もう少し一緒にいたいけれど、克哉はどうだろう。由紀子は横目で見やった。
 言ってしまおうか。由紀子が次のことばを紡ぎかけたとき、それを遮るように克哉が畳みかけた。

「駅のホームってさ、電車が来ると吸い込まれそうにならない?」

 なにそれ。かなり唐突。克哉ってば、おもしろい。由紀子は小さく吹き出した。
 かわいい顔と、このギャップが、人を惹きつけるのかもしれない。由紀子は話を合わせた。

「あー、分かる。引力のなせる業だよね。でも、あぶないからほんとうに気をつけてよ」

「うん。東京に行ったら、気をつけなきゃな。こっちにいるときよりも、電車に乗ることが増えそうだし。目指せ、乗換えマスターってな。由紀子さんは、東京に出る予定、ないの?」

 由紀子は、はっと弾かれたように克哉の顔を見た。なにごともなかったかのように、平然として前を眺めている。

 東京。なぜ、ここで?
 駅前の雑音。人々の話し声。どうでもいい情報ばかりが、由紀子の耳にわんわんとうるさく響く。

「ほんとうは、東京で絵の勉強をしたいんだと思っていたんだけど。ねえ、由紀子さん? どうなの」

 夕日が沈みかけて、風も出てきた。寒いはずなのに、感覚がない。
 すっかり乾いてしまった由紀子の唇が再び開きかけたとき、ふたりに声をかける者があった。

「佐藤さんっ!」

 ふたりの佐藤は、声の主のほうを向いた。
 改札の横に、他校の制服を着た女子が三人並んでいる。ひどく緊張した、決死隊の表情で。

 ああ、克哉目当てか。

 由紀子は目を細め、黙って引き下がった。

 だって、彼女たちの手には、いかにもそれとわかる紙袋。数日遅れのバレンタインデーのつもりらしい。
 今日は登校日とはいえ、いつ通るとも分からない克哉のことを、この寒さの中、ずっと待っていたのだろうか。

 由紀子は、はしゃいでいた自分がいたたまれなくなった。

 高鳴っていた気持ちが、急速に冷めてゆく。気をきかせたつもりになって、由紀子は場を取り繕う。
 待ち人たちよ、どうか思い違いしないでほしい。私は、ただの名字さん。

 涼しい声を作って、由紀子は言い放った。

「じゃあね、克哉。次は、卒業式当日に」