「あ。琴花だ」

「これ、しばらく琴花とは一緒に帰れなそうだね」

「ねーホント、毎日忙しそう」

昇降口に向かう途中の廊下に、英語科準備室がある。桃音とあかりの会話につられ、通りがかりに準備室の中を見た。誰かと話している横原先生の姿を見つけ、それからすぐ、その向かいに座る琴花を視界にとらえた。机を挟んで向かい合わせに座るふたりに、心臓が少しだけ音を立てる。
 
話しているのは十中八九留学のことだとわかっていながら、私の中にひとつモヤモヤの(かたまり) が積まれた。

「ねーてか。あたし今日すぐ帰んなきゃ」

「そうなん?」

「今日焼肉食べに行くから寄り道しないで帰ってきてって。お母さんからLINE きてた」

「うわー、いいなー!」

留学ってどうやって決まるんだろう。行きたいと言えば行けてしまうものなのだろうか。私も琴花に並ぶ くらい英語ができたら、横原先生とふたりきりで話す機会が得られたのだろうか。

「あたしタン無限に食べたい」

「えーやだ、タン苦手。ホルモンも」

「え、いつも何食べてんの?」

「ビビンパ」

「石焼ね。いいね」

琴花がどのくらい勉強をしているのか、私は知らない。ここまでの人生で、どのくらい努力をしてきたのかも、どんな家庭環境で育ってきたのかも、どんな夢があるのかも、ひとつも知らない。 琴花は自分の話をしてくるタイプではないし、私もそれを聞き出すようなタイプでもないからだ。きっと卒業するまで、私たちはお互いのことを知らないままなのだろう。

「聞くと焼肉食べたくなってくる。ねっ、栞奈」

知らないから、羨ましく、ときどき妬ましく感じてしまうのかもしれない。

「うん、──……ずるい」

琴花ばかり、私にないものを全部持っていてずるい、と。