「名島くんってさ、なんで彼女いないんだろうね?」
昼休み。お弁当を食べながら、あかりが不思議そうに呟いた。「マジで一生疑問」と付け足して、彼女は卵焼きを頬張っている。
名島くんはいつも学食に行っているのか昼休みは教室にいないことが多いので、彼の席はいつもあかりが勝手に借りている。
桃音とあかりが唐突に恋バナを始めるのはいつものことなので、普段は他人事のように聞き流しているけれど、昨日の今日だからか、なんとなく気になってしまっている自分がいた。
名島くんは入学当初から「かっこいい」と女子の間で話題になっていたけれど、今まで一度も誰かと付き合っているという噂を聞いたことがない。
「たしかに。冷静になるとね。あんなにかっこいいといないほうがおかしい」
「性格にめちゃくちゃ難あるとかなのかな?」
「ちょっとありえるかも。それかもう一周回ってホントはゲイとかね」
「それエグ!」
「でも正直、誰かのものになるくらいなら女子全員対象外でいてもらったほうがいいまである。男が好きなら、それはそれで受け入れられるかも全然」
「まあ、顔がいいと多少のことは許せるかぁ」
ねえ?と急に同意を求められ、私は反射的に頷いた。誰かを好きになること、それが仮に同性であっても、誰かに許してもらうようなことじゃない。そうは思っていても、わざわざ養護するほど 名島くんと親しくもないので、私は適当にやりすごす。
「そういうの、あんまり教室で話さないほうがよくない?」
けれど、そういうところが、彼女と私では圧倒的に違うのだろう。
黙々とお弁当を食べていた琴花が、当然のように言ってのける。桃音たちも、一瞬言葉を詰まらせ、互いに顔を見合わせた。
「すーぐあることないこと言われて回っちゃうんだから。私も留学のことで先生といるとときどきコソコソ言われるけどさ……フツーに不快だもん」
「あー、そうだった。あたしらが悪かったわ今の」
「あるわけないのにね、先生となんて」
やっぱり、私と琴花は違う。桃音ともあかりとも違うけれど、彼女たちに対する感情ともまた別の、嫉妬でもあり、嫌悪でもある、表現しきれない感情が溢れ出す。
「横原先生と、私ホントに留学の話しかしたことないよ」
「若くてイケメンだからね。男の敵なんじゃん? 大人からしたら高校生なんてただのクソガキなのにさあ」
「ね、ほんと」
勉強もできて、発言力もあって、人を思いやる気持ちがあるくせに、彼女にとってありえないことはありえ ないと簡単に断言する。自分の正義を疑わない。いつも自分が正しいと思っている。名島くんの真実かどうかわからない噂は否定しても、目の前でありえない人に恋をしている人がいる可能性は考えない。そういう、自己中心的で高慢なところが、私は羨ましくて──不快なのだ。
「かーんな」
「ぅわっ」
話していると、急に肩に重みを感じて思わず声が出た。
「なんの話してんのー?」
「……世良 くん。離れて」
「えー」
「えーじゃないから」
肩に乗せられた腕を振り払い、「やめて」となるべくきつめに言う。けれどそれは本気にしてもらえず、その男は「つれねーなぁ」と笑うだけだった。
「世良やめなって。栞奈はみんなの前でくっつくのとか嫌なんだって」
「べつにそんなくっついてないじゃんね」
「栞奈。やならやだって言わないとこいつ調子乗るよ」
「私いつも言ってるんだけど……」
「じゃあ世良がなんも聞いてないんだ。世良みたいなやつのせいでこれだから男はって言われるんだよ」
「言い過ぎじゃない? え?」
桃音と世良くんのやりとりを聞き流し、小さくため息をつく。
世良斗真 という男は、クラスメイトであり、私の恋人でもある。明るく陽気で、よく笑う人だ。恋愛として意識したことは一度もなかった。けれど、周りの空気に流されるまま、一年生の終わりに付き合うことになった。
彼はいつも距離感が近い。付き合う前も近いなと思ってはいたけれど、付き合い始めてからは余計に近くなった気がする。恋人同士だからあたりまえなのかもしれないけれど、人前でくっつくのも、ふたりきりのときにスキンシップが増えるのも、正直苦手だった。
慣れていないから、という言い訳でいろんなことをスローペースにしているけれど、それでも避けられない瞬間もあるわけで、触れ合うたびに自分がとても悪いことをしている気持ちになるのだった。
「 愛されてるってことだよ」と桃音たちは言うけれど、私はべつに、世良くんに愛されたいわけでも、彼に何かを望んでいるわけでもないのに、と思う。
「てか栞奈。今日部活になっちゃってさ。代わりに明日休みになったんだけど明日でもいい? 行きたいって言ってたカフェ」
「あぁ……うん。大丈夫」
サッカー部の世良くんには、週に一回部活が休みの日がある。その日は毎週一緒に下校して、ときどきカフェやショッピングモールに寄り道して帰ったりしているのだが、正直なところ、週に一度義務的に行われるデートには、なんのときめきもなかった。
「ごめんな。明日は絶対大丈夫だから!」
「気にしなくていいよ。私も委員会だったし」
「なんだ! じゃあ逆によかった。忘れんなよー委員会」
「うん」
今日の放課後の約束がなくなって内心ほっとしていることを、世良くんは疑うことすらしない。本音を言うと、忘れていたのは委員会ではなく世良くんとの約束のほうだ。一緒に帰るのは習慣化しているので忘れることはないけれど、カフェに行く約束までは覚えていなかった。 世良くんの都合もあって予定変更になったからよかったけれど、そうじゃなかったら変に拗ねられて面倒だったな、と思う。
みんなが思っているような気持ちを、私は恋人である世良くんに抱いたことがない。好きじゃないのだ。恋愛的に、彼のことを。だから、好きだと言われてもうまく受け止めきれないし、恋人同士じゃあたりまえのスキンシップには前向きになれない。
だって、私が好きなのは。私が一緒にいたいのは。
──なんて、こんな気持ちを抱えていることなど誰かに言えるわけもないのだけれど。
「ね、ごめん。そろそろ俺の席譲ってもらってもいい?」
昼休みがもうすぐ終わろうとしていたタイミングで控えめにかけられたその声に、私を含めそこにいた全員がつられて視線を向ける。学食から戻ってきたらしい名島くんがそこにはいて、彼の席を使っていたあかりが「あ、ごめんね!」と言ってすぐに立ち上がった。
「こっちこそごめん。全然ゆっくりでいいよ」
「ややや。もう予鈴鳴るし。マジごめんいつも!」
名島くんが戻ってきたことで、机の上を急いで片付け、みんな一斉に自分の席に戻っていく。
去り際、世良くんがあたりまえのように私の頭に触れてきて、桃音たちはその様子をニヤニヤしながら見ていた。琴花は我関せずといった感じで、あっという間に席についている。視界に映るすべてに苛立ちが募り、ため息が出た。
どうしてこんなにイライラするんだろう。どうしたら毎日をつまらないと感じなくなるんだろう。私はどうしたらこんな気持ちにならずに済むんだろう。
「大変そうだね」
「え」
他人事のように、けれども少しだけ含みのあるその言葉は、うしろの席に座った名島くんから向けられたものだった。どういう意味?とは聞けないまま予鈴が鳴る。
抱いた違和感は、消化されないまま私の中に沈んでいってしまった。
昼休み。お弁当を食べながら、あかりが不思議そうに呟いた。「マジで一生疑問」と付け足して、彼女は卵焼きを頬張っている。
名島くんはいつも学食に行っているのか昼休みは教室にいないことが多いので、彼の席はいつもあかりが勝手に借りている。
桃音とあかりが唐突に恋バナを始めるのはいつものことなので、普段は他人事のように聞き流しているけれど、昨日の今日だからか、なんとなく気になってしまっている自分がいた。
名島くんは入学当初から「かっこいい」と女子の間で話題になっていたけれど、今まで一度も誰かと付き合っているという噂を聞いたことがない。
「たしかに。冷静になるとね。あんなにかっこいいといないほうがおかしい」
「性格にめちゃくちゃ難あるとかなのかな?」
「ちょっとありえるかも。それかもう一周回ってホントはゲイとかね」
「それエグ!」
「でも正直、誰かのものになるくらいなら女子全員対象外でいてもらったほうがいいまである。男が好きなら、それはそれで受け入れられるかも全然」
「まあ、顔がいいと多少のことは許せるかぁ」
ねえ?と急に同意を求められ、私は反射的に頷いた。誰かを好きになること、それが仮に同性であっても、誰かに許してもらうようなことじゃない。そうは思っていても、わざわざ養護するほど 名島くんと親しくもないので、私は適当にやりすごす。
「そういうの、あんまり教室で話さないほうがよくない?」
けれど、そういうところが、彼女と私では圧倒的に違うのだろう。
黙々とお弁当を食べていた琴花が、当然のように言ってのける。桃音たちも、一瞬言葉を詰まらせ、互いに顔を見合わせた。
「すーぐあることないこと言われて回っちゃうんだから。私も留学のことで先生といるとときどきコソコソ言われるけどさ……フツーに不快だもん」
「あー、そうだった。あたしらが悪かったわ今の」
「あるわけないのにね、先生となんて」
やっぱり、私と琴花は違う。桃音ともあかりとも違うけれど、彼女たちに対する感情ともまた別の、嫉妬でもあり、嫌悪でもある、表現しきれない感情が溢れ出す。
「横原先生と、私ホントに留学の話しかしたことないよ」
「若くてイケメンだからね。男の敵なんじゃん? 大人からしたら高校生なんてただのクソガキなのにさあ」
「ね、ほんと」
勉強もできて、発言力もあって、人を思いやる気持ちがあるくせに、彼女にとってありえないことはありえ ないと簡単に断言する。自分の正義を疑わない。いつも自分が正しいと思っている。名島くんの真実かどうかわからない噂は否定しても、目の前でありえない人に恋をしている人がいる可能性は考えない。そういう、自己中心的で高慢なところが、私は羨ましくて──不快なのだ。
「かーんな」
「ぅわっ」
話していると、急に肩に重みを感じて思わず声が出た。
「なんの話してんのー?」
「……世良 くん。離れて」
「えー」
「えーじゃないから」
肩に乗せられた腕を振り払い、「やめて」となるべくきつめに言う。けれどそれは本気にしてもらえず、その男は「つれねーなぁ」と笑うだけだった。
「世良やめなって。栞奈はみんなの前でくっつくのとか嫌なんだって」
「べつにそんなくっついてないじゃんね」
「栞奈。やならやだって言わないとこいつ調子乗るよ」
「私いつも言ってるんだけど……」
「じゃあ世良がなんも聞いてないんだ。世良みたいなやつのせいでこれだから男はって言われるんだよ」
「言い過ぎじゃない? え?」
桃音と世良くんのやりとりを聞き流し、小さくため息をつく。
世良斗真 という男は、クラスメイトであり、私の恋人でもある。明るく陽気で、よく笑う人だ。恋愛として意識したことは一度もなかった。けれど、周りの空気に流されるまま、一年生の終わりに付き合うことになった。
彼はいつも距離感が近い。付き合う前も近いなと思ってはいたけれど、付き合い始めてからは余計に近くなった気がする。恋人同士だからあたりまえなのかもしれないけれど、人前でくっつくのも、ふたりきりのときにスキンシップが増えるのも、正直苦手だった。
慣れていないから、という言い訳でいろんなことをスローペースにしているけれど、それでも避けられない瞬間もあるわけで、触れ合うたびに自分がとても悪いことをしている気持ちになるのだった。
「 愛されてるってことだよ」と桃音たちは言うけれど、私はべつに、世良くんに愛されたいわけでも、彼に何かを望んでいるわけでもないのに、と思う。
「てか栞奈。今日部活になっちゃってさ。代わりに明日休みになったんだけど明日でもいい? 行きたいって言ってたカフェ」
「あぁ……うん。大丈夫」
サッカー部の世良くんには、週に一回部活が休みの日がある。その日は毎週一緒に下校して、ときどきカフェやショッピングモールに寄り道して帰ったりしているのだが、正直なところ、週に一度義務的に行われるデートには、なんのときめきもなかった。
「ごめんな。明日は絶対大丈夫だから!」
「気にしなくていいよ。私も委員会だったし」
「なんだ! じゃあ逆によかった。忘れんなよー委員会」
「うん」
今日の放課後の約束がなくなって内心ほっとしていることを、世良くんは疑うことすらしない。本音を言うと、忘れていたのは委員会ではなく世良くんとの約束のほうだ。一緒に帰るのは習慣化しているので忘れることはないけれど、カフェに行く約束までは覚えていなかった。 世良くんの都合もあって予定変更になったからよかったけれど、そうじゃなかったら変に拗ねられて面倒だったな、と思う。
みんなが思っているような気持ちを、私は恋人である世良くんに抱いたことがない。好きじゃないのだ。恋愛的に、彼のことを。だから、好きだと言われてもうまく受け止めきれないし、恋人同士じゃあたりまえのスキンシップには前向きになれない。
だって、私が好きなのは。私が一緒にいたいのは。
──なんて、こんな気持ちを抱えていることなど誰かに言えるわけもないのだけれど。
「ね、ごめん。そろそろ俺の席譲ってもらってもいい?」
昼休みがもうすぐ終わろうとしていたタイミングで控えめにかけられたその声に、私を含めそこにいた全員がつられて視線を向ける。学食から戻ってきたらしい名島くんがそこにはいて、彼の席を使っていたあかりが「あ、ごめんね!」と言ってすぐに立ち上がった。
「こっちこそごめん。全然ゆっくりでいいよ」
「ややや。もう予鈴鳴るし。マジごめんいつも!」
名島くんが戻ってきたことで、机の上を急いで片付け、みんな一斉に自分の席に戻っていく。
去り際、世良くんがあたりまえのように私の頭に触れてきて、桃音たちはその様子をニヤニヤしながら見ていた。琴花は我関せずといった感じで、あっという間に席についている。視界に映るすべてに苛立ちが募り、ため息が出た。
どうしてこんなにイライラするんだろう。どうしたら毎日をつまらないと感じなくなるんだろう。私はどうしたらこんな気持ちにならずに済むんだろう。
「大変そうだね」
「え」
他人事のように、けれども少しだけ含みのあるその言葉は、うしろの席に座った名島くんから向けられたものだった。どういう意味?とは聞けないまま予鈴が鳴る。
抱いた違和感は、消化されないまま私の中に沈んでいってしまった。



