「由紀子さん」

 ほとんど初対面だったのに、あいつは由紀子のことをいきなり名前で呼んだ。

 高三の春。あいつとは、初めて同じクラスになった。
 その名は、佐藤克哉。

 一学年に十クラスもある高校でも、克哉の存在はひときわ目立っていた。

 背はそれほど高くない。どちらかというとむしろ低い部類だけれども、そこらの女の子よりも顔が断然かわいい。子猫のように、とにかく愛らしい。
 去年の文化祭では、他校の女子までもが克哉目当てに大勢押しかけてきて、校内が大騒ぎになった。

「ねえ、由紀子さん」

 年度始め。儀礼的に出席番号順で、ひとつ前の席に座っていた克哉は振り返ると、後ろの席の由紀子に再び呼びかけてきた。
 親しくもないし、教師でもないのに、その馴れ馴れしさは、なに? 由紀子はむっとした。いきなり、名前呼び?

『佐藤由紀子』なんて、ありふれた名前がダイキライだった。
 将来、自分の子どもが生まれたら、オンリーワンのキラキラした名前にするんだ、絶対に。

 ハエを追いやるような目で由紀子は、克哉を無言で睨んだ。威圧してやる。

 なのに、克哉はそんなことには無頓着。
 むだな笑顔で由紀子をやさしく見守っていた。

 近くで見ると、目の色素が薄いのがよく分かる。日本人にしてはやけに茶色い瞳の克哉。これがお目目キラキラの要因か。

 ……はっ。
 そ、そんな無邪気な笑顔に騙されるものか。由紀子は強く唇を噛んだ。
 た、確かに、『佐藤さん』が『佐藤さん』に『佐藤さん』なんて呼びかけるのは妙だけど。

「はい、よろしく。これ」

 克哉は前から順に配布されてきたプリントの束を、ひらひらと渡してきた。

 ……ん? プリントに、なにか、添えられている。
 やや厚手の、小さな紙。

「俺の名刺ね」

 由紀子は克哉を上目遣いに見やったあと、名刺もプリントも全部いっしょくたにして無言で次の人に回そうとした。
 その由紀子の手を、克哉はあわてて止める。

「つれないなあ、由紀子さん」