その日は酷い雨だった。バケツをひっくり返したような雨とはこのことだと、虚ろな気持ちで空を仰いだことをよく覚えている。
僕は橋の上、柵の外にいた。足の指の下にはコンクリートがなかった。障害物のない中で俯いて、荒れ狂う川の水を眺めていた。茶色と灰色が混ざった水が、打って打たれて、落ちる雨粒も木の葉もゴミも飲み込んで、ただひたすらに流れていく。
汚い、と思った。
この世界みたいに。
何もない僕みたいに。
あの濁流に飲み込まれたら、凪葉先輩の元へ行けるだろうか。それとも、僕も汚染の一部になってしまうだろうか。そんな考えが頭に浮かぶ。ほんとはどうでも良かった、そんなこと。ただ、絶望に呑まれたままで、消えたいと思っていた。
覚悟して離そうとしていた手を止めたのは、小さな鳴き声だった。
聞こえたんだ、猫の声が。濁流の合間から聞き取れた。反射的に首を動かして辺りを見回した。発生源はどこだ。
案外すぐに見つかった。川に沿って連なる土手の下、つまりは川と土の境界線。そこに、小さな姿を見つけた。
「おまっ、危ないって」
飛び降りようとしていたことなんて忘れて慌てて駆け寄った。幸い、僕が辿り着くまでその猫は動くことなく、そこに水が迫ることもなかった。猫を抱き抱えて土手に登った僕は、はっと我に返る。何をしているんだ自分は。この小さな命を助けてどうするつもりだ。
どうする、なんて選択肢はいつくかあった。けれど、地面に下ろしたその猫の瞳と、ただ濡れているだけで、まるで今この世界に現れましたと言わんばかりの姿を前に、僕は無意識に言葉を紡いでいた。
「お前、うちに来るか?」
猫は──あめはきゅっと目を細めて、嬉しそうに「にぁん」と返事をした。



