『新型ウイルスが蔓延してから約数ヶ月、我が国の日本でも感染者数が一万人を超えました。また、死亡者が千人を超えました。現在、ワクチンの開発を急いでおります。また、感染者に対する差別的な発言も現在問題視されております。みなさま、感染者だからと差別をするのはやめましょう。』
朝日の射すリビング。私はバターの塗られたトーストを頬張りながらボーッとニュースを見ていた。
『さて、時刻は今7時半を回りました。学校やお仕事に行く皆さん、今日も一日頑張って行ってらっしゃい。マスクの着用をお忘れなく。』
「また感染者数増えたんだ……。」
テレビのニュースが競馬に変わる。興味ないなぁ。
「絢乃〜。早くご飯食べないと遅刻するわよ〜!」
「わかってるってば〜」
急いでトーストを食べ、かばんを取りに行く。その時、ふとリビングが寂しく感じた。食器を洗っているお母さん。急いでかばんを取る私。……またお父さんいない。
「そういえば、お父さんは?」
「……。さぁね。また同僚とキャンプにでも行ってるんじゃない?」
「え〜、また?!……私たちには無駄な外出するなとか言ってるくせに、お父さんだけずるくない?!」
「いいから。ほら時間になるよ?」
「やば!!」
急いで玄関で靴を履く。そしてマスクをとる。
「今日も部活?」
「うん、大会前だから遅くなるかも。」
「そう。いってらっしゃい。」
「いってきます!!」
そういって元気よく飛び出した。
中学3年生、中学校生活最後の夏が来ようとしている。桜は散って緑の葉が目立つ中、私は前原の家を訪れ、一緒に登校した。
「果穂ちゃんどんな感じ?元気にしてる?」
「うん。家では元気そうだけどな。」
「それならいいんだけど……。今度一緒に遊び行きたかったけど、当分はそっとしといたほうがいいのかなぁ。」
「本人は気に留めてないあら大丈夫だよ。むしろ、学校行かなくて済むからウキウキしてたよ。」
「まぁ、果穂ちゃんの望んだことだしね。重く受け止めすぎてもよくないか。」
そんなことを話しながら、空を見る。果穂ちゃんは高校2年生になってこの頃、不登校になったらしい。何があったのかわからないけど、本人が気に留めてないのなら気にすることないか。
いつも通りの授業。退屈で、時々爆笑して。隠れて悪そするスリルが大好き。いつも通りの休み時間。わざと先生に絡みにいったり、友達とバカしあう。その繰り返しが幸せだった。放課後は部活に打ち解けて、青春を過ごす。今日はどんな練習メニューなのかな。
4校時目が終わるチャイムがなり、私は友達と手を洗いに行く。
「今日の給食美味しそ〜。」
「げ、ナス入ってるじゃん!!」
「減らせばいいじゃ〜ん?」
そんな会話は何度目だろうと思うほどしてきた。なのに毎回笑って、ツボって、おちょくりあって。
配膳が終わると、みんなで席についていただきます。
スピーカーから今人気な曲から先生世代の曲が流れる。知ってる曲が流れるたびに目を合わせて笑い合う。
幸せ、楽しい。あぁ、卒業したくないな〜。このまま、ずっと幸せならいいのに。
「倉上さん!!」
「っ?」
給食を味わっている時、急に先生から名前を呼ばれた。パッと顔を上げると、何やら職員室と電話をしていた。どこか焦ってる。
「今すぐ帰る準備をして職員室に降りて来てって、学級主任が。」
「今?!」
急なことに理解が追いつかないまませっせと準備した。なぜかと理由を問いたくなったけど、先生の焦る姿から聞けなかった。
「え、絢乃帰るのー?」
「んー、よくわかんないけどそうみたい……?」
カバンを背負って職員室に降りる。この時から、嫌な予感はしていた。
そこからはほぼ流れ作業。職員室に降りたと思えば、外を見ると車を止めたお母さんがいた。何事なんんだろうと思う暇もなく、車に乗り込んだ。助手席でお母さんの顔を覗く。いいって言えるものではなかったけど、一体どうしたの、と言い出せなかった。
気まずい空気が流れる中、お母さんの口が開いた。
「……お父さんが感染した。」
車の中の会話は、お母さんの一言。それだけだった。
家に着くと、リビングにはお父さんがいた。別にキツそうってわけではないけど、家の中でもマスクをつけている。そこからはよく覚えていない。とりあえず制服を脱いで、部屋でスマホを弄っていた。
え、新型ウイルスって死ぬ可能性もあるんだよね?そんな不安も抱えながら、感染してしまったのは仕方がないと自分を納得させた。
でも、お父さんそんなことわかってるはずなのにキャンプ行ったりカラオケ行ったり……。自業自得って思っちゃうんだけど……。
てか、家族内に感染者出たら、私たちも濃厚接触者として自粛になるんでしょ?……大会、出れなくない?
カレンダーを見て不安に染まる。中学校生活最後の大会、お父さんのせいで出れないの?……でも、かかったのはしょうがない……。しょうがない?あんだけ遊び呆けて?
自分の中でいろんな感情がごちゃ混ぜになる。でも、どんだけ考えても、自粛には変わらないんだよなぁ。
はぁ、とため息をついた時。
─────リビングからガラスの割れる音がした。
「え、何……。」
急なことに、心臓が跳ね上がる。恐る恐る、リビングに降りた。
「っ……。」
リビングに広がる光景を見て絶句した。
「もういやァ……!!!」
お母さんの泣き叫ぶ声がさらに脳を揺らした。
「んなこと言ったって仕方ねぇだろ!!かかりたくてかかったと思うなよ!」
リビングの床は血だらけだった。その中央に力なく崩れ落ち、泣き叫んでいるお母さんの右腕は血だらけだ。水道がでっぱなし。足元を見ると、ガラスでできたコップの破片が散らばっていた。
食器を洗っていたんだろうか。なら、なんでこんなことになってんの。
「全部あんたのせいだ!!あんたのせいで全てがめちゃくちゃだ……!!!」
「うるせえよ、どうしようもねぇだろ!!」
言葉が出なかった。足がひたすらに震えて、怖かった。
「お前、今のままだと貧血なるぞ。病院行けよ。」
そう言って、流石にお母さんの腕を心配したお父さんがお母さんに手を伸ばす。
「やめて、こっちに来るな!!!ウイルスがうつる!!!」
「んなこと言ってる場合か!」
そう言ってお父さんは救急車を呼んだ。
「っは、っはぁっはぁ……」
「お母さん……?」
お母さんの息が荒れ出した。過呼吸になってる……?駆け寄って背中をさすったほうがいいんだろうか。どうすべきなんだろうか。……どのみち、私の足は使い物にならなかった。
すると、お母さんが急に立ち上がった。歩き方がおかしい。足も打撲してる……?
「お母さん……!!」
お母さんの様子を見て、私はとうとう力無い足でお母さんの元に駆け出した。キッチンの引き出しから取り出した包丁が反射で光る。
救急車を呼び終わったお父さんの背後に刃先を向けた。
「お母さんやめて!!」
咄嗟にお母さんに抱きついて、そう叫ぶ。
「離して、絢乃!!」
「お父さん、逃げて!!」
「っ……?!!」
状況に気づいたお父さんが固まった。男だろうと、刃物を向けられれば誰でも怯む。
「離しなさい!!!」
「嫌だ、離さない!!だめだよ、お母さん!!!そんなことしちゃだめ!!!やめてよ、お母さん!!!!!」
必死に叫んだ。怖い。自分すらも刺されるんじゃないかって。でも、そんなことよりお母さんにそんなことをさせたくなかった。
涙が溢れてくる。どうしてこんなことになったの。どうしちゃったのお母さん。何この状況。リビングの床は血まみれで、お母さんの右腕も血まみれ。壁には返り血が飛んで、絨毯の一部も赤く染まる。どっちが悪いかなんて、考える余裕もなかった。
次第に救急車の音が聞こえた。それに気づいたお母さんは、次第に落ち着き膝から崩れ落ちる。
けれど、私はお母さんに寄り添うことはできなかった。ただただ、ボロボロと泣き出したお母さんを見つめるだけ。
そこから記憶なんてほぼなくて、頭が痛くて、何も考えきれなくて。
「母さんの病院に付き添わなきゃいけないから、絢乃……。留守番頼むな。タクシー代置いとくから、来たければきなさい。」
そう言って、玄関の扉は閉まった。部屋中に充満した鉄の匂いが鼻を突く。力なく、私はその場に崩れ落ちた。
「何……これ……。」
あーぁ。家族で愛用してた思い出のコップも、お皿も、何もかも割れちゃった。絨毯の血、落ちるのかなこれ。床はフローリングだからまだマシか。
私は、無気力に立ち上がる。洗面所まで向かって、すべての雑巾を持ってくる。吹いて、拭いて、洗って。また吹いて。破片を拾って。
「……あ。」
いつの間にか、膝や手が少し切れていた。細々した破片も拾わなくちゃ……。
「っ……、ッ、ッ……。なんで……ッ。何が起こったの……ッ。説明してよ……お母さん……ッ」
頭が痛い。手も足も痛い。泣きすぎて脱水症状でそう。
私は、ただひたすらに掃除をした。何もしない方が辛かったから。だから、何も考えず、ひたすらに血を拭いた。
「倉上さんの娘さん?病室はこっちですよ。」
結局あのあと、私はお母さんが送られた病院に来た。病室に入ると、窓の外を眺めるお母さんがいた。お父さんは……もういなかった。
「……ごめんね、絢乃。だめなお母さんで。」
私が椅子に座ると、外を見ながらそういった。
「……お父さん、何したの?」
「っ……お母さんの味方でいてくれるの?」
「……真実がわからないことには何も言えないよ……ッ。」
それから、私はお父さんのことを初めて聞いた。生まれて初めて、本当のことを聞いた。
お父さんと私は、血が繋がってないこと。本当は、私を産むときに離婚して、お父さんと再婚したこと。お母さんが、私を高校に行かせるために貯めた貯金をすべて、ギャンブルに使っていたこと。会社が倒産したこと。そして、精神疾患を患っていたこと。なのに、お父さんは直す努力もしなかったこと。気に食わないことがあると、お母さんに暴言を吐いていたこと。
全てを聞いた。
お母さんが無理をしていたことも全て。
そこから記憶なんてない。頭を整理できなくて、そのまま病院を後にした。
未熟な私には理解ができなかった。情報量が多すぎて頭が痛かった。気がつけばもう夜だ。
……私がいなければ、お母さんの負担は少しでも減ったのかな。私が生まれなければ、逃げられて今のあいつと再婚することもなかったのかな。
……そんなわけないんだ。お母さんは私のことを愛してるってわかってる。こんなこと、間違ってるってわかってる。でも……。
私は、病院の花壇に手をついて、その場でしゃがんだ。崩れ落ちたの間違えだろうか。
「死んだ方がマシなのかな……ッ。生きてることが間違えなのかな……ッ。」
未熟な私は、その答えにしか辿り着けなかった。
ここが外だって言うのも忘れるほど泣いた。夜だから、誰かに気づかれることもなかった。あの時、大量に泣いたのに、涙はどんどん溢れて来て。
【「全部あんたのせいだ!!あんたのせいで全てがめちゃくちゃだ……!!!」】
「死にたい……。」
今の私は、それしか考えることができなかった。



