「だから、子供の頃に会ったのが(なぎさ)くんだと断言したのは、(うしお)に聞いてたからなんだ。ごめん。……でも、今の潮と渚くんは見分ける自信はあるよ」

 自信満々に言う葛城(かつらぎ)くんだけど、確かに陰キャ変装の潮のふりをしていた僕を、渚だと見破ったのはすごいと思う。本当に僕たちを見分けているのかもしれない。

「それに、潮から聞いてたけど、渚くんの推しは俺なんだろ? なら何の問題もないじゃないか」
「え、どういう……?」
「俺も出会った頃からずっと渚くんが好きだった。渚くんも俺のことを推すくらい好きなんだろ? Win-Winじゃないか」
「いや、推しはあくまでも推しで」
「じゃあ、俺のこと嫌いなのか?」
「まさか! そんなことあるわけ……!」

 そう言い終わらないうちに、僕の口は言葉を発せられないように、何かでしっかりと塞がれた。
 今日起きた出来事はイレギュラー過ぎて、訳のわからないことの連続だった。ずっと驚きっぱなしで、頭の中はパンク寸前通り越して、完全に爆発していると思う。
 今だって、僕の鼻先が触れそうなくらい目の前には、推しの顔。こんなにドアップで拝めて罰が当たらないのだろうか。僕はありえないことが起きていることに気付かず、葛城くんの前髪はねてて可愛い。……なんて、冷静に眺めていた。

「目、閉じないんだな」

 口を塞いでいた何かが離れていくと同時に、葛城くんはそう言った。
 え? 何が?
 そう問い返そうとしたら、葛城くんが僕の頬に手を添えて、めちゃくちゃ嬉しそうに微笑んだ。

「俺のファーストキス。仕事でもしてないから、正真正銘の初めてだ」
「……っ!!」
「渚くんは?」

 葛城くんがファーストキスと言ったことで、自分の身に何が起こっていたのか、リプレイのように脳内でもう一度再生された。そうだ。僕は葛城くんと、キスしたんだ。
 そう認識した途端、顔が一気に熱くなる。渚くんは? なんて聞かれてハイ僕もですなんて恥ずかしくて答えられない。でも、頬に手を添えたままの葛城くんが、寂しそうに瞳を揺らすから、僕は仕方なく小さくウンと返事をした。

「もう一度、キスして良い?」

 ここでも葛城くんは僕に聞いてくる。引きこもりの僕にとって、こんなに親密なコミュニケーションは非常に難しい課題だけど、やっぱり寂しそうに揺れる瞳を見てたら、僕もちゃんと伝えたいって思った。でもやっぱり言葉にするのは恥ずかしいから、僅かに首を縦に動かした。
 するとその返事を待ってましたとばかりに、先程より力強く唇が当てられた。今度は何が起きているのかはっきり認識している僕は、ゆっくり目を閉じた。

 そして先程より長いふれあいの後、名残惜しそうに離れていくぬくもりを追うように、僕はゆっくりと目を開けた、満足そうに微笑む葛城くんと目が合って、恥ずかしくて何処かに隠れてしまいたくなる。
 ちょっと気恥ずかしくてどうしていいのか困っている僕に、葛城くんは「ありがとう、うれしいよ」と言って、優しく頭を撫でてくれた。

「あの頃は、本当に渚くんと結婚できるのだと思ってた。だから、いつ迎えに来てくれるのだろうって楽しみに待ってたんだ。けど、親の仕事の都合で引っ越してしまったと聞かされた時は、本当にショックだった。だから、今度は俺が渚くんを探そうと思ったんだ。芸能界に入って有名になれば、いつかきっと渚くんも気付いてくれるって」

 葛城くんが今の俳優という仕事を選んだのは、僕がきっかけだったんだ。……その葛城くんに、画面の向こうから僕は励まされた。そして、潮を通して再び出会うことができた。これってすごいことじゃないか。

「渚くんと会ったあと、うちの両親は離婚したんだ。俺は祖母に引き取られ、祖母は優しくしてくれたけど、やっぱりさみしくて。そんな俺の支えになったのが、渚くんにもらったラブレターとプロポーズの言葉だったんだ」
「ラブレターとプロポーズ?!」

 たしかに、子供心にゆうちゃんとずっと一緒にいたいと強く思った。遊んだのはほんの数日だったけど、離したくないって思ってしまったんだ。だから、一生懸命考え、野花の花束と、折り紙に『だいすき』と書いた手紙と、『およめさんになってください』という言葉を伝えたんだ。ああ、たしかに完全にプロポーズだよな、あれは。

「だから、潮を初めて見た時はすごく嬉しかった。やっと見つけたって。でもまぁ、別人だったけどな。……でも、潮にこの話をした時、あいつは笑わず聞いてくれたんだ。そして、応援するって」
「僕も! ……僕も、葛城くんの言葉が心の支えだったんだ」
「俺の言葉?」

 葛城くんの熱い思いを聞いていたら、僕も伝えなきゃって思った。あの時、画面の向こうの葛城くんの言葉に、どれだけ救われたのかを。

「僕、中学生の頃いじめられてたんだ。でも、誰にも心配かけたくなくて、ずっと黙って我慢してた。そんな時、パソコンで配信ドラマを見てたんだ。画面の向こうから、『大丈夫だよ』って、たった一言だったんだけど、聞こえてきて、その言葉で僕の心はスーッと軽くなったんだ」
「それって……」
「まだ無名だった頃の、葛城くん」
「俺の初めてのセリフだ……。俺の一番会いたかった人に、俺の言葉が届いていたんだな……」

 葛城くんの目尻に、かすかに光るものが見えた気がした。


 何を言うわけでもないけど、二人で見つめ合っていると、コンコンとドアをノックする音が聞こえた。

「あれ? 事務員さんかな?」

 葛城くんが来たときも事務員さんかと思ったけど、今度こそ事務員さんだろう。ここは特別教室だから、来る人は限られているはずだ。もしかしたら、逃げるように戻ってきてしまった僕を探しに来たのかもしれない。

「すみません、今から教室に戻ります」

 そう言いながらドアを開けると、目の前にはにーっと嬉しそうにピースをする潮が立っていた。

「サプライズ大成功~!」
「「は?」」

 嬉しそうにサプライズを告げる潮とは反対に、僕と葛城くんの明らかに不機嫌そうな声が重なった。