シュレディンガーの猫(顔出しNGな男子)


 マッチングアプリを使ったせいで、「シュレディンガーの猫」のような状態になっている。

 きっかけは、2年前のことだ。当時、26歳だった私の周りでは、友人たちが次々と結婚していっていた。友人たちと違って、私は院に進学したから、社会人になるのがみんなよりも少し遅れていた。

 その分のハンデがあるわけだから、別に焦らなくてもいいようには感じていたのだけれども、友人たちが夫や子どもの話をしているのを聞いていると、友人たちと少しずつ距離ができていくような……対等な付き合いができなくなっていくような気がして、侘しさというか寂しさのようなものを感じていた。

 ――気の合う感じの彼氏でも作りたい。男友達がほしい!

 寂しさを紛らわせたくて、マッチングアプリをスマホにインストールしてみた。そして、プロフィールを作るときに、私は馬鹿げたことを2つやらかしたのだ。

 1つ目は、顔写真を登録しなかったことだ。外見ではなく内面で判断してほしい! などという甘えた考えを持っていて、あえて写真を登録しなかった。

 顔写真を載せない代わりに、プロフィールページに自分の好きなことや趣味のことをつらつらと書いた。私はSF小説が好きで、「サンリオSF文庫」というマニアックな文庫本のシリーズを高校生の頃から集めていた。そのことなんかを書いていた。「サンリオSF文庫」の手に入りにくいレア本なんかも持っていたから、顔写真の代わりに、サンリオSF文庫が大量に並んでいる自宅の本棚の写真を、プロフィールページにアップをしていた。

 2点目は、学歴を詐称したことだ。院卒の女性は男性から避けられそうな気がしたので、大卒ということにした。さらに、出身大学を偽った。プロフィールページに趣味のことなどをかなり詳しく書いたので、大学名まで明記したら、個人を特定されそうな気がした。知り合いにマッチングアプリを使っていることを知られるのが少し恥ずかしかった。
 ちょうどその頃、私の母校であるA大学は、偏差値レベルが同等でキャンパスも近くにあるB大学と合併して、C大学と名乗るようになっていた。合併によって、B大学も私の母校のようなものになっていたので、A大学ではなく、B大学の卒業生ということにした。

 顔写真を登録せず、母校を少し詐称したところで、まったく問題はないと思っていた。しかし、この2点のせいで、面倒な事態に遭遇しているのだった。 

 いざ、マッチングアプリをスタートしたものの、私にはなかなか「いいね」がつかなかった。当然の話である。顔写真を登録しておらず、プロフィールページでSF小説なんかのことを熱く語っている女に、声をかけるような男はなかなかいない。

 ただ、一部の小説好きの目には留まったようで、数日に1回くらいのペースで「いいね」がついた。そして、私が出会ったヤバい男である、宮田という男もその1人だった。

 彼は、最初から変わっていた。

 私が使っていたマッチングアプリには、課金をすれば「メッセージつきいいね」というものを送れる機能があった。マッチングアプリでは、マッチングしたあとではないと、相手にメッセージを送ることはできないのだが、「メッセージつきいいね」は、いいね!と一緒にメッセージを送ることができるのだ。どうしてもマッチングしたい相手やどうしても会話をしたい相手に使うのが「メッセージつきいいね」という特別な機能だった。
 顔写真も公開しておらず、SFのことなんかを語っている私に「メッセージつきいいね」なんて使う価値はないのに、宮田は、この「メッセージつきいいね」を使ってきたのだ。彼からのメッセージは、以下のようなものだった。

 ――自分もB大学の卒業生です。たぶん2つ後輩です。本の趣味が同じだったのでメッセージ送っています。

 彼のプロフィールは簡素なもので顔写真も公開していなかった。しかし、本の趣味が一致していることが嬉しかったので、私はすぐに彼とのマッチングを成立させて、やり取りを開始した。私は、母校を詐称していることを訂正すべきか悩んだのだけれど、面倒だったので、B大学の卒業生という設定を貫いた。

 私の母校のA大学とB大学は、合併する前から交流が盛んで、私はB大学に何度も行ったことがあった。B大学の施設や周辺環境、講義のことなども知り抜いていたから、大学時代の話も、問題なくやり取りができていた。嘘をついていることに気がとがめたけれど、もしも会うことがあったら、そのときに訂正すればいいと思った。大学同士が合併もしたことだし、問題ないと思っていた。

 宮田とは、かなり本の趣味が一致していて、あっというまに親しくなれた。彼はなかなかの読書家で、私が読んだことのないジャンルの本のことも知っていて、いろんな本を紹介してくれた。私も私で、彼に何冊か本を勧めたりして、かなり楽しくやり取りをしていた。マッチングアプリのメッセージでは、やり取りに規制が入ることがあって(たとえば、「作家の××さんは処女作(、、、)からしてよかった」というメッセージを送ったせいで、規制が入ったりした)、やり取りがスムーズにいかないこともあったので、ラインに移行して、やり取りをするようになった。

「ていうか、最初から思ってたんですけど、ヨウさんって「前沢先輩」ですよね? 地元から、こっちに戻ってきてたんですね」

 2週間ほどメッセージをやり取りをしたある日、彼がそんなことを言ってきた。私は「前沢」などという苗字ではないし、地元から離れたこともない。彼がとんでもない誤解をしているようだったので、すぐに自分が「前沢先輩」ではないことを伝えたのだけれど、彼は譲らない。 

「いやいや。絶対に前沢先輩ですよね? 本棚とか趣味とかで分かりますよ」

「違うって。リアルで会ったことないって」

「じゃあ、そういうことにしときますね!」

 どうしても彼は私を「前沢先輩」ということにしたいらしく、いくら否定しても譲ってくれない。どうも前沢さんという女性は、私と同じ年齢で、しかもいろんな趣味が一致しているらしい。

 彼女も「サンリオSF文庫」の熱心なファンだったらしく、レアな文庫本を持っていることをよく自慢していて、自宅の本棚をスマホの待ち受けにしているような、変わった人だったらしい。

 私は、自分と似た女性が、同じ時に、割と近くにいたことに驚きつつも、彼女と親しくなれなかったことを非常に悲しく思った。宮田から「前沢さん」の情報を聞き出して、何とかして彼女と仲良くなれないものかと思った。だから、私は彼に「前沢さん」のことを教えてほしいとお願いしてみた。

 すると、彼はやたらと長いメッセージを連続で送ってきた。メッセージの内容は、前沢先輩がいかに素晴らしい女性であるかを、過剰なまでに礼賛するものだった。そして、メッセージは次のような言葉で締めくくられていた。

「先輩のことが好きです。一年生のときから好きだったんです。好きなんです。ほんとに好きなんです」

 ゾッとした。それまでまともにメッセージを交換していた人が、急にわけのわからないことを言ってきたので、どうしたらいいのかわからなかった。
 一方で、彼が最初から「メッセージつきいいね!」などというものを使ってまで、私と熱心に関わりを持とうとしていた理由にも察しがついて、なんだかスッキリした気持ちにもなった。要するに、彼は最初から、私のことを前沢先輩だと思い込んでいて、大学時代の片思いの清算がしたくて、私と懸命につながろうとしていたのだ。

 ――でも、大学時代の先輩なら、普通に連絡先交換してるよね? 連絡先がわからないってことは、かなり一方的な……ストーカー?

 彼の熱心さは、私以外の女性に向けられたものだったけれど、それでも気持ち悪かった。私は、学位記のカバーを撮影して、彼に送って、B大学の卒業生ではないこと。身バレ防止のためにA大学の卒業生なのにB大学の名前を名乗ったことを告白して、謝罪もした。きっと誤解も解けるだろうと思った。

「わかりましたってww そこまでしてくれなくても、別人ってことにしときますんで」

 しかし、彼はそんなことを言うではないか! いい加減、気持ち悪くなったので、メッセージを送るのをやめた。すると、翌日、彼は、何事もなかったかのように、人気の本の話題を振ってきた。彼に対して、狂的なものを感じていた私は、急に素っ気ない態度を取ったら、彼が逆上するのではないかと怖かった。だから、普通のメッセージに対しては、普通に返事をするようにしていた。

 彼は、前沢先輩という女性に対しては異常な執着を見せたものの、それ以外は普通だった。メッセージも奥ゆかしい教養を感じさせるもので、彼とのやり取りは楽しかった。

 3か月ほどやり取りをした。それで、元B大学だったキャンパス近くで会ってみないかと、私は提案した。前沢先輩ではないという証明をしたかったし、ちょっと彼とリアルで話してみたい気になったのだ。しかし、彼はというと、そんな提案を断ってきた。

「先輩と、メッセージできてるだけで嬉しいんで。別に会わなくていい」

 要約すると、そんな内容のメッセージが送られてきた。その後も何度か誘ってみたが、彼はかたくなに会いたがらない。変な人だった。実際に私に会ってみて、私が前沢先輩ではないという事実を認識することになることを異常なまでに恐れているようだった。

 そんなわけで彼とは恋愛の関係にはなっていない。ただただ、本の話やら趣味の話、資格の勉強をしていることなど……日常の他愛ないことを定期的にメッセージしあっている。時折、彼は、前沢先輩への思いを語ったりする。そんな関係が2年間も続いている。彼が何をしたいのかはよくわからないが、実害はないので放っておいている。

 これが小説だったら、「実は前沢先輩は亡くなっていた」などというオチをつけたいところなのだが、残念ながら実話であり、現在進行形の話なので、オチのつけようがない。
 マッチングアプリで出会った女性を「シュレディンガーの猫」にしている。そんなヤバい男がいる。それだけの話である。