「広報委員とかもっと楽だと思ってた。広報誌とか面倒だね、集まり増えそうだし」
「うん」
「来週、もし俺が忘れてたら声かけてほしい。大丈夫だと思うけど」
「わかった」
流されるまま、私は気まずさを抱えながら名島くんの半歩うしろを歩いている。普段、彼は私のうしろに座っているから、名島くんのうしろ姿を見るのはなんだかとても新鮮だった。意外と襟足は刈り上げているんだなとか、華奢に見えるのに案外肩幅ちゃんとあるなあとか、本人には決して言わないであろう感想ばかりが浮かぶ。
名島くんとふたりになるなんて、私のぱっとしない高校生活において、あるはずがないと思っていた。緊張して、手汗が止まらなくなっている。普通だったら、女子人気も高い名島くんとふたりで帰るなんてシチュエーションは喜ばしいことなのかもしれないけれど、私は一ミリもそんなふうには思えなかった。嫌いな人と一緒に帰るくらいなら、世良くんとデートしたほうがマシだ。
「もう六月も終わるね」
「うん」
「七月ってさぁ、夏の顔してまだ全然梅雨なの罠じゃない?」
灰色の雲に覆われた空を見上げながら名島くんがたわいない話をする。私は、「そうだね」とつまらない返事をした。
「世良もよく言ってる。サッカー部、この時期グラウンドあんまり使えなくて つらいって」
「へえー……」
「大会近いのに可哀想だよね。テスト期間も被ってるし、それなのに赤点とっちゃダメらしいじゃん。うちの運動部ってなんであんなに厳しいんだろ」
「ね」
「って、同じ話世良からもう聞いてるか。彼女だし」
「べつに……彼女だからってなんでも知ってるわけじゃないよ」
世良くんと付き合っているのは、そういう流れになっていたからだ。たまたま相手が世良くんだっただけで、べつに誰でもよかったのだと思う。
これは、普通でいられない私が普通にふるまうための手段 だ。彼女だからとか、友達だからとか、関係性の名称が相手のすべてを知っているための条件にあってほしくない。そう思うのは、私だけなのだろうか?
「滝ってさ」
名島くんの声が響く。振り向いた名島くんと目があって、私は反射的に足を止めた。
「世良のことちゃんと好き?」
「……え」
「ちゃんと好きで、世良と付き合ってる?」
今まで聞かれたことのない質問だった。まっすぐな瞳に囚われて動けなくなる。
私は、「ちゃんと」「好き」で世良くんと付き合っているわけじゃない。答えはすぐに出るのに、それを名島くんに言うことはできない。空気を読んで、自分に嘘をつく。それがこの高校生活における最適解だと、私は知っている。
「……好きだけど」
「横原先生より?」
「は?」
けれど、間髪入れずに言われたそれに 思わず声が零れた。眉間にしわが寄る。「 は?」は嫌な言葉使いだからやめなさいと母に教えられてきたのに、抑えきれなかった。名島くんの表情からは、何を考えているのか見当もつかなかった。
「本当は世良じゃなくて、横原先生のこと好きなんじゃないの?」
どうして名島くんから横原先生の名前が出たのか、わからなかった。先生に恋をしていることは、周りにいる誰にも言ったことがない。簡単に口に出せる気持ちではないし、打ち明けられるほど信用できる友達も、この学校にはいない。当然、先生本人に伝えたこともない。
私だけが知っている。私だけが、ひとりで抱え続けている気持ち。
「そんなわけないじゃん」
だから、この気持ちが誰かに──よりによって名島くんにバレるなんてことは、あるはずがない。
「嘘っぽい。滝がそんな顔してるの見たことない」
「そんな顔ってなに? 名島くん、私とそんなに関わったことないくせに」
口調が荒くなる。らしくないとわかっていながら、うまくコントロールできない。鞄を持つ手に力がこも る。
「でもさごめん。俺今朝、見えちゃったんだよね」
「なに……何、が」
「滝のスマホ。横原先生の写真見てた。しかも多分、盗撮した感じの」
息を呑んだ。
記憶をたどり、今朝のことを思い出す。
朝、ホームルームが始まる前。うしろから急に名島くんが話しかけてきて、びっくりして反射的にスマホを伏せた あのとき。
多分、というか絶対に、私は写真フォルダを整理していた。
容量が多くなってきたから、いらないスクリーンショットや動画を消していた。スクロールしているうちに流れてきた、横原先生の写真。隣には奥さんと見られる女性がいて、ふたりはとても幸せそうに笑っていた。
半年前、休日にひとりで買い物にでかけたときにたまたま横原先生の姿を見かけた。休日の先生を見るのはそのときが初めてで、想像通りの私服に自然と口角がゆるんだ。
休日に先生もひとりで買い物にでかけたりするんだ、と思った矢先、小柄で可愛らしい女性が先生のもとにやってきた。それが奥さんであることはすぐにわかった。私の視力がやたら良いせいで、柔らかくなった先生の表情まで見えた。フォルダに残る写真は、そのときに撮ったものだ。
収めておきたかったのだと思う。学校ではこの先もきっと見ることのできない先生の顔を。先生が好きになった女性を。
この女性像を理想に掲げていれば、いつか、なにかの間違いで先生が私を好きになってくれるかもしれない。先生の表情を見ていれば、その可能性が限りなくゼロに近いこともわかっていたけれど、それでもこの気持ちは捨て切れなかった。
消さなければ、と思いながら消せずにいた。そうしているうちに何度もフォルダを見返す癖がつき、いつのまにか半年も経ってしまった。
まさか、名島くんに見られているなんて思いもしなかった。
「……何それ。見間違いじゃない?」
「誰との?」
「誰でもいいでしょ。ていうか人のスマホ画面見るのやめてよ」
「だからそれはごめんって最初に言った」
「謝ればいいって問題じゃないじゃん」
この気持ちは絶対誰にもバレてはいけない。そんなことは、先生を好きになったときから私がいちばん知っているつもりだ。
「滝さあ、今焦ってるのは俺が言ったこと全部正解だから?」
それなのに、話せば話すほどボロが出る。名島くんは、こんなふうに問い詰めるような人だっただろうか? 考えて、「そこまで関わったことないくせに」という、さっき自分が彼に投げかけた言葉を思い出す。
名島くんが本当はどんな人だったかわかるほど、私は彼を知らない。そしてそれは、逆も然りだ。
「違うって言ってるじゃん。だいたい先生を好きになるとかありえないでしょ……気持ち悪い」
自分で言っておきながら、その言葉が重かった。先生を好きになるとかありえない。気持ち悪い。
自分で自分を否定しているみたいで胸が痛んだけれど、一般的に、常識的に考えたら、私の気持ちはありえないことなのだから、この言葉はきっと正しいのだと思う。
「……ていうか、名島くんこそどうなの?」
名島くんから逃げるように視線を逸らした私は、この話題を避けるように名島くんに問いかけた。
「なにが?」
「昨日、悪そうな人たちと一緒にいた。 ……会話だって聞こえてきたよ。名島くん、本当はこっそり煙草吸ってたりするんでしょ。学校にバレたらそれこそやばいんじゃないの?」
名島くんは表情ひとつ変えず、「そうかもね」と短く言う。
私ばかりが動揺していてバカみたいだ。澄ました顔もなんだか癪に障る。この人のことが嫌いだ。心からそう思った。
「悪い人とつるんでるとか、煙草とか、名島くんのイメージぶっ壊れちゃうね。名島くんのキラキラした雰囲気とか、仕草とかさ、王子様みたいで好きになってる子たくさんいるんだよ? 完全無欠のリアコ製造機だって」
「あほらし。勝手に騒いでるだけでしょそれ。俺が頼んだわけでもあるまいし」
「そんな言い方……」
「それより、そんなに焦ってるってことはさ、やっぱ本当に先生のこと好きなんだね」
「っ違うってば……!」
名島くんが王子様なんて嘘だ。爽やかな雰囲気に騙されているだけなんだ、みんな。
突き放すような言葉。煽るような態度。これが名島くんの本当の姿だったのだと嫌でもわかってしまう 。
「べつに、バラしたいならバラしていいよ。そんなの秘密でもなんでもないし」
名島くんの視線が刺さる。何を考えているのか、この期に及んでもわからない。
「ねえ滝」
静かに名前を呼ばれる。視線が交わって、逸らすことはできなかった。
「先生を好きになるのが気持ち悪いことなら、滝からしてみれば、俺みたいなやつは化け物にでも思えちゃうんじゃない?」
「何が……」
「俺、ゲイなんだよね。男なのに、男を好きになんの」
それは、まっすぐ端的で、そんなに関わったことがない私にもわかりやすい言葉だった。
「ねえ、滝。人を好きになるって、気持ち悪いこと?」
私は知ってしまった。完全無欠の人気者、名島皐月に彼女がいない理由を。
ちょっとだけ猫をかぶっていることも、隠れて煙草を吸っていることも、同性を好きになる名島くんにとっては秘密でもなんでもないと言う。
返す言葉が見つからなくて戸惑う私に、名島くんは小さく笑いながら言うのだった。
「滝が誰を好きでもべつにいいけどさ。体裁のために世良と付き合ってるなら別れてほしいんだけど」
「……はあ? 何それ──」
「好きじゃないなら俺にちょうだいよ。世良のこと」
「うん」
「来週、もし俺が忘れてたら声かけてほしい。大丈夫だと思うけど」
「わかった」
流されるまま、私は気まずさを抱えながら名島くんの半歩うしろを歩いている。普段、彼は私のうしろに座っているから、名島くんのうしろ姿を見るのはなんだかとても新鮮だった。意外と襟足は刈り上げているんだなとか、華奢に見えるのに案外肩幅ちゃんとあるなあとか、本人には決して言わないであろう感想ばかりが浮かぶ。
名島くんとふたりになるなんて、私のぱっとしない高校生活において、あるはずがないと思っていた。緊張して、手汗が止まらなくなっている。普通だったら、女子人気も高い名島くんとふたりで帰るなんてシチュエーションは喜ばしいことなのかもしれないけれど、私は一ミリもそんなふうには思えなかった。嫌いな人と一緒に帰るくらいなら、世良くんとデートしたほうがマシだ。
「もう六月も終わるね」
「うん」
「七月ってさぁ、夏の顔してまだ全然梅雨なの罠じゃない?」
灰色の雲に覆われた空を見上げながら名島くんがたわいない話をする。私は、「そうだね」とつまらない返事をした。
「世良もよく言ってる。サッカー部、この時期グラウンドあんまり使えなくて つらいって」
「へえー……」
「大会近いのに可哀想だよね。テスト期間も被ってるし、それなのに赤点とっちゃダメらしいじゃん。うちの運動部ってなんであんなに厳しいんだろ」
「ね」
「って、同じ話世良からもう聞いてるか。彼女だし」
「べつに……彼女だからってなんでも知ってるわけじゃないよ」
世良くんと付き合っているのは、そういう流れになっていたからだ。たまたま相手が世良くんだっただけで、べつに誰でもよかったのだと思う。
これは、普通でいられない私が普通にふるまうための手段 だ。彼女だからとか、友達だからとか、関係性の名称が相手のすべてを知っているための条件にあってほしくない。そう思うのは、私だけなのだろうか?
「滝ってさ」
名島くんの声が響く。振り向いた名島くんと目があって、私は反射的に足を止めた。
「世良のことちゃんと好き?」
「……え」
「ちゃんと好きで、世良と付き合ってる?」
今まで聞かれたことのない質問だった。まっすぐな瞳に囚われて動けなくなる。
私は、「ちゃんと」「好き」で世良くんと付き合っているわけじゃない。答えはすぐに出るのに、それを名島くんに言うことはできない。空気を読んで、自分に嘘をつく。それがこの高校生活における最適解だと、私は知っている。
「……好きだけど」
「横原先生より?」
「は?」
けれど、間髪入れずに言われたそれに 思わず声が零れた。眉間にしわが寄る。「 は?」は嫌な言葉使いだからやめなさいと母に教えられてきたのに、抑えきれなかった。名島くんの表情からは、何を考えているのか見当もつかなかった。
「本当は世良じゃなくて、横原先生のこと好きなんじゃないの?」
どうして名島くんから横原先生の名前が出たのか、わからなかった。先生に恋をしていることは、周りにいる誰にも言ったことがない。簡単に口に出せる気持ちではないし、打ち明けられるほど信用できる友達も、この学校にはいない。当然、先生本人に伝えたこともない。
私だけが知っている。私だけが、ひとりで抱え続けている気持ち。
「そんなわけないじゃん」
だから、この気持ちが誰かに──よりによって名島くんにバレるなんてことは、あるはずがない。
「嘘っぽい。滝がそんな顔してるの見たことない」
「そんな顔ってなに? 名島くん、私とそんなに関わったことないくせに」
口調が荒くなる。らしくないとわかっていながら、うまくコントロールできない。鞄を持つ手に力がこも る。
「でもさごめん。俺今朝、見えちゃったんだよね」
「なに……何、が」
「滝のスマホ。横原先生の写真見てた。しかも多分、盗撮した感じの」
息を呑んだ。
記憶をたどり、今朝のことを思い出す。
朝、ホームルームが始まる前。うしろから急に名島くんが話しかけてきて、びっくりして反射的にスマホを伏せた あのとき。
多分、というか絶対に、私は写真フォルダを整理していた。
容量が多くなってきたから、いらないスクリーンショットや動画を消していた。スクロールしているうちに流れてきた、横原先生の写真。隣には奥さんと見られる女性がいて、ふたりはとても幸せそうに笑っていた。
半年前、休日にひとりで買い物にでかけたときにたまたま横原先生の姿を見かけた。休日の先生を見るのはそのときが初めてで、想像通りの私服に自然と口角がゆるんだ。
休日に先生もひとりで買い物にでかけたりするんだ、と思った矢先、小柄で可愛らしい女性が先生のもとにやってきた。それが奥さんであることはすぐにわかった。私の視力がやたら良いせいで、柔らかくなった先生の表情まで見えた。フォルダに残る写真は、そのときに撮ったものだ。
収めておきたかったのだと思う。学校ではこの先もきっと見ることのできない先生の顔を。先生が好きになった女性を。
この女性像を理想に掲げていれば、いつか、なにかの間違いで先生が私を好きになってくれるかもしれない。先生の表情を見ていれば、その可能性が限りなくゼロに近いこともわかっていたけれど、それでもこの気持ちは捨て切れなかった。
消さなければ、と思いながら消せずにいた。そうしているうちに何度もフォルダを見返す癖がつき、いつのまにか半年も経ってしまった。
まさか、名島くんに見られているなんて思いもしなかった。
「……何それ。見間違いじゃない?」
「誰との?」
「誰でもいいでしょ。ていうか人のスマホ画面見るのやめてよ」
「だからそれはごめんって最初に言った」
「謝ればいいって問題じゃないじゃん」
この気持ちは絶対誰にもバレてはいけない。そんなことは、先生を好きになったときから私がいちばん知っているつもりだ。
「滝さあ、今焦ってるのは俺が言ったこと全部正解だから?」
それなのに、話せば話すほどボロが出る。名島くんは、こんなふうに問い詰めるような人だっただろうか? 考えて、「そこまで関わったことないくせに」という、さっき自分が彼に投げかけた言葉を思い出す。
名島くんが本当はどんな人だったかわかるほど、私は彼を知らない。そしてそれは、逆も然りだ。
「違うって言ってるじゃん。だいたい先生を好きになるとかありえないでしょ……気持ち悪い」
自分で言っておきながら、その言葉が重かった。先生を好きになるとかありえない。気持ち悪い。
自分で自分を否定しているみたいで胸が痛んだけれど、一般的に、常識的に考えたら、私の気持ちはありえないことなのだから、この言葉はきっと正しいのだと思う。
「……ていうか、名島くんこそどうなの?」
名島くんから逃げるように視線を逸らした私は、この話題を避けるように名島くんに問いかけた。
「なにが?」
「昨日、悪そうな人たちと一緒にいた。 ……会話だって聞こえてきたよ。名島くん、本当はこっそり煙草吸ってたりするんでしょ。学校にバレたらそれこそやばいんじゃないの?」
名島くんは表情ひとつ変えず、「そうかもね」と短く言う。
私ばかりが動揺していてバカみたいだ。澄ました顔もなんだか癪に障る。この人のことが嫌いだ。心からそう思った。
「悪い人とつるんでるとか、煙草とか、名島くんのイメージぶっ壊れちゃうね。名島くんのキラキラした雰囲気とか、仕草とかさ、王子様みたいで好きになってる子たくさんいるんだよ? 完全無欠のリアコ製造機だって」
「あほらし。勝手に騒いでるだけでしょそれ。俺が頼んだわけでもあるまいし」
「そんな言い方……」
「それより、そんなに焦ってるってことはさ、やっぱ本当に先生のこと好きなんだね」
「っ違うってば……!」
名島くんが王子様なんて嘘だ。爽やかな雰囲気に騙されているだけなんだ、みんな。
突き放すような言葉。煽るような態度。これが名島くんの本当の姿だったのだと嫌でもわかってしまう 。
「べつに、バラしたいならバラしていいよ。そんなの秘密でもなんでもないし」
名島くんの視線が刺さる。何を考えているのか、この期に及んでもわからない。
「ねえ滝」
静かに名前を呼ばれる。視線が交わって、逸らすことはできなかった。
「先生を好きになるのが気持ち悪いことなら、滝からしてみれば、俺みたいなやつは化け物にでも思えちゃうんじゃない?」
「何が……」
「俺、ゲイなんだよね。男なのに、男を好きになんの」
それは、まっすぐ端的で、そんなに関わったことがない私にもわかりやすい言葉だった。
「ねえ、滝。人を好きになるって、気持ち悪いこと?」
私は知ってしまった。完全無欠の人気者、名島皐月に彼女がいない理由を。
ちょっとだけ猫をかぶっていることも、隠れて煙草を吸っていることも、同性を好きになる名島くんにとっては秘密でもなんでもないと言う。
返す言葉が見つからなくて戸惑う私に、名島くんは小さく笑いながら言うのだった。
「滝が誰を好きでもべつにいいけどさ。体裁のために世良と付き合ってるなら別れてほしいんだけど」
「……はあ? 何それ──」
「好きじゃないなら俺にちょうだいよ。世良のこと」



