいつも通り、家でもやってみてください」
「わかった」
この人も、今日やることは終わった。
首からバンドを下げて、慣れた手つきで垂れた腕に巻き付ける。
神経断裂の人は、扉に近い壁際で一人ストレッチをしていた切断の人の方へ向かう。
そして言葉を交わし、二人で柔軟体操を始めた。
これもいつも通りで。
その間に私は、最後の一人と訓練場の真ん中に立つ。
「こんにちは」
「こんにちは」
「今日の体調を十段階で言うとどれくらいでしょう」
「……六、ですね」
「高くもなく低くもなく、ですね。理由はありますか?」
「……特に」
「そうですか。わかりました。ではいつも通り、体操からやりましょう」
ここまでの間、私は相手を見るが、相手は私を見ていない。
目線は斜め下。
上を見上げることはなく、耳と声だけが私を認識している。
だがこれも、いつも通り。
両手を広げてもお互いがぶつからない程度まで間隔をとる。
体を揺するように跳ねる。
手足を振る。
首を回す。
体を前に倒す。後ろに反らす。
片腕を上げて、体を横に倒す。
反対も。
「よし。では今日は何周行きましょうか。先週は三周でしたね」
「…………」
「体調は可もなく不可もなくといったところでしたね」
「……二周」
「わかりました。じゃあ二周、頑張りましょう」
訓練場の中心から、扉の前まで移動して、はい、スタート。
走りとしてはかなり遅く、早歩きの方が早そうな程度のゆっくりペースで、二人で進む。
狭い歩幅で、着実に進む。
この間の会話は特になく、動作に集中している。
なるべく壁側を辿るようにすることだけが、ひとまずの決まり事。
殿下の前は軽く一礼して通り、まず一周。
休まず流れで二周目も達成。
「目標の二周、お疲れさまでした」
「……はい」
さすがにこれぐらいならば息切れというのはあまりない。
目の前のこの人も平然としている。
目線はあわないが、それも普段と変わらず。
「体力的にはいかがですか?」
「…………まだ、大丈夫そうです」
「じゃあどうしましょうか」
「……もう一周、行きます」
「わかりました。行きましょう」
ということで、一周追加。
ペースもコースも動作も変わらず、無難に一周達成。
息はもちろん上がらない。
「ふう。三周ですね」
「……」
「この後はどうしましょうか」
「……今日は、もう止めておきます」
「わかりました。そうしましょう。じゃあ柔軟しましょう」
壁際で休んでいた二人に声をかけ、柔軟体操の相手をお願いした。
三人はもともと仲がいいわけではなく、私がこの訓練を担当するようになって少しずつ打ち解けていったようだ。
何かを無くした者同士と一言で言ってしまえるが、そんな簡単に言い終えていいものではない。
それは三人ともが身をもって知っていて、同じような体験をしたとしても同じ気持ちを持つ相手はなかなか出会えない、複雑な関係。
でも、だからこそ、お互いが踏み込んでほしくないところを察しあえるのではないだろうか。
そう、私は殿下と横並びになって考える。
腕を組んで壁に寄りかかっている殿下は、三人を見つめたまま、問いかける。
「最後の奴はどういった目的なんだ? 体を動かしているだけにも見えたが」
「端的に言ってしまえば、そうです。あの人に目に見える怪我はありません。ですが、心に大きな傷を負っています」
向こうの世界ならば『精神疾患』といった名称がある。
しかしこの世界では『心の病』と言われている。
この世界で『病』を治す魔法はない。
特に『心の病』に対しては治療法もない。
安定剤のような薬もない。
一種類ぐらい作られててもいいとは思うのだが、調べた所『心の病』と診断して、そこで終わり。
安静が治療という感じ。
元の世界でも完治はなかったが、対処法や寛解はあったのに。
魔法という便利な手段がある。
だけど医療についての知識はとても少なく感じる。
魔法があるからこそ、少しの怪我なら問題なく生活できる。
便利な手段があるからこそ、不便になったときのことは見て見ぬふりをしている。
「言うなれば、あの人は『心の怪我』を負っています。目に見えない傷なので、薬を塗ったりすることはできません。薬以外の方法で治療……訓練をしていくんです」
「病ではなく『心の怪我』か。体を動かすことがその怪我を治療することになるのか?」
「そうです。ものすごく簡単に言ってしまえば」
『心の怪我』を負った人は、もちろんだがいろんな理由がある。
この三人については戦いがきっかけだ。
その怪我を克服することは……私個人としては難しいと思う。
無くしたものを補うのとはまた違う。
正解なんてない。
経過を見ていくしかない。
それでも、「できた」と思えること、言えることを積み重ねていくことが、必要なこと。
「治らない」なんて最初から決めつけるのは、納得がいかない。
腕の筋肉を動かすための神経はその一部に該当し、もしかしたら再生するかもしれない。
これも、本当ならば怪我をしてすぐにでも再生に向けて介入すべきだった話。
だからといって諦めるならば、この場が在る意味はない。
「筋肉が全く反応を示さなかった時と比べれば、進歩している部分はあります」
「……そう、だな」
表情は暗いままだが、進歩を感じ、認めることはできている。
この人はまだ諦めないだろう。
僅かだが回復の兆しが見えているし、諦めさせる言葉はまだ必要ない。
「じゃあいつも通り、家でもやってみてください」
「わかった」
この人も、今日やることは終わった。
首からバンドを下げて、慣れた手つきで垂れた腕に巻き付ける。
神経断裂の人は、扉に近い壁際で一人ストレッチをしていた切断の人の方へ向かう。
そして言葉を交わし、二人で柔軟体操を始めた。
これもいつも通りで。
その間に私は、最後の一人と訓練場の真ん中に立つ。
「こんにちは」
「こんにちは」
「今日の体調を十段階で言うとどれくらいでしょう」
「……六、ですね」
「高くもなく低くもなく、ですね。理由はありますか?」
「……特に」
「そうですか。わかりました。ではいつも通り、体操からやりましょう」
ここまでの間、私は相手を見るが、相手は私を見ていない。
目線は斜め下。
上を見上げることはなく、耳と声だけが私を認識している。
だがこれも、いつも通り。
両手を広げてもお互いがぶつからない程度まで間隔をとる。
体を揺するように跳ねる。
手足を振る。
首を回す。
体を前に倒す。後ろに反らす。
片腕を上げて、体を横に倒す。
反対も。
「よし。では今日は何周行きましょうか。先週は三周でしたね」
「…………」
「体調は可もなく不可もなくといったところでしたね」
「……二周」
「わかりました。じゃあ二周、頑張りましょう」
訓練場の中心から、扉の前まで移動して、はい、スタート。
走りとしてはかなり遅く、早歩きの方が早そうな程度のゆっくりペースで、二人で進む。
狭い歩幅で、着実に進む。
この間の会話は特になく、動作に集中している。
なるべく壁側を辿るようにすることだけが、ひとまずの決まり事。
殿下の前は軽く一礼して通り、まず一周。
休まず流れで二周目も達成。
「目標の二周、お疲れさまでした」
「……はい」
さすがにこれぐらいならば息切れというのはあまりない。
目の前のこの人も平然としている。
目線はあわないが、それも普段と変わらず。
「体力的にはいかがですか?」
「…………まだ、大丈夫そうです」
「じゃあどうしましょうか」
「……もう一周、行きます」
「わかりました。行きましょう」
ということで、一周追加。
ペースもコースも動作も変わらず、無難に一周達成。
息はもちろん上がらない。
「ふう。三周ですね」
「……」
「この後はどうしましょうか」
「……今日は、もう止めておきます」
「わかりました。そうしましょう。じゃあ柔軟しましょう」
壁際で休んでいた二人に声をかけ、柔軟体操の相手をお願いした。
三人はもともと仲がいいわけではなく、私がこの訓練を担当するようになって少しずつ打ち解けていったようだ。
何かを無くした者同士と一言で言ってしまえるが、そんな簡単に言い終えていいものではない。
それは三人ともが身をもって知っていて、同じような体験をしたとしても同じ気持ちを持つ相手はなかなか出会えない、複雑な関係。
でも、だからこそ、お互いが踏み込んでほしくないところを察しあえるのではないだろうか。
そう、私は殿下と横並びになって考える。
腕を組んで壁に寄りかかっている殿下は、三人を見つめたまま、問いかける。
「最後の奴はどういった目的なんだ? 体を動かしているだけにも見えたが」
「端的に言ってしまえば、そうです。あの人に目に見える怪我はありません。ですが、心に大きな傷を負っています」
向こうの世界ならば『精神疾患』といった名称がある。
しかしこの世界では『心の病』と言われている。
この世界で『病』を治す魔法はない。
特に『心の病』に対しては治療法もない。
安定剤のような薬もない。
一種類ぐらい作られててもいいとは思うのだが、調べた所『心の病』と診断して、そこで終わり。
安静が治療という感じ。
元の世界でも完治はなかったが、対処法や寛解はあったのに。
魔法という便利な手段がある。
だけど医療についての知識はとても少なく感じる。
魔法があるからこそ、少しの怪我なら問題なく生活できる。
便利な手段があるからこそ、不便になったときのことは見て見ぬふりをしている。
「言うなれば、あの人は『心の怪我』を負っています。目に見えない傷なので、薬を塗ったりすることはできません。薬以外の方法で治療……訓練をしていくんです」
「病ではなく『心の怪我』か。体を動かすことがその怪我を治療することになるのか?」
「そうです。ものすごく簡単に言ってしまえば」
『心の怪我』を負った人は、もちろんだがいろんな理由がある。
この三人については戦いがきっかけだ。
その怪我を克服することは……私個人としては難しいと思う。
無くしたものを補うのとはまた違う。
正解なんてない。
経過を見ていくしかない。
それでも、「できた」と思えること、言えることを積み重ねていくことが、必要なこと。
「治らない」なんて最初から決めつけるのは、納得がいかない。



