「美玖」
翌日、昼休みになると、真っ先に美玖に声をかけた。緊張したし、振り向いてくれるか不安だったけれど、梨斗の顔を思い出しては勇気を振り絞った。
美玖は今日も一人で席に座っていた。恵菜は昼休みになるとすぐにお弁当を持って教室から出て行った。美玖と恵菜が仲違いをしているのは火を見るよりも明らかだ。
私に話しかけられたと知った美玖は、驚いた顔をして振り返った。
「日彩……どうしたの」
声に張りがない。
明るくてリーダシップがあって、積極的な普段の彼女からは想像もできないほど、その声は不安げに揺れていた。
「昨日のことで、話したいことがある。今から時間、ある?」
四月に美玖と恵菜との約束を守れなかった時から、彼女たちに話しかけるのがずっと怖かった。もう私のことなんて忘れてしまったんじゃないかって思っていたし、話しかけても迷惑になるだけだと恐れていた。
でも、美玖はしばらくじっと私の顔を見つめた後、「うん」と頷いてくれた。
その反応にどっと安堵が押し寄せる。
「私、購買でパン買ってくるから、お昼、一緒に食べながら話そう」
こんなにもはっきりと自分の意思を伝えたのは久しぶりだ。
美玖は「分かった」と言い、机の横にぶら下げていたお弁当の袋を手に取った。
美玖を引き連れて購買へと向かい、パンを買う。今日はコッペパンがなくて、あんぱんが余っていた。お昼に甘いものだけ食べるのには抵抗があったけれど仕方がない。
どこで食べようかと迷っていると、美玖が「音楽準備室」と呟いた。
「あそこ、昼休みは誰も来ないし、お昼食べてても多分ばれないから」
「え、いいの?」
「なんで?」
「だって私……」
吹奏楽部じゃないのに。
口にするときっと寂しい気持ちに襲われるから、出かかった言葉をのみこんだ。
「とにかく大丈夫だから、行こう」
美玖が私の腕をぐいっと掴み、四階の音楽準備室まで連れて行ってくれた。次期部長の特権で、常に鍵を所持しているらしく、ポケットのキーケースから一つの鍵を取り出して部屋の扉を開ける。
高校の音楽準備室に入ったのは、初めてかもしれない。
もわりとした空気の中、木の温もるような香りが漂う。中学校の音楽準備室で嗅いだ懐かしい匂いと同じだった。所狭しと楽器の収められた部屋は、畳二畳分ぐらいしか空いているスペースはない。
ちょうど窓の真下に美玖が座り込む。どうしようかと迷っていると、美玖が「隣、座らないの?」と聞いてきた。
隣に……座ってもいいんだろうか。
今日美玖と話そう声をかけたのは自分なのに、こんなことで躊躇ってしまって情けない。
美玖の瞳をじっと見つめる。彼女は、さも当然のように、よいしょっと腰を浮かせて少し横にずれた。私が座るだけの十分な隙間が出来上がる。
ここにいていいよって、言われているみたいだった。
ゆっくりと、彼女が空けてくれたスペースに腰を下ろす。美玖とこうして密着して座ったのはいつぶりだろうか。
「日彩っていつも購買のパン食べてるよね」
「あ、うん。お弁当作る暇がなくて……」
「作る暇がないってことは、自分で作るつもりだったの?」
「まあ、ね。でも結局、高校生になってから一度も作れてない。少なくともお母さんに頼むつもりはなかった」
「そうなんだ」
何か事情があると察したのか、美玖は目を大きく見開いた。
「あのさ、昨日の、ことなんだけど」
私は、あんぱんを一口食べたあとにすぐに本題に入った。「え、もう?」と言わんばかりに、美玖があたふたと視線を泳がせる。彼女はまだお弁当箱の蓋を開けただけだ。
「あんまり時間ないから、すぐに聞こうと思って。昨日ね、美玖がピロティで男の子と話してるところを見たんだ。雄太って名前の子。一年生で、美玖の彼氏、だよね?」
駆け引きをするのは好きじゃないから、単刀直入に聞いた。
美玖の肩がピクンと跳ねる。
「……見られてたんだ」
ふう、と観念したように息を吐く美玖に、申し訳ないと思いつつ話を続けた。
「教室でいつもみたいに恵菜と一緒にいないのが気になって、昼休みに後をつけちゃったんだ。ストーカーみたいなことして本当にごめん。その彼氏くんと、美玖が上手くいってないのが分かって……それに、吹奏楽部で揉めてるみたいだったから、心配になった。本当は昨日、美玖に直接聞けば良かったんだけど、それも怖くてできなくて。今になってやっと勇気が出た」
言いたいことが、一気に身体の深部から溢れ出るみたいだ。珍しく饒舌になる私を見て、美玖は何を思っているのだろう。ただ驚いていることだけは分かった。
「美玖、本当は恵菜たちに言いたいことがあるんじゃない……? 一人で抱えてること、あるでしょう? 良かったら私に話してくれないかな。私は美玖のことも、恵菜のことも、まだ友達だと思ってる……ううん、友達でいたいと、思ってるから」
彼女たちに対してずっと心に抱いていたこと。
家のことで忙しくなってから、二人と歩幅がずれて寂しいと感じていた気持ちが溢れ出す。
美玖は一瞬、声にならない吐息を漏らして、ごくりと唾をのみこんだようだった。私に、本当の気持ちを話すべきか否か、迷っている。その様子に、ああ、同じなんだと悟る。
美玖だって、私と何も変わらない。
言いたいことが言えずに腹の底でくすぶっている気持ちに翻弄されてるんじゃないかって。
窓の外から、グラウンドでサッカーやテニスをする人たちの掛け声が遠く響いてくる。今の私たちとは絶対的に温度の違う声に、二人の時間が異空間に切り離されているような感覚に陥った。
翌日、昼休みになると、真っ先に美玖に声をかけた。緊張したし、振り向いてくれるか不安だったけれど、梨斗の顔を思い出しては勇気を振り絞った。
美玖は今日も一人で席に座っていた。恵菜は昼休みになるとすぐにお弁当を持って教室から出て行った。美玖と恵菜が仲違いをしているのは火を見るよりも明らかだ。
私に話しかけられたと知った美玖は、驚いた顔をして振り返った。
「日彩……どうしたの」
声に張りがない。
明るくてリーダシップがあって、積極的な普段の彼女からは想像もできないほど、その声は不安げに揺れていた。
「昨日のことで、話したいことがある。今から時間、ある?」
四月に美玖と恵菜との約束を守れなかった時から、彼女たちに話しかけるのがずっと怖かった。もう私のことなんて忘れてしまったんじゃないかって思っていたし、話しかけても迷惑になるだけだと恐れていた。
でも、美玖はしばらくじっと私の顔を見つめた後、「うん」と頷いてくれた。
その反応にどっと安堵が押し寄せる。
「私、購買でパン買ってくるから、お昼、一緒に食べながら話そう」
こんなにもはっきりと自分の意思を伝えたのは久しぶりだ。
美玖は「分かった」と言い、机の横にぶら下げていたお弁当の袋を手に取った。
美玖を引き連れて購買へと向かい、パンを買う。今日はコッペパンがなくて、あんぱんが余っていた。お昼に甘いものだけ食べるのには抵抗があったけれど仕方がない。
どこで食べようかと迷っていると、美玖が「音楽準備室」と呟いた。
「あそこ、昼休みは誰も来ないし、お昼食べてても多分ばれないから」
「え、いいの?」
「なんで?」
「だって私……」
吹奏楽部じゃないのに。
口にするときっと寂しい気持ちに襲われるから、出かかった言葉をのみこんだ。
「とにかく大丈夫だから、行こう」
美玖が私の腕をぐいっと掴み、四階の音楽準備室まで連れて行ってくれた。次期部長の特権で、常に鍵を所持しているらしく、ポケットのキーケースから一つの鍵を取り出して部屋の扉を開ける。
高校の音楽準備室に入ったのは、初めてかもしれない。
もわりとした空気の中、木の温もるような香りが漂う。中学校の音楽準備室で嗅いだ懐かしい匂いと同じだった。所狭しと楽器の収められた部屋は、畳二畳分ぐらいしか空いているスペースはない。
ちょうど窓の真下に美玖が座り込む。どうしようかと迷っていると、美玖が「隣、座らないの?」と聞いてきた。
隣に……座ってもいいんだろうか。
今日美玖と話そう声をかけたのは自分なのに、こんなことで躊躇ってしまって情けない。
美玖の瞳をじっと見つめる。彼女は、さも当然のように、よいしょっと腰を浮かせて少し横にずれた。私が座るだけの十分な隙間が出来上がる。
ここにいていいよって、言われているみたいだった。
ゆっくりと、彼女が空けてくれたスペースに腰を下ろす。美玖とこうして密着して座ったのはいつぶりだろうか。
「日彩っていつも購買のパン食べてるよね」
「あ、うん。お弁当作る暇がなくて……」
「作る暇がないってことは、自分で作るつもりだったの?」
「まあ、ね。でも結局、高校生になってから一度も作れてない。少なくともお母さんに頼むつもりはなかった」
「そうなんだ」
何か事情があると察したのか、美玖は目を大きく見開いた。
「あのさ、昨日の、ことなんだけど」
私は、あんぱんを一口食べたあとにすぐに本題に入った。「え、もう?」と言わんばかりに、美玖があたふたと視線を泳がせる。彼女はまだお弁当箱の蓋を開けただけだ。
「あんまり時間ないから、すぐに聞こうと思って。昨日ね、美玖がピロティで男の子と話してるところを見たんだ。雄太って名前の子。一年生で、美玖の彼氏、だよね?」
駆け引きをするのは好きじゃないから、単刀直入に聞いた。
美玖の肩がピクンと跳ねる。
「……見られてたんだ」
ふう、と観念したように息を吐く美玖に、申し訳ないと思いつつ話を続けた。
「教室でいつもみたいに恵菜と一緒にいないのが気になって、昼休みに後をつけちゃったんだ。ストーカーみたいなことして本当にごめん。その彼氏くんと、美玖が上手くいってないのが分かって……それに、吹奏楽部で揉めてるみたいだったから、心配になった。本当は昨日、美玖に直接聞けば良かったんだけど、それも怖くてできなくて。今になってやっと勇気が出た」
言いたいことが、一気に身体の深部から溢れ出るみたいだ。珍しく饒舌になる私を見て、美玖は何を思っているのだろう。ただ驚いていることだけは分かった。
「美玖、本当は恵菜たちに言いたいことがあるんじゃない……? 一人で抱えてること、あるでしょう? 良かったら私に話してくれないかな。私は美玖のことも、恵菜のことも、まだ友達だと思ってる……ううん、友達でいたいと、思ってるから」
彼女たちに対してずっと心に抱いていたこと。
家のことで忙しくなってから、二人と歩幅がずれて寂しいと感じていた気持ちが溢れ出す。
美玖は一瞬、声にならない吐息を漏らして、ごくりと唾をのみこんだようだった。私に、本当の気持ちを話すべきか否か、迷っている。その様子に、ああ、同じなんだと悟る。
美玖だって、私と何も変わらない。
言いたいことが言えずに腹の底でくすぶっている気持ちに翻弄されてるんじゃないかって。
窓の外から、グラウンドでサッカーやテニスをする人たちの掛け声が遠く響いてくる。今の私たちとは絶対的に温度の違う声に、二人の時間が異空間に切り離されているような感覚に陥った。



