「また忘れてるし」
いつものように時を止めたまま、夜に遼太郎の家に向かったがそこに遼太郎の姿がなかった。私は遼太郎から言われたことを思い出し、玄関前に置かれた植木鉢を持ち上げる。
遼太郎が待ち合わせの時間を忘れたのはこれで二度目だ。前回は時を動かしラインでメッセージを送って家から出てきてもらったが、偶然人が通りかかり、私が魔法を使うところを危うく見られそうになった。そのため、今度からは勝手に入ってきてと、遼太郎が子どもの頃から変わらない、岡崎家の合い鍵の置き場を教えてくれたのだった。
「お邪魔しまーす」
手に入れた合い鍵で玄関を開けると、廊下の電気がついておらずリビングの扉のすき間から差し込む暖色の明かりが足元を照らす。私はリビングを素通りし、二階の端にあるという遼太郎の部屋へ向かう。部屋の前に立ち、意味はないがやらなければマナー違反は気がするので扉をノックして部屋へ入ると、ベッドに腰掛けスマホをさわったまま停止した遼太郎を見つけた。
私はいたずら心が働き、遼太郎の背後にまわろうとベッドに上がる。どんな風に驚くだろう、笑いをこらえながら遼太郎に近づくと、遼太郎のスマホの画面が目に入った。
『マジキモ過ぎ。もうお前学校くんなよ』
『岡崎に学校来てほしくない人―? むしろ死んでほしい人―? はい、反対意見ゼロー!』
『ヤバすぎ(笑)俺たちは自殺の強要はしてないから(笑)』
遼太郎のクラスラインと思しきグループチャット内で、数名のアカウントから遼太郎に対する罵詈雑言がいくつも連投されていた。それらのメッセージに対し声をあげるものはなく、数十個の既読だけがついていた。
なにこれ……。
心臓がドクドクと脈打つ。血の気が引きベッドの上でよろけて遼太郎の肩に触れると遼太郎の時が動き出し、私に気づいてベッドから転げ落ちた。
「びっくりしたぁ!」
「てってれー、どっきりでしたー……」
いつものように振る舞いたいのに、どうしても笑顔が引きつってしまう。そんな私の様子を訝しむ遼太郎はトーク画面が開いたまま床に転がったスマホに気づくと、おもむろに口を開いた。
「もしかして、見た?」
「その、見るつもりじゃなかったんだけど……」
「のぞきなんて、彩奈のえっち!」
そう言っていつものようにおどけてみせる遼太郎。しかし、先ほどのメッセージが脳裏によぎり、うまく笑うことができなかった。遼太郎は立ち上がり窓の側へと近づく。白い月明かりが遼太郎の白い肌を輝かせる。
「入学してからずっとこんな感じでいじられてるんだ」
「いじりじゃないでしょ。こんなのいじめだよ!」
私はとっさに遼太郎につめよるが、困った顔でほほ笑む遼太郎をみて自分の行動の愚かさを恥じた。これがいじめだってことくらい、当人の遼太郎が一番わかってるはずなのに。
「……ごめん」
「なんで彩奈が謝んの」
遼太郎は私の頭をぽんと撫でて部屋を出る。私はあとを追い階段を下りる。
これまでの学生生活の中でいじめというものを私は何度も見てきたし、時にはそのターゲットにもなった。それでも、せいぜい無視や陰口、持ち物を隠される程度のものだった。しかしこれは別の次元だ。
「親に相談したら? それか、先生とか」
「言っても意味ないよ。先生も親も、俺に興味ないから」
廊下を歩く遼太郎にリビングの明かりが交差する。リビングでは遼太郎の両親と、遼太郎の弟が三人でご飯を食べていた。キッチンに食べ終わった食器などはなく、はなから遼太郎の分の食事は用意されていなかったことがうかがえた。
「早く大人になりたい。早く大人になってこんなところから出ていきたい」
遼太郎は靴を履きながら呟いた。それが遼太郎の心の叫びだと、私は心で理解した。
「私、なにか力に……」
「さ、今日はどこいこうか」
私の言葉を遮るように遼太郎はヘルメットを差し出す。これ以上このことを話したくない、そんな意図を感じて私はヘルメットを受け取った。
「東京タワーに行きたい」
「いいね」
原付の排気音が東京の夜に響きわたる。私は遼太郎の背中にしがみつきながら考えた。どうしたら遼太郎を救えるのか。自分になにかできないか。そのとき。
「ポケットの中に手入れてみて!」
「え? なんで」
「いいから!」
促されるまま遼太郎の上着のポケットに手を入れると、小さな丸いものが手の中に納まった。
「それあげる!」
私は落とさないようにぎゅっとつかんだまま取り出し、風よけとなる遼太郎の背中の前でそっと手を開く。それは見覚えのある花柄の包装紙に包まれた飴だった。
そうだ。おばあちゃんだったら、なにか知ってるかも!
「ありがとう! あとで食べる!」
私は小さな希望とともに飴玉をカバンへとしまった。
週末。私は郊外にあるおばあちゃんの家を訪れた。同じ東京とは思えない、立派な山々の麓にある三角屋根のドールハウスのような一軒家はおばあちゃんが死んでからそのままになっており、門扉から玄関までの間にひざ丈ほどの雑草が生い茂り、もとは白かった壁には蔦が這っていた。
私は雑草をかき分けて扉の間に立つと、時を止めてお母さんから盗んだ鍵を使う。
「うわ……」
玄関を開けると凝縮された時間が一気に流れてくる。天窓から差し込む日差しの暖かさが、柱や床に沁みついた生活の匂いが、私の記憶を刺激する。
私が小学生になる前、お母さんの仕事が特に忙しくて、私は少しの間ここでおばあちゃんと一緒に住んでいた。そうだ。そのときにおばあちゃんは私に魔法を見せてくれたんだった。ほこりがうっすらとかぶった机に、小さかったころの私とおばあちゃんの姿を見た気がした。
「おばあちゃん、入るね」
子どものころは入っちゃダメだと言われていたおばあちゃんの部屋。扉を開けると、壁一面に魔方陣や古めかしい絵が貼られており、床や棚には魔法の杖にほうきなどが、散乱していた。
私は息をのみながら中へ入ると天井まで届くほどの大きな本棚が目に入った。レシピ本から文庫の小説までジャンルを問わずあらゆる本が乱雑に詰め込まれているが、私は吸い寄せられるように一冊の本に手を伸ばす。昔、図書館で借りたハリーポッターくらい厚く、ページも黄ばんでおり、かなり古いものだとうかがえる。表紙をめくると筆記体の外国語がみみずのようにうねうねと記されていた。
「これじゃ読めないな」
あきらめつつもう一枚めくると、外国語の上に小さくおばあちゃんの文字で翻訳された文章が書かれており、これが魔法の使い方や魔法の歴史についてまとめられた魔導書だと判明した。
「これなら、遼太郎を救う魔法が見つかるかも……」
私は夢中になって魔導書を読み進めると、一枚の手紙がはらりと落ちた。手紙が挟まっていたページに書かれていたのは魔法を使う代償について。
「なに、これ……」
そこに書かれた魔法の真実に戸惑いながら、私は床に落ちた手紙に目を落とす。そこにはおばあちゃんの文字でこう書かれていた。
『愛する娘と愛する孫よ。こんな私をどうか許して』



