私を殺めた16歳


 いつからか、不安定な刺激なんかよりも、平凡な普通を求めてた。大人になって行くに連れて、面倒ごとを避けるのは当たり前だし、それが安定する鍵になる。でも、もちろん世の中の普通には定義なんてものがなくて何が普通で何が異常なのかと、問いたくなる。
 でも……。

【おはよう、絢乃。お母さん今日も夜勤だから夕ご飯のお金置いとくね。】

 ……少なくとも、私の家庭は普通ではないことだけはっきりわかる。
 着慣れない制服に身を包まれ、いつだって胸は不安で一杯なのにこのやりとりだけは変わらない。お母さんとまともに話したのはいつだっけ。ここまでくると、本当は他人なんじゃないかと疑ってしまうけれど。
 ……本当は一緒にご飯を食べたり、一緒に料理をしたいなんて言ったら、お母さんはどう思うかな。まぁ、弱虫だから言えないんだけど。私はお母さんが怖い。
 そして、私はお母さんを恨んでいる。
 少なくとも、私自身も普通ではなくなった。異常に……されてしまった。

「いってきます。」

 そう呟いたって、私の家から「いってらっしゃい」が返ってくるわけ無いのに。



 高校に入学して早一ヶ月。私の高校生活は安定していた。普通を過ごす倉上 絢乃(くらかみ あやの)として。でも、満足だったわけじゃないな。だって、倉上 絢乃の普通は私にとって普通じゃ無いもの。本当の私は……。
「おはよー、絢乃。」
「あ、前原じゃん。おはよう。」
 そういって笑顔を向けた。こいつとはお母さんなんかよりも一緒にいるかもしれない。後ろからも友達である莉紗がやってきた。
「あ、絢乃っち達だー!おはよー。朝から仲の良い幼なじみですなー。」
 家付近の住宅地から大通りに抜けると、毎朝こうやって友達が集まってくる。余計なことをしない限り、こうやって普通を過ごせるのなら、やっぱり私の生き方は間違ってなかったんだなって安心する。
 自分を隠して繕うことは当たり前。みんな、生きる術を自分で見つけて世の中の、“普通“の輪から踏み外さぬよう必死。
 私だって、踏み外さぬためなら、それなりに本当の自分を見せないで上手く生きれるように調節くらいできる。自分の気持ちをはっきり伝えられない弱虫な性格が、私の生き方を後押ししてくれた。

だから、私は言えない。"一ノ瀬 絢乃"(いちのせ あやの)が、私の本当だと言うことを。

【「──────もう、イヤなの……ッ!!!」】

「……。」
 こんな弱虫じゃ……なかったんだけどな。
 忘れたくても忘れられない泣き叫ぶ声は、いつだって脳裏に焼き付いてる。


「……乃。……絢乃!!」
「……え、ごめん聞いてなかった。どうしたの?」
 パッと顔を上げると、私と前原しかいなかった。
「あれ、みんなは?」
「いや、さっき鈴木の元に走ってったじゃん。さてはずっとボーッとしてた?」
 痛いことを突かれて言葉が詰まる。
「あ、あはは……、そんなことないよ〜。」
「嘘だな。」
 ボーッとしててなにが悪いのよー。
「うるさい!別なんだっていいでしょー。」
 少しめんどくさくなって歩く足を早めた。確かに前を見ると、さっきまでそばにいたみんなが、結構遠くにいる。
「てか、聞きたいことあんだけどさ」
「なに、どうかした?」
 意外に真面目なトーンで聞かれたので、少し姿勢を正して振り返ってしまった。
「最近、絢乃の親父さんと連絡つかないんだけど……。なんかあった?」
「っ……。」
 その言葉を聞いた瞬間、頭が真っ白になった。
 え、なんでそんなこと聞くの。急になに。あぁ、そういえば前原とお父さんって仲良かったっけ。
 ……吐き気がする。
 なにも言わずに前原を見つめた。口が固まって動かなかった。
「あ〜、えっと……。電話にも出なかったから、番号変わったのかと思ってたんだけど……」
 その空間に気まずさを感じたのか、前原は少し焦りながらスマホを触り出した。お父さんの電話番号を探しているのだろうか。
 やば、頭回んない。でも、前原にはいっておいた方がいいよね。なんて言おう。何か言わなきゃ。
「聞くのまずかっ……」
「離婚した。」
「え。」
 咄嗟に出た言葉は、案外にもストレートな言葉だった。
 まだ微かに冷たい風が私たちの間を抜ける。前原の顔なんて見れなかった。ただ、口元が震えるのを感じるだけ。
 やば……、倉上絢乃が壊れちゃう。調節を……。調節、しなくちゃ。
「親権、お母さんなんだ。」
 あたかも気にしていないかのように言い放った。
「そう……なんだ。なんかごめ……」
「いいの、気にしてない!幸せになるための決断だったんだから、そんな暗い話じゃないよ。」
 ……逆にこれは正解だったのかもしれない。これ以上この話を持ちかけられることもないだろう。そこからは普通の会話に戻った。大丈夫、笑顔は作れてる。倉上絢乃はまだ生きていける。

 気にしてない。……なんて嘘だよ、って言えたら。どれだけ楽なんだろう。
 前原が仲間で、同じ同士だったら……言えてたのかな。
……きっと、そんな幼なじみにも言えない弱虫なんだろうなぁ……。

 

 そんな望み続けてきた日常で、ある日事件が起きた。
「絢乃さん、好きです。付き合ってください!!」
 その瞬間もまた、頭が真っ白になった。
「えっ、と……」
 どうしよう唇が震える。頭が鈍器で殴られたようにグラグラする。何より不味いのは状況だ。高校初の体育祭、タイミングを見計らったように人が集まってきた。
 公開告白。
 多分そういうやつなんだろう。みんなのニヤついた視線が集まって息ができない。差し出された手が歪んでいく。この状況の中、倉上絢乃を崩さずに持ち堪えられる方法は……
「私まだ恋愛に気を配れるほど万能じゃなくて。ごめんね、川口くん。」
 その一瞬、この場が静まり返った。みんなの絢乃なら、断るにしてもきっとこう言うだろう。微笑んで、できるだけ相手が傷つかないように。なのに……どうして空気が重くなっちゃったの。
 あれ……ミスった……、?
「川口振られてやんのー!!」
 そんな空気を取っ払ったのは莉紗の愉快な笑い声だった。そのまま、この一帯はどっと笑い声が響いた。
「えっ、?!!」
 驚いたように、悔しそうな川口くんが顔を上げた。
「えっと……。友達から始めない?」
 そもそも、私あなたと話したことなんかなかったし。
「あ、はい……。」
「友達からて、そりゃあ叶うわけないだろー」
 顔も知らない男子の声で、やっと人が減っていく。
 笑い転げてる人、川口くんを宥めてる人、逆に煽ってる人、少し不服そうな人。どんどん人がいなくなっても、私はその場を離れることができなかった。
 ……足が震えてる。冷や汗が止まらない。まだ息がしづらい。

【「こっちに来ないで、いやだ、来ないで……ッ!!!」】

「絢乃ッ……。」
「っ……。」
 急に手首を握られた。少し大きな手。その瞬間、体が脱力して、息がしやすくなった。
「前、原……」
 ゆっくりゆっくり。おぼつかない足で振り返ると、そこには心配そうにこちらを見ている前原がいた。咄嗟に、私は掴まれた腕を振り払った。
「あ、いや……。ごめん、絢乃の手が震えてたから……。大丈夫?」
「……。」
 掴まれた腕を自分の方へ寄せる。気がつけば、みんなもういなかった。
「うん、大丈夫!急だったからびっくりして。ありがとう」
 精一杯の微笑みを向けてあげた。



 そろそろ帰ろうかな。体育祭の片付けも終わって、私は靴箱へ向かっていた。オレンジ色の夕日が窓の隙間から差し込んでいる。
 ……あのとき、どうすべきだったのかな。いくら考えたってわからない。川口くんとは話したこともなかったし、そもそもなぜ告白して来たんだろうと言う疑問が浮かぶ。……きっと、公開告白ならほぼ初対面でも振られないと思ったのかな。……私も振らないほうが良かったのかな。
「……。」
 どのみち、おっけいなんて言えっこない。男の人は……。
 ……ともかく、そもそも恋愛感情なんてないんだからおかしいことなんてないよね。そうだよ。別に私悪くないじゃん!
 満足な自己解決ができて気持ちはあっさり。クヨクヨしちゃうのはやっぱ私のいけないことだよね。
 そんなことを思いながら靴箱から靴を取った。
「ねぇ、今日のあれ、まじあり得なくない?」
「っ……。」
 反対側の靴箱から話し声が聞こえた。このとき、気にも止めず帰ってれば良かったのに。
「わかる。向こうの気持ちなんて知るかよって話だよね。公開告白に人権とかないのに。」
「てか、あの度胸えぐくね?まじ、嘘でも承諾しろよなー。やっぱノリ悪いわ、倉上さん。」
 そこから記憶なんてなかった。ただ、何も言わず昇降口から駆け出しただけ。
 あぁ、みんなの倉上 絢乃が危ない。倉上 絢乃が壊れかけてきた。



 気がつけば日も暮れて、私は灯りのない家に着いていた。
「……やば、鍵忘れてる。」
 いくらカバンを漁っても家の鍵が見当たらなかった。家、入れないじゃん。
 どうしよう、お母さん夜勤だったよね。職場まで取りに行くしかないな。行き方は一様スマホがあるしそこは大丈夫だけど……。
「帰りたくないかも。」
 私は、お母さんの職場と反対方向に歩き出した。



 行きついた先は殺風景な公園。砂場のそばにベンチ、街灯があるくらい。その上、周りは草が生えかぶっていた。そんな中、私は力なくベンチに座り込んだ。 
 私が悪かったのかな。でも、ならどうすれば良かったの。そこまで言うなら正解を教えてよ。……なんなの。なら、あんたたちは嫌いなものに触れてみて、食べてみてって言われたらどうするの。公開とか関係なく断るでしょ……。
 くそ、っと言わんばかりに私は上を向いた。
「今日の星……綺麗だな。」
 ……ムカつく。なんで私ばっかり……。どうやったって、生き方が分からない。
 一ノ瀬 絢乃として、生きていきたい……。せめて誰かに……前原にだけでも。
 ……いや、言えないな。辛くない、って言っちゃったもの。
 泣きべそをかきながら、私は下を向いた。
「砂場……」
 呟いた言葉は原動力になった。周りに落ちてる木の枝を探して、砂場の元へ戻ってきた。
 試しに、砂に木の枝を走らせてみる。けれど、いざとなると書きたい言葉は出てこなかった。具現化できないもどかしさに力を入れて、木の枝が軋む。

『正解って何。』

 書けた言葉はそれだけだった。これが、今の私の精一杯の叫びだった。現状を変えたけりゃ、具現化もできない。できたとしても、勇気なんて出るわけなくて。
 ただ今は、正解を知りたかった。
 あの時、私は告白を飲み込んだ方が良かったのか。
 前原に、本音を言えてたら良かったのか。
 偽りの私、倉上 絢乃でいることが本当に正解で、この一ノ瀬 絢乃は不正解なのか。
 そんなん……存在否定じゃん。自分の巡らせた考えが、よりいっそう自分を落としていく。
「何してるんだろ。……さっさと帰ろ。」
 急にバカバカしく思えてきて、掴んでいた木の枝を投げ捨てた。SNSでも無ければ、マッチングアプリでもない。こんな荒れ果てた公園に嘆きを書いてどうなるんだ。
 こんなことしてたって、弱虫な私がまた成長するだけなのに……。


 
「……いい匂い。」
 次の日、朝起きると久しぶりに自分以外の生活音を聞いた。お母さん……夜勤から帰ってきたのかな。今日休み?
 ……何日も顔合わせてないのに、どうすればいいんだろう。私にとっては、もうお母さんはただの他人。そんな認定になってきてしまった。
「ひとまず……準備しなくちゃ。」
 どんな憂鬱な朝だって、平日だとすれば普通を繕うだけだ。……楽だ。そして、辛さも共に残る。
 この匂いは……、目玉焼きかな。当分朝ごはんも食べてないから朝から胃に食べ物が入るか分からないんだけど……。
 身支度を整え、リビングへ降りた。やっぱりそこにはエプロンをつけたお母さんがいた。
「あら、絢乃おはよう。」
「あ、うん……。」
 物音に気づいたお母さんは私へ振り返る。
「おはよう……。」
 そう、ぎこちなく挨拶をした。テーブルを見ると、綺麗に2人分のトースターに目玉焼きが添えられ、ベーコンが周りにトッピングされていた。
「朝ごはん、最近作れてなかったからさ。一緒に食べましょう。」
「うん。」
 いただきます、そう言ってトースターを口にした。久しぶりのお母さんとの食事は楽しかった。最初のぎこちなさはどこへ行ったのか、お互いに学校の話だったり、仕事の話をして盛り上がった。
 変わってない。私の記憶にあるお母さんと変わってない。そう思うと嬉しくなった。
 ……その分、罪悪感が増した。普通でいられなくなったのはお母さんのせいだと恨んでいたと言うのに。
 優しい一面を見ては、私が悪者のように見えて。
 でも……、今の私はどっちの私なんだろう、って。
 お母さんも、私みたいに繕ってるのかな。本音を隠して、作り物の笑顔を私に向けてるのかな。どちらにしたって……。
 
 私は貴方のせいでこんなに苦しむ羽目になったのに、どうして貴方は笑えているの?

 そう、問いかけたくなった言葉を、目玉焼きと一緒に喉の奥に流し込んだ。



 そこからはいつもと一緒。倉上 絢乃は登校をして、授業を受ける。みんなが笑う場面で笑って、上手く調節。そうしていくうちに、あっという間に放課後に。
 楽しくない。
 川口くんとは気まずいし、それによって私までいじられる羽目になる。
「おっけいしちゃえばよかったのに〜」
 放課後の教室で莉紗がにやにやしながら聞いてきた。何回目の会話だろう。夕日の指す教室は青春で、とてもエモく感じるはずなのに、楽しくない。
「だって、好きかも分からないのにおっけいする方が相手にとって失礼じゃん?」
「わかってないなー!!あーいう時は、ノリって言うもんがあるんだよー。」
 その言葉が、少し胸の端で引っかかった。また出てきたよ。

【「嘘でも承諾しろよなー。やっぱノリ悪いわ、倉上さん。」】

「ノリってなんなのよ……。」
 ポツリと呟いた言葉は誰にも聞かれなかった。聞かれなくてよかった。このまま雰囲気を壊して、みんなの倉上 絢乃まで崩れられては困る。
「やっぱ、青春に変えられないものは無いよね。愛美だったら張り切っておっけいしちゃうなー。」
 何も言わず黙っていれば、みんなが会話を繋ぎ出した。
「川口でも?」
「川口でもw」
 このままでいい。このまま受け流せば……。
「まぁ、別にある意味いい思い出なんだから良くない?ね、絢乃さん。」
「えっ、あ……。」
 急な指名で、動揺した心を抑える。問いかけられ、目が合ったのは成瀬 千聖(なるせ ちさと)さんだった。
 千聖さんの笑顔に、助け舟をくれたんだと瞬時に理解した。
「うん。みんな笑顔だったしそれはそれで……って感じかな、私も。」
「だよねー!」
 そう言いながら、千聖さんは椅子から飛び上がって、私の手を握ってきた。少し心臓が跳ね上がったのを覚えてる。
「お前らー、そろそろ下校時間だぞー。」
 いい所で先生が入ってきて、私たちは教室を後にした。
「絢乃さん、無理しなくてもいいからね。私もあーいうの苦手なんだ。」
 えへへ、と笑った彼女の笑顔は可愛かった。そのまま、頭をポンポンっと撫でられ、莉紗たちの元へ走っていった。
 放心状態になりながらも、莉紗たちの後を追う私。
 ……いや、距離感近!!!
 普通にびっくりだよ!!千聖さん、私はあまり彼女のことを知らない。入学してから莉紗の元でずっと友人関係を作ってたら、いつの間にかグループにいた少し不思議な子。
 莉紗みたいにはつらつな元気さを持ってる訳でもなく、私みたいにいじられ役でもない。ただ、ずっとここにいた。さっきみたいに会話に割入ることはごく稀で、みんなから好かれてるタイプの子……。いわゆる姫ポジというものなのか?
 男の子との関わりは薄いって聞く。その変わり、懐いた子には結構甘えてくるとかなんとか。
 気がつけば私は、みんなの1歩後ろで千聖さんの背中ばかりを見ていた。
 華奢な体に色白な肌。色素が薄く、長い茶髪が風によって揺れている。夕日が反射するほどサラサラで羨ましい。
 モテそうな子だよな〜。
「ねぇねぇ、絢乃さん!」
「へっ?!!」
 前を見ると、千聖さんの顔が真正面にあった。
「今度さ、2人で1緒に遊び行こうよ。私、莉紗みたいに明るい子はちょっと苦手なんだけど、絢乃さんみたいな大人しい子は気が合いそう!」
 健気な笑顔が眩しい。
「う、うん!!」
 突発的に返事を返してしまった。こんな笑顔を見せられて、断れない人はいないだろう。
「あー、絢乃が千聖を独り占めしてるー。うちらも混ぜてやー!」
 千聖さんと初めて話したはずなのに、もう遊ぶ約束しちゃった。……しかも2人で?!
 撫でられた頭が、まだその感触を覚えてる。小さくて、ふわふわしてたな……。千聖さんの手。



 莉紗たちといたら、下校時間のギリギリまで学校にいちゃう。おかげで家に着く頃にはもう真っ暗だ。カバンから鍵を取りだした時、はっとした。
「あ、砂場……。」
 一瞬考えて、私は鍵を閉まった。どうせ家には誰もいない。行っちゃえ。返事書かれてるかもわからないけど。
 砂場に行く間、私また昨日のことや今日のことを思い出してしまった。
 ノリ……。そんなのわかんないよ。どうして分かるの?確かに、あの場面で断ったのは悪かったって流石に申し訳ないけど、こっちはこっちで事情があるのに……。
 それでも、ノリは大事なの?
 公園の入口を抜ける。すぐそばには砂場だ。昨日、なんて書いたんだっけ……。そう思い、砂場に目をやる。

『正解って何。』

 あぁ、そうだこれだ。具現化できた唯一の言葉。私の……、一ノ瀬 絢乃の嘆き。
 ほんと、正解ってなんだろうな。世の中の普通と同じく、きっと正解の定義なんてないんだろうな。なのに、それが間違ったのか、旗また間違えなかったのかがはっきりする世の中って……。国数英社理のどの教科よりも社会適合の教科を採用して欲しい。
「……あ。」
 気持ちがどんどん沈みかけた時、あるものを見つけた。

『俺かな。』

 ・・・俺?
「……っははははは!!何それ、俺って何?」
 その瞬間、わけも分からないのに、笑いが込み上げてきた。こりゃー、とんだナルシストに拾われちゃったなー。愉快な笑い声が、静かな夜の公園に響く。
 私の嘆きがバカみたいじゃん。
 散々笑ったあと、私は落ち着くためにベンチに座った。
「俺かー。拾われたからには、多分明日も来るだろうなー。」
 って……、あれ?
 こんなに心から爆笑したのっていつぶりだろう。
「じゃあ……」
 とりあえず、

『あなた、誰ですか?笑。「俺」って、私が恥ずかしくなってくるじゃないですか笑』

 そうコメントしてみた。自然と、名前を聞きたくなった。明日も、返してくれるといいな。顔が綻びて、口元が緩む。
 なにより、一ノ瀬 絢乃が生きていける気がしたんだ。ここなら。この場所なら。
 ザブーンと海の波音が聞こえる。ここら辺は、海の近く。いずれは、砂浜にまでこの文字が進出してしまったりして。
 ふふっと笑いが込み上げる。
 
この日から、私は生きる意味を見つけたんだ。
一ノ瀬 絢乃でいる意味を。居場所を。



『名前、一樹。俺を人生の教科書にして貰ってもいいよ?逆に、君の名前はなんていうの?笑』



 それから、私が放課後へ通うのは日課になっていた。
 一樹(いつき)って言うのか。まさか、本名っぽい名前出してくるとは。
 こういうのってニックネームとかじゃないのかな?
 私は……。
「っ……。」

『一ノ瀬。
 続くかわかんないけど、よろしくね。一樹。』

 文字だからか、書いただけだからか。すらすらと(一ノ瀬)を呟けた。ありのままでいよう。だからこそ、私たちは繋がったんだ。

『おぉ、急な呼び捨てなんだね笑。
 よろしく、一ノ瀬。』

 ふふ。なんか、交換日記みたい。
 そんなことを思いながら、私の月日は流れて行った。