土曜日の昼下がり。試験が近いこともあり、私は地元の図書館に向かっていた。ついこの間利用したとき、学習室の設備がかなりよく最初から最後まで集中して勉強できたので、一年生のときにあまり利用していなかったのがもったいないと感じるくらいだった。
なんとなく興味本位で名島くんや悪そうな人たちを見かけた路地裏の喫煙所を通ると、煙草の吸殻が数個落ちているだけで、太陽が出ているこの時間はまだ安全そうな雰囲気を保てている。
この場所で、名島くんはいつもあんなふうに集まっているんだろうか。学校ではいい子のふりをしていると言うのなら、ここではどんなふうにふるまって、どんな話をするのだろう。
私には関係のないことなのに、一昨日思いがけないカムアウトを受けてから、名島くんのことが気になってしまう。完璧だと持ち上げられる名島くんは、どんな恋をするんだろう。
そんなことを考えながら喫煙所を通り過ぎたとき。
「げ」
「え?」
「なんでいんの? こんなとこ」
正面から歩いてきた名島くんは、明らかに嫌そうな声でそう言った。隣には私たちよりは少し年上であろう男の人がいて、その右手には電子煙草が握られている。未成年には見えないけれど、この人の影響で名島くんも煙草を吸っているのだろうか、と思ったらちょっとだけ怖くなる。微笑まれながら会釈をされたので、私も控えめに頭を下げる。その男性は、「ちょっと吸ってくる」と言って、すぐそばにあった喫煙所に向かっていった。
「ちょっと図書館に……行く途中で」
「休みの日まで真面目だね」
「……真面目って言わないで。バカにされてるみたいでムカつくから」
私の返しが意外だったのか、名島くんは一瞬だけ驚いたように見えたけれど、すぐにいつもの、何を考えているのかわからない表情に戻すと、「嫌みのつもりなかった、ごめん」と素直に謝った。私にとってもまたその返しは意外で、申し訳ない気持ちになる。
「真面目って言われるのが嫌なんだ?」
「それで線引きされるのが嫌なだけ。……昔、そういうことあったから」
本来よいことなはずなのに、真面目であるがゆえに同世代間では「普通」とされる物事においては敬遠されがちなのはなぜなのだろう。
「中学生のとき……試験期間のときは遊ぶのを控えたりとか、門限守って家に帰るようにしていただけ、なんだけど」
「ああ。まあ確かに真面目って思われちゃうよね、それ」
私は、「真面目」と括られてしまう部分が周りの子たちより少し多かったがゆえに、仲良くしていた友達は、学校では話してくれるけれど、休みの日に会ってはくれなくなった。「栞奈はどうせ誘っても来ないよ」「栞奈ってちょっと冷たいとこあるよね。今日くらいいいじゃんねぇ」と、私がいないところで愚痴を言われていることも本当は知っていた。知った上で、学校では知らないふりをして仲良くしていた。そうするしか私は選ぶことができなかった。
知らず知らずでついてしまったマイナスな印象のすべてを弁解するほどの気力はなかった。だからもう、「真面目で冷たい人」のまま卒業したほうが楽だと思った。
今思えば、真面目だけが原因だったのではなく、口下手で、説明を端折って「今日は帰るね」と言って断ってばかりだったから、単純にノリが悪いと思われやすかったというのもあるのだろう。
けれどひとつ言えるのは、あたりまえ だと思っていた私の行動が、周りの「普通」とは違っていたということだ。
「だから高校ではそうなりたくなくて──……」
そこまで口にして、ハッとする。わざわざ話す内容でもなかったのに、気がゆるんで言わなくていいことまで言ってしまった。高校デ
ビューだなんだとバカにされるかもしれない。慌てて話題を変えようとするも、先に名島くんに遮られてしまった。
「それ、周りが思う〝普通〟の押し付けだよなぁ。べつに、滝なにも悪いことしてないのに」
「……まあ、昔の話だし」
「でもそういうのって忘れたくてもずっと残るでしょ。無理して周りの普通に合わせる必要なんかないのに、昔のできごとが勝手に滝の〝普通〟を形成してる。そんなの受け入れなくていいよ」
名島くんはただ猫をかぶっているだけの人かと思っていたけれど、そういうわけでもない、のかもしれない。不覚にも彼から貰った言葉が自分の中にすとんと落ちてきて、心が軽くなったような気がした。
「……ありがとう」
「たいしたこと言ってないけどね」
お礼を言うと、名島くんはそっけなく返事をした。ここが学校だったらきっとキラキラの嘘くさい笑顔で「どういたしまして」とか言ってきそうだ。
「なんか私……学校での名島くんより今のほうが好き」
「……趣味悪いんじゃね?」
名島くんは私にそんなことを言われるとは想像していなかったからなのか、一瞬目を見開いて、それからすぐに表情を戻すと「趣味悪いんじゃね?」とだるそうに言った。
「好きってそういう意味じゃなくて……話しやすいって意味で!」
「はいはい」
「ちょっと。適当に聞かないでよ」
学校と外とでは、名島くんはまるで別人だ。外で関わる名島くんのほうが人間味を感じるのは、やっぱり気のせいでも思い込みでもないのだろう。
「皐月が同級生と話してるのめずらしー」
ふと、煙草を吸い終えた名島くんの連れの男性が話しかけてきた。何個空いてるかもわからないくらい のピアスに、薄いブルーのカラーサングラス。服装は全身黒で統一されていて、正直怪しさは否めない。そんな気持ちが顔に出てしまっていたのか、その人は「見た目怖いよなぁ、ごめんねー」と柔らかな口調で言った。
「学校での皐月はどう? やっぱホントにいい子やってんの?」
「え? えっと……はい」
「うわー聞きてぇ。その話詳しく」
「ちょっとヤマさん。いいから」
親しげに話しているけれど、ヤマさんと呼ばれたこの人は名島くんといったいどういう関係なのだろう。さん付けで呼んでいるから血縁の可能性は低そうだ。ここで集うメンバーだということはおおかた予想がつくけれど、見た感じ同じ高校生には見えない。
友達、先輩、恋人──……? ついこの間名島くんが言っていた言葉を思い出す。
『俺、ゲイなんだよね。男なのに、男を好きになんの』
もしかして、と顔をあげると、すかさず「違うから」と否定された。
まだ何も言っていないのに、考えていることはすべて見透かされているようだ。
「見境なく好きになると思うなよ」
「ご、ごめんって……」
100%私が悪いので、素直に謝る。名島くんはそんな私に向けて呆れたようにため息をつくと、「ヤマさんはチャラすぎるからあんまり好みじゃない」と聞いてもいないことを付け足していた。
「あーなに。知ってんだ、皐月のこと」
ヤマさんという人が不意に口を開く。何がと言わずとも、彼が言っていることが何を指しているかはすぐにわかった。名島くんがゲイであること。それをきっと、ヤマさんを含めあの場に集う人たちはみんな知っているのだろう。
「不本意だけどね。この人ヤマさん。俺の友達の兄ちゃんで、えーっと……一応社会人」
「一応ってなんだよ。ちゃんと社会人だよ」
「ヤマですー」とゆるい挨拶をされ、「滝です……」と同じ文字数で返す。本名は教えてもらえなかったけれど、それくらいの距離感が逆にいいように思えた。
「皐月はねえ、もっと純粋でちょっとバカなやつが好きなんだよねー」
「ちょ。勝手にバラさないでよ」
「ちなみに俺は浮気しない誠実な女の人が好きだけど」
「聞いてねーよ」
学校にいるときの彼からは想像もできないような、完璧とはかけ離れた雰囲気。けれども、私が嫌う名島くんの胡散臭さはどこにもなくて、名島くんもひとりの人間なのだと、あたりまえなはずのことを、そのとき初めて実感したのだった。
「名島くん、私そろそろ行く。勉強しなくちゃ」
「ああ、うん。引き留めてごめん。引き留めたつもりないけど」
「なんでちょっと一言多いの。名島くんってホントにそれでモテてきてるの?」
「あ、言い忘れた」
「話逸らした?」
「滝が高校デビューなの、めちゃくちゃ面白い」
「ホントに最悪。やっぱり嫌い。絶対仲良くなれない!」
「こっちから願い下げですー」
私たちの様子を見たヤマさんが「仲良いねー」と笑っている。
ちょっとだけ、この数分が楽しいと感じている自分がいた。
なんとなく興味本位で名島くんや悪そうな人たちを見かけた路地裏の喫煙所を通ると、煙草の吸殻が数個落ちているだけで、太陽が出ているこの時間はまだ安全そうな雰囲気を保てている。
この場所で、名島くんはいつもあんなふうに集まっているんだろうか。学校ではいい子のふりをしていると言うのなら、ここではどんなふうにふるまって、どんな話をするのだろう。
私には関係のないことなのに、一昨日思いがけないカムアウトを受けてから、名島くんのことが気になってしまう。完璧だと持ち上げられる名島くんは、どんな恋をするんだろう。
そんなことを考えながら喫煙所を通り過ぎたとき。
「げ」
「え?」
「なんでいんの? こんなとこ」
正面から歩いてきた名島くんは、明らかに嫌そうな声でそう言った。隣には私たちよりは少し年上であろう男の人がいて、その右手には電子煙草が握られている。未成年には見えないけれど、この人の影響で名島くんも煙草を吸っているのだろうか、と思ったらちょっとだけ怖くなる。微笑まれながら会釈をされたので、私も控えめに頭を下げる。その男性は、「ちょっと吸ってくる」と言って、すぐそばにあった喫煙所に向かっていった。
「ちょっと図書館に……行く途中で」
「休みの日まで真面目だね」
「……真面目って言わないで。バカにされてるみたいでムカつくから」
私の返しが意外だったのか、名島くんは一瞬だけ驚いたように見えたけれど、すぐにいつもの、何を考えているのかわからない表情に戻すと、「嫌みのつもりなかった、ごめん」と素直に謝った。私にとってもまたその返しは意外で、申し訳ない気持ちになる。
「真面目って言われるのが嫌なんだ?」
「それで線引きされるのが嫌なだけ。……昔、そういうことあったから」
本来よいことなはずなのに、真面目であるがゆえに同世代間では「普通」とされる物事においては敬遠されがちなのはなぜなのだろう。
「中学生のとき……試験期間のときは遊ぶのを控えたりとか、門限守って家に帰るようにしていただけ、なんだけど」
「ああ。まあ確かに真面目って思われちゃうよね、それ」
私は、「真面目」と括られてしまう部分が周りの子たちより少し多かったがゆえに、仲良くしていた友達は、学校では話してくれるけれど、休みの日に会ってはくれなくなった。「栞奈はどうせ誘っても来ないよ」「栞奈ってちょっと冷たいとこあるよね。今日くらいいいじゃんねぇ」と、私がいないところで愚痴を言われていることも本当は知っていた。知った上で、学校では知らないふりをして仲良くしていた。そうするしか私は選ぶことができなかった。
知らず知らずでついてしまったマイナスな印象のすべてを弁解するほどの気力はなかった。だからもう、「真面目で冷たい人」のまま卒業したほうが楽だと思った。
今思えば、真面目だけが原因だったのではなく、口下手で、説明を端折って「今日は帰るね」と言って断ってばかりだったから、単純にノリが悪いと思われやすかったというのもあるのだろう。
けれどひとつ言えるのは、あたりまえ だと思っていた私の行動が、周りの「普通」とは違っていたということだ。
「だから高校ではそうなりたくなくて──……」
そこまで口にして、ハッとする。わざわざ話す内容でもなかったのに、気がゆるんで言わなくていいことまで言ってしまった。高校デ
ビューだなんだとバカにされるかもしれない。慌てて話題を変えようとするも、先に名島くんに遮られてしまった。
「それ、周りが思う〝普通〟の押し付けだよなぁ。べつに、滝なにも悪いことしてないのに」
「……まあ、昔の話だし」
「でもそういうのって忘れたくてもずっと残るでしょ。無理して周りの普通に合わせる必要なんかないのに、昔のできごとが勝手に滝の〝普通〟を形成してる。そんなの受け入れなくていいよ」
名島くんはただ猫をかぶっているだけの人かと思っていたけれど、そういうわけでもない、のかもしれない。不覚にも彼から貰った言葉が自分の中にすとんと落ちてきて、心が軽くなったような気がした。
「……ありがとう」
「たいしたこと言ってないけどね」
お礼を言うと、名島くんはそっけなく返事をした。ここが学校だったらきっとキラキラの嘘くさい笑顔で「どういたしまして」とか言ってきそうだ。
「なんか私……学校での名島くんより今のほうが好き」
「……趣味悪いんじゃね?」
名島くんは私にそんなことを言われるとは想像していなかったからなのか、一瞬目を見開いて、それからすぐに表情を戻すと「趣味悪いんじゃね?」とだるそうに言った。
「好きってそういう意味じゃなくて……話しやすいって意味で!」
「はいはい」
「ちょっと。適当に聞かないでよ」
学校と外とでは、名島くんはまるで別人だ。外で関わる名島くんのほうが人間味を感じるのは、やっぱり気のせいでも思い込みでもないのだろう。
「皐月が同級生と話してるのめずらしー」
ふと、煙草を吸い終えた名島くんの連れの男性が話しかけてきた。何個空いてるかもわからないくらい のピアスに、薄いブルーのカラーサングラス。服装は全身黒で統一されていて、正直怪しさは否めない。そんな気持ちが顔に出てしまっていたのか、その人は「見た目怖いよなぁ、ごめんねー」と柔らかな口調で言った。
「学校での皐月はどう? やっぱホントにいい子やってんの?」
「え? えっと……はい」
「うわー聞きてぇ。その話詳しく」
「ちょっとヤマさん。いいから」
親しげに話しているけれど、ヤマさんと呼ばれたこの人は名島くんといったいどういう関係なのだろう。さん付けで呼んでいるから血縁の可能性は低そうだ。ここで集うメンバーだということはおおかた予想がつくけれど、見た感じ同じ高校生には見えない。
友達、先輩、恋人──……? ついこの間名島くんが言っていた言葉を思い出す。
『俺、ゲイなんだよね。男なのに、男を好きになんの』
もしかして、と顔をあげると、すかさず「違うから」と否定された。
まだ何も言っていないのに、考えていることはすべて見透かされているようだ。
「見境なく好きになると思うなよ」
「ご、ごめんって……」
100%私が悪いので、素直に謝る。名島くんはそんな私に向けて呆れたようにため息をつくと、「ヤマさんはチャラすぎるからあんまり好みじゃない」と聞いてもいないことを付け足していた。
「あーなに。知ってんだ、皐月のこと」
ヤマさんという人が不意に口を開く。何がと言わずとも、彼が言っていることが何を指しているかはすぐにわかった。名島くんがゲイであること。それをきっと、ヤマさんを含めあの場に集う人たちはみんな知っているのだろう。
「不本意だけどね。この人ヤマさん。俺の友達の兄ちゃんで、えーっと……一応社会人」
「一応ってなんだよ。ちゃんと社会人だよ」
「ヤマですー」とゆるい挨拶をされ、「滝です……」と同じ文字数で返す。本名は教えてもらえなかったけれど、それくらいの距離感が逆にいいように思えた。
「皐月はねえ、もっと純粋でちょっとバカなやつが好きなんだよねー」
「ちょ。勝手にバラさないでよ」
「ちなみに俺は浮気しない誠実な女の人が好きだけど」
「聞いてねーよ」
学校にいるときの彼からは想像もできないような、完璧とはかけ離れた雰囲気。けれども、私が嫌う名島くんの胡散臭さはどこにもなくて、名島くんもひとりの人間なのだと、あたりまえなはずのことを、そのとき初めて実感したのだった。
「名島くん、私そろそろ行く。勉強しなくちゃ」
「ああ、うん。引き留めてごめん。引き留めたつもりないけど」
「なんでちょっと一言多いの。名島くんってホントにそれでモテてきてるの?」
「あ、言い忘れた」
「話逸らした?」
「滝が高校デビューなの、めちゃくちゃ面白い」
「ホントに最悪。やっぱり嫌い。絶対仲良くなれない!」
「こっちから願い下げですー」
私たちの様子を見たヤマさんが「仲良いねー」と笑っている。
ちょっとだけ、この数分が楽しいと感じている自分がいた。



