灰色の空から花びらのような雪の結晶が落ちている。窓から外を見下ろすと、駐車場に停まった車や道路に薄く雪が敷かれている。まるでガトーショコラにかかった粉砂糖のように。
 チャイムが鳴ると、みんなは購買に走ったり机をくっつけ弁当箱を突き合せたりと教室が一斉に騒がしくなる。後方の掲示板には進路希望調査の提出期限を知らせるプリントや、来年の大学受験に向けた講習の知らせなどが、乱雑に貼られている。
 あの日、世界の時間は巻き戻った。私の存在が消える前の時間まで。
 それが私の願った魔法だったのか、それとも魔法の杖にこめられたおばあちゃんの魔法だったのかは分からない。だけど。
 「うわぁ」
 冷凍食品のハンバーグに、ゴボウのきんぴらに、ウインナー。彩が若干茶色に偏った弁当箱の中身を見て、私は笑みがこぼれる。
 今日のお弁当はお母さんが作ったものだ。卵焼きを口にほおると砂糖と塩の分配を間違ったのか、かなりしょっぱかった。それでも、嬉しかった。
 すると、教室の中央で固まる派手な女子たちの会話が耳に入ってくる。
 「冬休みの宿題とかだるすぎ」
 「だれか代わりにやってくれないかなぁ」
 派手な女子たちはニヤニヤと口角をあげて私を見ている。
 今までの私ならきっと彼女たちの宿題を手伝うと言っていただろう。でも、今の私は違う。
 私は魔女だから。
 私は彼女たちから顔をそらさず、まっすぐに見つめる。
 「自分の宿題は自分でやりなよ」
 瞬間、教室の空気がしんと静まり返る。そのうち、女子の一人が顔を赤くしながら言い捨てる。
 「はぁ? 別に頼んでなんですけど」
 「自意識過剰じゃね?」
 そんな彼女たちの当てつけのような言葉を聞きながら弁当を食べ終え、私は教室を後にする。
 「言っちゃったぁ……!」
 初めて教室で言いたいことを言えた興奮で心臓が痛いくらいに鳴っている。私は落ち着くためにその場で深呼吸をしていると、教室から出てきた杉本さんと目があった。
 「やるじゃん」
 それだけ言うと、杉本さんは私の背中をぽんと叩いて去っていた。
 本音を話すのは怖い。それでも、言ってよかったと心から思える。
 ──自分の想いは言葉にするの。それが魔法の秘訣よ。
 そうだよね。おばあちゃん。
 私はこっそりと雪の空に向かってつぶやいた。

 学校が終わるころには雪は止んでおり、雲のすき間から差し込む夕陽が濡れたアスファルトをキラキラと輝かせる。
 私は水たまりを飛び越えて走る。しかし、同じ方向に向かう生徒たちや並走する自転車たちに道を阻まれ、なかなか前に進めない。
 魔法で時を止めたら、すぐに会いに行けるのに。
 そんな考えが頭をよぎるが、私は小さく首を振る。
 私はもう、魔法は使わないって決めたんだ。
 もう誰も、私を忘れないように。
 あの日。遼太郎に忘れられたとき、心が裂けそうなくらい苦しくて、寂しかった。
 人に忘れられるってすごくつらい。そのことを知ってほしくて、自分のことを忘れてほしくなくて、おばあちゃんは私に魔法を教えたのかもしれない。
 それが、おばあちゃんの許しての意味。
 雑踏の中、改札前に探していた人影を見つけ、私は走り出す。
 「遼太郎!」
 これからも私たちはきっとたくさんの困難に見舞われる。理不尽な現実に、耐え難い環境に身を置くことになるかもしれない。それでも。
 家族と、友だちと、大切な人と。
 笑いあって、慰めあって、支えあって、立ち向かったり、逃げたりしながら。
 私たちは生きていく。
 だってここは、私だけの世界じゃない。
 だから、私は大丈夫。

 たとえ魔法が使えなくても。

 終わり。