「名島くん、私お手洗い行ってから向かうね」
「わかった」
ホームルームが終わってから委員会が始まるまでは十五分の猶予がある。友達同士で同じ委員会を選んでいれば、一緒に教室を出て、始まるまでは適当に会話をして待つのが普通なのかもしれないが、私と名島くんは友達関係ではないので、一緒に行動することはしない。
念の為、一言声をかけてから教室を出る。廊下は、これから下校する生徒や部活に急ぐ生徒で溢れ、にぎわっていた。人の波から逃れるように、英語科準備室の前を通るルートを選んでトイレへ向かう。
目的があるわけじゃない。ただ少しだけ、一瞬でいいから顔を見たかっただけだ。トイレを済ませたあと、たまたま通りがかったかのように澄ました顔で準備室の前を通る。少しだけ歩くスピードを落とし、ドアの向こうをチラ見する。電気はついていたけれど、誰の姿も見られない。タイミングが悪かったみたいだ。小さく肩を落とし、委員会に向かおうと視線を正面に戻す。
「滝さん、なにか用事ですか」
「わっ」
突然目の前に現れた横原先生に、私は驚きを隠せなかった。
「びっ……くりした……。急に現れるのやめてください」
「驚かすつもりはなかったんですが。すみません」
くすくすと肩を揺らして笑う先生に、心臓がきゅっと締め付けられた。授業中笑うことはめったにない先生の笑顔。レアすぎて、一目もはばからず目が離せなかった。
指通りがよさそうなさらさらの髪。透き通るような綺麗な肌。少したれ目がちな目元。血色のよい、薄い唇。いちばん上まできっちり留められたボタンも、柔らかで丁寧な言葉使いもすべて、先生に馴染んでいる。
美しいと思った。愛しいと思った。──好きだと、思った。
誰にも言ったことのない、そしてこれからも言うことのない気持ち。
横原先生に恋をしたのは、高校に入学してすぐのときだ。一年生のとき、私のクラスの担任だった横原先生に、私はひとめ惚れをした。それまで、誰かに恋をしたことも、誰かを推したこともない私には、未知の感情だった。けれどもたしかに、恋に落ちる音を聞いたのだった。
先生と少しでも会話する機会を増やそうといろんなことを試みようとした。担任とは言え、特別な理由がなければふたりで話すことなんてなかったので、先生が顧問をしている囲碁将棋部に入ろうとしたり、わからないふりをして授業の質問 をしに行こうとしたり、派手な女子生徒たちに混ざって休み時間にダル絡みしに行こうとしたり もした。けれども、中学生のときから周りに合わせてばかりで自分から行動することが苦手な私にはどれもハードルが高くて、ひとつも実現することはできなかった。
そんな中たどり着いたのが、「英語の成績をあげる」ことだった。
初めての中間試験で、英語の成績が学年一位だったのは琴花だった。「一位は一木さんでした」というのを聞いたとき、横原先生に自分を認識してもらうのはこれしかないと思ったのだった。それに、真実かどうかはさておき、なんとなく先生はかしこい人のほうが好きそうな気がしていた。
それがちょうど一年前のこと。二年生にあがり、担任が替わった今でも私は英語の成績だけは上位に居続けているけれど、そのうち一度だって 三位以上を取ったことがない。
「一木さんなら今日は来ていませんよ」
「いえ……あの、べつに、琴花に用事があったわけじゃなくて。ただ通りがかっただけです」
「そうでしたか」
前触れもなく横原先生の口から琴花の名前が出て、少しだけ嫌な気持ちになる。
「留学とか、すごいですよね」
私には無理ですけど。反射的にそう付け足した自分に嫌気がさした。どうしてこんな言い方になってしまうんだろう。琴花だってきっと努力を重ねているはずなのに、私はそれを想像できない。したくない。
なんでもできる人が努力なんてしないでほしい、と無茶苦茶な気持ちを抱えてしまう。留学のシステムを詳しく知らないくせに、毎日放課後を献上してまで何を話すことがあるんだろう、と思ってしまう。
『あるわけないのにね、先生となんて』
琴花と横原先生は一切曇りのない、健全な関係だとわかっているのに、どうしたって羨ましくて仕方ない。
「無理じゃないですよ」
「でも私、海外はあんまり興味なくて……」
「そうですか。じゃあもし興味が出ることがあったらそのときは教えてください。あ、資料だけでも 持って行きますか?」
「でも私、三十分から委員会で」
「ちょっと待ってくださいね。ちょうど一木さんに渡したやつの残りが……」
私が興味を持っているのは、英語の応用でも海外のことでもなくて、横原先生のことだけだ。
こんなに不純だから、私はいつまでたっても中途半端で、中途半端なまま恋心を消化できずにいるのかもしれない。先生と話す機会を得られるのなら、多少強引だったとしても、興味のない海外のことも喜んで知ろうとしてしまうのだろう。
「先生は……もう帰るんですか?」
「そうですね。今日は部活もないので」
「囲碁将棋部って活動してますっけ?」
「失礼な。ありますよ、ちゃんと活動してます。集まりは悪いみたいですが」
「先生が行かないからですよ。部活なんてだいたい顧問がいないときサボってますもん」
「ふ。でもまあ私は部を存続させるためにかろうじて置かれているだけなので。いなくても支障はないんですよ」
「ふうん」
たわいのない会話をしながら先生は資料を探している。私はなりゆきで準備室の中に入り、その様子を近くで見ていた。一年生の頃は、日直のときに 何度か入ったことがあったけれど、先生が担任じゃなくなってからはめったに来ることがなくなった英語科準備室。まじまじと見ることがなかったので、なんだかとても新鮮だった。
中は意外と散らかっていて、教科書やノート、筆記用具や延長コードまでもがあちこちに放り出されている。
「先生って片付け苦手ですか?」
机の上にあった文庫本を手に取って、ぱらぱらとめくりながら先生に問う。その本は難しそうな海外の作品だった。琴花だったら、この本も簡単に読めるのだろうか、と思う。
「物の置き場は決まってるんで大丈夫です」
「大丈夫ってなんですか。この感じだと自分の部屋も結構散らかってそう」
「や、ぼく部屋はわりかし綺麗に……こら、勝手に触らない」
「ていうか先生。煙草吸うんですか」
ふと、机の隅に置かれた電子煙草が目についた。先生からは「ときどきです」と短く返される。
「おいしいんですか」
「んー……あんまりそういう感覚はないんですけど」
「じゃあどうして吸うんですか」
「大人だからですかね?」
なんて残酷な言葉なんだろうと思った。私と先生の間にある大きな壁。越えたくても、越えることができない。
「でもやめたほうがいいです。体を悪くするだけなので」
「……吸わないです、私、まだ子供なので」
「ふ。そうですね」
几帳面そうに見えて片付けができないところだとか、真面目そうに見えて案外適当に仕事をしているところだとか、普段は一人称が「私」なのにふとしたときに「ぼく」にかわるところだとか、怒ってないくせに「こら」と怒ってくるところだとか。意外と喫煙者であることさえも、全部愛おしく感じてしまってたまらなかった。
誰かに吐露したいのに、誰にも共有できないことがあまりにももどかしい。
「あ、あった。すみません、お待たせしました」
「いや……ありがとうございます、わざわざ」
「私が押し付けたようなものなので。ただ、滝さんにも無理じゃないってことだけは伝えておきます」
先生にとって一生徒以外の何者にもなれない私は、ぶつけることのできない気持ちを些細なことで募らせてばかりだ。
「委員会前に引き留めてすみません」
「……べつに大丈夫です。さようなら、先生」
左手の薬指に光る指輪が眩しい。
先生は、何も知らない。琴花に対して嫉妬心を抱いていることも、あえて英語科準備室の前を通っていることも、私が先生に対して特別な気持ちを抱えていることも。
知ってもらえないこと が、こんなにも苦しい。
「あ。滝」
受け取った資料を抱えたまま挨拶をして、私は準備室を出たところで名前を呼ばれた。知っている声に反射的に顔をあげると名島くんがいて、脈拍が早まったのがわかった。そんな私 のことはおかまいなしに、彼は「もう行ったかと思ってた」と自然な流れで言葉を続ける。
「こんなとこで何してんの」
「……まあ、ちょっと」
準備室にはまだ横原先生がいる。意味のないことだとわかっていながら、名島くんと一緒にいるところを先生に見られて変に解釈されたくなくて、私は話しながらその場を離れた。
「名島くんこそこんなところで何してるの」
「俺もトイレ。こっちのほうが空いてるから」
「そう……」
一緒に委員会に行く流れは避けられなさそうだったので、適当に会話をしながら目的地を目指す。
「その資料。滝も留学するの?」
「しないよ。ていうか『 も』って何」
「一木も留学行くじゃん。だから滝もそうなのかなって」
「……なんでも 一緒にしないでよ」
思わず低く呟いた。横原先生といい、名島くんといい、友達だからってなんでもセットで考えるのはやめてほしい。
「滝って一木のこと嫌いなの?」
「……なんで?」
「なんとなく。最初に否定しないのもなんかそれっぽい し」
ハハ、と笑われて舌打ちが出そうになった。
「べつに……そういうんじゃない。好きだよ」
「へえー」
名島くんのことが、私は少し苦手だ。もっと言えば、苦手というよりは「嫌い」。
明確な理由はないけれど、この不信感は、笑った顔が嘘っぽかったり、全員に優しすぎて本当にそんな完璧な人いる?と、そういう小さな疑問が少しずつ重なった結果からくるものなのだと思う。
完全無欠の名島皐月には、絶対に裏の顔がある。私はひそかにそう睨んでいた。
だから、昨日名島くんを見たとき、幻なんじゃないかと思う反面、「やっぱり」とも思ったのだ。
「てか滝ってあの先せ、」
「名島くん、もう委員会始まる。早く行こうよ」
必要以上に名島くんとふたりで話していたくなくて、私は半ば無理やり会話を遮った。名島くんが話そうとしていたことを、私は聞こうとしなかった。
「わかった」
ホームルームが終わってから委員会が始まるまでは十五分の猶予がある。友達同士で同じ委員会を選んでいれば、一緒に教室を出て、始まるまでは適当に会話をして待つのが普通なのかもしれないが、私と名島くんは友達関係ではないので、一緒に行動することはしない。
念の為、一言声をかけてから教室を出る。廊下は、これから下校する生徒や部活に急ぐ生徒で溢れ、にぎわっていた。人の波から逃れるように、英語科準備室の前を通るルートを選んでトイレへ向かう。
目的があるわけじゃない。ただ少しだけ、一瞬でいいから顔を見たかっただけだ。トイレを済ませたあと、たまたま通りがかったかのように澄ました顔で準備室の前を通る。少しだけ歩くスピードを落とし、ドアの向こうをチラ見する。電気はついていたけれど、誰の姿も見られない。タイミングが悪かったみたいだ。小さく肩を落とし、委員会に向かおうと視線を正面に戻す。
「滝さん、なにか用事ですか」
「わっ」
突然目の前に現れた横原先生に、私は驚きを隠せなかった。
「びっ……くりした……。急に現れるのやめてください」
「驚かすつもりはなかったんですが。すみません」
くすくすと肩を揺らして笑う先生に、心臓がきゅっと締め付けられた。授業中笑うことはめったにない先生の笑顔。レアすぎて、一目もはばからず目が離せなかった。
指通りがよさそうなさらさらの髪。透き通るような綺麗な肌。少したれ目がちな目元。血色のよい、薄い唇。いちばん上まできっちり留められたボタンも、柔らかで丁寧な言葉使いもすべて、先生に馴染んでいる。
美しいと思った。愛しいと思った。──好きだと、思った。
誰にも言ったことのない、そしてこれからも言うことのない気持ち。
横原先生に恋をしたのは、高校に入学してすぐのときだ。一年生のとき、私のクラスの担任だった横原先生に、私はひとめ惚れをした。それまで、誰かに恋をしたことも、誰かを推したこともない私には、未知の感情だった。けれどもたしかに、恋に落ちる音を聞いたのだった。
先生と少しでも会話する機会を増やそうといろんなことを試みようとした。担任とは言え、特別な理由がなければふたりで話すことなんてなかったので、先生が顧問をしている囲碁将棋部に入ろうとしたり、わからないふりをして授業の質問 をしに行こうとしたり、派手な女子生徒たちに混ざって休み時間にダル絡みしに行こうとしたり もした。けれども、中学生のときから周りに合わせてばかりで自分から行動することが苦手な私にはどれもハードルが高くて、ひとつも実現することはできなかった。
そんな中たどり着いたのが、「英語の成績をあげる」ことだった。
初めての中間試験で、英語の成績が学年一位だったのは琴花だった。「一位は一木さんでした」というのを聞いたとき、横原先生に自分を認識してもらうのはこれしかないと思ったのだった。それに、真実かどうかはさておき、なんとなく先生はかしこい人のほうが好きそうな気がしていた。
それがちょうど一年前のこと。二年生にあがり、担任が替わった今でも私は英語の成績だけは上位に居続けているけれど、そのうち一度だって 三位以上を取ったことがない。
「一木さんなら今日は来ていませんよ」
「いえ……あの、べつに、琴花に用事があったわけじゃなくて。ただ通りがかっただけです」
「そうでしたか」
前触れもなく横原先生の口から琴花の名前が出て、少しだけ嫌な気持ちになる。
「留学とか、すごいですよね」
私には無理ですけど。反射的にそう付け足した自分に嫌気がさした。どうしてこんな言い方になってしまうんだろう。琴花だってきっと努力を重ねているはずなのに、私はそれを想像できない。したくない。
なんでもできる人が努力なんてしないでほしい、と無茶苦茶な気持ちを抱えてしまう。留学のシステムを詳しく知らないくせに、毎日放課後を献上してまで何を話すことがあるんだろう、と思ってしまう。
『あるわけないのにね、先生となんて』
琴花と横原先生は一切曇りのない、健全な関係だとわかっているのに、どうしたって羨ましくて仕方ない。
「無理じゃないですよ」
「でも私、海外はあんまり興味なくて……」
「そうですか。じゃあもし興味が出ることがあったらそのときは教えてください。あ、資料だけでも 持って行きますか?」
「でも私、三十分から委員会で」
「ちょっと待ってくださいね。ちょうど一木さんに渡したやつの残りが……」
私が興味を持っているのは、英語の応用でも海外のことでもなくて、横原先生のことだけだ。
こんなに不純だから、私はいつまでたっても中途半端で、中途半端なまま恋心を消化できずにいるのかもしれない。先生と話す機会を得られるのなら、多少強引だったとしても、興味のない海外のことも喜んで知ろうとしてしまうのだろう。
「先生は……もう帰るんですか?」
「そうですね。今日は部活もないので」
「囲碁将棋部って活動してますっけ?」
「失礼な。ありますよ、ちゃんと活動してます。集まりは悪いみたいですが」
「先生が行かないからですよ。部活なんてだいたい顧問がいないときサボってますもん」
「ふ。でもまあ私は部を存続させるためにかろうじて置かれているだけなので。いなくても支障はないんですよ」
「ふうん」
たわいのない会話をしながら先生は資料を探している。私はなりゆきで準備室の中に入り、その様子を近くで見ていた。一年生の頃は、日直のときに 何度か入ったことがあったけれど、先生が担任じゃなくなってからはめったに来ることがなくなった英語科準備室。まじまじと見ることがなかったので、なんだかとても新鮮だった。
中は意外と散らかっていて、教科書やノート、筆記用具や延長コードまでもがあちこちに放り出されている。
「先生って片付け苦手ですか?」
机の上にあった文庫本を手に取って、ぱらぱらとめくりながら先生に問う。その本は難しそうな海外の作品だった。琴花だったら、この本も簡単に読めるのだろうか、と思う。
「物の置き場は決まってるんで大丈夫です」
「大丈夫ってなんですか。この感じだと自分の部屋も結構散らかってそう」
「や、ぼく部屋はわりかし綺麗に……こら、勝手に触らない」
「ていうか先生。煙草吸うんですか」
ふと、机の隅に置かれた電子煙草が目についた。先生からは「ときどきです」と短く返される。
「おいしいんですか」
「んー……あんまりそういう感覚はないんですけど」
「じゃあどうして吸うんですか」
「大人だからですかね?」
なんて残酷な言葉なんだろうと思った。私と先生の間にある大きな壁。越えたくても、越えることができない。
「でもやめたほうがいいです。体を悪くするだけなので」
「……吸わないです、私、まだ子供なので」
「ふ。そうですね」
几帳面そうに見えて片付けができないところだとか、真面目そうに見えて案外適当に仕事をしているところだとか、普段は一人称が「私」なのにふとしたときに「ぼく」にかわるところだとか、怒ってないくせに「こら」と怒ってくるところだとか。意外と喫煙者であることさえも、全部愛おしく感じてしまってたまらなかった。
誰かに吐露したいのに、誰にも共有できないことがあまりにももどかしい。
「あ、あった。すみません、お待たせしました」
「いや……ありがとうございます、わざわざ」
「私が押し付けたようなものなので。ただ、滝さんにも無理じゃないってことだけは伝えておきます」
先生にとって一生徒以外の何者にもなれない私は、ぶつけることのできない気持ちを些細なことで募らせてばかりだ。
「委員会前に引き留めてすみません」
「……べつに大丈夫です。さようなら、先生」
左手の薬指に光る指輪が眩しい。
先生は、何も知らない。琴花に対して嫉妬心を抱いていることも、あえて英語科準備室の前を通っていることも、私が先生に対して特別な気持ちを抱えていることも。
知ってもらえないこと が、こんなにも苦しい。
「あ。滝」
受け取った資料を抱えたまま挨拶をして、私は準備室を出たところで名前を呼ばれた。知っている声に反射的に顔をあげると名島くんがいて、脈拍が早まったのがわかった。そんな私 のことはおかまいなしに、彼は「もう行ったかと思ってた」と自然な流れで言葉を続ける。
「こんなとこで何してんの」
「……まあ、ちょっと」
準備室にはまだ横原先生がいる。意味のないことだとわかっていながら、名島くんと一緒にいるところを先生に見られて変に解釈されたくなくて、私は話しながらその場を離れた。
「名島くんこそこんなところで何してるの」
「俺もトイレ。こっちのほうが空いてるから」
「そう……」
一緒に委員会に行く流れは避けられなさそうだったので、適当に会話をしながら目的地を目指す。
「その資料。滝も留学するの?」
「しないよ。ていうか『 も』って何」
「一木も留学行くじゃん。だから滝もそうなのかなって」
「……なんでも 一緒にしないでよ」
思わず低く呟いた。横原先生といい、名島くんといい、友達だからってなんでもセットで考えるのはやめてほしい。
「滝って一木のこと嫌いなの?」
「……なんで?」
「なんとなく。最初に否定しないのもなんかそれっぽい し」
ハハ、と笑われて舌打ちが出そうになった。
「べつに……そういうんじゃない。好きだよ」
「へえー」
名島くんのことが、私は少し苦手だ。もっと言えば、苦手というよりは「嫌い」。
明確な理由はないけれど、この不信感は、笑った顔が嘘っぽかったり、全員に優しすぎて本当にそんな完璧な人いる?と、そういう小さな疑問が少しずつ重なった結果からくるものなのだと思う。
完全無欠の名島皐月には、絶対に裏の顔がある。私はひそかにそう睨んでいた。
だから、昨日名島くんを見たとき、幻なんじゃないかと思う反面、「やっぱり」とも思ったのだ。
「てか滝ってあの先せ、」
「名島くん、もう委員会始まる。早く行こうよ」
必要以上に名島くんとふたりで話していたくなくて、私は半ば無理やり会話を遮った。名島くんが話そうとしていたことを、私は聞こうとしなかった。



