(かん)()ぁ」

帰りのホームルームを終えてすぐ、だるそうな声色で名前を呼ばれた。振り向くと、すでに帰宅準備万端の桃音とあかりがそこにいて、「早く帰ろうぜぇ」と語尾を伸ばして言う。

「あ、私今日……」

「ん? なんか用事あった?」

学校の図書室で勉強したかったんだけど、という言葉は()み込んで、私は強制的に口角をあげた。

「……いや! なんもない。帰ろー」

入学してすぐ、彼女たちと行動をともにするようになった。すごく気が合うわけでも、どこかに()かれる要素があったわけでもない。たまたま席が近かったというだけだ。それだけの理由で義務的に話したあの日からずっと、なんとなく一緒にいる。

部活に所属していない私は、彼女たち以外に広がる交友関係もなく、かと言って自ら友達を作りに行くなんてこともできなかった。そうこうしているうちに、クラスの中でも大まかなグループができはじめ、誰が誰と仲が良いのかというのは自然と認知されていき、私は桃音たちと一緒にいることがデフォルトになったのだ。全員がたまたま文系選択だったこともあり、二年生になってもそれは変わらないままだった。

放課後はだいたい、それぞれに用事や先約がないかぎりは一緒に帰っている。誰が言い出したわけでもなく、いつのまにかそれがあたりまえになった。

よっぽどの用事ということもない。だから言わなかった、言えなかった。

前に一度、桃音とふたりで帰ったとき、『ちょっと本屋寄ってから帰るね』と言ったことがあった。ひとりのほうが気が楽だったけれど、桃音とそこで解散する様子が見られなかったので、仕方なく一緒に行くことになった。
 
そろそろ新刊が出る頃かもとか、気になる小説を探したいだとか、そういう理由で本屋に行きたかっただけなのだが、桃音の中では「本を買うから一緒に行こう」という解釈になっていて、結局何も買わずに店を出たら「なんのために寄ったの?」と悪びれることもなく言われた。
 
怒られたわけでも責められたわけでもないのに、私はなんとなく否定された気になってしまった。
 
価値観が異なる人に、自分の考えを伝えること。いちいちすべての理由をゼロ から説明すること。そういう過程が、私はとても苦手だ。わかってもらえないんじゃないかと思ったら、伝える前から諦めてしまう。否定されるくらいなら、わかってもらえなくていいと思ってしまう。
 
なんとなくひとりで帰りたいときがあることも、本当は図書室で勉強したかったことも、言えないことがすごく苦痛なわけじゃない。
 
けれど少し、ときどき、たまに。このまま高校生活を終えてしまうことや、大人になっていくことを考えると、つまらないな、と思う。
 
けれどもそのつまらなさをどうにかしたいわけでも、どうにかできるわけでもなく、つまるところ、何に対してもたいした意欲や意思がない私は、周りに合わせて泳いでいくほうがよい気がするのだ。

「てか(こと)()は?」

「横原のとこ。留学のことだってさー」
 
もう行っちゃったよ、とあかりが教卓のいちばん前の席を指す。

「あーね。すごいよねえ琴花」

「オーストラリアだっけ。あたりまえだけどさ、日本語通じないとこで生活するのやばすぎる」

「こないだのテストも、英語学年二位だって」

「すご」

「ちなみに一位は名島くんらしいけど」

「出たよ天下の名島皐月。顔よし頭よしのリアコ製造機」

クラスメイトに対する言葉というよりは、芸能人に向けられているかのような言葉だ。けれど、このクラスにいる誰が聞いても納得できてしまうはずだ。
 
名島皐月という人物は、中性的で端正な顔の造りに長身、さらにはコミュニケーション能力も高い。男子なら欲しがる人が多そうな条件を彼は全部持ち合わせている。 成績は英語にかぎらず常に上位をキープ。おまけに運動までもできてしまうという、疑ってしまうほどすべてを完璧にこなす人。
 
ひとつでいいから欠点があってほしい。そうじゃなきゃ不平等だ。

完璧な人間なんているはずがないとわかっていながら、名島くんを見ていると本当に完璧な人間は存在してしまうような気がして、私は劣等感に駆られるのだった。

「あたしには(まぶ)しすぎて手も出せませんわ」

「成績とかさー、下から数えたほうが早いもんねうちら」

「あたし今回の総合、下から五番目だったよ」

「だははっ、終わってる!」

ふたりの会話に適当に相槌(あいづち)を打ちながら、私は教卓のいちばん前の席を見つめた。今この場にいない、(いち)() 琴花の席だ。彼女もまた、桃音とあかりと同様に高校生活をともにしている友人のひとりである。赤点ばかりとっている桃音たちとは反対に、常に成績上位の琴花。テスト返却時に、「クラス一位は一木さんでした」と何度も聞いたことがある。
 
彼女はとくに英語が得意で、どうやら夏休みはオーストラリアに短期留学をするそうだ。琴花は海外への憧れや理想があるようなので、将来的には海外に移住したりするのかもしれない。
 
私も英語はそれなりにできるほうだけど、留学するほど 熱量があるわけではないし、そもそも留学できるほど知識や能力があるわけでもない。テストの順位だって人に自慢できるほどいいわけでもない。あくまでも、 学校の授業においては平均より成績がいいというだけだ。
 
海外への興味は少しもない。たまたま英語だっただけ。横原先生の担当科目がたとえば政治経済だったら、私は今頃日本の政治や経済にやたら詳しくなっていたことだろう。