「よし、あめ。ちょっと休憩しよう」
二級河川の土手に佇むベンチが視界に入って、あめに声をかける。あめは分かったと言わんばかりに足を止め、ベンチに飛び乗った。その隣に腰を下ろし、疲れを逃すように息を吐きながら空を仰ぐ。
四方八方に伸びていく桜の枝が、花びらで窓を作っていた。そこから覗くスカイブルーがとても綺麗だと、そう思った。
目を閉じると聴覚と嗅覚が研ぎ澄まされて、緩やかに流れる水の音と、仄かな桜の匂いが僕を取り囲んだ。瞼の裏でも陽の光は感じられて、脳裡に春の光景が鮮明に映る。
再びこんなにも穏やかな春を迎えられた事実に、改めて気づいては驚きを感じる。今まではこの季節が来ることが、この季節が存在することが嫌だった。大切なあの人がこの世にいないことを、否が応でも思い知らされるから。
もう3年も前のことになってしまった。
突然のことだった。また明日と手を振って別れた人が、次の日に学校に来てみれば、亡くなったと噂となって知れ渡っていた。なんでも、交通事故だったらしい。原因は、車ではなく、信号無視をした車道を走る自転車との衝突だったと、凪葉先輩の親友である先輩からこっそり教えてもらった。坂道の下の横断歩道が青になったタイミングで渡ろうとしたところ、もの凄い勢いで自転車が下ってきたという。しかも、加害者はスマホを手にしていたとのこと。避ける間もなく先輩と自転車は衝突し、無論、先輩は地面に叩きつけられた。目撃者もそれなりにいたことから即座に病院に運ばれるも、帰らぬ人となってしまった。
話を聞いた時、僕は加害者に殴り込みに行こうかと本気で思った。身元も調べれば分かるだろう。しかし、裁判も行われて既に法による裁きを受けていた故、何もすることができなかった。
それからしばらく、学校を休んだ。家を出ることもなかった。当たり前の生活もままならず、生きているか死んでいるか、それさえ曖昧な日々を送っていた。
そして、この世を去って先輩に会いに行こうと考えた矢先、あめに会った。
「意外と、時間ってあっという間に過ぎるんだな」
呟きながら眺める空は、ふと、今朝の夢の光景と重なって見えた。眠りに落ちた先の世界で会った、記憶の中の先輩の姿は、丁度今の僕の隣にいたはず。今でも、あの眩しい笑顔を思い出すと胸が締め付けられて、どうしようもない寂しさが僕を支配する。あめと出会ってからは、幾分か落ち着いたけれど。
なんて考えていたら、ふわりと柔らかなものが手のひらに擦り寄せられた。あめが撫でてと言わんばかりに頬で僕の手をくすぐる。風穴が空いていたような胸の虚しさなど忘れ、僕はあめを優しく撫でた。安堵を与えてくれるその温もりに、頰が緩んで思わず微笑む。
満足したのか、あめは僕の手から離れてベンチの背もたれに飛び乗った。あめと僕の目線が合わさる。不思議な気分だった。あめは僕の首の後ろに回り、しっぽで僕の頰を撫でてきた。
「くすぐったいよ、あめ」
ムズムズするけれど、心地よい。陽だまりのような優しい匂いが香る。でもやっぱりくすぐったい。だから、あめを抱き寄せようとした。
けれど、腕が上がらなかった。代わりに、不意に睡魔が襲ってきた。頭がふわふわして、視界が端から水面のように揺らいで。あめの尻尾が肌に触れるたび、それは強まっていく。
にゃあん、と。
あめの声を聞いて、僕は微睡に落ちた。



