その日、帰宅した由紀子は制服を着替えもしないでリビングに直行し、自分の生まれた日のことを母親に聞いてみた。

「三月の終わりに雪なんて、珍しかったわ。もともと付けようと考えていた第一候補の名前をお父さんが放り出して、『由紀子』にすると。即断即決」

 初耳。
 うちの事情なんて知らないはずの克哉が、見事に言い当てていた。なんだか悔しい。

 あれ? 克哉に自分の誕生日がいつかなんて、話した覚えもないのに。
 悔しさ紛れに、由紀子は克哉にメッセージを送った。もらった名刺がさっそく活躍する。

『由紀子の名前の由来、よく分かったね。春の雪で大正解』。

 そのまま克哉の名刺を眺めていると、すぐに返信が来た。

『由紀子さん? メッセージありがと。これで完全に友だちだね。うんにゃ、由紀子さんは名字さんか』

 何度も読み直して笑った。名字さん。まあいいか。そこまで言うなら。

『でもどうして、私が三月生まれだなんて知っていたの?』

『由紀子さん、去年の文化祭のパンフレットで表紙を描いたよね』

 本人さえも忘れていたことを指摘され、由紀子は戸惑った。それ、今なにか関係あること?

『絵、上手いなって思って。同じ名字で気になって、由紀子さんの同じ中学出身の人に由紀子さんのこと、聞いたの。その流れで由紀子さんが三月の早生まれってことも知って』

 褒められてしまった。そして、興味を持たれていたようだった。照れる。

『ありがと』

 由紀子は、本名の『佐藤克哉』ではなく、『名字さん』で連絡先リストに登録してやった。
 この世は広し、佐藤姓は多くとも、唯一の名字さんになってあげようでないの。

 ……よくある名字でもいいかな、と、生まれて初めて考えた。

***

 克哉は、うるさい人種だった。

「ねえ、由紀子さん」

 よく喋る。
 席が近いゆえの運命か、由紀子は毎日毎日、克哉のお喋りを聞かされる羽目になった。

 閉口。
 これじゃかわいい顔の魅力も半減。でも、人懐っこくて、ちょっと気になる存在だから無視もできない名字さん。

「この……情熱マシンガン!」

 しびれを切らした由紀子は、とっさにそう叫んでいた。
 自分の気持ちばかりが前に出てしまい、周りを見ていない克哉にぴったりなことばだったが、言い過ぎたかもしれない。

 克哉は、ぽかんとした表情で、しばらく由紀子を見つめていた。

「そりゃいい、使わせてもらう。気に入った! 情熱マシンガンか、うまいこと言うね! 感動した」

 克哉、茶色い瞳を潤ませながら俄然にこにこしちゃって、ほんとに嬉しそう。
 深い意味はない、ぽろっと口から滑っただけのことばなのに、戸惑った。

 こうして、克哉との名字さんライフがはじまった。高校生活最後の年。